幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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HAPPY HOLIDAYS! May the Peace of the World Stay with us Through out coming Year 12月24日 (火)
gug
東京中野はおだやかな午後である。
ラボランドからは白いたよりがとどいている。
2013年もあと1週間になってしまった。
日本はどこにいこうというのか、ますます不明確になる年の瀬だ。
まるで舵をうしない海図も磁石もなく霧の海をさまよう船だ。
さらにその船の指揮をとる人物はきわめておそろしい嵐にむかおうとしている。
あたらしい海をみつけるべき若い水夫たちがものがいえなくなるかもしれない。
おなじSENCHOの名をもつ身としては恥ずかしいかぎりだ。

さらに南スーダンでは、おびただしい血が流される危機が報じられている。
祈ることしてかできない自分の無力をうらめしく思う。
この夏に司修先生にお会いしたとき
東日本大震災の後しばらくは、
先生ご自身が「なにかを学ぼう」「なにかを得よう」
「絵画を見に行こう」といった欲望が
ほとんどなくなってしまったとおっしゃった。
でも、そうしたせつなさと煩悶なかで、
アーティストとしてできることを模索し
「銀河鉄道の夜」の挿絵を制作することで
震災以降の日本とこれからの日本をとらえようとされている。
ぼくには司先生のような力はとてもない。
だができることはあるはずだと自分をなんとか叱咤して
前だけを見ようと思う。
大きな手術から来年で5年。
いわゆる5年生存率のハードルが近づいている・
「生かされている身」としてできることはあると思う。

そうするとやることはいくつか見えてくる。
こうしてへぼな日記を書いたり
ラボの発表会をみたり
これまでの自分の仕事をとらえかえしたりすることもそのひとつだ。

これまで何回も書いたが
組織を離れて時間がたつほどにラボは近づいてくる。
おそるべしラボ。
そして、ラボ教育活動の社会的意味はますます大きいことが
外の世界にいることでより明確になる。

この日記をおとずれたすべてのラボの仲間のみなさんは
ぜひ自信とほこりと愛をもって
来る年も輝いて活動していただきたい。
lbjuk
なんて、がらにもないことを書いたので
ここからはまたよしなしごとを書く。
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12月12日朝、快晴。気温は低いが幸い風がない。
ひさしぶりに中野駅にでて10時27分発の特別快速高尾行きにのった。
次の停車駅は三鷹。わずか7分の旅である。
三鷹駅の改札口ではすでに足利の「あんこ姫」こと
石川厚子テューターがおまちになっていた。
6月に足利をたずねて足利美術館でのブラティスラバ
ビエンナーレ絵本原画展や
国宝に指定された鑁阿寺(ばんなじ)を案内していただいて以来の再会である。

そのおかえしといってはなんだが、
石川さんが三鷹駅ほど近くのかわいいギャラリーで開催される
吉岡ゆうこさんの個展を観に行かれるというので、
それならごいっしょしましょうということになった。
さらに、ご長女がわが母校のICUに興味がおありということで、
ついでに大学にもお連れしましようということになったのだ。
ご長女はまだ中3で来年高校受験だが、3年間などあっという間である。

大学と同窓会にはいろいろとお世話になっているつごう上、
とにかく受験生を増やし、さらに知名度(首都圏以外の認知度は低いらしい)
をあげたいので、ことある機会に告知、紹介につとめているのだ。けなげだね。

しかし、待っていたのは石川さんおひとりである。
きけば「どうしてもはずせない補習がある」そうで、
ちょっとがっくし。
でも、じゃあ写真をしっかりとって伝えてくださいというと、
ちゃんとカメラをもってこられていたので「おお、やるきじゅうぶん」
と関心する。
大学にいくのは20日ぶりぐらいだが、
予想外に紅葉がまだ残っていてなにかうれしい。
ゆっくり散歩しつつご説明をしてキャフェテリアで昼食をとる。
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食事の後は学内の庭園、泰山荘をのぞいてから寮などをまわった。
するとちょうど吉岡ゆうこさんからメールが入り、
「14時過ぎにはうかがえそうです」とのこと。
時刻は13時近く。それじゃあ三鷹にむかいましょうということになった。
 じつは12日にうかがいますということはつたえていたのだが、
「仕事がかなりたてこんでいて、はやい時間に在廊するのはきびしい」
という連絡をいただいていて
「アーティストに無理をするなというのは無理ですが、
身体と弁当自分もちだからお大事に」という困惑させるような返信をし、
さらに「奇跡がおきたらお目にかかります」とダメをおしておいた。
それなのに無理をして時間をつくってくださったようだ。もうしわけない。
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13時30分にはくだんのギャラリーに到着し、
しばらく作品を拝見してから隣接するカフェで
お茶でも飲もうということになった。
ちょうどティータイムで店内はほぼ満席。大人気である。
アールグレイをいただきぼそぼそと話していると、
ついに吉岡さんが登場した。長身! 
ギャラリーに移動してお話をうかがう。

