幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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季節のVelocity 通り過ぎる春 やり過ごす夏 たちつくす秋  06月01日 ()
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なんか暗いタイトルなので、せめてさわやかな写真ではじめよう。
上は京都・祇王寺。
清盛に寵愛された白拍子の祇王と仏御前が出家した寺として有名。
雨上がりの朝の苔が美しい。1年前の撮影。
下は直指庵の庭と葉もみじ。ああ夏がくる。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
はや6月、水無月である。
今年も半分すぎるのだ。えーっ、ウソ! とかいってもむだなのだ。
泣いてもわめいても月日はさらさら流れるのだ。
タイトルにVelocityというききなれない英語を書いたが
これは速度の意で、speedの格式張ったいい方、スカしたいい方である。
野球のビッチャーの球速などは、
VELOCITY 95mph(時速95マイル)などと書かれる。
Veocityはまた音楽用語でもあり、電子楽器の音の強弱を表すスケールだ。
電子楽器の音のやりとりにはMIDI(Musical Instruments Digital Interface)
という国際標準信号が使用されているが、
キイボードを押し込む速度が音の強さに反映することから
速度の意であるvelocityが使われている。
最初に書いたように季節は容赦なくめぐる。
人間の思いも、祈りも、嘆きも喜びもまったく気にしない。
人の誕生や死すらも季節と自然は関わりをもたない。
その速度はまったく停滞しないがゆえに
おそろしくはやい。
だからこんなことばを使ってみたのだ。
春は今年も静かに通り過ぎた。
夏は例によって、なんとかやり過ごすのだろう。
で、秋になって、ただ立ち尽くすのだ。
還暦ともなるとじつにセンチ。
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題材の物語は中国のイ族の昔話を再話した『不死身の九人きょうだい』
"The Invincible Nine Brothers"。
描いたのは中本怜恩くん(小4/いわき市・志賀P)だ。
※なんと、よく考えたら去年も7月の絵で入選しているではないか!
今気づいてこの文を挿入している。
恥ずかしいのが、先に書いた下記の文は反省の意味で残しておく。
連続入選はぼくがかれんさに関わった22年ほどのなかでも
数名いる。やはり力があるんだよね。

お名前の読みはレオンかレオ(家入レオは女性だけど)だと思うので
推測で「くん」と書いたが、女性だったらごめんなさい。
作品と作者のジェンダーは性役割という心理学用語があるように、
いろいろと意味がある。
ただジェンダーによって作品の評価を変えたり、
ステレオタイプな判断をしてはいけないということだと思う。
ともあれ、怜恩先生のことを知っている方教えてください。
さても、梅雨時の絵にえらばれたのも納得のさわやかさだ。
その爽快感の要因は大きくわけて二つある。
ひとつは色味の透明感、Tranceparencyである。
空と雲そして山から、
おぼれる王様の背景の森のような緑にいたるグラデーションがかもしだす
透明感はセンスといい明度・彩度といいすばらしいのひとことだ。
とくに背景全体は、なにか現実の中国奥地、
雲南省の秘境、たとえば麗江の大自然を見ているような胸さわぎがする。
これもすごい。雲にもうまい影かついてるので立体感もよくでている。
もうひとつは、なんといっても
傲岸な権力者が九人きょうだいのひとりに
「めっためたにやっつけられている」ところだ。
しかも右下のまっ先に目がいくところに描かれているからなおさら迫力。
最近、権力者たちのいかにも権力者的な発言に疲弊しているので、
これはじつにきもちいい! 
怜恩くんの「ドヤ顔」が目にうかぶようだ。
たたかう君の絵筆をたたかわないやつらはわらえないぞ。
また毎回書くことだが細部の描き込みが
この作品もしつこいほどに行なわれている。
背景はもちろん、左の屋根を宝石のような色違いの円で装飾した
粘りとかんばりは思いついてもなかなかできない。
そしてあたかも「落ちゲー」のような遊び感覚もあってたのしい。
さらに右端の城のなかもかなり手をいれている。
近寄って目をこらすと細い輪郭をとったうすめの下書きがある。
しかし彩色はだいたんにやっているので気にならない。
サインペンなどで輪郭をとり、
塗り絵をしてしまうと世界がずたずたになってしまうのだが、
こうした目安のアタリ程度の下書きならだいじょうぶ。
透明感とは裏腹の粘りと根性は、とってもだいじ。
怜恩くんは、おそらく自分が正しいと信じたことからは、
ぜったいに逃げだしたりたりひいたりはしないだろう。
この物語はイ族の昔話を再話したものだが、
イ族は雲南省を中心に現在約7800万人くらいの人口がある。
イ族というのは外からの呼称で、
「ノス」「ロロホ」などいくつかの系統別の自称がある。
中国は56の民族があるウルトラ多民族国家で、
そのなかでは漢民族が圧倒的多数であり、
のこりの55は少数民族である。
そのなかでイ族はトップ10に入る人口を保持している。
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イ族は文字をもたない。
じつはこの物語のライブラリー刊行は1992年。
その2年ほど前の冬のはじめ、
中国語版「はだかの王様」の録音に北京にいったときのこと。
このときは、交流のある北京月壇中学の生徒のお母さんで
北京放送のアナウンサーの方がコーディネイトしてくださり、
北京放送テレビ劇団の役者さん、
しかも中国でも大人気となった「おしん」の吹き替えを
担当したメンバーが参加してくれた。
その打ち上げの席で北京放送日本語部長の李順然氏
(この人は赤坂で生まれたので日本語すごい)から、
「中国のお話をつくるなら、
文字をもたない少数民俗の昔話がぜったいにおもしろいですよ。
もちろん中国はことばの国でもあるけれど、
それは文字の国ということでもあるし、
さらに漢字は概念をひっばってきてしまうから、
どこかで散文的です。漢詩は別ですけどね。
そこへいくと文字をもたない民族は自然も豊かなところにずっといるし、
文字がないがゆえに詩的で想像性もすばらしい」といわれた。
国営放送のエライ人からそんなことをきくとはびっくりだが、
やはり作品づくりに関わっている人は
国家とか体制とか気にしない人もいるんだなと思った。
実際、そのときに出会ったディレクターやエンジニアのなかには、
「いかに楽するか」といったダメな人もいたが
外国作品もかなり学んでいてクリエイティヴで尊敬できる人がかなりいた。
そんなことはともかく、
うっとおしい季節と時代を押し流す絵を描いてくれた怜恩くんに拍手!
逃げるなとこの作品は教えている。
信念からの逃走者は、はなから負けているのだ。
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