幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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追加更新 孤独を恐れないのは表現者の資質である。賢治忌に雨の横浜で考えた そしてハートの時間 09月30日 ()
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今回もまただらだらと書く。ゆるされよ。
このところ、妙にいそがしくなってふうふういっている。
もちろん、かつての事務局員時代に比べたらユルユルだけどね。
「いそがしいうちが花よ」という人が多いのだが
ぼくはまったくそう思わぬ。
せっかく組織から抜けたのだから、好きな本を読み、映画を見、
気の合う人とだけ話し、おもしろおかしく暮らしたーい!
だれだ、会社をやめるとやることがなくて公園で暇つぶしすることになる
なんていったのは!
 
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
台風接近のさなか、はや神無月である。
絵はエリック・カール氏のあまりに有名な絵本、
『はらぺこあおむし』"THE VERY HUNGRY CATERPILLAR"
に題材をもとめている。
描いたのは平山紅麗彩(くれあ)さん(6歳/川崎市・安永P)。
主人公のあおむしが、画面いっぱいにでかでかと、
しかも食べ過ぎてお腹が痛くなるくせに、
けっこうえらそうに笑っている。
もう、それだけで幸せな気分になるので、
よぶんな説明は要らぬかもしれない。
「おいしいものはぜんぶ食べたい」というのは、
基本的な生存欲求であるから、
幼い子の魂にダイレクトに直撃する。
また、食べ過ぎてお腹をこわすのは、
だれしもが経験するのっぴきならない災難である。
カミナリちゃんの高飛びこみ(スギちゃんじゃないよ)もそうだが、
too muchは子どもの子どもたるゆえんだし、
たいせつな資質だと思う。
この絵本が世界中の子どもたちに圧倒的に支持されているのは、
まさにそうした子どもの生理に密着しているからである。
しかも苦痛をこえて沈黙と孤独をへて美しい蝶に変身していく結末は、
これはもうカタルシスともいうべきすっきり感だ。
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この絵本がでたとき、「絵本を評論する」人びとや冊子が、
けっこうきびしい評価をした。
絵本に穴が開いていることから、
「絵本ではなくオモチャ」「子どもに与える感覚がわからない」
「物語がない(あるよ!)」などなど。
でも、別に絵本にレギュレーションがあるわけじゃなし、
紙のメディアの可能性を大きくひろげたことはとってもすばらしい思う。
オモチャでもいいじゃないか。
子どもは本物を見抜く。
この絵本が「ダメ」なら、子どもたちはとっくに見放しているはすだ。
だいいち、「よい絵本」「わるい絵本」という区分けは、
ぼくは好きじゃない。そのことは神宮輝夫先生から学んだ。
「ただ、この絵本はこういうところが好きだ」
ということをどんどんいいたい。
さて、平山さんの絵にもどろう。
最初にも書いたが、画面いっぱいにあおむしを描き、
なおかつあおむし自体のバランスがとれているのはすごい。
目と手のコーディネイションがいいのだろうな。
イチローみたいに。
彼女くらいの年齢だと、あおむしがとっても小さくなるか、
頭を大きく描き過ぎてすんづまりになったりしがちなのだ。
そして、この絵もまた他の月の絵に負けず劣らず
描き込みがすごい。
集中力と気力、心のパワーがなければこうはいかない。
さらに、ケーキや果物の表現も
よく見るとていねいで細部までこまやかだ。
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鮮やかな色彩は、もちろん原作を参考にしているが、
これだけ何度も色をかえて描いていくのも尋常なことではない。
あおむしが、えらそうにしてもいいのだと思うのはそういうこと。
で、これだけがんばってもそんな疲労感はなく、
あおむしも太陽もみんなにこにこわらっている。
うーん、元気がでるぞ。
原画に似ていても、
ただの「写し」や真似ではないなにかをもっている。
それは平山さんの物語への思い、
それもピュアな思いなんだろうな。
子どもたちよ、やり過ぎてもいい。
というかやり過ぎなさい(人を傷けるのはだめよ)。
やり過ぎたための失敗はなにかを手にする。
やらなくてできなかったことは、一生ひきずる。
恋愛もしかり。「あのとき好きとなぜいわなかった」ってね。
はらぺこであれ! あれっなんかリンゴの偉い人みたい。
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9月21日は宮沢賢治の命日。「賢治忌」である。
この日は朝から小雨だったが、ランドマークタワーに所用があり
東横線経由みなとみらい線に乗った。
移動のあいだ、ずっと『セロ弾きのゴーシュ』を聴いていた。
ランドマークの後、インターコンチで友人と複雑な話しをした。
雨はまだときおり、銀の糸のように舞い降りていたが
気になるほどではない。
港の見える丘公園にある神奈川近代文学館にむかった。
今は今月末まで寺村輝夫「ぼくは王さま」展と
常設展「文学の森へ 神奈川と作家たち」展 
第2部 芥川龍之介から中島敦までを開催している。
たしか前世紀の終わりころだったか
「日本の絵本展」で司修先生の作品がでるということで、
ラボの「ゴーシュ」の絵でポスターをつくりたいという話が
この文学館から来たのを覚えている。
レセブションで司先生を前にして
あいさつをしたけど恥ずかしかった。
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港は遠く雨に煙る。有機焙煎の珈琲と海苔とチーズのサンドイッチでランチ。
鎌倉、横浜を中心に神奈川に暮らした作家、文学者は多い。
彼らの原稿や資料を見ながら、
ことばを紡ぐという業にとらわれた者たちを思う。
「だれにも理解されなくても書き続けること」
それこそ人間の尊厳であるという勇気をそこからもらうのだ。
孤独も資質であるのよ。
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その翌日は、わがICU Apostlesの公式戦初戦。
大井球技場にえっちらとでかけた。撮影のためである。
相手は一昨年は惜敗し、昨年は大勝した新潟大学。
ICU は選手30人弱。むこうは60名以上。
まあ、ICUは学生数も男子の数も少ないから
しかたがないのだけど…。
いまは一学年500名くらいだけど
ぼくが入学した1972年は同学年150名いなかったと思う。
多勢に無勢とはこのこと。
それでもなんとか逆転勝ちした。やれやれ。
その2週間前の文教大学との練習試合では大差の完封勝ちをして
いきおいがついていたが、公式戦となるとそうはいかぬ。
まあ、練習試合の勝ちなんて
「妹にするおやすみのキス」のようなものと
1979年にカンザス州立大学のコーチからきいた。
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30名の選手に対してマネージャーは10名以上いる。
医療、練習時間のコントロール、事務、ビデオ記録など業務は多彩。
試合中はボール交換から水補給、負傷者ケアととにかく走り回る。
彼女たちもティームの柱である。
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10月に入り、昨日も打ち合わせが二本も! あった。
12時30分に音響エンジニア富さん(牟岐先生が
信頼する技術者で、ぼくも制作時代に何回かごいっしょした)
と御成門で中華ランチ打ち合わせ。
それが順調に終わって1時間余裕ができたので、
南青山のスペースユイへ。茶畑和也さんの「ハートの時間」
の初日に顔を出した
茶畑さんは、昨年の大震災の直後からハートをモティーフにした作品を
「毎朝1枚」必ず制作しSNSで発表してきた。
当初、ぼく自身はハート? と思い、
富士山にもにた偉大な通俗、
あるいはcheepなギフトショッブの忘れ物的goods
(たとえば I ♥ TOKYOシャツみたいな)
のような戸惑いを覚えた。
でも、作者のストレートな思い、
さらに孤立を恐れない魂が継続を生み出し、
それがもう、太陽や星のように別の生きた存在として成立しはじめた。
ハートはときに、旅人になり、また恋人になり、
親子になり、戦士にもなり、詩人にもなった。
また、あるときには意味を拒否し、
情念を排除した記号絵画にもなった。
そして、さらにおもしろいのは、
FacebookというSNSで発表することで、
インタラクティヴなイラストコミュニケイション
ともよぶべきArt Actがうまれたことだ。
ぼくも意地になって毎日「いいね」したり、
ときには中原中也の詩を送ったり、
茶畑ブルーだ! とわけのわからぬ迷惑コメントをしたりした。
どうやら、毎朝のむサプリメントでもあるような気がする。
毎朝FBで見ていた絵がギャラリーにならぶと、
再会のうれしさと気恥ずかしさがある。
個展は今週の土曜日まで。
氏は金曜の午後以外は在廊とのこと。
ぼくは奥様がお見えになる土曜日の昼前にもういちどいくつもりだ。
茶畑さんと仕事をしてから、
もうずいぶんの時が流れた。また、なにかやってみたくなってきている。
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神奈川近代文学館で
漱石山房原稿用箋を購入した。
漱石はプロの作家としての矜持をたもち、
官の世話にはならぬと、国からの文学博士授与も固辞した。
その分、連載をもっていた朝日新聞とは、
「守銭奴」と陰口されるほどの細かい契約を結んだ。
漱石は最初のプロ作家といってもいいかもしれない。
この原稿用箋は十九字詰という特殊なものだ。
そのころの朝日新聞が十九字詰だったからである。
漱石ははじめはGの金ペンで、後には万年筆で原稿を書いた。
「その万年筆は丸善の内田魯庵君に貰ったから」
「筆で原稿を書いたことは、未だ一度も無い」と
大正三年の大阪朝日新聞で
「文士の生活」というコラムに書いている。
近代文学館では、この用箋の木版版木、紙型を保持している。これは買い。
ちょっとはいい文がかけるかな。
無理か。
前のほうでちらっと書いた音響エンジニアの富さんは
今回のライブラリーの新刊音楽、牟岐礼先生の
録音とミキシングを担当されている。
ラボの仕事はおもしろいけど、死にますなあ。
140曲ですよ! と
ライオンのような巨体をゆすってわらった。
「でも、大作で、ほんとうにたのしみですよ」
だって。
Re:孤独を恐れないのは表現者の資質である。賢治忌に雨の横浜で考えた(09月30日)
ラボやすながパーティさん (2012年10月01日 18時51分)

