幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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2017年 今年もやっばり物語だぜ! ことばがわしらの未来もつくるのだ 01月01日 ()
あけましておめでとうございます​。
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2017年が始まった。
毎年、どうしようかと思うのだが、
やはり継続は力なり、であり、
小さな積み重ねが遠くに行く唯一の方法という
イチロー選手のことばに学び、
一人でも読者がいるかぎり、
ラボ・カレンダーの絵の感想を書いていこうと思う。

なんども書いたことたが、
これはけして批評や評価ではなく、
あくまでも私的な感想である。
いやそれよりも作品を描いてくれた子どもへの
ありがとうのきもちが強い。

ラボ・カレンダーの絵を描こうという活動は
開始から32年になる。
描画を子どもの表現の一つとらえ、
それをひたすら激励するというシンプルな思いが
そのきっかけであり、
今もそれは不変であると思う。
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描画活動そのものはラボ教育プログラムに
明確に位置付けられているわけではない。
ただ子どもたちはラボの物語や歌と睦み合うなかで
自然にノートや紙にその喜びを描く。
それらは絵であったり文であったり、
ときには両方であったりする。
描きなさいと「指導」される我ではないのに描く。
それは極めて自然なoutput。

ラボ教育の基本的スタンスのひとつは
「ひとりの子どもが物語との関係から生み出す
あらゆる表現を受けとめ、認め、激励する」
ことである。
これは数値化可能な形で評価をしなければならない
公教育教科ではなかなかできないことだ。

ラボ教育のなかで描画の意味が明文化
されているわけではないと書いたが、
ぼく自身も子どもと絵の関係を理解しているわけではない。
しかし、以下のようなことを私的には想像する。
好きな物語を描くことで自分のものにしたい。
ラボ・テューターや両親などのたいせつな人と
喜びをわかちあいたい。
物語から受けた心のふるえや余韻は言語化しにくいから絵にする。
でも、それはことばが育っている証ではないか。
ハートの筋トレ。

まだまだあるが、これらのことはぼくのこじつけ、
あるいは単なる妄想かもしれない。
本当のところは発達心理や児童心理の先生にお任せだが、
子どもはそのことを否定されない限り
基本的には「絵を描くことが好き」なことはまちがいない。
泣くこと、笑うこと同様に自然なoutputだからだ。

32年間、職員時代からずっと子どもたちの絵を見てきたが、
なにひとつクリアになってはいない。
ただひたすら子どもたちとoutputに感動してきただけだ。
でも子どもと絵の関係から学ぶことは多い。

日本の印刷技術は世界でもトップレヴェル、
いや世界一といいきっていいが、
印刷した絵と原画では色合いもタッチも変わる。
でも印刷することで絵は広い世界に出て行くことができる。

ひとりのラボっ子が描いた絵が
日本じゅうのラボっ子の家の壁をかざる。
海を越えて外国の友の部屋もかざる。
すてきなことではないか。
そしてなにより描画活動の激励ではないか。

ラボっ子が絵を描くのはほとんどが自宅である。
ラボ・パーティの時間内に描くことは稀だ。
だからこそ、カレンダーの絵のように
でっかいサイズの絵を全力で描くような企画を立ち上げ、
「描画祭り」で盛りあげようじゃないかというわけだ。

しかし、この活動も子どもたちに支持されなければ成立しない。
応募される作品がなければ始まらない。
子どもたちは偽物を見抜く。
おとなの計算づくの企みを看破する。

32年間も毎年300枚の絵が送られてくることは
子どもたちに認められているということだ。
そのなかにテーマとなった物語について
思い出すことなども触れられればと思っているのだ。

前置きがながくなったが、
年のはじめなので根っこのぶぶんを描きたかったのだ。

さて2017年の年頭を飾る絵は
レオ・レオニの名作『フレデリック』
Fredrickに題材をもとめた作品だ。
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描いてくれたのは
常山咲織さん(小2/上尾市。生形P)。
暗い話題が多かった2016年を
明るく飛ばしてくれたね。

めくった瞬間、部屋か明るくなり心にも光が射しこんだ。
原作の絵本はどちらかという抑制した色調で
色数もそれほど多くない。

だが見よ! 咲織さんの色を。
いったい何色使われているのだろう。
ざっと数えてみたが、黒も含めて少なくとも10色はある。

おそらくは細字と中字のマーカーかサインペンで輪郭をとり、
色鉛筆かクーピーペンで彩色したのだと思う。
こうした方法は輪郭という「線」にこだわり過ぎると
「塗り絵」になってしまい、
躍動感がなくなり、線によって世界が分断されてしまいがちだ。

