幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0358292
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
平和で諍いなき世界は「閉ざされたり、うちのめされたり、膝まづかされたりしやすい夢」ではけっしてない。 01月01日 (火)
kgd
t78yt
あけましておめでとうございます。
大きな手術から3年半あまり、
みなさまからいただいた力で
無事にあたらしい年を迎えることができました。
東京はおだやかな元旦です。
しかしながら、日本国内、世界をみわたせば
残念なことに、昨年の1月の日記に書いた「凪の世界」への願いは
かなえられるどころか、
ますますきびしくなってきているようです。

ですが、ただなげいているわけにもいきません。
ぼくは今年の3月、恥ずかしながら還暦となります。
そこで、人生ののこり時間を勘案して
改めて、
あらゆる暴力、飢餓、貧困、差別、武力紛争、束縛、
病苦、自然破壊、独裁、搾取、言論弾圧、あらゆる不公平を
断固として否定することを宣言します!
そして、遠くとも、微力でも
一歩ずつでも意識をもって努力していきたいと思います。
※すごい恥ずかしいこといってると自分でも思いますが、
案外まじめです。

昨年は、内閣府や文科省のシンポジウムの取材や裏方、
また食文化の取材などを通して
ラボとは異なる世界の方がたと多くの仕事や活動を体験する機会を
自分でもおどろくほどに多くもつとができました。
そのなかで感じたのは、
やはり「ことばの力」「物語」の力のたいせつさでした。
この点は、ぼくの「ゆずることのできない部分」のひとつでしょう。
さらに「ことば、こころ、からだ」はときに一人歩きするけれど
きりはなすことができない三位一体だということも
再認識することができました。

ラボの世界のなかで、またライブラリー制作という仕事を通じて
それなりに広い世界と接してきたつもりではありましたが、
まだまだ啓かれねばならぬ蒙は膨大であると自省せざるを得ません。
「人は学びつづける生き物」なのです。

総選挙で自民党が大勝(というか民主党が大敗)して、
ご祝儀のように株価は上昇し、為替レートも円安傾向です。
今、首相もメデイアも経済問題に視点を集中させています。
たしかに、Working Poor、生活保護世帯の急増などへの対処としては
雇用創出、景気高揚は重要であるといえます。
しかし、昨年も書きましたが、経済に社会の目が多くむかうとき、
そのひずみの影響をうけやすく、さらにいえば課題をおきざりにされやすいのが
子どもたち、高齢者、そして障がいをもつ人びとです。

なかでも、わたしたちが深く関わる子どもについては
思考も行動も停止することばできません。
1日でも考えるのをやめれば問題はさらに大きくなるからです。
そして、その間に子どもはぐんぐん成長していきます。
子どもは身体の傷はすぐになおりますが
心の傷はそのままに身体が育っていきます。
子どもにとって、「その日、その場」がたいせつなのことは
テューターのみなさまは、よくご承知のことと拝察いたします。

また、経済に目がいきすぎると
どうしても社会は強いもの勝ちの暴力的な傾向になっていきます。
中国かいまそうなのかもしれません。
そして、経済的競争によるストレスは虐待に象徴されるように
子どもたちにむかいがちです。

また、さらに悲しいのは子どもどうしの傷つけあいです。
おとなによる児童虐待は許すことができませんが
子どもどうしの「いじめ」はどちらも傷つきます。
加害者と被害者という対立の構造でとらえるだけでは
だれも救われないことは明確です。

こうした子どもたちがすでにかかえている問題を
一挙的に解決する劇薬はありません。
ただ、確実にいえることは社会的存在としての子どもたちを
「慈しみをもって見つめるおとなの目」が
もっともっとたくさんもとめられているということです。
おさなごはいうまでもなく、ティーンエイジャーでも
きちんとむきあってくれ大人をもとめています。

こうして考えていくと、ラボ教育プログラムの公的使命は
また強くなっているということがおわかりと思います。
子どもたちを社会的存在として認め、個性を評価して
むきあうおとなとしてラボ・テューターの使命は
いやましているといっても過言ではないでしょう。

さらに! 子どもたちがかかえているさまざまな問題の根底には
痩せたことば、乾いたコミニュケイションがあります。
「ことばがこどもの未来をつくる」は
極めてすぐれたキャッチコピーです。
「ことば」はまさに思考、行動、存在の根っこにあります。
ここが痩せていればすべての「生きる力」が衰弱していきます。
その原因は多様ですが、少なくとも日本のリーダーとよばれる人びとの
ことばが「空疎」であることもそのひとつでしょう。
もうひとつ、ほくが恐怖に感じているのは20世紀末以降の
ヒット商品をふりかえると、その多くが胎内商品であることです。
「ウォークマン」「たまごっち」「TVゲーム」「携帯メール」
「携帯ゲーム機」などなど。
これらは、もちろん人間の生活に利便性をあたえましたが
すべて胎内商品、すなわち外界との
音声や実体による生の接触を不要とするものです。

