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如月朔日。夜明けの前がいちばん暗く、春の前がいちばん寒いけど、ことばの力をつけるのは今 02月01日 (金)
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さてもラボ・ンレンダー2月が登場。
今日から如月である。
もとになった作品はロシアの絵本の巨人、
エウゲーニー・ミハイロヴィチ・ラチョフ
(Евгений Михайлович Рачёв;Evgenii Mikhailovich Rachev、
1906年- 1997)の傑作『てぶくろ』である。
ウクライナ民話に題材を求めた名作絵本だ。
まあ、テューターのみなさま方には説明は不要だろう。

この絵を描いたのは木山慶司朗くん(小2/大府市・蔵本P)である。
はじめに思うのは、「ラボっ子の絵はいつもやさしいなあ」ということ。
もちろん、ラボつ子の作品にもラフなタッチのものもあるのだが、
その背景、向こう側には必ずやさしさがある。
ということは、先日も書いたが、どこかに強さがあるということだ。
その強さの根っこはどこにあるのだろうと考えると、
やはり物語という栄養というか水源に根ざしているだろう。
さらにいえば「ことばの力」から得た想像力なんだと思う。

原作者のラチョフは、これはもう動物を描かせたらたぶん史上最強
というくらいの絵本作家だ。
おじいさんが落とした手袋に、ねずみがうれしそうに入り込み、
この場面のようにカエルがやってきて、さらにはうさぎやキツネ、
しまいにはイノシシやクマまでやってくる。
人間のてぶくろにクマがはいめのか! とつっこんではいけない。
動物の特徴を正確にとらえつつ見事に擬人化するラチョフの
フオルム、タッチ、そして色に
子どもたちはあっというまにひきこまれ、
物の大きさなどといった物理的無理はまったく問わない。

木下くんの描くねずみとカエルは、
さすがにデッサン力ではラチョフにかなわないし(あたりまえだ!)、
てぶくろのパースもなんとなくへんだ。
しかし、そんなことはまったくぶっとんでしまうほど、
透明感のある色合いがたまらなくすばらしい。
これなら、寒いこの月もあたたかく過ごせそうである。
原作の色合いはご存じの方も多いと思うが、
ウクライナの厳寒の冬の森が舞台であるため、
ぐっと抑制した色調だ。
だが木山くんは独自の感性でそれとはちがう「スコっとぬけた色」
をだしている。
とくにバックの空と大地なんかは、
ぼくは大好きである。冬の森はもっと暗いとか、そんな野暮はナンセンス。
そして忘れちゃならないのは
てぶくろの内側のピンクが大地のグレイと
じつにきもちのいい関係になり、
全体をとってもオシャレにしている。
「かっこよくてやさしいてぶくろ」になっているなあ。
それから配置のバランスもすてきだ。
また、さらにさらに見ると、けっこう細部を描き込んでいて、単
調な塗り絵になっていないから賞味期限が長い作品になった。
すらっと描いたように最初はみえたがとんでもない。
かなり力が入った作品だ。彼がこの物語を選んだ
動機をきいてみたいものである。
ぜひ関係者はコメントをよせていただきたい。
それにしても現代の子どもの色彩感覚はすごい。
伝統と革新の両方をもっている子が多いよね。

ウクライナも含めて、広大なロシアの昔話はとってもおもしろい。
もちろん、世界の昔話はどれも個性がありおもしろいのだが、
ロシア昔話の未利欲はまた格別だ。
その背景にききびしい冬、ツァーリ、すなわち肯定の圧政という
たいへんな生活があった。
しかし、そういう極限的な状況のときほど人間の想像力はふくらむ。
いい方をかえれば、想像力は冬将軍も皇帝もうばうことはできないのだ。
そして、もうひとつものがせないことがある。
それは、比較的文字の発達、伝播が遅かったということがある。
人びとの多くは貧農であり、識字率なかなかあがらなかった。
記録する文字がないとき、人は記憶と想像力を育てる。
文字をもたない民族におもしろい物語はやまほどある。
※アイヌの物語、雲南省のイ族の物語など毎寄与にいとまがない。
そして、さらにそのことばは詩的、リリシズムにあふれている。
一方、都市に生きるわれわれのことばはいかにも散文的である。
※ライブラリーのことばが詩的感動を重視するのは、
まさにこの想像力を育てる鍵である。

それともうひとつ。
ロシアの人びと激しくかつ美しい自然との対話のなかから
さまざまな精霊、自然霊を生み出した。
バーバ・ヤガーもそうだし、麦畑の精ルサルカや
水死した子どものヴォジャノイなどたくさんいる。
麦畑のルサルカなどは麦は茸で踊りまくるため
いわゆる麦踏みをしてくれるので
ルサルかが遊んだ麦畑は法則になるといわれた。
ただし、その姿を人間に見られると激怒し
くすぐり殺してしまうというおそろしい面もある。

こうした自然崇拝、自然のすべてに魂をみとめるのは
日本でもそうだったように、民族のわかき時代の特長だ。
自然に感謝しつつ、自然をいただいて生きていく。
ものをつくりださない時代には当然のことである。
人は、西風とも、つぐみとも
クマとも対話することができたのだ。
現座いの先住民問題の多くが自然環境問題なのは
先住民は今もそうした自然との対話によって生きているからだ。

さてロシアに話をもどすが、
10世紀にキエフ公国の皇帝ウラジーミル一世は
キリスト教を国教とし、正教に集団改宗する大技をはなった。
彼が聖ウラジーミルとよばれるのはそのためだ。
きびしい自然、貧しいくらしのうえに
信仰への侵略もまた人間にとっては極限である。
こあした歴史もまたロシアの「ことばの文化」
バレーや音楽、サーカスなどの芸術に深く関わっていると
ぼくは思う。

最後にシアやウクライナでつかわれるキリル文字
(Евгенийみたいなやつ)について、おもしろい話をひとつ。
神が世界にアルファベットを文字としてつかえるよう、
何人かの使者に託して世界に公平なるよう同時期に配った。
ところが、ロシアの近くにきつたとき、
その使者は雪と氷ですってんころりん、
もっていたアルファベットをばらまいてしまった。
これはたいへんと、使者はすぐひろって配ったが
あまりあわてていたため、アルファベットが逆立ちしたり、
音がかわってしまったそうな。
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夕べ、近所でトスカーナ料理を食べて帰ったら
hitさんことイラストレーターの高尾さんからカレンダーと便せんがとどいていた。
はげしくうれしい。
最近の彼のこの辰値がおきにいりだったのだ。
この絵で絵本をつくろうかと彼にいったら大乗り気だ。
仕事にする気はないが
ぼくらの世代からのメッセージにしたいと
物語のプロットを考えはじめている。

夜明けの前がいちばん暗いといったのは
たしかナポレオンだろうか。
でもね寒てとき、くらいときほど、
ことばと想像力ほを育む絶好のときだ。
いま、ライブラリーを聴かないでいつ聴くのか!
なんてえらそうだけど、ほんとだよ。
ロシア昔話の想像力に学ぼう。
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