幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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Decision Height 青春の決定高度/空とぶ還暦  05月21日 (火)
ひはい
いわゆるゴールデンウイークはどこにもいかないのが基本。
現役のときはずっと仕事で録音をしているか
「制作資料集」を編集しているかどっちかだった(笑)。
さもなくば勉強しているかである。
で、今年は頼まれ仕事もあったのだが、すべて放棄して読書に集中した。
10日間で60冊以上とノルマ化してなんとか70冊ごえをした。
それはいいが、わずかな仕事を放り出したおかげで、
連休あけは激烈なスケジュールになった。自業自得。
上の写真は、5月8日に高度1200フィート、約400m上空から撮影した
国際基督教大学周辺である。
ICUは東京ドーム13個分のひろさだが、近くには野川公園、
多摩墓地、東京外大、ASIJなどの大きな緑地帯がある。
三鷹、調布のこのあたりで23区がやっとくいとめられているのだ。
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断っておくが、ラボ関連の話はなかなか出てこないので
必要に応じてスクロールしてほしい。
さて、ICUの人口芝が完成してから早くも1か月。
これまでその写真や工程は何回か紹介したが、
フィールド全体を画像にのこすとなると高いところから撮影するしかない。
フィールドのすぐそばに高い建物があればいいが、ICUにはない。
そこで選択肢としては、
・巨大クレーンでゴンドラを吊る。(費用と危険度で無理。これでは罰ゲーム)
・ヘリコプターによる撮影(いちばん費用が高い! ので却下)
・ラジコンヘリによる自動撮影(これもけっこう高く1カット約8万円弱)
で、最後にのこったのは固定翼のレシプロ(プロペラ)機による撮影で、
これがいちばんじつは安い。カメラマンの費用をのぞけば、
今回協力してくれた東京航空のセスナ機だと1分1250円。
まるで空のタクシーだ。
で、流れというかいきさつというか、
ともあれ空中撮影などやったことのないぼくがメインで撮影することになった。
出発地は調布飛行場。(ユーミンの「調布基地をおーいこし」は、ここ)
新島や大島、最近では三宅島などへの定期(ライン)便が飛んでいるほか、
チャーターによる遊覧飛行や今回のような撮影などの業務飛行、
さらには個人のフライトなどがある。
天気晴朗、しかし風はけっこう強い。
北風なので北にむかって離陸するという。
機長は飛行時間12000時間ごえの達人、染谷さん。
「今日もけっこうゆれるよ」と
にこにこしながら事務所にはいってこられたとき、
作業用のジャンパー姿なので、
社長さんか営業部長かと思ったら、とんでもないこの方がすごい人だった。
セスナのSKYHAWKは4人乗り。しかしたいへんせまい。
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乗ったらほぼ身動きはできない。
機長席は左、横にはフリーダ(今回の人工芝の施工会社でフライトのスポンサー)八木課長が搭乗。後部左側にはぼくが、
その横にはサブカメラマンをつとめる星くんが座った。
事務所でCrew Passを首がらさげてもらい、
ワゴン車で滑走路に直接むかう。
裏門みたいな金網のフェンスを守衛さんがあけてくれた。
空はうそみたいに青く、
陽射しがこれから乗るSKYHAWKの翼端に鋭くぎらついてかっこいい。
よっこらしょと乗り込むと染谷機長が「いきますか」とひとこと。
プロペラがまわりだし管制塔から
「JA4139 RANWAY315 Crear for Take off」と着陸許可がでる。
おっ、ここから渋い航空英語でのやりとりだとわくわくしていると、
「ええ、こちらタワー、富士重工(ICUのとなり)付近周回ということですか」「そうです」「ラジャー」。それでおしまいだった。
この飛行機は最大速が100ノットだから200Kmくらい。
離陸は70ノットくらいだという。
滑走をはじめてスピートにのったと思ったときには離陸していた。
