幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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「でも、生きたではないか」と無力なぼくを救う地蔵 / アーティストにできること 11月30日 ()
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息苦しさの増大に比例して月日は加速度的に進行し、まさに過客。
とうとう明日からは師走である。
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
もうめくることはできない。あとはむなしく壁があるだけだ。
と、ふと気づいたら来年のラボ・カレンダーをまだいただいていない。
関係者の方、おくってください。できれば2部。ちゃんとお金ははらいます(笑)。

年の最後をかざるのは、「やっぱり」と予想した通り、
『かさじぞう』"The March of Jizo”に題材をもとめた作品だ。
描いたのは 杉浦太亮くん(6歳・廿日市市/後藤P)。

題材は予想通りだったが、タッチや色やフォルムは予想をこえていた。
だから子どもの絵はたのしいしおもしろい。
なにより最初に感動したのは、
昨今の急速に日本全体を覆い尽くそうとしている「いやな」閉塞感や、
さらには21世紀にはいって12年もたっているのに
未だに紛争や差別や貧困や不公平や飢餓などの
「血と汗がめぐる岸辺」からはなれることのできない人類のせつなさといったことに、
どうすることもなかなかできない「自分自身の無力感」を、
地蔵たちが「だいじょうぶ。おまえは生きたではないか」
と語りかけてくれたからだ。
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ふりしきる雪のなかで、六体の地蔵菩薩たちは凛として、
そしてやわらかく、無限の慈悲で世界をつつもうとしているように思えた。
いささかおおげさかもしれないが、
急に寒くなった気温と前述したようなせつなさにとらわれている精神状態には、
そんな救済を感じさせてくれる作品であることはまちがいない。

雪は音を吸収するから、吹雪でもないかぎり静かである。
子どものころ、妙に静かで明るい朝に目覚め、
窓をあけると銀世界に声をあげるという経験は
東京生まれのぼくにもある。
その後、縁あって新潟県の松之山という有数の豪雪地帯で研究をすることになったが、
二週間雪がふりやまぬ村の無音のたたずまいは今も記憶にある。

そうした「静けさ」を音にするのがむずかしい。
同様に静寂感が伝わってくる描画もなかなかたいへんである。
でも杉浦くんの絵からは「静けさ」がたしかに響いてくる。
かつてアナログの時代は誰も居ないスタジオで
10インチのテープを38mmでまわし、
「無音の音」を録音して、セリフのつなぎ目などにつかった。
バイアスといったりルームトーンといったりしたが、
ようするに静寂の音である。
マイクを完全にしぼった無音は「スカッ」と欠落した感じになり不自然にきこえる。
だからマイクは生きているけど誰も話していない音が必要だったのだ。

話を絵にもどそう。使われている色はけして多くはない。
だが、背景の空やふりしきる雪には微妙な変化がある。
これらは偶然の要素もあるだろうが、
たくまずして静けさをあらわす要素になっている。

でもなにより、色そのものが魅力的だ。
地蔵本体の中間色はもうおしゃれな現代色であるし、
笠の色もマスタードがかったイエローオーカー(いわゆる黄土色)でかっこいい。
ちょうど笠の後ろのあわいブルーの空と見事な補色になっているのもすばらしい。
補色は美術でならったりするが、
杉浦くんのような少年はもう感覚的に分かっているのだと思う。

Songbirds μを編曲された故・廣瀬量平先生は
「おさないときから、なせがこの音とこの音の組み合わせが美しいというのがわかった」と、早稲田でパスタを食べながらおっしゃられたが、
杉浦くんの色の感覚はとてもおもしろい。
この場面では原画もたしかにそんなにたくさんの色を使用していないが、
全体に抑制をきかせて静けさをだしているあたりはもう脱帽である。
また蛇足ではあるが、立ち木や大地の面積を小さくしたのも透明度をあげる結果となった。

雪や地蔵は輪郭がどられているが、
はみだしをまったく気にせずに自由に彩色しているので
世界が分断された塗り絵になっていないのもすがすがしい。
むしろ地蔵の縦の輪郭などは力感がでていて
地蔵パワーを増幅させているとともに、
全体単調になるのをふせいでいると思う。

