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発表会が終わったあと、いつも落ち込む原因は? |
05月02日 (月) |
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15周年記念発表直後の実行委員会、私が会場への支払いを終えて、ミーティング場所にいくと、なんか重いといってもいい静かな空気。決してはしゃいでない。
実行委員の子達は肌で感じていたのか、十分ではなかったことを。
テューターは、過去の発表会で何十回も、終了後「この発表でよかったんだろうか。」と落ち込み気味に自問自答する機会を持ち、そのたび一人ひとりのよかったところ、成長したところを確認して、成果と課題をみつけて次にすすんできた。
その習慣があるので、今回も同じようなことをして、よかったところを見つけ、そちらに焦点をあてて反省会にも臨もうとしていた。
最高学年が中学生、やっと高校生のときはそれで済んでいても、今回は、実行委員の中から、「納得できないところがある。」という反省があがってきた。
特にピーターパンについて。
テーマ決定時の予想どおり、本当は小さい子全員くらいピーターになりたいし、戦いの場面がクローズアップされすぎの展開で練習は一月に幕をあけた。
テーマは?と、実際の子供に話を聞いてみても、大人になりたくないなんてあまり感じてない。大人と子供のやることをあげてみても、意外と「大人はすごい」なんて感心しちゃってたり。
今の子は、子供としての存在を尊重される環境にいるせいか、または子供なのに野山をかけまわるというより、時間管理の生活になれているせいか、大人になることに抵抗がないのか・・・。
でも、「海賊役はやりたくない」と小学生以下全員拒否したように、あの姿はキライなんだ。
今回は、小さい子の意見をひろって動きを作るのが大きい子の課題。
その意図に少しずれが生じてくるなか、合同練習はとても良い影響を小学生以下に与えた。
自分が好きな話 それを大きい子たちとやること それだけで本当に幼児も含め小学生以下の気持ちが盛り上がり、素直に動きについてきた。
たぶん、小さい子が自覚的に楽しむ場面は戦いであっても、意識下で感じているもの、フックの血の色だったり、時計の音 ワニの存在は、大きい子が枠組みを作った動きのなかで、十分に納得して育っていたと思う。
感想にも、「大きい子が支えてくれるなかで、小さい子が十分に楽しめて力を出せている」というのもあったので、それはとても良かった点だし、いかにもラボらしいところ。
数回の合同練習の二時間半のなか、早くにセリフ、ナレをいれてきた中高大生の英語がとびかうのは、本当に小さい子にとっては母語的な体験となりえていたのも優れた環境として感動的。
時計が暗示するもの 大人と子供、誕生と死、時間軸のとり方等、中高生クラスで山のように話し合ったことは、当日の動きにきびきびと反映できていたとは言いがたい。
思いはあっても、結局、見てもらう発表そのものが中途半端に終わってしまったことが、あのすっきりしない発表後につながったと思う。
課題は、みんな忙しかったこと、急遽記念発表会をすることに決めたので、準備会等が間に合わなかったこと。
自分たちで、いつまでにどこまでやれば良かったのか、子供たちの誰も、経験がないのでわかっていなかったこと。
創作劇をやったことや、踊りにこだわったことで、ますますピーターの完成度が下がったことも反省にあがっていたけれど、私は、創作劇は結局、みんなの成長に大きくつながったので、そこはやらないよりやったほうがずっと良かったと思う。
課題を、次に生かす!今までもわたしが一人でやってきたこと、それを今回からは、中高大生ときちんとやって、成長につなげよう!
ここまで考えれば、落ち込みから少し立ち直れるのです。
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