上昇してすぐ右に軽く旋回。ぐわんとゆれる。
と、あせるまもなくICU上空。
そりゃそうだ飛行場から歩いても30分くらいのところだからね。
機は左にバンクして旋回する。だから左側からしか撮影できない。
右の席は空ばかりだ。夢中でシャッターを切る。
フィールドをいろいろな方向から撮影できる。
ただヘリコプターではないので、完全に真上から撮影するのは困難だ。
すると染谷機長が「ほぼ真上からいきましょう」
といきなり45度の最大バンクをとった。
Gがかかる。ぶれないように必死にカメラをかまえた。大地が転回する。すごい迫力だ。
「OK、撮れました」「じゃあ帰るよ」と、
まるでドライブに家族をつれていったお父さんのよう。
そしてすかさず右旋回。
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都心が目に入り、かすむ新宿やスカイツリー。
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多摩川が乱反射する。富士山がしずかに遠い。
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なんて思いにふけっていたら、あざやかに着陸。飛行時間は8分。
フライト代はこれに保険などの諸経費をいれて17000円くらいだった。
写真は100枚以上撮った。
大学の広報や人工芝会社のPRに使われる。
なんとか役割をはたせたので一安心。
でも、空をとべるっていいなあ。空だけは自由であってほしい。
制空権とかやめてほしいよ。
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下が染谷機長。撮影のアドバイスもいろいろしてくださった。
いちばんすごいのは
「シートベルトしめると動きにくいから撮影しづらいよ」
「えーっ。法律上いいんですか」
「まあ離着陸のときはね。でもまあいっしょ」
…いっしょってどういう意味だ!
そめや
そして、
連休をはさんで3連チャンでラボOBOGとの食事会のようなものに呼ばれた。
いずれも10名内外の集まりだが、メンバーがほとんど重複しないもすごい。
写真は49歳~52歳という80年代なかばに大学生コーチやカレッジメイト、
表現活動などで活躍したメンバーだ。
女性二人のショットの右は神奈川支部大津留パーティにいた
(大津留先生お元気かな)
越本千加さん。そして左は同じく神奈川の金綱パーティの金綱純子さんだ。
二人は1983~86年に大学生コーチの女性陣のツートップだった。
越本さんは故郷の長崎で美容関係の指導者として活躍中で、
とくに昨年からはさまざまな要因、
親にネグレクトされたり、いじめにあったりして、
高校を中退したり、行き場のない若者たちのリスタートを支援し
手に職をつけてもらおうという
新しい学校の講師もつとめている。
九九の段階でつまずいていたり、敬語どころか普通の会話も
なかなか成立しないというシビアな状況の生徒たちと
粘り強く向き合っている。
えらいなあ。
この日は、研修と会議で長崎から上京し、さらに誕生日ということで
懐かしい仲間が集まったのである。
彼らがラボ現役当時、ぼくも30代なかばで若かったが
全力で彼らと向き合っていたことはたしかな記憶だ。
多くがFacebookでやりとりしているので、久しぶり感はないのだが、
27年ぶりにリアルに対面すると一気に時間が逆転する。
やはり物語や交流で共に苦労も喜びもわかちあい、
感動し、ときにはぶつかりあって紡いだ絆は、
思った以上に太くそしてやわらかい。
組織を離れてすでに4年近くたつのに、
遠ざかれば遠ざかるほど近づいてくる。おそるべしラボ。
あさ
れゆ
次は3月の写真。
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荒川区にある「d-倉庫」というキャパ98名の小劇場に、
パトリック・シャンリィの戯曲、「Doubt」を観に行った。
2005年のトニー賞ストレートドラマ部門を受賞した作品である。
シャンリィを日本に紹介し、このドラマの翻訳をしている
鈴木小百合さんのお誘いで、彼女も含めて5名の大学同級生が集まった。