こんにちは!10月のカレンダーの絵のくれあちゃんのテューターです。彼女
は、本当に絵を描くのが大好きな子です。「おはなしにっき」にもたく
さんの絵を描いてきました。ずっと絵を描いていても飽きずに集中して
います。絵の中で遊んでいる感じですね。
ちょっと夏の疲れが出てきた10月、この絵ををみて元気になれそうで
す。ありがとうございました~
ライブラリーを聞きまくるラボママ
あんこ姫さん (2012年10月06日 12時57分)

senchoさんの日記を読んだラボママの話を先日しましたが、その熱は続
いていて、家でライブラリーを夢中で聞いているとか。娘と息子は「お
母さんに何があったの?」と言わんばかりに母の行動を見つめてるのだ
そうです。感謝を申し上げると共にこれからも私たちに様々な刺激をお
あたえくださいますようお願いいたします。
Re:ライブラリーを聞きまくるラボママ ・
SENCHOさん (2012年10月06日 14時53分)

あんこ姫さん
>senchoさんの日記を読んだラボママの話を先日しましたが、その熱は続
いていて、家でライブラリーを夢中で聞いているとか。

うーん。すばらしい。んにがどうしたのでしょう。
娘と息子は「お母さんに何があったの?」と言わんばかりに母の行動を見つめてるのだ
そうです。

単純にいって、親も聴かなければもったいないす。
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