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夏の終わりに 想像の瞬発力と持久力 08月30日 (金)
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写真は横浜「みなとみらい」の日没。撮影は2年前だ。
今年もなんとか夏をやり過ごした。
昨年と同様に8月の9日から一泊で湯田中温泉にでかけた以外は
都内でおとなしくしていた。
最近はFacebookなどで
ラボの国内キャンプ、国際交流のようすがリアルタイムにわかる。
見ないほうが身体にいいのだが、なにか目をつむるのも変なので
結局は毎日チェックする。
テューターのみなさんやご父母の報告と感想、
そしてなにより子どもたちの笑顔から
この季節がいかに心の筋肉をたくましくするかが伝わってくる。
ともみあれ無事にラボの夏が終わったようで
もう「ひとごと」のはずなのにホッとしている。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
二日ばかりフライイングだが
今週の土日はいろいといそがしいので書 いてしまうのだ。
題材となっているのは"The Sky Blue Seed"『そろいろのたね』だ。
描いたのは、堀部莉央さん(小5/徳島市・鈴江P)。
原作は文が中川李枝子先生、絵は実妹の大村百合子(現・山脇百合子)先生の
名コンビの絵本である。
このあまりに有名な作品はタッチもフォルムも色彩も
じつに「やわらか」でむだがなく、子どもの心にスッとはいってくる。
したがってこの物語を題材にした「カレンダーの絵」は、
毎年かなりの応募点数がくる。
いうまでもなく「比較的模写しやすい」からだ。
しかし、この堀部さんの絵を見ておどろいた。
「そらいろのいえ」そのものは、さすがに水色なのだが、
全体はまったく堀部さん自身の世界になっている。
これはなかなかできることではない。
もう個性といっていいし、独自の世界観を表現しはじめているといっても
過剰な評価ではないと思う。極端にいうと「作家性」さえ感じるのだ。
この物語で多くおくられてくる絵の構図は、
大きくなった家にみんなが楽しくシェアハウスしているシーンを
正面から、すなわち家だけを描いたものである。
この絵もそうなのだが、独創的なのは、
もう密林のリツーハウスのようなつくりになっていることだ。
しかもよくみると、子とも部屋や木のウロのなかなどは
夜のだんらんが描かれている。
これは本人にきいてみないとわからないが、
堀部さんはこの物語が大好きで、
そらいろのいえに自分も住んでみたくて、
いろいろと想像力をふくらませて
その発展型を構想したらこうなってしまった
ということなのではないだろうか。
想像したもの、それは観たことのないもので、
それを心に従って描くのはけっこうな力と、
その想像を持続させる力、すなわち「想像の瞬発力と持久力」が必要である。
子どもの場合、瞬発力はときとしておとなよりすぐれていることはよくあるが、
想像の持久力となると、人生のキャリアがもとめられるからたいへんなのだ。
じつはこの瞬発力と持久力のある想像力が創作力の源泉だ。
近年、この十年くらいにでてきた若手の作家をみると
瞬発力でいい作品が書けても持久力がなくて消えてしまうケースが多い。
「ずっといろいろな変化球を投げつづけられる地肩の強さ」とは
林真理子氏のことばだが、まさにそういうことだ。
堀部さんの作品の持久力は、まず色数の多さである。
ためしに数えてみてほしい。
新しい絵の具やクレパスなどが手に入ると、
とにかくたくさんの色を使ってみたくなるものだが、
実際にやってみると現実に色にとらわれてしまい色数が限定されてしまう。
でも堀部さんは自在に、じつに細かく多彩な色を使い分けていて圧倒される。
煙突の色の変化、家の内装の水色もだ水色ではな、濃い線と薄めのバック、さらにピンクのドットでおしゃれにしている。
また、より驚くのはいろいろな画材、
すくなくとも鉛筆、クレパス、色鉛筆、不透明水彩を使い分けていることだ。
これまたたいへんな力で、表現したい色とそのための画材も考えるのはなかなできない。
で、より注目すべきは「いえ」があざやかな水色中心に描かれていて、
ぐっと前面にでてきていること。
そして背景の木の幹や枝葉、花などが抑制した色で描かれていて
その対比がすばらしいことだ。
しかも、これだけ描き込むとバックはどうしても手抜きっぽくなるが、
とにかくしつこく描き込まれている。