かくいうぼく自身もiPadおiPhoneを手放すことばできませんが、
その文、面談や手紙や読書などのリアルな刺激をたいせつにしています。

なにかとりとめもなくなってきましたが、
この「ことばの力」の高揚という大仕事は
景気対策よりたいへんです。
だからこそ、そこに
ラボ教育活動最もたいせつな公共性があることは
もはや疑う余地はありません。

テューターのみなさまにおかれましては、
今年も、慈しみのまなざしをもって
子どもたちと向き合い、
ラボのもつ社会的役割の自由用さに責任と自覚とほこりをもって
毎週のパーティ、そして地区や支部の活動に邁進されることを
願ってやみません。

ぼくもみなさまに負けないよう
自分のフィールドでたたかいながら、
ときにはラボのサイドラインで旗わふるつもりです。
ラボがめざすものは、近くにはないかもしれません。
でも、それは「閉ざさされたり、膝まづかされたりしやすい夢」
ではけしてなく、
一歩ずつでも、遠回りでも進めていく歩みそのものが
現実であると確信しています。
dwd
asda
さて、三澤制作所のラボ・カレンダーをめくった。
今年も僭越ではあるが、「この絵のここが好き!」を書いていく。
作者は斎藤奈那さん(5歳・世田谷区・岡村P)。
絵はエリック・カールの『はらべこあおむし』
THE VERY HUNGRY CATERPILLARに題材をもとめた
文句なく年明けにふさわしい元気いっぱいの作品だ。

この物語への子どもたちの支持率は発刊以来ずっと高いので、
カレンダーの絵としてもかなりの点数が応募されている。
だから、『はらべこ』で入選するのは至難の技だ。
その難関を突破して(ちなみにカレンダーに入選し、
さらに1月の絵になる確率は3000分の1である。ほんとだよ)
1月の絵として選出されたのは、
なんといってもこの絵のもつパワーだろう。

なんのてらいも計算も、うまく描こうとかいう野心もなく、
ストレートにおひさまとあおむしを描いた。
そのオープンな心根がすがすがしい。
心の底までぜんぶひらいて
さあ、ぼくの世界へとゔぞと招き入れられる。
それは茶の湯の精神にも通じるホスピタリティだ。
そのきもちは元気な太陽にいちばんあらわれていると思う。

子どもはよく地面を茶色で描く。
で、その茶色の面積が大きいと
絵としてはうまくいかないことが多い。
自分でも途中でつまらなくなってしまいがちだ。
この絵の地面の面積もけっこう大きいのだが、
ただの茶色ではなく、イエローオーカーや黒をかぶせたり、
かなりの力でぬりこんでいるために、
それが力になっている。
この地面はクレパスと不透明水彩でぬられていると思うが、
5歳の女子としては相当のエネルギーをつかっているはずだ。
その力は地面だけでなく、全体につかわれているから、
やっぱりすごいエネルギーだ。まさに心の筋トレ。
スコーンとぬけた水色の空もきもちがいい。
またさきほどいったように地面にはイエローオーカー(黄土色)
が入っているので、巧まずして空と大地が補色の関係になっている。
また、花などの描き込みもじつはていねいで、
大胆な部分と繊細さが同居しているのも絵を楽しくしている要素だ。

この絵は、いわゆる本歌取りといっていい。
元の作品のよいところを生かし、その精神をくみとり、
さらに自分なりの意匠をくわえて新しいものをつくる。
陶芸の世界などではよくあることだ。
ただ、単にマネでおわるのか自分の世界がてでくるかが問題で、
そのためには幾度もの失敗、挑戦が必要である。

ともあれ、まず模倣から始まるのはすべての表現芸術、
さらにいえば表現活動の基本中の基本ということだ。
だからそれはテーマ活動についてもいえることだ。
もちろん、テーマ活動は表現芸術ではないし、
表現するだけの活動でもない。
「聴く」こともその活動の一部だし、
テーマ活動を「観る」ことも一部だし、
他者の物語についての考えを「知る」こともたいせつな活動だからだ。
また、ラボ・ライブラリーは「芸術作品」ではない
(かといって教材というには抵抗がある)。
しかししかし、ライブラリーのことばも絵も音楽も、
かぎりなく芸術性がもとめられているし、
物語のアプローチ、言語体験の積み重ねの道筋は
かぎりなく表現芸術、表現活動的である。
模倣から始まる基本がテーマ活動にも通用するのも
そうした関係というか構造からだろう。
さらに極論すれば、模倣が教育の基本でもあるといえる。
「手習い」ということばがあるようにね。

しかしかしテーマ活動は「教育プログラム」である。
だから表現としての完成度を論じることに大きな意味はない。
その道筋、アプローチの方法が問われるのだ。
劇的完成度をめざしたら英日表現なんてまどろっこしい。
しかし、そのまどろっこそのなかに、
劇台本ではないややこしさのなかに
多くのたいせつなものがあることを関係者はほこりに思うべきだ。
そこには模倣のしあいがあり、学び合いがる。
育ち合いがあり、出会いがあり、ことばがある。

