幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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ちょっと更新。夜よりやさしい道化師よ、白い口笛を糸月のはじっこにぶらさげよ 09月03日 (月)
02
夏の終わりは、いつも駆け足で
後ろ姿しか見ることができない。
だからさみしいのだろう。

猛暑と突然の豪雨とわけがわからぬこのごろだ。
それでも、日々、夜が深くやさしくなってきている。
そして、空も少しずつ高くなさて、
地平まで巻積雲が続く日がある。
巻積雲は一時「絹積雲」と書いたが、いまはまた巻という字になっている。
いわゆる「いわし雲」「うろこ雲」ともよばれ、
かなり高い空におでましになるが、だいたいこの雲がでた
二日後くらいには天気がくずれる。
どうでもいい話だが、巻積雲は揮毫ではCCと書く。
ラテン語のシーロ・キュムロスの略だ。
で、ここで一句。

ごめんねと あしたいえるか いわし雲

さても、三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
いよいよ長月一日。八尾では風の盆だ。
絵は『すてきなワフ家』。
ヘンリーとアンの犬のきょうだいが、仲むつまじく描かれている。
作者は中谷幸聖くん(4歳/倉敷市・杉村P)。
「くん」と書いたが、最近の名前は
むジェンダーフリーでかっこいいのが多いから、
女子かもしれない。読みは「こうせい」「ゆきとし」? 
中国支部関連の方、ご存じの方教えてください。
元になっているテキストの絵本は
永田武丸(ながた・たけまる、みよまる=本名)氏による漫画。
氏は「のらくろ」の田川水泡氏のお弟子さんであり、
「ときわ荘」の住人ではないが、通っていたメンバーのひとりである。
したがって「おばQ」の藤子不二雄氏とも関係が深い。
テキストはモノクロであるので、
着色は中谷くんの想像であることはいうまでもない。
おそらく、向かって左がヘンリーでバイオレット系でぬり、
右がアンでピンク系にぬったのだと思うが、
今の子どもたちは、
ほんとうに色彩に関しては解放されていてうらやましい。
絵でもファッションでも、
少し前ではタブーだった色の組み合わせや
柄のコーディネートがおおあり名古屋である(古)。
テキストのコミックがモノクロなのも幸いして、
中谷くんはまったく自由な色で犬のきょうだいを描いた。
昔の小学校なら「紫やピンクの犬はいないでしょ」と
平気で指導された(今もあるらしい!)ろう。

何度も書くが、絵は基本的に自由である。
人間にとっての自由、表現の自由が最も明確に、
力強く、深く示されるのは絵画であろう。
絵は空間的であるが、じつは音学的でもあり、
ときにはゆたかな語りももっているからだ。
好きな物語をてらいも計算も、「うまく描きたいという」欲もなく、
思いだけで描かれた幼い子の絵には勝てない。
あのピカソでさえ、
「やっと子どもように描けるようになった。70年かかった」
といっているほどだ。

この絵のすごさはまだまだある。
犬でも人間でも、生物を鳥瞰して立体的に描くのは
かなりの技術とデッサン力がいる。
フォルムをとることも難しいが、
疑似立体として見えない部分をつくることは
4歳では手にあまる仕事である。
だけど、ヘンリーもアンも好きだから
「全部描きたい」わけである。
したがって、こういうペッタンコな表現になる。
こざかしい3Dなど無視して、
「ぼくはこう見えてるんじゃ」と堂々と手足もすべて描いている。
そして、よく見れば、犬のブチ模様もきっちり描いてるのだ。
一見シンプルに見えるけど、
やはりあちこちこだわりまくって描いている。
こういう絵は、パッと見て、
「ああ、よくできたね」だけでは子どもにばかにされる。
すぐに「このおとなはアカン」と見抜かれる。
じっくり眺めていろいろ見えてくるのが絵画の本質だ。
むもちろん見た瞬間の感動とかショックもたいせつだけど。

ここまで書いたことは、ある意味、
4歳児の描画としては自然なのだが、
さらに中谷くんがすごいのは
全体のバランスがとっても見事できもちいいことだ。
そして、カレンダーの絵の規定サイズは大きいから、
中谷くんの肩幅より画用紙のほうが広いと思う。
それでも、画面すべて塗りきって余白がほとんどないのは、
この年齢ではすごい集中力と気力である。
ヘンリーが青ざめてアンが紅潮しているのも、なんとなくおかしい。
青系は男子、赤系は女子の色という文化が日本には近代以降(たぶん)あるが、
子どもが自然にジェンダーに帰属する選択をできるようになること、
すなわち男の子が飛行機の玩具をとり、
女の子がお人形を選ぶようになるのは
「性役割の獲得」であり、
このくらいの年齢から自然にできるようになっていく。
ともあれ、この作品への興味はつきない。
中谷くんにきょうだいはいらっしゃるのかとか、
どのくらいこの物語が好きなのかとか、
なぜこの物語を描こうとしたとのかなど、
しつこくインタヴューしてみたいと思うぞ。