吉岡ゆうこさんは、フリーランスのアーティストであり、
基本的にはイラストレーターである。
まあ、生業をジャンルでくくるのはあまり意味がないとぼくは思っているが、
ご本人はそう自己紹介している。
ご自分のスタンスを明確にしている覚悟でもあるのだろう。

いまさらだからぶっちゃけるが、
吉岡ゆうこさんとは間接的に縁がある。
彼女はこの8年くらい東急百貨店のボスターをはじめとする
宣材のイラストを担当されていて、
もう百貨店のひとつの顔になっている。
ただ本の表紙絵などとは違い、
宣材の場合はイラストレーターの名前がクレジットされることは少ない。
いわゆる知名度の高いアーティストの作品を使用して
ブランドイメージのさらなるアップをねらうという戦略もあるが
まあまれである。

ぼくは渋谷の東急本店にこの数年はとてもよく行くので、
吉岡さんの洗練されたフォルムと色のおしゃれな作品はいつも目にしていた。
でも、ただのスタイルのよい女性が描かれただけの、
ことばはわるいが「使い捨てのイラスト」に終わらないなにか力強さ、
作者の魂みたいなものを感じていた。

もちろん宣材のイラストだから、
かなりクライアントにこまかい指定や注文をされているのだろうが、
描かされているのではない、
強さと覚悟と思いがあるような気がしてしてならなかった。
ただ、不覚にも作者はだれなのだろうと調べようとはしていなかった
(現役で制作をやっているときだったらきっと追求してただろう)。
しばらくして、
その作者が吉岡ゆうこという人だというお名前だけは知ったが…。

それが2年ほど前、たまたまラボの後輩の北倉くんが札幌に出張したときに
FBにアップされた写真に札幌東急のポスターがのっており、
コメントに「義妹の作品を発見」とあったのを見つけた。
えっと思っで検索するとFBのアカウントがあり、
たどっていくとぼくの想像があたっていた。

すなわち、もうおわかりだろゔが、
吉岡ゆうこさんの実姉である吉岡美詠子さんは、
ラボの事務局員であり、部署はいっしょになったことはないが、
さまざまな仕事や会議でお世話になったきわめて優秀な仕事人である。
とくに、ぼくが退職してからも何回か彼女のセクションからの依頼で
スポット的な手伝いをしている関係である。
ただ、吉岡美詠子さんはきわめておくゆかしい方なので、
「妹はかなり売れてるイラストレーターです」なんてことは
ぺらぺらっしゃらないから、
ぼくもむすびつけることはしなかったのだ。
で、吉岡美詠子さんは北倉夫人である。

彼らが名古屋勤務時代に結婚することを発表したらパニックになったときいたが…(笑)。
とにかく、Facebookで友人にしてもらいたいとは思ったが、
自分からリクエストをだして「あなたのお姉さんの先輩です」
というのもいやらしい。
そこで、旧知のアーティストで「ことばの宇宙」でおせわになった
佐藤豊彦さんに仲介をお願いするというまわりくどい作戦にでた。
すると、ものの2,3分で吉岡さんご本人からリクエストとメッセージがきた。
おそれおおいことである。
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今回の個展は下の写真にあるように
2014年のカレンダーを中心としたものである。
細長いプロポーションに12枚の月ごとのイラストが展開する。
ご自身で「仕事の多くは商業イラストだから、
クライアントの頭のなかの思いをどれだけかたちにできるか」と
さわやかにいいきられるところが、とってもいさぎよい。
だから、今回のカレンダーのように「リミットをはずした」作品は
ぎゃくになかなか終わりがなくて、楽しいけどたいへんなような気がする。

吉岡さんは笑いながら、
「うけおった仕事でも、結局描きたいものしか描かないんだと思います」
「基本的には自分の妄想」とすずしげにおっしゃる。
でもその一方で「『つるのおんがえし』ではないけれど、
自分の身体をすこずつむしっているような感じ」と、
「ものをつくる人間」の宿命的な重さと孤独も語られた。