じつはこの戯曲の日本初演は5年前で、文学座によるものだった。
そのときの女性校長役は寺田路恵さんで、
疑惑の主となる神父役が清水明彦さんだった。
寺田さんは鈴木小百合さんが最初に英語スクリプトを担当した
ラボ・ライブラリー『ヒマラヤのふえ』のナレーションをされており、
清水さんは『おやすみみみずく』のみみずく役であるので、
吉祥寺の会場で鈴木さんも俳優さんも
ぼくもたいへんおどろいたのを覚えている。
今回は演出がイギリスの方で、寺田さんの役が、
元タカラジェンヌの旺なつきさん、清水さんの役が、
高橋洋介さんである(劇場の外での写真で左端の背の高い男性)。
上演時間は2時間弱だが、あっという間のできごとという印象。
それほど凝縮されて、かつテンポのよい舞台だった。
残念ながら演出家にはお会いできなかったが、
斜めの線を意識して空間をひろげた装置や、
それぞれのキャラクターの際立ち方など伺ってみたいこと満載である。
俳優さんたちも脚本を心から気に入っているのが伝わり、
そのことは翻訳した鈴木さんもとてもうれしいといっていた。
芝居がはねてから、仲間と日暮里まで歩いた。
このあたりは生地屋さんがたくさんあり、「布の道」という表示がある。
それから渋谷にでて昼からやっているスパニッシュバルで
4時間近く盃を重ねた。
いい芝居を観て、いい仲間といいワイン。うーむ、バチがあたりそう。
写真を見ればわかるが、役者さん以外は同級生で、
皆、昨年と今年で還暦を迎えた。
そしてぼくを除いて皆若々しい。
じつは、この土曜日に鈴木さんの呼びかけで
神楽坂で「Viva還暦!」という会があり、30名でさわいだ。
その写真も紹介したいが、
ちょっと弾け過ぎなので略。
5月11日は各地で支部発表会があった。
神奈川と東京のどちらにしようか悩んだが、
その前日に三鷹に行ったばかりという薄弱な理由と
新刊が多く、また『十五少年漂流記』かが出るというまあまあの理由から
川崎に行くことにした。
写真掲載は発表順。
 平岡パーティ『みにくいあひるのこ』
 渡部パーティ『ライオンと魔女と大きなたんす 石舞台』
 早川パーティ『十五少年漂流記 さらば、ぼくたちの島』
しかし、午前の部が終わったとたん、どうしても打ち合わせをしたいという
仕事の緊急連絡が入り、やむなく午後の部は不参加。
これも連休にさぼったむくいなのだろうか。
午後発表の富山パーティ、大塚パーティ、賀谷パーティのみなさま
申しわけありません。
午前はどれもたのしい発表だった。
いつも書くことだが、ラボ活動は教育活動であり、
テーマ活動はそのなかで重要な教育プログラムだ。
だから発表そのものをevaluateするのは、
じつはとっても難しいとずっと思っている。
声が大きいとか、動きがわかりやすいとか、
身体表現をくふうしているとか、CD通りにいっているとか、
そういったことは関係ないとはいわないが、
それほど本質的なことではないと個人的には思っている。
その思いは組織を離れて時間が立てば立つほど確信にかわってきている。
とくに、こうした大舞台での発表は、
テーマ活動のスタイルだけでいえばかなり特殊である。
たいせつなことは、ここにいたるまで、
そのパーティと個々の子どもたちが、
どのように物語と睦み合い、
むきあってきたのかだということなのだと思う。
その道筋や「もがいて、たどりついたもの」が
見えてくる発表はたのしいし、皆がきっと感動する。

そんなことをことを描きながら矛盾したことをいう。
ぼくは、自分が制作した作品のなかでも『十五少年漂流記』には
いろいろな思い入れがあるが、
『十五少年漂流記』に取り組んだ早川パーティに感動して、
発表後の通路で早川パーティの前でみっともなく号泣してしまった。
『十五少年漂流記』のラストシーンは、とっても苦労した部分だ。
とくに少年たちが夕映えの水辺線にチェアマン島が消えていく
のをじっとながめるオーラスのナレは10回以上日本語と英語を書き換えた。
そのナレをつとめた男の子のことばは、
びっくりするほどうちのめされるほど、
ぼくの心のいちぱん深いところに入ってきた。
まるでぼく自身がぼくのために語っているように思えた。
それでぼうぜんとしているうちに「海へ」の歌がはじまった。
するとコーラス隊の横で、物語の名場面が