「かさじぞう」は日本じゅうにバリアントがあり、
地蔵の数も六道救済の意味から六体が多いが、
一体から十二体まであるし、おじいさんがかぶせるのも笠とはかぎらず、
縮で知られる小千谷などでは反物になっている。
また、たりない笠のかわり「てぬぐい」を巻くというのが一般的だが
ラボのライブラリィのように「褌」であるのもめずらしいケースではない。
さらにおどろいたことに、
地蔵は老夫婦のへの御礼のかわりに
ふたりを極楽浄土につれていくといバリアントまである。
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地蔵菩薩は弥勒菩薩がいる兜率天にあって、
弥勒が下生するまでのあいだ衆生を救う。
釈迦の死後、仏なき時代がつづくが、
弥勒が地上にあらわれるのは56億7000万年後である。
なんと地蔵はそんなにも長い年月がんばらねばならない。
この56億7000万年というほとんど無限に近い年月を
弥勒が待機するのも謎なのだが、
これにも諸説あり多くの宗教家や仏教哲学者が研究をしている。

おもしろいのは、弥勒の天人としての寿命がおわったときに
地上にあらわれることから計算した説だ。
すなわち天での弥勒の寿命は4000年であり、
天の1日は地上の400年にあたるので、
4000年×400×12×30= 5670000000年ということだ。
また、この数字自体は「とてつもなく遠い」という意味にすぎないという人もいる。

ともあれ、仏教がたぶんに世界観、宇宙観をときあかそうとした思想であることが
この話からも感じられるその宇宙にあまねく偏在する人智をこえた力として
仏をとらえようとしたのだろうか。

「かさじぞう」などにみられる民間信仰(賽の河原で子どもをすくうというのは
日本の間親交)としての地蔵は、
もちろん仏教的要素ももつが、
年越しに遠方からあらわれる正月の神、
ナマハゲのようなマレビトと根っこではつながっているといわれる。
老人が地蔵と出会うの村と町の境界であることが多く、
ここから道祖神ともむすびつき、結界のディフェンダーとしての役割も地蔵にあった。

いろいろな役目を60億年もがんばる地蔵菩薩だが、
あまたの菩薩、如来のなかでもっとも人間に近く親しみやすい存在であることもたしかだ。
2014年がどういう年になるかはきわめて不安だ。
さまざまな神仏はもはや人類の救済については匙をなげてしまうかもしれぬ。
せめて地蔵菩薩だけは見捨てないでほしい。
地蔵の名の由来は大地のように無権の慈悲による受け入れであるからだ。
原作の絵本多豊國先生、日本語は中村智子さん、英語はスズキ小百合さん。
写真はこの春に彼女が翻訳した芝居をみたあと、
渋谷のスパニッシュ・バルでさわぐ同級生たち。
そは
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写真は『寿限無』の絵を描いてくださった茶畑和也さんご夫妻だ。
もう説明するまでもないだろう
ぼくと茶畑さんとの出会いは10年前にさかのぼる。
名古屋のラボ会員の父親で楽しいけどあたたかく深い絵を描く人がいるというのを
ある人からきいていた。
そのときに茶畑という名前がインプットされた。
そして2003年の春に青山のスペース・ユイで個展をされるというので拝見しにいき、
はじめてごあいさつしたのだ。
その日は雨で.作品の青がやけにうきたって見えたのをはっきり覚えている。
在廊していた茶畑さんは、長身に人なつっこい笑顔をのせて登場した。
おだやかなものごしだが、瞳の奥に少年のきらきらと強い意志としずけさ
というふしぎな力を感じた。これはアーティストに共通するパワーである。
これを強く感じたのは順不同で書くと、司修先生。林光先生、間宮芳生先生、
廣瀬量平先生、靉嘔先生、宮沢和史氏…、などなど。

