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一葉と三島とトシのはざまで改 横田やさんとの再会 11月24日 ()
lolukry
なんかつけたし更新ではずかしいが
今日27日はは賢治の妹トシの命日である。
結核のために24歳で早生したトシは、
日本女子大に学んだ才媛であり、
賢治のもっともよき理解者だった。
この日、朝からみぞれがふっていた。
トシは賢治に頼んでとってきてもらったみぞれを食べ、
さっぱりしたと喜ぶ。
その夜、父、母、弟、妹が見守り
賢治が耳元で南無妙法蓮華教を叫ぶなかトシは逝った。
賢治は押し入れに頭をつっこみ号泣した。

朝、食事の前に「永訣の朝」を聴く。
青年座の速水奨さんの語りが胸にひびく。
賢治の詩のなかでは、やはりこの作品はとびぬけている。
社会、政治経済の状況が悪くなると、
そのしわ寄せは弱い者にまず襲いかかる。
子ども高齢者、そして病や障がいをもつ人びとだ。
そのあぶない時代に賢次の存在はいやましている。
それはときおりめぐりくる尾をひく彗星のようだ。
http://golgi-labo-support-i.blogzine.jp/about.html
カレンダーがかわるころにしか更新しないのもなんなので、
ひさびさに日記を書くことにした。
今日は11月25日。
憂国忌である。三島の『天人五衰』をめくる。
1970年のこの日、高校3年だったぼくはかなり迷走していた。
時は70年安保であり、ベトナム戦争の真っ最中であり、
アメリカがその戦争で無駄遣いしてくれるおかげで
日本はどんどん稼いでいた。
沖縄からは爆撃機がゲリラを殲滅するために、
ベトナムの密林をナパームでもやし、
さらには枯れ葉剤という
とんでもない毒薬をバラまきに飛び立っていた。
早い話がアメリカのいう自由と正義の名のもとに行なわれる
殺戮の手伝いをして日本は繁栄しようとしていたのだった。
ぼくは、そうした状況に小さな頭で悩みながら、
なにやら「ことば、コミュニケイション」を
自分のテーマにしようと思いはじめ、
詩のようなものを書いたり読んだり、唄ったりしていた。
三島が自決したのは、そんな秋だった。
しかも、その日は母の父の葬儀であった。
斎場から小平市の祖父の家に帰った後、
父と母をのこしてぼくは妹を連れて
一足先に中野に帰宅することにした。
そして荻窪で地下鉄に乗り換える前に
夕食をすまそうと入った定食屋で
三島自決のニュース特番を見たのだ。
ふたつの対照的な死を同日に体験したぼくは、
しばらく混乱し不眠に悩まされた。
三島の文章はほんとうに華麗だ。
なんとか身につけたいと思ったこともある。
華麗すぎて好き嫌いはあるかもしれない。
ただ古典のもつ香りを見事に作品のなかに
写し込む感覚はほんとうに圧倒される。
今も存命なら、おそらくノーベル賞をとっていたろう。

先日、術後三年半の検査が終わり、
採血、腫瘍マーカー、CTによる画像診断の結果がでで
無事にクリアした。
おだやかに年をこせそうであ。
三澤制作所の看板をあげて2年がたった。
まったくだらだらと好きなことだけしようと思ったが、
なかなか思うようにはいかず、
うれしいことではあるが、いろいろとオファーがくるようになった。
生来の貧乏性というか、頼まれるといやといえない。
結局ひきうけてふうふういっている。
でも、そうしたモティベイションのおかげで
再発や転移もなく過ぎているのだと思う。
多くの方がたからパワーをいただいているが
離れたとはいえラボの関係者がくださる力は尋常ではない。
この場を借りて御礼を申しあげる。

冒頭の写真は11月4日、国際基督教大学の上空にあらわれた
獅子のような雲。ぼくはSKY LIONと名付けた。
学生時代、なにを血迷ったか
アメリカンフットボールと心理学だけをまじめにやっていた。
それが大学2年の終わりに
ラボという組織(笑)とかかわるようになってから
大きく人生が狂い、現在にいたっている。
で、例の大病をきっかけにラボという高速道路から横に出て
新しい景色を眺めるようになってから、
OBとして
ICUのフットボールティーム、Apostlesとかかわるようになった。
ICUは学生数も少なく、男子も多くはない。
したがってハードなsportsをするやつはあまりいない。
カリキュラムもきびしいので全員練習は週3日しかできない。
現在関東学生の3部Cブロック(キャンプじゃないよ)に属していて
4年前に2部に一度あがったが、すぐに降格。
この二、三年は2位、3位が指定席だ。

