幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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Tolerance, Sensitivity and Imagination!  平和のリーダーの資質 まんまる「かぶ」万歳 05月01日 (水)
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冒頭のタイトルに並べた寛容、感受性、想像力は
平和な世界、諍いなき世界、飢えや差別や貧困なき世界をめざして
舵をとるリーダーにとって必要不可欠な資質だと確信していいる。
しかし、今の日本のリーダーは
それとは逆の息苦しい閉塞感をつくりだそうとしている。
あまり政治的な言辞は、この日記になじみにくいが
そんなことをいっている場合ではない。
自分たちのことを「美しい」「強い」と声をあげるのは
自己愛の特長である。
想像力を失えば思いやりも、未来を信じる力もなくす。
感受性を失えば、人の痛みもわからなくなる。
寛容を失えば、非寛容が暴走する。
なんでこんなぶっそうなことを書くかといえば。
最近、憲法についてめずらしくまじめに勉強している。
ジョン・ロックなどの立憲主義の基本に立ちかえって読んでいる。
というのは、さっき書いたように、今の日本のリーダーは
なにか「個人」よりも「国家」にシフトしようとしか思えないからだ。
ロックは『統治二論』のなかで
「そもそも国家は、人間が自由を守るための人為的な装置に過ぎない。
その国家のやり過ぎをふせぐのが憲法の役割」と書いている。
これが立憲主義の根本だ。
だから民主主義をたいせつにする国は憲法を
かんたんに変えられないようにしている。
いわばリーダーたちがプッツンしたときのために最初からかけている安全装置だ。
国民があって国家は存在する。
国のために命をなげだす時代はもういらない。

物語で育つ子どもたち! 負けてはいけない。
見守るテューターのみなさん!
ラボの社会的重要性が今こそ問われている。
そう思いませんか。

※上の写真は、ついに竣工したICUの人工芝フィールド。
4/13に行なわれたセレモニーでの集合写真。
ICUという人文字をつくったが企画だおれの感じになった。
総予算8000万円の半額を卒業生や職員の寄付でまかなった。
PE、すなわち体育もリベラルアーツをうたうICUでは大事な教科で
基礎体育、個人スポーツ、団体スポーツなどを
卒業までに2単位取得せねばならない。
3学期制なので1学期に0.5単位とれるので、計6種目が必修。
とくにFreshmanのときは英語の集中教育があるので、
それ以外はGEとよばれる一般教養ひとつと、後は体育しか履修することがほぼ無理。
したがってこうした体育設備も重要なのだが、
フィールドだけがでこぼこの土だった(下の写真)。
大学があるのは三鷹だから関東ローム層なので、かわけば砂ぼこりが舞い、
雨がふればぐちゃぐちゃであった。
これで運動部だけでなく、PEでも安全に運動できる。
さて、枕はこれくらいにして本題にいこう。
HRREH
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
はやくも五月である。
ロシア昔話の『かぶ』。The Turnipである。
いわずとしれた有名作品。
故佐藤忠良先生の絵本「おおきなかぶ」は広く膾炙しているが、
ラボではなんといっても小野かおる先生の「かぶ」である。
※佐藤先生と小野先生の絵本のちがいは
これまでにも何度か書いたし、
「制作資料集」にも載っているので今回は書かない。
E3
このカレンダーの絵を描いてくれたのは
秋山知哉くん(小1/甲府市・間瀬P)。
いやあ元気がでるなあ。ありがとう。
まずは画面いっぱいにはちきれそうなエネルギーがあふれていて
それだけでもう「ファイト一発!」である。
肝腎のかぶは、まんまるでなんともすてき色だ。
この物語も毎年たくさんの絵が送られてくるが
その多くはかぶを比較的単純にオレンジ系の一色でペイントしている。
かぶは画面のなかで占める面積がいちばん広いから、
単色だとどうしても単調になるし、
幼い子どもにとってその広さを塗りつぶす作業はすごい労力だ。
それでバテてしまっているケースはかなりある。
でも知哉くんは、じつに複雑に描き込んでいて最後まで力強い。
おじいさんや孫娘はかぶにおしつぶされそうだが、
「ぬけたぞ!」というやりきった感がみごとにでているので、
とってもきもちいい。
さらによく見ると、かぶの葉や太陽などもしつこく描きこんでいる。
さっきもいったが、かぶはまんまるで、
まるで禅画の宝珠のようでもある。
特筆すべきは、バックの青の処理が
上から下へのグラデーションっぼくなっているところで!
もう、とってもおしゃれだ。
そして下のほうの濃い青のスピード感あるタッチの短い線が
ふしぎな立体感をつくりだしている。
画面の奥には
遠くにおじいさんの小屋もきちんと置いていいるのだが、
この線の作り出す世界のふしぎさで、
それがわざとらしくなく、より奥行きをつくりだしている。
全体が満ち足りていて丸い。
ブリューゲルの『豊穣の国』という名画をおもいだすね。
この満ち足りた感じはすごい。
きっと知哉くんはいろいろな人の愛情を
いっぱいうけて育っているのだろう。
まったくの想像だが、そうであってほしい。
いやそうにちがいない。