ブロとしてのスタンスをきっちりとりながら、
一方でアーティストとしての矜持を「見せびらかさずに」
たもっているのはなかなかできない。
ものづくりのはじっこにいた人間としては、
そのことだけでもリスペクトとしなければならないと感じた。

「平和へのメッセージをこめた作品」とか
「だれかの癒しになれば」という「~のために」的な制作は、
あるときはただしいのかも知れないが、
ぼくは基本的には信じていない。
表現作品はすべからく「自分のため」なのだと思う。
かつて相米慎二監督が
「多くの人の心に一生のこるような作品をつくろうという強い意志がなければ、
映画を撮る意味などない。
でも、人の心にはいっていこうなどというのは
とても傲慢で恐ろしいことだ。
だが、だがしかし、そのくらいに思ってむかわざるを得ない、
せつないまでの泣きたいほどの作品へのきもち、
それを共有できるかどうかが映画人だ」といわれた。
 
そう、どこかにだれかに伝えたいなにかを心の奥にだきしめて、
「自分のために」自分の妄想を色やフォルムや文や
ことばや音にしていくのがクリエイターであり、
それはとんでもない道なのだ。
そんな重たいことをかってに感じている横で、
吉岡さんはイラストのようにかろやかだった。
次の予定があるので15時前にギヤラリーをでたが、
吉岡さんはわざわざ外まで見送ってくださった。
すると、一瞬の師走の三鷹の通りが
まるでシャンゼリゼのようになった。
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つきば自慢話。
『なよたけのがくやひめ』『チピヤクカムイ』『鮫どんとキジムナー』
『かさじぞう』『ももたろう』などのラボ・ライブラリーの絵の作者であり、
勇壮かつ緻密、愛とエネルギーに満ちた版画や水墨で世界的に活躍する
本多豊國画伯による手づくりのiPhone5用ケースが届いた。

ほとんど「和」の素材でつくられたケースは、
龍やまねき猫などの数点で、どれも世界にひとつだけの一点もの。
それらを本多先生は製作の途中からFBを通じて
Yahooのオークションに出品すると告知されていた。
で、ねらっていたのだが、
ありがたいことに本来なら数万円でもおかしくないのに、
とてもリーズナブルな設定価格で出品していいだいた。
ぼくは、ひとめでこの「富士山とUFO」が気に入り、
スタートと同時に初期価格の約1.5倍まで自動入札した。
そして、どきどきまつこと一週間。昨夜、なんと設定の価格で落札できた。
即座に決済して連絡したら、もう翌日とどいてしまった。
さっそくうれしがって装着。本多先生ありがとうです!
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j;j;;
12月21日、22日と岐阜と名古屋にいく仕事があり、
ひさしぶりに小さな旅にでた。
で、21日は岐阜どまりだったのだが多少時間があったので
先月、刈谷の支部発表会で『はだかのダルシン』を発表された
近藤智子パーティのクリスマス会にちょっとだけ飛び入りした。
ずうずうしくも、お母様方のおいしいポットラックをいただき
昼食代をうかしてしまった。
少しだけ、子どもたちやご父母とテーマ活動の話やライブラリーの話をした。
刈谷での会場では立ち話だけだったので楽しかった。
短い時間だったが、けっこうするどい質問がきたりしてあせった。
なんだかんだで、ラボの子どもたちからエネルギーをもらった。
子どもから学ぶことはほんとうに大きい・
その点だけとってもテューターという活動はすばらしいと思う。
ランチとパワーをもらってなにもおみやげなしという
迷惑な闖入者であいる。
bkb
で、ラボには無縁なようだが、体罰のことを書く。

土曜日は全国高校駅伝があった。
ある強豪校のコーチが体罰をくりかえしていたことが事前にわかり
大きくとりあげられた。
コーチは処分されるかたちになったが、
選手に責任はないということでその学校は参加を認められた。
一方、ある強豪校のコーチである教師も過去に体罰をくりかえしたことで、
生徒と両親が学校に対処をもとめ、
結果として学校も教師も体罰の事実を認め教師は辞職した。
しかし、その教師は私塾をひらき自費で選手たちの指導を今年も行なっている。
というニュース特集がCXで流れた。
宮根氏が司会みたいなこと(キャスターとかMCとか呼びたくない!)
をしている番組である。