ちなみにsportのもともと意味は
「気晴らし」「楽しみ」「余興」といったものだ。
現在は、いわゆる運動、あるいは運動競技のことをいう場合が多いが
かの有名なナンセンス・ライム
"Hey diddle diddle"にそのおもかげがのこっている。
Hey diddle diddle,
The Cat and the fiddle,
The Cow jumped over the moon,
The little Dog laughed to see such sport,
And the Dish ran away with the Spoon
この犬が大笑いしたsportは、まさに「楽しみ」「気晴らし」ということだ。
ラボでは百々先生が「見逃せぬみものだわい」と訳出されている。
だから、め牛が月をとびこえるのも、ましてや猫がバイオリンを弾くのも
運動でも競技でもない、本来のsport、おもしろいみものということなのだ。

さても、空のライオンの写真は強敵筑波大学との一戦の
後半に出現したものた。
筑波大学は昨年まで2部のティームであり、
今年こそ3部で優勝して2部との入れかえ試合に出たい
ICUにとってはどうしても勝たねばならぬ相手である。
しかし下馬評では筑波は優勝候補、
ここまで3戦無敗の勝ち点9をもっている。
ICUは新潟大大学、亜細亜大学には勝ったが、
東京農工大学に完敗して勝ち点6。
今のところ自力優勝の目がない。
この試合をなんとか勝って、
最終戦の結果待ちということになる。
しかし、人数からいっても地力からいっても
ICUの不利はあきらかで
勝てる要素は少ないというのが冷静な事前分析。
フットボールは机上の戦略がきわめて重要である。
若手コーチ陣の研究と努力で
対筑波戦用の特別なプレーばかりを
試合までの2週間練習を重ねた。
その結果、なんと41対23で圧勝してしまった。
この雲がでたのは終了12分前、
ぼくは勝利を確信した。
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しかも、同日に行なわれた東京農工大学と亜細亜大学の試合が
よもやの引き分けに終ったのだ。
これで、11月16日の最終戦で高千穂大学に勝利し
次に行なわれる筑波と農工大の試合で
筑波が勝つかひきわけるかでICUの優勝となる。
これはけして低くはない可能性だ。
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上の写真はその高千穂大学との試合。
相手には申し訳ないが、高千穂大学はこれまで全敗のティームである。
結果としてはICUが33対Oで完封した。
もっと点はとれたが、終盤からは主力を温存して新人を出す余裕である。
問題は筑波と農工大戦。
フットボールの神はとんでもないドラマを用意していた。
試合は序盤は筑波大学が風上の利を活かしてリード。
前半を17:6で終えた。
しかし、パス・ランともに破壊力とキレをもつ
農工大学が猛反撃に出る。
ノーハドルオフェンスを展開して筑波大学陣に迫った。
それをなんとかしのいだ筑波大はフィールドゴールを加えて20:6。
これで筑波大が逃げ切るかとよろこんだのも束の間、
最終クゥオーター、ついに農工大学がタッチダウン!  
さらに2ポイントコンバージョンを追加して20:14。
もちろん筑波が得点を入れ返せばふたたび得点差は広がる…。
しかし、その筑波大のパスを農工大学がインターセプト!
そして勢いのままにタッチダウンを奪い、
トライフォーポイントも決めて、ついに21:20と逆転!
残り時間は3分。再逆転可能な時間だが、
モメンタムは農工大学。だが筑波大学が必死のパスを続ける。
そして農工大学陣15ヤードまで攻め込んだときに、
残り時間は30秒。第3ダウン。
普通なら1プレーはタッチダウンを狙い、
だめならわずかに時間をのこして
キックで3点でサヨナラ勝ち、というところだ。
しかし筑波大は勝負に出た。
キックに自信があるのだろう。
ゆっくりハドルをして残り4秒で最後のタイムアウトをとった。
キック一発に賭けたのだ。
緊張につつまれるフィールド。筑波大がセットした途端、
農工大学がタイムアウト。
なんとかキッカーのペースをくるわそうという作戦。
再びセット。しかし、ここで農工大学が最後のタイムアウト。
結果、ボールはゴールバーのまんなかの夜空を通過、
23:21で筑波大学が勝利した。
優勝は国際基督教大学。自力優勝ではない。
だが、あきらめないものに、準備し続けてきたものにチャンスは訪れる。
2部昇格への入れ替え戦は3週間後。相手は帝京大学である。
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なにかラボとは関係ない話をだらだらと書いたが、
彼らからもらうパワーもまた、
ぼくを生かしてくれるていると信じている。
「未来を信じる能力こそ
行動するものにもとめられる力」だと思う。
それはこうしたスポーツのみならず
ラボのような息の長さと本質をもとめられる活動においても
十分いえることだろう。
未来が明日が、明後日が1年後が10年後が、
よりbetterであることを信じなければ
ラボのような活動はできない。
ライブラリーをつくるなんてこともできなかったと思う。

