幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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Approach to Another Dawn  青春の日付変更線をこえて 03月18日 (月)
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記録的早さの桜開花宣言の昨日、
日比谷公会堂で開催された「2013ラボ国際交流のつどい」に参加した。
受付で事務局OBということで来賓のリボンをつけてもらったが、
なんだか恥ずかしい。
冒頭はいきなり「参加者ひとりずつ」の「いってきますの表現」だ。
決意表明といういい方はどうも好きじゃない。
決意なんて表明するものではなく秘めるのが花というものよ。
なんてひねくれたりして。
石橋テューターがFBに書かれていたか、
第三者からみれば「希望者が参加する一か月ホームステイの準備活動のはじまり」を
なぜこんなにもりあげるのかということになる。
事実、ぼくも現役のときに、
このプログラムに違和感をもったこともある。
ただ、やはりよくよく考えてみると、
このつどいはラボ国際交流プログラムの特徴が凝縮されている。

その特徴はいまさらではあるが、
まず準備して参加する教育プログラムであること。
相互交流であること。
さらに家族や地域をいい意味でまきこみつつ広がり、
世代をこえて受け継がれていくという、
まさに「民間草の根交流」であることなどだ。
しかも、これらの特徴をすべてもっている交流教育ブログラムは
ラボ国際交流以外にはない。
そのことがスッキリ理解できるのがこの国際交流のつどいなのだと思った。

この交流を40年以上も継続してきたことも、
もはやひとつの歴史といえる。
その根底にあるのがラボ活動、
すなわち言語を人間文化、思惟の中心ととらえ、
そのすぐれた表現のかたまりである
物語を通した言語体験においていることも見逃せない。

もうひとついいかたをかえてみる。
ラボ国際交流にはざっくりいえば3つの段階がある。
第一段階は幼いときからの準備。
パーティ活動、キャンプ、そして事前活動。
そして第二段階は実際のホームステイ交流。
さらに最も美しく長い第三段階が、
その友情と絆を携えて生きていく人生そのものである。
とりあえず写真をアップする。激励テーマ活動が中心である。
もうしわけないが、主役である参加者、ご来賓のあいさつ、引率者紹介、感動的な激励表現などは割愛してしまった。
※大量の写真はFBにアルバムしてあります。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.440042249405466.1073741830.100001990857831&type=1

『ジョン万次郎物語』の発表を観るのははじめてである。
いつも書くことたが、こうした大きなステージでの発表は
テーマ活動のかたちからいえば特殊な状況である。
毎週のパーティ活動にその本質の多くはある。
なんども書くけれど教育プログラムだからだ。
しかし、支部発表会などもそうなのだが、
このような大舞台でパーティ全員で
「自分たちが取り組んできた物語への思い」を
多くの人びとにむけて表現することもまた、
ぜひ体験してもらいたい教育プログラムであるということだ。
ただ、それが「ゴールではない」だけである。
こと国際交流のつどいでの発表には
「激励テーマ活動発表」という冠がついてる。
その意味では、青池パーティの発表は物語の選択としては
きわめてわかりやすかったし、
いってらっしゃいの思いが強く伝わってきて
じつにさわやかだったと思う。
参加者もその思いわうけとめたと確信する。
だが、それよりもさらに感動したのは、
あれほどの大人数が、かなりプレッシャーがかかるステージで、
じつに自然に物語を楽しんでいたことだ。
これはとても新鮮だった。
これだけの人数での発表になると、
いろいろ難しいことがある。
とくに幼い子どもの発声が年上の子にひっぱられ、
声をそろえようとして、なにやら呪文のようなリズムになってしまったり、
物語の状況や主人公の心象風景などを身体で表現しようとするとき、
やはり幼い子どもがその意味についていけなくて
「ただいわれた通りに動く」こともないことではない。
青池パーティは、
そんなことは「物語を心から楽しめば関係ない」と
さわやかに証明してくれた。
万次郎役は年齢差があり性別のちがう2人だったが、
相当聴き込んだのだろう。
それぞれのきもちがちゃんと伝わってきた。
一部、複数で発声するとき「声をそろえたな」と
感じられるところもあったが、
それすらご愛嬌であった。
というのは、幼い子たちがじつにのびのびと、
自由に動きまわっていたのがすごかったからだ。
ちゃんと物語での役割を理解していて、
それをきっちり心から楽しんでいたのはびっくりである。
最初、あまりに自由なので驚いたが、
それは楽しんでいるからそう見えたのであった。
一見ぐだぐだに見えそうになるのだが、
それぞれの役割が認識されているので
全体として物語として成立していた。
それぞれが主体的に物語に関わっている。
そのことが、まさに教育プログラムとしての証しだった。
いわゆる「キメキメの身体表現」とか、
「よく考えた動き」などはあまりない。
でも、自然さのなかにきっちりメッセージがあった。
うーむ。ほめ過ぎか。そんなことはない。いい午後だっだ
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