フラッシュバックのように表現された。
まるで映画のエンドロールのようだ。
ともすれば、あざとい表現なのかもしれないが、
ぼくはおどろいてしまった。
というのは、あの歌の日本語は911の直後に、
あふれるような気持ちをうけて書いたという背景があるとともに、
まさに映画のエンドロールを意識して、物語をふりかえりつつ、
世界は海でつながっているのだから、
いつか平和な凪の世界にいけるはずだ、さあ旅にでよう、
という未来への希望をたくしたものだ。
でも、そんなふうにやってほしいとは
「テーマ活動の友」や「資料集」にはかけない。
物語はリリースされたらラボっ子たちのものだからだ。
しかし、現実に、早川パーティは物語を聴き込み、
いろいろな話し合いを通して、
そのエンディングをしようということになったという。
それを確認したぼくは、一気に感情があふれてきて号泣してしまった。
この感動ひとつだけでも「十分すぎるほど報われた」と思った。
ものをつくる人間にとって、こんな幸せはない。
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次の写真は発表会の前日、ICUのフィールドで
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左から関東学生アメリカンフットボール連盟理事長、
東京外国語大学学長、国際基督教大学学長、連盟事務局長だ。
次は試合開始前に選手を激励する日比谷ICU学長。
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試合が終了し、両ティームのキャプテン、
ヴァイスキャプテンがフィールド中央で握手した。
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どんなことばをかわしたかはききとれない。
雨のなか彼らはそれぞれのベンチにダッシュでもどる。
勝利したティームは歓声にわきかえり、
敗れた側は重苦しい沈黙に心をぬらす。
全力をつくして負けたから悔いはないというのは嘘だ。
全力をだせなかったからやられたんだ。
次は見てろよギタギタにしてやるぜ、くらいでいい。
全力をだして負けたなんていうのは、下手を認めた証拠だ。
キャプテンは、顔をあげたままでベンチまで帰ってきた。
国際基督教大学Apostlesと東京外国語大学Phantomsの定期戦は今年で3回目。ICUにとっては初のホームゲーム、
しかも新装なった人工芝フィールドでの初公式戦とあれば、
いうまでもなく「負けられないたたかい」である。
あいにくの荒天であったが、自然芝に劣らない浸透性をもつフィールドは最後まで水たまりひとつできなかった。
しかし、ICUのプレイヤー、コーチ、チア、スペクテーターにとっては
水びたしの結果になった。第4Q、ラスト4秒で外大はフィールドゴールを選択。ボールは新しくなったゴールバーのどまんなかをを鮮やかにこえた。17対16。わずか1点差でも負けは負けである。
試合なかば一時はあがった雨は終了のホイッスルとともにはげしくなった。
敗北は魂の軋みを学ぶためにある。
そこから自らの弱さを自覚し、前進する意味を学んだものは強くなる。
学ぶものがあったなら、敗北蹉跌でも挫折でも失敗でもない。
ふみや
航空用語で、
風が強かったり、視界が悪かったりするとき、
着陸をするかやめるかを決める、決定高度(ディシジョン・ハイト)
というのがある。
そのときたよりになるのは計器であり管制官だ。
しかし、最終的に判断するのは操縦している自分自身だ。
決定高度は人生にも数回あるんだと
染谷機長が教えてくれた気がする
Re:Decision Height 青春の決定高度/空とぶ還暦 更新途中(05月21日)
HITACHIさん (2013年05月21日 19時44分)

すばらしい写真、わくわくドキドキがいっぱい。
早く次が見たいです。ラボ発表会以外に、鈴木小百合先生のお顔も見えているから、大学の
同窓会も入っているのですね。もしかして操縦したのですか?
続きを楽しみにしております。
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