未来を疑いたくなるようなできごと、状況が
世界でも、そして日本でも絶えることがない。
われわれにできることは少ないようでいて多い。
とくに子どもに関わっていること
その一点だけでも、絶望する権利などないことを自覚せねばならない。
いつかオリーブの葉をもった鳩は帰る。
いつか夕映えのに水平線にチェアマン島はきえる。
いつかは天竺にたどりつく。
いつかはゆきちゃんの草原は見えてくる。

そう信じなければ、ライブラリーなんてつくれんぜ。

未来を信じるから今日のパーティがあるのだよね。
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先週の土曜日、母校の武蔵高校で「気象の会」が開催された。
気象の会とは、現在も続く気象部というマニアックな文化部の
OB会である。
じつに30年ぶりの開催である。
で、ぼくがぶらぶらしてるのを嗅ぎつけられた
恩師のひとり、物理学者で元校長の小林奎二先生によびだされ
幹事、発起人の一端を担うことになった。
努力のかいあって、当日は48名という盛会になったが。
最高齢はなんと90歳の大先輩も参加された。
驚くのはその年代の方でもメールやPCを
つかいこなされているということ。
それはともかく、初対面、
30年ぶりとさまざまな出会いがあったが、
気象という身近であり、かつ奥の深い世界と
青春時代に関わってきた者どうしの
ふしぎな絆を感じたのはぼくだけではないだろう。
この会が開催されたのは、前にも書いたが、
練馬アメダス観測所として
東京の気温をはじめとする気象情報を伝えてきた校内の施設が、
周囲の建物の影響で石神井公園北側に移転することになったためだ。
現在はアメダスによる自動観測だが、
それまでは気象部員が毎日、日曜日も夏休みも
午前9時10分~20分に露場と屋上で観測を行ない、
それを気象庁に報告していたのだ。
呼称も以前は東京管区象台中新井観測所であり、
国が認めた高校生が運営する観測所だったのである。
したがって、この観測所が移転してまうのは、
われわれにとっては、とっても大きなことなのだ。
てなわけだから、まあほんとにすごい先輩ばかりで、
ぼくなどはチンピラである。
ただ想い出話と飲み食いするだけでなく、
世界的地震学者の荒牧重雄先生の特別講話なともあり非常に刺激的だった。
荒牧先生は82歳におなりだが、
知的で示唆とウィットに富んだ
お洒落なお話にはただ感服するのみである。
パワーポイントで作られた資料を自ら操作されながら、
時間ぴったりにお話されたのはもう感動である。
先生が帰りまぎわ、
「XPでPPT2007を動かすのは無理があるなOSを変えよう」
とおっしゃられた声が若々しいのにさらに驚かされた。
観天望気ということばがある。
「夕焼けの翌日は晴れ」みたいなやつだが、
この観天望気こそが気象観測、気象という学問の基本である。
コンピューターもいい、確率予想もいいが、空を見て風を見て、
肌と目と耳で感じる気象を忘れてはいけない。
大先輩の坂本雄吉氏も元顧問の小林奎二先生も、
そのことを強調された。地球環境問題をはじめとして、
気象という分野はこれからより重要になるが、
そのなかで人間としての観天望気の心がたいせつになるのだと確信した。

ラボでもそうだろう。資料もいいが
耳と心で感じることがまずたいせつだ。

もうひとつの写真は4年先輩の横田重俊さんと40年ぶりの再会だ。
横田さんは仙台青葉区で「横田や」という
絵本と木のおもちゃの店を長年経営されている。
お互いに自然科学の部にいながら、
おなじようなベクトルの未来をいつしか見はじめ、
やがてその同心円にいったことを知らなかった。
たしかに同心円の円周はまじわることはない。
横田さんは、けして経営が楽ではない絵本業界で長年がんばっている。
東日本大震災のときにも無償で絵本を被災地にとどけたと、
後日ほかの方からきいた。
そのことをFacebookに書いたら、ラボの関係者、
とくに東北の方から大きな反響があった。
すごい人だったんだとびっくり。
ラボの話をすると「よく知ってるよ。きみがつくって、
ぼくが売ってんだね」とくったくなく笑われた。
12月に仙台に仕事でいくが、必ずたずねるつもりだ。

さて、タイトルにも書いたが
11月23日は樋口一葉の命日である。
一葉は24歳6か月という若さで世を去った。
さらに驚くべきは、
彼女の代表的な作品のほとんどが
亡くなる前の1年半という短い期間に一気に書かれていることだ。
流れるような文体のなかに、
明治の市井の人びと、とくに女性の哀感をあざやかにしっとりと描いた一葉。
ぼくは強いて一編あげるなら『たけくらべ』がいちばん好きだ。
いずれは郭に入る少女美登利と信如のほのかな恋ともいえぬ思い。
僧侶と遊女という交差しえない人生。
最後、美登利が家の窓に水仙がさしこまれているのを見つける。
その日、信如が僧侶の学校に入る。いやあ泣ける。 霜月もまたさみしい月だ。27日は賢治の妹、トシの命日である。
http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/
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