幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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歩道橋をつくるより、歩道橋がいらない街が好きだ! ぼくたちは! 08月01日 (木)
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 三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
はやくも葉月だ。はげしい季節だ。
毎年書くがせつない季節でもある。
絵の題材となったのはThe Ocean-Going Orchestra『うみのがくたい』
(文・大塚勇三 絵・丸木俊)である。
描いたのは中島愛乃さん(小4/津山市・岸本P)。
例によってフライイングで昨日めくったら、
一気にさわやな風が吹いてきた。
とにかく瑞々しい作品だ。そして奥行きと透明感がある。
今年のカレンダーの絵はみなそうだが、この作品も描き込みがすごい。
クジラやイルカはもちろん、
小さなさかなたちもまでもていねいに濃淡や色変化がつけられている。
とくにクジラの両どなりを泳ぐさかなたちは、
なにげないようでいてとっても手がこんでいる。
これだけたくさんのにさかなを一匹ずつ描くのは、
それだけでもたいへんだが、愛乃さんは全部を意識して描きわけている。
ふつう10歳くらいだったら、
体力的にもとにかく数を描くだけでせいいっぱいのはずだ。
しかも左側のさかなたちにつかった黄緑がにくい!
このわずかな緑が好きだ。
とにかくこのさかなたちのおかけで動きと奥行きが出で、
さらに密度が濃くなっている。
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また、海そのものも、とてもよく描き込まれている。
これも均一に塗ってしまいがちなのを
とてもデリケートに濃淡や変化をつけている。
それともうひとつ。
クジラやさかなたちの右45度上にむかうベクトルが力づよくてきもちいい。
そして一頭だけ右下でイルカが逆に身体をひるがえしているのも。
より動きがかんじられる。
ふつうこれだけ描き込むと重厚になるのだが、
色の選択がいいのだろう。すばらしい透明感がある。
いつも思うがラボっ子の描く絵はやさしい。
これは審査の先生方も皆おっしゃることだ。
ラボっ子は親や周囲のおとなたちの愛情を
たっぷりと太陽のようにあびて育っている子どもが多いから
(ラボを続けさせてもらえるのはほんとうに恵まれているし、
ライブリーをもてるのも幸せなことだ!)、当然なのかもしれない。
もちろん愛乃さんの絵もやさしい。
しかし、それは強さに裏打ちされた「かなりほんもののやさしさ」のように思える。
それは、これだけの描き込みとねばりで
作品にむかっていことだけでも十分証明されている。
その強さは、愛乃さんの場合どこから来るのだろう。
そのあたりをぜひ関係者にうかがいたいものだ。
また、愛乃さんがこの『うみのがくたい』をえらんだ理由もきいてみたい。
これは推測の範囲でしかないが、
愛乃さんの場合もこの物語に
なみなみならぬ思い入れがあるにぢかいない。
それはクジラやイルカたちに「強い意志」を感じるからだ。
船を救おうという意志か、はたまた海そのものをまもろうという思いか。
ぼくはオカルデイックな能力はないが、なにか感じることはたしかだ。
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原作絵本の絵は「原爆の図」で夫である丸木位里氏とともに
ノーベル平和賞の候補にもなった画家の丸木俊先生である。
ぼくは埼玉の丸木美術館でも広島でも長崎でも
先生の「原爆の図」と何度も対面している。
とくに長崎は長男が小1、長女が保育園のときに連れていった。
広島や埼玉は高校生くらいになれば自力でいけるだろうと思ったからだ。
「強烈すぎるか」とも思ったが、
現在32歳の長男はしっかりと記憶にあるという。
長男が明治の政治経済にいながら卒論にチョムスキーをえらび、
アクティビストとしての彼に着目して
「テロリストの再定義」を書いたのも
長崎の原体験が影響しているかもしれないという。
『うみのがくたい』の絵は丸木先生は2年をかけて制作されている。
イルカやサメなどの動きにたいへん苦労されたという。
近所にすむ「おさかな博士」の少年と
なかよくなって助言をうけたというエピソードもある。
その半面、人間の生命や尊厳をおびやかすものへの怒りは苛烈で、容赦はなかった。
かつて「ラボの世界」のインタビューでラボったちが
お宅をたずねたときも、
核エネルギーと人間が共存不可能であることを説いてから、
どくろのお面を全員につけさせて,
「原発反対!」とシュプレヒコールを子どもたちとともにされたと
取材から帰った事務局員が感動していた。
『うみのかぐたい』は、また音楽がテーマでもある。
海、夕焼け、音楽、海のいきものたち。
すべて美しいモティーフだ、いや、モティーフ、
動機というよりキエティーフ、すなわち動かない静機といってもいいかもしれない。
海は、遠くに開かれ、水平線の先にはなにも見えないがゆえに、
古来から多くの想像がなされた。
不老不死の国や黄金の国、さまざな楽園を人は想像した。
そして多くの命が冒険にでて帰らなかった。
いや海に還ったというべきか。
戦もあった。若きかけがえのない魂がやはり海に消えた。
この物語の音楽も夕焼けも、すべては海にきえた命への鎮魂のように思える。