原昨のラボ・ライプラリーが刊行されたのは、
なんと1970年。ぼくが入社する6年前にはリリースされていた。
42年前の作品であるが、
おそるべきかな今も現役で、
子どもたちに圧倒的に支持されつづけている。
その理由はいろいろあるが、
飼い犬のくせに人間を上から目線でみているという設定のなかで、
「ありそうでなさそう、なさそうでありそう」
というホームドラマが、
子どもたちをひきつけてやまないということが大きい。
家を建てたり、ピクニックにいったり、
風邪をひいたりといった曜日ごとに異なるエピソードの果てに、
大団円としては子どもたちが留守番しているところにドロボーが入り、それを子どもたちだけで捕まえて表彰される(Home Aloneはこれをパクッたんじゃないか)。
基本的にはピクニックも風邪ひきも、
子どもにとってはとっても大きなイヴェントである。
切実かつ身につまされる問題なのだ。
また、ワフ家は、父親、母親、息子と娘という
典型的Newclear Family=核家族であるが、
これも核家族なんていうAnthropology のことばが
一般化しはじめた1970年という時代を繁栄しているかもしれない。

ところで、かつて「らくだ・こぶに」氏と
私的な酒席でこんな話をしたことがある。
「ワフ家をテーマ活動しようとすると、
幼い子は自然と四つん這いになる。
でも、大人は二本足でたって擬人的にする。
たぶん羞恥心がそうさせるのだろう」
で、ぼくは、「何歳ごろから四つん這いでしなくなりますかね」
と問いかけた。
すると氏は「興味深い問題だ。ぼくにも考えはあるが、
君も考察してリポートしたまえ」。
それ以降、残念ながらこの話題にふれることはなかった。
でも、これは今でもとてもおもしろいテーマだと思っている。
まだまだつづくよ。
ひやし
9月7日の金曜日、新宿に用があったので
ひさしぶりにラボ本社によった。
今夏、ニュージーランド交流の団長をつとめた林総務部長から
なかば脅迫的に依頼していたマヌーカハニーを受け取るためである。
マヌーカは先住民マオリのことばで英語ではNZ Tea Treeといわれる。
花は桃色のかわいいものだが、なにより蜜源として最高であり
味のよさはもちろん、健康効果も高いので大人気だ。
ぼくは第一回のNZ交流団長をしたが、そのときはほぼ毎朝食べていた。
林氏は、ぼくが関西支部で担当をしていた1976年、
尼崎の松本パーティのラボっ子で、中2のときからよく知っている。
だから、ひどい話だが、ラボという立派な会社の役員になられたいまも
先輩風をふかせて、「わかものフェスティバル」のチケットをとれとか
けっこう無茶ぶりをしている。
彼がいた松本パーテイの松本テューターは
事務局員の松永由里さんのお葉はさまであった。
その後、松本パーティはラボママであった天野テューターにひきつがれ、
天野パーティは、テューターが世田谷に移転してからも発展した。
現在活躍している俳優の佐藤隆太くんがいたのはこの天野パーティである。

一時の猛暑は少しおさまったときいえ、
金曜日の正午すぎの青梅街道は、アスファルトのてりかえしがひどい。
たたで蜂蜜をもらうのも気がひけるので
事務所の女性陣にと、中野坂上のドイツ菓子の名店「ジーゲス ウント クラウス」の
ケーキを2ホールぶらさげていった。
ウィーン菓子に比較してドイツ菓子はいまいち品がないという
とんでもない人もいるが
そんなことはない!