しかし、咲織さんはそんな定石も吹っ飛ばしてしまった。
それはなにより線の迷いがなく、
すっと描かれていること、
中心のフレデリック以外は比較的細い線であること、
ほとんど隙間なく、仲間のノネズミをはじめとして
さまざまな物を描き混んでいることで世界を構成していること、
などずそのパワーの根拠だ。

さらに細かくいうと、
フレデリックをどまんなかよりやや右におき、
左にバランスをとるようにインパクトの強い物を描いている。。
これで奥行きが出ているので、塗り絵ではけしてない。
また、咲織さんの線は自由な曲線でほとんど構成されているが、
(直線もあるが直線も曲線の一種にしている!
これは幾何の基本)
じっとさんぷん以上眺めているとわかるのだが、
ふしぎなリズムがあって、
それぞれがバウンドしているような楽しい動きがある。
こういうことはばっとみただけではわからない。

絵にかぎらず子どもの表現をその場だけで
簡単に判断したり評価することがいかに危険で
子どもにとって災いであるか、
改めて自戒を込めて思うのだ。
ます受けとめて「やったこと」という事実を肯定したい。

さて、もっとおどろくべきは、ていねいな彩色だ。
とにかくこれだけの面積を水彩絵の具ではなく
色鉛筆などで色をつけていくのは大変なことである。
体力も気力も根気も必要だ。
8歳という年齢から考えるととんでもないこと。
背景の青なんか、もうすごいの一言。

フレデリックのカラフルさはいうまでもなく楽しいし、
とんでもない発想だ。
絵本では灰色のフレデリックをこんな色彩にしようと思った
咲織さんのとこの物語の関係わら知りたいものだ。

これは、ぼくの勝手な想像だが、
これまさに「色や光やことば」を集めたフレデリックを
表したのではないだろうか。
それともオシャレにしてあげかっただけかな。

さらにすごいのは、
フレデリック以外の物もすべてが
細かく色を変えて描かれていることだ。
それも同系色の濃淡や補色もあるから驚く。
やはり今の子どもたちは
ぼくの子ども時代とは比較にならない色数を見ているし、
かつてならありえないcollar coordinationのも
今はぎゃくにオシャレだ。
音楽も、バッハの時代では許されない和声も
ベートーベンが、シェーンベルグが、
ジョン・ケージが革新してきたように。
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そして!
フレデリックの勇気と誇りに満ちた顔!
『だいじょうぶ。
きみはきみらしくあればいいんだ」
と激励し
「難しそうな顔は簡単。
たいへんなことはわかってる。
前を向けよ」
と叱咤している。

そして、今思ったのだが、
咲織さんは、ひとつひとつの色ら
何か特別な思いをこめていたのではないだろうか。
それはことばにすれば
「希望」とか「成長」とか「憧れ」とか「勇気」
といったものではないか。

そうだ。
確かに年齢に関わらず、
自分らしくあることが困難な
息苦しい時代ではある。
なんども書くが、
自分らしくあることは、他者の個性も認めることだ。
ここから出発しないかぎり、
人類の持続可能性は高まらない。

以下は過去の文と重複するが
大事なので少し変えて描いておく。

レオニの絵本はだれにも楽しめる一方で
人間の尊厳や存在に関わるテーマをやわらかに提出してもいる。
「あるがままを愛する」「自分の心に自由に生きる」。
それらのことは口でいうのは簡単だが、
なかなか社会はゆるさない。
フレデリックのような孤独、
孤立もまた表現者のたいせつな資質である。

この物語はまた、「ことばの力」が大きなテーマである。
そのことばの力はけして楽観できる状況ではない。
20世紀以降、現実がフィクションをこえてしまう
劇的なシーンをつくりだすため、
現実や世界をことばで支えることが難しい時代が続いている。

レオニはこの物語ではさらに
「ことばの力」が生み出す「絶望を希望にかえる力」
「命を活性化する力」を描きたかったのだろう。
彼はオランダで生まれ、
イタリアに住んだがファシスト政権から逃れて
アメリカに亡命する。

そのおだやかな画風からは想像ができない
きびしい人生をあゆんだ人だ。
そんな背景をもつからこそ、
「ことばの力」「ことばをつくるたいせつさ」
「ことばをつむぐものの孤独」を
おだやかにしかし強く表現したかったのだろう。
レオニの思いは世界中にうけつがれ、
日本の子どもたちに、
そして咲織坂にももまちがいなく届いたのだ。

2017年、とりあえず前へ!
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