観た方も多いと思うのではしょって書くが、
その学校の陸上部の選手の約三分の二が
この元教師が運営する私塾に入り寮生活をしながら練習し、
その寮から学校に通っている。
もちろん元教師は生活の指導もしているし、
夫人が食事をすべてつくっている。それはすごい努力である。
さすがにもう体罰はしていないが、
とうぜんにも指導はきびしい。
だが、かつて就任後わずかな期間で全国制覇をなしとげるまでの
駅伝強豪校に育て上げた実績を慕って
生徒たちはこの私塾に参加している。
教師を辞職したとき、コーチとしての復活をもとめる署名が
なんと3万名分もあつまったという。

一方で12名の選手はこの私塾にははいっていない。
また、体罰をうけて身体も心も傷ついた生徒とその関係者は釈然としていない。
おどろいたのは、
教育委員会は「私塾としてやっているクラブということだから、
そこへの参加に問題はない」と説明し、
学校も「私塾に生徒が陸上を習いにいくことを、
いいとかわるいという立場ににない」と、なんとなく他人事であったことだ。

まあ突っ込みどころだらけではあるが、
まず気になったのは「私塾派とそうじゃない派」という分裂した部にあって、
代表の選手をだれがどうやってきめているのだろうかということだ。
単純に記録で選んでいるのだろうか。
ものすごい違和感である。部としてのあり方としてへんてこりんである。
 
番組では宮本亜門氏と
もうひとりのどうでもいい若手評論家がコメントしていた。
宮本氏は「演出家が、できない役者に感情をむきだしてしまえば、
いい舞台にはならない。ぼくもキレそうになることは人間だからあるけど、
ぐっとのみこんでからことばをだす」といったのが印象的だった。
それはインタビューをうけていた元教師(よくうけたと思うが)が途中で、
私塾をすることへの批判があることに対してどう思うかという質問に、
感情的になったことをさしていたのだが…。

その後の宮根のまとめももうなげやりで、
とても消化不良になった。
とくに羽生選手の超人的な演技のあとだったのでがっくしである。

で、ここではっきりさせたいが、
ぼくは教育の現場における「体罰」という言語そのものを否定する。
罰、すなわちPunishmentは、罪に対して発生する懲戒行為だからだ。

そして授業でも部活動でも、教育という現場において生徒、
児童の行為を教育者が「罪」として裁くことはありえない。
授業中さわごうが、部活動をさぼろうが、
それは教育プログラムのなかでおこったことであり、罪ではけしてない。

仮に傷害事件のように
「保護」の範囲をこえた社会的刑事的な罪をおかしたとしても、
教育にたずさわるものはそれを「罪」として裁くことはできない。
子どもたちを裁いた瞬間に自らが裁かれていることを
教育に関わるものは覚悟しなければならない。

罪でない以上、罰はありえない。だから「体罰」ということばは、
暴力をいいかえたにすぎない。
ただ、スキンシップと暴力の境目がむずかしいこともある。
ほんとうにかるく平手で頭をポンとさわったのをなんとよぶのか。
しかし、そのあたりまでナーバスになる時代であることもたしかだ。

ともあれ抑制されていない感情で指導をすることはあかん。
そして指導ということばもぼくはだいきらいだ。

教育、educationの語源は 
ラテン語のeducatio = e-(=out)+doctus = 子供の資質を引き出す行為であり、
癒しでもあるのだ


さきほど吉岡ゆうこさんのところで
ものをつくる人の孤独と誇りについてふれたが
その意味ではテューターは仲間がいてもじつは孤独な作業だ。
だからこそ激励が必要だと思う。
テューターはだれもが
「ひとりのひととりのラボっ子の人生に幸あれ」という
愛と慈しみの心でパーティと
そしてラボっ子にむきあっていると思う。
でも、子どもの人生に関わるというのは、
さきほども書いたように
じつは「かなり傲慢でおそろしいと」だともいえる。
ぼくも、「ひとりでも多くのラボっ子の心にとどく作品を」という思いで
制作に携わってきたが
それもまた「子どもの心に入っていこうなどという、
傲慢でおそろしいこと」だ。

でも、そういう強い思い、
泣きたいほどのせつないまでのラボっ子たちへの思い
ぼくの立場でいえば作品への思いにうそをつくことはできない。

ぼくがテューターの孤独さ。
それは誇りでもありきびしさでもあるわけだが
ほんの一部だけど理解できる気がしているのはこうした点だ。

まもなくウィンターキャンプだ。
それはしめくくりの活動でもあり、
新しい年の活動のはじまりでもある。
ひとつの物語のおわりが
あたらしい物語のはじまりだあるように。

よき新年を!
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