幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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「夢ではない戦争は終ったのだ」/ Pipers of The Dawn 若者よ夜明けの笛吹きたちになれ! 02月16日 ()
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年が明けてからなにかいまひとつである。
別に体調が悪いわけではない。
なにかゴタゴタがあるというわけでもない。
頭がよくないのは仕方がないが、もともとない切れ味がさらに落ちている。
で、そのreasonを自分なりにみつけた。
しばらくテーマ活動を生で見ていないのだ。
バッテリー切れである。
冗談ではない。けっこうマジ。
組織から足を洗った(爆!)後、
いろいろなところからエネルギーをいただいてきたが。
基本水源はやはりラボの物語であり、ラボっ子たちの心の力である。
若者の魂はいちばんの栄養だから、まるで雪女だ。
というわけで2月11日の休日、
最近再開発されて話題になっている
川崎西口の産業振興会館で開かれた
「2012年度ラボ・パーテイ神奈川支部 高校生テーマ活動交流発表会」
におしかけた。
けっこう小さな会場なのでティケットは完売だとのことだが、
こういうときにこそOBの顔パスをつかわねばと
とりあえずでかけてしまった。
案の定受け付けで事務局員のY(B)さんが
「三澤さんならしょうがないですね」と笑って通してくれた。
なにがしょうがないのか突っ込みたかったが、スルーしてなかへ。
なつかしい顔が連続して登場し、あいさつの連続。
ただて入れてもらったので写真は寄付することにした。
これから「わかものフェスティバル」「国際交流のつどい」と
春が訪れるようにテーマ活動を拝見する機会が続く。うれしい。
タイトル下の写真は・新横浜『ハメルンの笛ふき』から。
またタイトルのセリフはグンダーの首をもとめる民衆に叫ぶコンラ王のセリフ。

ひさしぶりのテーマ活動。
高校生のみの発表だから独自の課題をもって取り組んでいるはず。
パーティとは別に活動するわけだから、時間も交通費もかかる。
いやはや頭がさがる。
こういう情熱にこたえたくて仕事をしていたんだなあと改めて思った。
青春時代ということばは陳腐だけど、
あえてつかうと、やりたいことの数とやりたくないことの数と
集中することの数と無駄なことの数のせめぎあいである。
そんななか、ラボに時間と情熱、
そして経済をもつかってくれる彼らはエライ!

※以下、掲載写真は発表順
たま川『大草原の小さな家』より「二ひきの大グマ」
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こうしたパーティとは別に集う場合
どうしてもかぎられた回数の活動になるから、
いきおい「発表」というゴールを意識せざるを得ない。
それがゆえ結果やかたちづくりを急ぎすぎがちである。
しかしこの日の発表はそれぞれ、
「自分たちが取り組みたいテーマ、課題」
みたいなものが見えてくるものだった。
もちろん個々の聴き込みの差や思いに差などはあるが
(そういうのが見えてしまうのも発表のこわさか)、
とにかく活動の意味が感じ取れるものだった。
何回も書くけれど、個々のグループのテーマ活動発表の
「出来不出来」は問題にならない。教育プログラムであるからね。
でも、その物語にどうアプローチしたか、なにを伝えたかったのか、
なにを学びたかったのかが、「おおむねわかること」がたいせつなんだと思う。
そんななかで、やはり「光る個性」をいくつも発見できたのはうれしい。
役名はださないが、数名ドキッとした高校生がいた。
・横浜みなみ『はだかのダルシン』より「ドゥールの子」
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・湘南『ドリームタイム』より「自分のドリームタイム」
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それと、もう少しほめことばを書くと、
少ない活動回数にも関わらず
「かなり言語を意識していた者」が多かったと思う。
それは英語についても日本語についてもである。
ただ、「ええっ、とにかく暗記したな」という仲間もいたことはご愛嬌。
さらに、どの地区も音楽をたいせつにしていたのが
作り手としてはとくにうれしい。
大草原の三拍子もいいし、
間宮先生のダルシンの竪琴につかわれた「ハイランドハープ」も美しかった。
坂田晃一先生のハメルンも一気に中世へと誘ってくれた。

ライブラリーにおいて、絵本は空間的でテキストは自在である。
で、自在がゆえにテキストは聴き手の観念のなかで暴走することがある。
それを時間的にコントロールするのは音楽だ。
じつは音楽こそ物語の時間の支配者なのだ。
そのことを彼らは理屈ではなく、体験で会得しているのだと思った。
今日の発表でゴロヒゲとドリームタイム以外は
自分が制作に関わった作品ばかりだ。
それぞれの想い出がよみがえって涙腺があやうかった。
やはりラボがいまだに骨の随までしみこんでいるのだなと、
毎度のことながら思い知らされた。でも、いい日だった。

・富士東『ゴロヒゲ平左衛門・ノミの仇討ち』
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「ことば」のことにふれたついでに書くと
上の『ゴロヒゲ』は日本語がかなり難解なライブラリーである。
今の高校生で音だけですべての日本語の意味を意味を理解していたらすごい。
テキストを見るか、英語とセットで考えないとわかりにくい。
例をふたつあげる。
まず冒頭のゴロヒゲのモノローグ
「唐傘百とならべても旱天に慈雨なし」
つまり乾いた空に恵みの雨はふらないということだが、
カンテンニジウナシ という音だけでのこの字がすっとでる人は
おとなでもそういない。
もうひとつ
宮本ムズカシとの果たし合いにゴロヒゲがよばわる
「ここであったが盲亀の浮木」
モウキノフボクなんて四字熟語は知ってるほうが異常かも。
これは深海の底にすむ目の見えない亀が息をしに海面まで浮上してくるが
たまたま浮木、すなわち流木があり
しかもそ木に穴があいていて、
亀がすっぼりはまってしまうという
あり得ないほどの偶然のことを意味している。
(出典は「雑阿含経」)
まあそんな雑学はともかくだが、
音だけの理解のたいへんさはわかっていただけるだろう。
また英語とくっついていてわかる日本語もあるということも。

また、主人公のゴロヒゲは貧乏浪人だが
武士としての教養はたいしたものだったというキャラ設定だというこもわかる。
ここ大事かも。
・さがみ野『はだかのダルシン』より「ドゥールの子」
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・新横浜『ハメルンの笛ふき』
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p0908
『ハメルンの笛ふき』のラストに詩がてでくる。
その一節に「ねずみはらった笛吹きたちの」というくだりがある。
英語でもPipersである。
物語に登場する笛吹きはひとつ りなのに複数だ。
中世の歴史のひだの奥には、だんだら服の男のように
特殊技能をもつた 演技者、呪術者などの非定住民が
相当数存在していた。
彼らはその力や技能のために畏怖されたが
けして団らんには近づくことをゆるされなかった。
日本でも瞽女、虚無僧、そして芳一のような琵琶法師など
オカルティックな役割をもつパフォーマーは存在した。
そのなかで芳一の悲劇は、本来非定住であり
それがため平家の亡霊たちの慰撫という役割を担う琵琶法師が
亡霊をバシッシングする寺にかこわれたことで
彼らの怒りを買ってしまったとだ。

音楽や物語をするものは、尊敬と差別のはざまにさすらうのが常だ。
しかしラボの高校生しょくんは、
新しい夜明けを告げるふえを高らかにふきならす
Pipersだと信じている。
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