さらにさらに「同じ表現の面積」があまり偏らないようにしているのもすごい。
ずっと見ていられる絵だ。
そうやってながめていたら、家の左下にキツネがちゃんといるのにびっくり。
やはりこの家は堀部さんの理想の発展型なんだろう。
キツネもちゃんと共生してる。ラボっ子の絵はやさしい。
とにかくこの物語は「そろいろ」というタイトルにひっぱられて、
空色を多くつかってまう。
たしかにSKY BLUEは重要なもてモティーフだが、
堀部さんは独自の世界観で再表現したのだ。
これも一種のテーマ活動だろう。注目の描き手だ。
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さて、堀部さんの作品のおもしろさを伝えるために少し原作のことを書く。
ストーリィそのものは「エゴイズム」という根源的テーマにふれているので、
じつはかなり深く重たい内容である。
ラストでせっかくみんなに愛された「そろいろのいえ」は
キツネのエゴで崩壊し、キツネがノックアウトされて終わり、
その後のことは語られない。
あやかしの力でつくられた「そいろのいえ」は
所詮まぽろしのユートピアだったのか。
ゆうじや、子どもたちや、動物たち。そしてキツネはこの後どうしたのか。
読み手はいろいろ考えさせられる。
わがままキツネがダウン、パチパチでは終らない。
家の崩壊は一種のカタルシスではあり、
太陽にどときそうになりばらばらになった青い家のかけらが、
まぶしい空からきらめきながら落ちてくる場面は想像のなかでは美しくさえある。
話はとぶが、ぼくはクリーデンス・クリア・ウォーター・リヴァイヴァル
というバンドの"Have You Ever Seen The Rain"を思い出してしまう。
この歌は「おいらは知りたい。晴れた空からふってくる雨を、
あんたはみたことがあるかい」という一節が
ベトナム戦争で米軍がゲリラ殲滅に使用したナパーム弾のことを暗喩している
という評判がたち、一時期放送禁止になったくらいだ。
ともあれ、青空から家のかけらがまいおりてくるというイメージは、
とても「子どもむけの話」でかたづけられない。
だが、この絵本がそうしたいろいろなヘヴィなテーマを内包しつつ、
またラストがあまり救いのない終り方であるのに、
幼い子どもたちに長く愛されているのは、
中川先生の平明でやさしいリズムのことばと、
大村先生のおだやかなタッチと色彩によるところが大きいと思う
だから、子どもの心にいろいろな疑問符はのこしても、
いやな読後感がのこらない。
いわゆるハッピーエンドであることが、
子どもの本にとっての必要条件でも十分条件でもないことは、
この作品が証明している。
ラボ・ライブラリーの作品を見ても、
単に「めでたしめでたし」だけの物語はそう多くない。
『白雪姫』でも姫は結婚して大団円だが、
お妃は燃え殻になって終る。
それは姫も娘を生んだとき、
またいずれ真紅の情念にとらわれのではないかということを暗示させている。
『ありときりぎりす』『はだかの王様』『幸福な王子』
『ロミオとジュリエット』『かいだんこぞう』など
「いわゆる完全に幸福な結末ではない」作品は、いっぱいある。
『妖精のめうし』もそうだし、きわめつきは『鮫どんとキジムナー』だ。
とくにキジムナーは、まったく救いのないヘルプレスなストーリィだ。
だが、じつはこの物語は
おそらく多くのパーティでもそうだろうが、圧倒的に子どもたちに人気がある。
その理由のひとつが、
沖縄というある意味で日本人のひとつのルーツに根ざしていること、
さらにはなんといっても本多先生の
まさに沖縄の色彩ダイナマイトが炸裂した強力な版画のパワーである。
筋書きだけをひろうと残虐で無救済な物語が
この絵によって、壮大な沖縄の自然と人間の激しい相克の物語に昇華している。
鮫どんは孤独でありキジムナーも孤独な妖精である。
孤独どうしが交錯し絆を結ぶかに見えるが結局は破綻し悲劇的結末をむかえる。
しかし、この物語のなかから、鮮やかな絵本のなかから、
子どもたちは多くを感じとる。
そして、おおげさだが自分の生き方について考える。
教材として教え込まれるより、
自分が出会った物語や絵画や音楽から、
子ども自ら学ぶ力をもっている。
子どがそういう力をもっていることを信じられない者は、
子どもに関わる仕事をにつかないほうがいい。
ひとつの物語の終わりは、
じつは新しい物語のはじまりなのだ。
それは、この絵がはっきりしめしている。
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