※林くんには先月の湯田中でかった味噌。

昼やすみおわりの16階に入ると
入り口すぐ左の相談室とよばれる小部屋野ドアに
「ラボ・カレンダーの絵」整理作業中と表示がある。
「ああ、もうそんなときなのだなと」とつぶやく。
リタイアした事務所にきて季節を感じるのもせつないが、
ラボの活動は季節感に満ちているなと改めて思う。
ラボの春夏秋冬を何回か経験して、
新人テューターも新入ラボっ子もその親も
身体にラボをとりこんでいくのだろう。
物語にも季節があるようにね。

季節感は、色彩や音などと同様に、いやそれ以上にたいせつだと思う。
日本のように四季がはっきりしている国でなくても、
たとえば雨期と乾期しかないところでも、
というか、そういう極端な地域の人ほど、
そのきりかわりの微妙な自記の変化を見逃さず感じてきたと思う。

もろん、日本のような美しく分割された四季のなかにも
さらに細かい季節がある。
古典的な二十四節気などは、その典型だろう。
茶室に少し早い季節の花を一輪そっと活けるなんていう技や
料亭で旬に少しだけ早い食材を出すのも
ひの敏感さのあらわれであり、季節をただ見送っていない、
ちゃんと見つめているという心意気であり
もてなしの心なのだと、ようやっとわかるようになった。
葛飾北斎(1760~1849)は生涯に93回も引っ越しをしたが、
そのつど、障子に季節の花を小さく描いていったという。

16階では木原教務局長としゃべり、吉岡さんにケーキをわたした。
そうこうするうちに時本社長がランチからもどられたので
社長室でしばらく世間話をしてから、
林氏に連れられて昼食に出た。
Hiroという最近できた中華屋だが
「黒酢の冷やし中華1200円 今日で終わり 来年はやりません」
という表示のある
やたら値段も態度も挑戦的な冷やし中華にした。
それが上の写真。
実に具だくさんで、麺もしこしこしていて
この夏いちばんの味だった。
なんて、平和なことをかいていたら、
こんなニュースがYAHOOにでた。

小4以下も英語必修、文科省検討 指導法を研究 
 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNNSE2INK03_Y2A900C1000000/

 文部科学省は小学校低学年から英語を必修にする検討を始める。
昨年度から小学5・6年生で必修化したところだが、
社会のグローバル化に対応してより早い段階から発音などに慣れ、
コミュニケーション能力を高める必要があると判断した。
2013年度に専門家会議を設け、実施学年や効果的な指導法を研究する。

蒙小学校英語について書き出すときのがないのでちょっとにすねが
検討するのはいいけど、文科省のいうコミュケーション力とは
いまもって謎だ。
単なる会話力ではないとはいっているが、その具体性は不明。
たしかに要領だから、実紙マニュアルがあるわけではないからなあ。
でも、多くの学校でおこなわれているのは短い会話と歌とゲーム。
コミュニケーション力力なんて全人的な力だから、
母語とか原体験がしっかりしなきゃどうにもならない。
もちろん、外国語という新しい表現を学ぶことで育つものもあるけど。
でも指導要領の改訂はたぶん20019年で完全実施は2021年くらい。
とすると今年か来年生まれる小どもが小4になったとき必修になるんだろうか。
ともあれ、国家が指導要領とか国の検定教科書なんぞで
教育をコントロールするのは、もはや一部の国だぜ。
芸術省ち文化省はあってもいいけど。
もっと教育が自由であれば親も小どもも選択肢が増えるし、
教員の能力も高いものがもとめられるようになる。
国が教育目標をたてるのは基本いやだ。

さて、昨日の日記でョーヨォさんが
『うみのがくたい』に取り組みはじめたことを書かれていて
ぼくも大好きな話なので感想を送った。
その一部を紹介しておく。
この物語は、曽我と日本大震災による津波被害、原発事故、
エネルギー問題、竹島、尖閣諸島、北方領土などの
海の境界線の問題などを思うと
新たな意味をもちはじめているというか、
すぐに眠りにつこうとするぼくたちの頭脳に思考させようとしている。