ぼくは24年間、ラボ・カレンダーをつくってきた。
それだけでも8万枚以上のラボっ子の絵を見たことになる。
その経験は、美術館100館くらいを回ったくらいの学びとなり
ライブラリー制作の糧となったことはもちろんだが、
現在の自分にも影響をあたえている。
子どもの絵、とくに幼い子どもの作品は、
ぐうぜんに生まれる色やかたちがあることを忘れてはいけないが、
おとなやプロでは絶対描けない自由さ奔放さと純粋さがある。
子どもが、その子ども自身、あるがままで生きていることそれだけで
奇跡であり、かけがえのないものであるように、
物語と向きあった子どもの心の風景画である描画作品もまた、
そこにあることですばらしいことだ。
だから、この日記のように「わけしり顔」で解説みたいなことを
ダラダラと書き散らすのなんてよろしくないと思っていた。
でも、組織を離れ、ある意味無責任なファンのような位置で
ラボを中景、あるいは遠景として見るようになってから、
ラボの社会的な存在意義や重要性を再々再々認識しはじめた。
ライブラリー、テーマ活動の可能性を強く思う自分に気づいた。
「ことばの宇宙」編集やライブラリー制作という仕事に
命とからだを削るつもりで没入していた理由を今更のように
反芻しているぼくがいた。
そんななかで、カレンダーもまた、ラボの一年中行事に終わらない
大きな活動だなあと思うのだ。
ラボは絵画教室ではないし、
描画活動を教育プログラムのなかに明文化しているわけでもない。
だが、ラボっ子たちは絵を描く。
いわれなくても描く。
ラボっ子でなくても子どもは絵を描くことばの好きだが、
ライブラリーという栄養、
あるいは心的エネルギー源を常食しているラボっ子は、
前述したように物語でふくらんだ心の風景を描き出す。
テーマ活動で「ことばとからだ」で物語を再表現することは
ラボの根幹的な教育プログラムであるが、
描画活動も
「大好きなお話を自分の目で見えるように」再表現することなのだ。
ことばとからだではなく、絵で表現したいものもあるのだ。
「ことばの宇宙」の表紙が、創刊以来、
原則として子どもの作品でつくられているのも、
そんなラボっ子の描画活動を激励しようという
思いからであり、
カレンダーの活動も、そうした激励強化からスタートしたのだ。

そして、これほど長い間、子どもの絵で毎年1万部近くも発行し続けている
カレンダーは日本ではほかにない。
だからファンとしては、もうちょっと自慢してほしいし、
さらに多くの子どもたちが絵を描いてほしいから、
「なぜぼくはこの絵がすきか」と表現することで、
少しでもサポートになればなあと小細工を弄して
駄文を書いているという次第だ。
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上の写真の左端の迫力に満ちた男性は、
日本のほこる世界的火山学者、理学博士荒牧重雄先生である。
先生は東京大学教授として、また地震研究所で長く活躍され、
現在も東京大学名誉教授、山梨環境科学研究所
(なんといっても今注目の火山、富士山があるからね)所長を
つとめられている。
御年83歳、母と同年、すなわち15歳で終戦をむかえられた世代だ。
先生は今も現役だから、とにかくお元気である。
今夏は鹿児島で国際的な火山学会があるので、すでにご多忙。
先日、この秋の武蔵高校ホームカミングで行なわれる
先生のご講演についての打ち合わせをした。
先生は気象部の大先輩で、
旧制高校時代に部の基礎をつくられた方でもある。
先生いわく「これほど火山が多く地震も多い国なのに、
日本は美しい自然、とくに樹木や草花が地表を覆い隠すので、
日本人は大地やその中身になかなか興味がいかない」そうである。
それにしてもなんという迫力のお顔であろうか。
三名の写真の中央が同窓会総務委員長、
右端がやはり気象部の先輩である。
皆さんぼくより年上で、いわゆるエライ人なので、
60歳のぼくがいちばん下っ端でちんぴらである。
しかも荒牧先生も含めて全員饒舌で、
本題に入る前にマスコミの課題、教育委員会の課題、
日本の大学のレベルについて、海外にいかない若者について、
など、まあ話は縦横無尽。
なにせ、このぼくがだまって拝聴していたのだからすごいだろう。
下は人工芝竣工セレモニーで撮影したもの。
こんなはじけるような若者たちの笑顔が失われてはならない。
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荒牧先生は、戦時中の学校を振り返ってこうおっしゃった。
「武蔵は、意外なほど軍国教育的雰囲気がたく、軍事教練もあったが
みんな嫌っていて、派遣されていた将校もばかにしていた。
真実を見つめ、自分で考えて自分で学ぶことのたいせつさを
教えてくれた教師たちに感謝している」

戦争は人間がおこす最大最悪の不条理である。
正義の戦争など存在しない。
侵略の定義は国によって異なると発言したリーダーを恥ずかしく思う。
それはテロリストの論理とかわらない。


荒牧先生はPCも使いこなしカメラにもお詳しい。
撮影はNikon V1で行なったのだが、
カメラをごらんになるなり、
「ミラーレスだね。Nikonのミラーレスをつかうやつは
けっこうひねくれてるのが多いと思うのだが、やっばりだな」
と豪快に笑われた。
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