これは何度か書いた話だが、
あるとき5歳のラボっ子が『うみのがくたい』についてこういった。
「先生、あの船はほんとうは沈んだだよ。だからあのお話ができたんだ」
 また、かつた瀬戸内海の高島という島で「海の学校」をやっていたとき、
若い漁師のおにいさんがこういった。
「海はこわいところさ。でも、命の生まれるところでもあるんだ」
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七月中旬。
35.7度という人畜有害な気温であったが、
ランチ後、本多豊國先生の「花花猫猫展」にむかった。
最終日である。もっとはやく行きたかったが、
スケジュール上、楽日になってしまった。
本多先生は毎日顔をだされているということだが、
その日はラストということもあって夫人もいらしていた。
先生とは年1くらいに日比谷公会堂などでお会いしているが、
夫人とはひさしぶりである。
ぼくの病気のことも先生からお聞きになられていて、
元気すぎるぼくの顔 をごらんになり、とても喜んでくださったのが泣けた。
会場になったTana To Bouは
ギャラリーというより普段はアートフラワーなどを
扱っているショツプのつくりだ。
そこに岩彩や墨絵お版画による花や猫をモティーフにした作品 を展示されている。
不忍通りを本郷通りの交差点で左折し、
六義園の入り口を少し過ぎた本郷通りに面した素敵なスペースだ
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茶畑和也夫妻のときも思ったが、
アーティストの夫妻もまたひとつの作品のように見える。
芸術の本質には反社会的な部分がある。
もちろん、ただ反社会なだけでは芸術家はすべからく抹殺されてしまうが
(事実そういう時代もあった)情況や時代や
社会を貫通する強力な想像力こそが芸術家の資質であるとするならば、
それはときには国家や大衆社会と相容れないことがあるのは自明だ。
だから、自民党の憲法改悪草案の97条、
基本的人権項目の削除お表現の自由に対して
「公共の利益」などの条件をつれるなどは論外である。
話をもどして、芸術家はその本質ゆえに
家庭という小さな組織におさまらない方も多い。
しかし、本多夫妻の表情を見ればわかるように、
夫の才能を信じて全力で支援することに
自己実現をもとめる妻と、そのサポートを全面的に信頼し、
妻をもっともよろこんでもらいたい受け手として
創作を続けてきたアーティストというカップルも、
じつは多く存在しているのである。
そんなわけで、照れるおふたりに作品の前に立っていただき
何枚が撮影させていただいた。
先生は「乾くのを待つ間の仕事」と謙遜されるが、
会場には大小の意志に岩彩で描かれた猫が多数あり大人気である。
ぼくもふたつばかりほれこくんだのがあったので、
購入させてもらった。
本多先生との出会いは1990年、
ラボ・ライブラリーの『なよたけのかぐや姫』の制作のときである。
この作品はCD化したときの最初の物語である。
本多先生はこの作品の絵を木版で制作された。
絵本を見ればわかるが、じつに細かい線がたくさんあり、
衣装のなかにはかくし絵的な彫り込みまである。
通常は時間からいっても手間からいっても
リノリウム板によるカットになるところだ。
しかし本多先生は「日本最古の物語は木の感じをだしたい」と
木版に挑戦された。
しかし、絵本であるから原画は1枚あればいい。
通常の版画家は何枚か刷って番号をつけて出展する。
本多先生はそれぞれの絵を1枚だけ1色で刷り、
それに手彩色で色を加えた。
よく考えるととんでもないことである。
「あのときだからできたんです」と本多先生は豪快に笑われたが、
それ以来、ラボとはぬきさしならぬ関係になってしまった。
この日、もうひとつの出会いがあった、
会場のはじで電動車いすで熱心に『んなよたけのかぐやひめ』
の絵本を観ている女性がいた。
詳しくは書かぬが、おそらくは進行性の筋肉の病気とたたかっている方で、
介助の方がもっているひらがなのボードを
右手の指でたどって会話することができた。
聴覚はしっかりとされていて、
ぼくの早口のことばも十分理解され、
その質問や「ツッコミ」がとてもウイットにとんでいるのに感動してしまった。
音楽も大好きとのことなので、ぜひCDを聴いてみたいということだった。
というわけで、公開お願いをする。ラボのWくんかHくんかUくん(わざとらしい)、
なんとか『なよたけ』を1セット、本多先生に贈呈していただけないだろうか。よろしく!
※すでにお願い済み。
本多先生の最近の作品は、透明で温度のある色彩と
「ぐわん」というしゅう曲したような力が蓄積したタッチが多いが、
本多先生の幹型のところにある女性の横顔が、
「なよたけ」をほうふつとさせる美しさを感じた。これもまた先生の一面だ。
わかれぎわ、またラボ・カレンダーの季節てすねと本多先生がにこにこしながらいった。「ええぼくも楽しみです。またお会いしたいですね」
そうあいさつして炎天下の本郷通りにでた。すると30mくらいの後ろから「暑いから気をつけて!」というでっかい声がおいかけてきた。
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最後に、ラボは
夏活動まっさかりである。
この夏も国内外で多くの出会いと成長と発見の物語が生まれるだろう。
心よりその安全と充実を祈念してやまない。
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