以下は転載
ぼくも、このお話は大好きです。
ライブラリー制作の目標にしていた作品のひとつです。
江守徹さんの語りは、まだずいぶんお若いときの声ですが、
さすがというほかありません。
イブニングスターにしても「チュチュ」にしても
江守徹という、極めて個性の強い役者の姿は消えて
透明で抑制のきいた語りが自然にとどいてきます。
同時にしっかりとその物語における語りの位置を
きっちりとキープしているのもすごいと思います。
「チュチュ」が、あれほど子どもたちに支持されるのは
ナレイションが、常にチュチュの応援者であるからです。
チュチュと同じ高度で、一年生がんばれという語りであるため
子どもたちは自然に一緒にチュチュを応援してしまいます。
ぼくが、江守徹さんと直接仕事をしたのは、
『注文の多い料理店』ですが、
あのときも、若い二人の猟師を見事に演じ分けてくださいました。
よく聴くと二人には微妙なキャラクターの違いがあることが
感じられると思います。
『うみのがくたい』の語りも、
ぐっと抑制がきいたすばらしいものです。
嵐の場面や美しい夕焼けのラストなど、
ふつうなら、もっと朗々と謳ってしまいがちですが
子どもたちの想像が膨らむ余地をのこしているのでしょう。
さらに作品のもつ鎮魂、祈りというたいせつな要素を
語りも十分に汲み取っていると思います。
丸木俊先生とは、生前一度だけご自宅でおあいしました。
先生はこの絵本の絵に2年という時間をかけられています。
イルカやサメ、魚たちの動きがどうしても納得がいかず、
近所の「お魚博士」みたいな小学生に指導を受けたそうです。
ご承知のように丸木先生は「原爆の図」に象徴されるように
核兵器はもちろん、核エネルギーにも強く反対されていました。
いま、いらっしゃれば、必ずや行動されていたでしょう。
海は、命の生まれることろであり、
戦さや冒険、そして災害などで、多くの命が消えたとおろでもあります。
そうした海と命への鎮魂と祈りを思うとき、
今、また、この物語は時代的意味をもっていると思います。
その先のやりとりもおもしろいが
興味のある方はヨーヨォさんの日記をどうぞ。
http://www.labo-party.jp/hiroba/top.php?PAGE=yokoscjk&MENU=DIARYDETAIL&DIARY_ID=71737

今回は中盤ど楽屋オチが多かったが、最後はちゃんとしめよう。
※まだ続くかもしれんけど

天才浮世絵師、葛飾北斎は、
酒も煙草ものまずただひたすら描き続けた。
嘉永2年4月風邪をひき、いよいよ悪くなったとき
枕頭には娘や弟子たちが集まった。
北斎は
「ひと魂で ゆく気散しや 夏の原」と辞世をよみ、
「あと10年生きたいが、せめてあと5年の命があったら、
本当の絵師になられるのだが」
とつぶやいて息を引き取った。89歳であった。
Re:ちょっと更新。夜よりやさしい道化師よ、白い口笛を糸月のはじっこにぶらさげよ(09月03日) ・
こうせいママさん (2012年09月14日 00時05分)

はじめまして。9月のラボカレンダーのワフ家を描いた「中谷幸聖(こうせい)」
の母です。
テューターからこのホームページを教えて貰い、拝見させて頂きました♪
素敵な感想ありがとうございました。
ワフ家は子ども達(2歳上の兄がいます。)が大好きなCDの一つで、我が家では寝
る前にお気に入りのCDをかけて寝るのですが、昨年の夏はワフ家1~4話を飽き
ずに毎晩聞いていました。
ですので、カレンダーは2人ともワフ家でした!
兄は4話の泥棒を捕まえるシーンで、幸聖は1話の家作りの穴を掘るシーンを。
2人とも画用紙いっぱいに、思い想いの絵を描いていましたが、小学1年の兄の
ヘンリーとアンの色は白黒茶の常識的な色でした。
やはり、あの常識に捕らわれない色彩感覚は4歳児ならではのようです。
このホームページを見るまで、兄弟の絵の違いに気が付きませんでしたが、幼
稚園の感性は大切にしたいと感じました。
今年も張り切って画用紙いっぱいにカレンダーの絵を描いていました。
そこにも、大人では描かない物も想像で描いたりと、楽しく作成してました。
子供なりに色々な想いを込めた絵に素敵なコメント頂いて、本人も大変喜んで
います。ありがとうございました。
Re:Re:ちょっと更新。夜よりやさしい道化師よ、白い口笛を糸月のはじっこにぶらさげよ(09月03日)
SENCHOさん (2012年09月14日 00時52分)

こうせいママさん
ていねいなご感想ありがとうございます。
本来、絵はそれそれが自由に観て、
自由に感じるもので、ぼくのような「わけしり風」の批評を書くのは
あまりほめられたことではないのです。
でも、子どもたちの絵を応援したくて、
またラボライブラリー、ラボカレンダーの絵に長くたずさわった
者として、
そしてひとりの人間として
なぜ、この絵が好きなのかを表現することで
すこしでも多くの人が子どもの絵に関心をよせて
もらえればと思い、恥ずかしながら、
ダラダラと書いています。
こうせいくんが、これからほ描きつづますように。
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