「食べ過ぎておなかがいたい」という経験は
幼い子どもには切実なテーマだ。
だからこの物語が圧倒的に支持されてきたのだ。
2013年はどんな年か。
なにをもってるかじゃなく、なにをほしがるかが問われている。
その意味では「はらべこでいこうぜ!」が巳年にはふさわしい。
was
このカレンダーはぼくの事務所(冷暖房なし!)で
ぼくのデスクの真後ろにはってある。
だから、イスをくるりと回転させないと観ることができない。
でも、これはわざとそうやっている。
仕事とくに雑文や詩のようなものを書いているとき、
どうしても「ことばをさがす」ことがある。
リズムが悪かったり、単語自体が月並みで魅力がなかったりで、
「もっといいことばがあるだろう」と追求したくなることがある。
そして、自分の言語能力の低劣さ、語彙の少なさに嫌悪したりのろつたりする。
とても人様にお見せできるすがではない。 
そんなとき、どうしても煮詰まると、
イスを回転させてカレンダーの絵をながめる。
すると、その絵がぼくを挑発するように語りかけてくるのだ。
「へへん、そんなもんかいおまえは。やめちゃえよ。
おいらなんか、こんなに自由でぶっとんでるぜ」。
そんで「くそーつ、うるせえ、おまえらガキにまけねえよ」
とやる気がてでくるのだ。
じつは、これは『かにむかし』『瓜コ姫コとアマンジャク』の
絵を描かれている宮本忠夫先生に教わった方法だ。
宮本先生はラボ・カレンダーの絵をその月が終ると
アトリエの天井に貼るという。
そして、画業が滞るとヘッドにねころがって絵を観る。
そして挑発されてやる気をだすというのだ。
たしかに子どもの絵は、それだけでふしぎなバワーがある。
絵は心の筋トレみたいなものとは『十五少年』の絵を担当された
かみや・しん先生のことばだが、
まさに子どもの心の力と物語の力が合体するとおそろしいことになるのだね。 
だが、通常はぼくは書き出すととっても速い。
ゾーンといったらおおげさだけど、
文やことばが「おりてくる」瞬間があきらかにあり、
そうなると一気である。
ただ、それはほとんどいきおいだけで書いているので、
後で冷静になってから推敲する。
たいていはシェイプアップする作業で、
ぼくは「ことばを刈り込む」と呼んでいる。
華麗なことばの羅列も楽しいが、
シェイプアップされて、それでいて乾いた詩情、
リリシズムがあふれている文が好きだ。
しかし、どうしてもウェットな表現になりがちなのが
弱点だとは自分でもわかっている。 
じつは絵も推敲というか「できた」と子どもがいっても、
3日か1週間ぐらいあたためておいてから
「見直して描きたしてごらん」とかえしてみると
なかなかおもしろくなったりする。
テーマ活動でもそうだが、
子どもが自分のなかで「完成した」と思い込んでしまうと
なにごともそれ以上には進まない。
でも、少しあいだをおくと、
「やっぱり、まだやれるんじゃね」と思い出す
あきらめの悪いやつが必ずいるものだ。 

で、ぼくも現役のときからそうだったが、
大事な原稿ほど早めにあげておいて、
少しあたためてから推敲することにしている。
小泉八雲は最低10回見直したそうで、
1回見返すごとに原稿をしまうひきだしを一段ずつ下げていき、
10段目まできた原稿を編集者に送っていた。プロかくあるべし。 
今年もラボ・カレンダーは2本いただいた。
1本は、11月の終わりころ、そろそろできているはずだと
ラボ・センターに行き、アルファベットがニックネームになっている
女性編集者から強奪した。
そしてもう一本は、本部からOBへのごあいさつという感じで
送ってきたものだ。
だから、そちらのほうは表紙をつけたままとっておく保存版である。 
コメント嬉しく読ませて頂きました!
Emigoさん (2013年01月09日 16時25分)

素敵なコメントをありがとうございます。
ななちゃんは、ラボに通ってくれている3兄弟の末っ子です。
上のお兄ちゃんたちとラボに理解のあるお母さんの影響で、ラボを小さ
いころから楽しんでくれています。ちょっぴりシャイだけど、ラボが大
好きな漢書はHELLOの歌がかかるとエンジンがかかかって元気いっぱい歌
いだします。
あの絵は、ラボでの彼女の様子と重なり、今回カレンダーの、それも1
月を飾らせてもらえて私もとっても嬉しいです。
そしてSENCHOさんのコメントは、まだテューター歴の浅い私に大きな励
ましとなりました。本当にありがとうございます!
Re:平和で諍いなき世界は「閉ざされたり、うちのめされたり、膝まづかされたりしやすい夢」
がんこちゃんさん (2013年01月28日 21時42分)

迷ったとき、困った時、方向性を見失った時、
SENCHOさんのページの一言一言をじっくり読むのが
一番良いです。
SENCHOさんのことばはわたしたちテューターの未来を開くのですね。
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.