その少し後、2004年にリリースされる「笑いを」テーマにした
ライブラリィのプロデュースをはじめたが、
収録作品がコールデコットの絵本やパオラの絵本などときまっていくなか、
最後に日本がほこる話芸である落語作品のなかから『寿限無』を
とりあげるとことが決定した。
あの名前を英語にするという離れ業は鈴木小百合氏、
音楽は谷川賢作氏、語りの中心は当時一平だった現在の林家三平氏と
パックンことパトリック・ハーラン氏。
そうしスタッフやキャストが確定していくなか、
オリジナルの絵をだれが描くかが最後のテーマだった。
そのときにうかんだのが、あの雨の青山で観た茶畑さんの絵だったのだ。

ぼくは彼の家までおしかけていき
過去作品までひっばりだして見せてもらうという暴挙にでた。
そして子どもたちにむけて全力の絵を描いてください、とオファーした。

『寿限無』は落語のネタとしてはいわゆる前座噺である。
だが、あのばかばかしい長い名前には
はじめての子どもを授かった父親の大きな愛情がつまっている。
やり過ぎがおかしさにつながるが、愛しすぎてなにがわるい! 
といういさぎのよい父性がすがきもちよい。
そして茶畑氏はすばらしい父親でもありナイスダディである。

それ以来のおつきあいで、
名古屋方面にいくときはできるかぎり時間をとってごあいさつするようにしている。
で、じつは中部のテーマ活動発表会を観た夜も、
名駅の近くでおいしい焼き鳥メインのちょっとフレンチという店で
たのしい時間を過ごした。
その御礼というわけではないが、茶畑さんの最近の作品を紹介する。

ひとつは朝日新聞でも大きくとりあげられた「ハートの時間」を絵本にした
『ひとやすみ』発行 ゆいぽおと 
発売 KTC中央出版http://www.amazon.co.jp/ひとやすみ-ハートの時間-茶畑-和也/dp/4877584455

もうひとつはこの三年間だされているハートのカレンダーである。
これは1000円で販売し、売り上げの一部を東日本大震災、
福島原発事故関連の支援におくられる。
このカレンダーの買い方はまもなく
茶畑さんのHPにアップされるとのこと。限定1500部! 茶畑和也で検索!

絵本の帯やあとがきには夫人のひろみさんが、
ハートのいきさつを書かれている。
「東日本大震災、福島第一原発の事故のあった2011年3月のある日、
夫、茶畑和也は『今日から毎日ハートの絵を描く。
ぼくは絵描きだから絵でできることをしてみる』といいました。
そうして毎日ひとつずつハートの絵を描き続け
2013年9月にハートは900個になりました』

ひろみさんは娘さんが震災後に進学のために上京することになったとき、
放射線の東京への影響を調べはじめたことがきっかけで
情報の隠蔽をはじめとするさまざまな日本の危機的な状態に驚愕し、
母親の目線からラディカルな発信をされている。

このEveryday Heartがはじまったころ、
ぼく自身は「なんでハート」だった。
愛を表現するのに愛とさけんでいるようで、
あまりにストレートで通俗だと小さな頭で思ったのだ。
だが、Facebookで毎朝かなり早い時間に1日もやすまず公開されていき、
そこには本人の説明や講釈はなく
ひとことのタイトルのようなものがつけられているだけだった。

それに次第に多くの人が感想やコメントを正直に描き込むようになった。
すると、作品もまたそのコメントをまともにうけとめたかのように変化したり、
または逆の方向にいったりといきいきと成長しはじめた。
ハートも複数になったり、空をとんだり季節をうたったりと、
おそらく作者もおどろくように変化していった。
SNSを通しての発表は観る人の環境によってはとても小さな画面での閲覧だし、
色味も微妙な差異がでる。
でも。それに反応したコメントがあったから
今日も続いているのではないだろうかと憶測するのだ。

やがてこれらの作品はついには各地で、
もちろん福島でも展示されてライブで出会うことができるようになった。
じつは、ぼくも仕事場においておきたくて購入させてもらった。
また、何人かの知人プレゼントもした。
それは、新しい人生をはじめる人であったり、
日々なやみつつも、明るく子どもたちとむきあっている女性であったり、
シヴィアな病気と前向きにたたかっている若い人であったりだが、
全員が「力をいだたいた」といってくれている。ハートのパワーおそるべし。

ここまで、書くと、中身の絵を見たい? そしたら買うの! いい、買うんだよ!
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