幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧こども・子育て・教育ランダム新規登録戻る 0090519
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
サンシャインの日記
サンシャインの日記 [全21件] 1件~10件 表示 次の10件 >>
2004/8/26 愛するラボッ子・・ひとり立ちへの旅から生還 3 08月31日 (火)
2004年の北米交流、オレゴンキャンプ、オーストラリア交流・・全ての参加者が、無事全員帰国した。毎年国際交流に出しているけれど、今年は特に全員が無事に帰国できた事が感慨深く感じた。1年留学はもちろん、一ヶ月間のホームステイやキャンプを終えて無事な姿でご両親の元にお返しするまで、本当に気を抜く事ができず、心底安心して眠る事ができないというのは、今までもずっと思ってきたことである。しかし今年ほど強く思ったことはなかった。
ホームステイや留学では、あってはならないことが不可抗力で起き得ることがある・・このことは、以前からわかっていたつもりだったが、今回それはあくまでわかったつもりであり、全くわかっていなかったのだという事を認識した。
Y君のホームステイ先での転落事故・・最初に知らせを受けたとき、必死で冷静であろうとしつつも、身体が震えるのを抑える事ができなかった。
結果的には、Host Dad が偶然にも救急隊員であったことで、彼は最善の救急医療処置を事故後寸時に受ける事ができるという奇跡的な幸運に恵まれ、救急ヘリコプターで運ばれるほどの急を要する状態だったにもかかわらず、医者も驚くほどの奇跡的な回復力を発揮し、その結果、通常の予定通りに帰国できた。しかも、飛行機から降りてきた彼は、さわやかな笑顔でユタに戻りたいといった・・・こうやって無事に帰って来る事ができた陰には、素晴しいご家族の姿勢があった。Y君の家族は、事故にあった我が子のことを心配して涙しながらも、あくまでも冷静に状況の変化を捉え、献身的に看護してくれたホストファミリーや、つぶさにユタから連絡をいれて適切な対処をしてくれたラボのスタッフ、ユタ州でY君に関わってくれた全ての人々に対して、感謝の気持を持ち続けてくださった。本当に頭の下がる思いである・・しかも落ち込んでいる私の事までを気にかけてくださった・・・表面では笑顔で良い人の振りをしていても、何かことがあるとその途端に心の奥にすごんでいる本性をむき出しにして、怒りをあらわにする人が多い昨今、ホストファミリーとこのご家族の素晴しさにひたすら手を合わせて感謝したい気持ちであった。一生涯このことは私にとって忘れる事はできないだろう。
また、このことを通して、ラボという組織がいかに誠意をもって危機的状況に対して最善の対処してくれるかということを改めて知ることができた。ホームステイは旅行とは異なる。あくまでも交流を目的にした活動である限り、家の中で閉じこもっているのとは訳が違う。ホストファミリーに車にも乗せてもらうだろうし、いろいろなところにも連れて行ってもらうだろう。日本にいても、外を歩く限りは、何が起きるかわからないものである。事故と言うのはそういうものである。ただ何かが起きたとき最善の対処がなされるのとなされないのとでは、生死を分けるほどの違いが出てくる。
Y君の事故は、私の人生にとって、ラボをする上で大きな転機になりそうである。Y君を見守り、祈ってくださった全ての人に感謝します。そしてY君のご家族と彼自身の人間的な素晴しさこそが、彼の命を救おうとするパワーの源だと思う。なんだか神様の存在や仏様のありがたさを信じる事ができると実感した2004年の夏だった。
2004/8/1 娘の生き方・・しみじみ感じる 2 08月18日 (水)
このHPのOB知美のネブラスカ便り・・久し振りに見た。
大山キャンプからの帰り、台風で四国に帰れず、広島の八木パーティのご親切で、18人がホームステイで一泊させて戴き、やっと今日家にたどり着いた。山ほどたまったE-メールチェックを終え、何気なく見た『知美のネブラスカ日記』・・・
読みながら不思議な感動に包まれてた。夏という季節は、ラボッコにとっていろんな意味でのひとり立ちの季節だ。今回大山に連れて行った8人も初めてのキャンプ体験で、御両親はさぞしんぱいだったことだろう。おまけに台風で船もでず橋も渡れず・・よそ様のお宅にホームステイを余儀なくされ、いやおうなしに小さな自立の体験をしてしまった。親にとっても・・そして幼くあどけない彼らにとっても、彼らなりの不安が少なからずあり、大きな勇気が必要だったと思う。・・・私の産んだ子供達にも、初めての自立体験が確かにあった。そして、今すっかり自立してしまった彼らを誇らしくいとおしく思う。親として・・彼らへの関わり方を無意識に変化させていた事を知美の日記から感じた。なぜか胸が震えるほどうれしかった。
適度なウィットも交えながら書かれた知美の日記をみんなにも読んでもらいたい。標葉パーティのOBが今、自分の生き方をどう考えて生きているか知ってもらいたいから・・・

≪知美の日記の抜粋≫

『チョコバーと生き方の選択』  

起きたらお昼だった・・・。

日本の友達とメールのやり取りをしていて考えてた。

私たちのくらしは、日々選択のくりかえし。
親元をはなれれば、何をするのにも自分で選ばないといけない。選ぶのは自分自身。そーやって人生は作っていくんだって思う。17才の時家をはなれてから、うちの親は私の「管理者」でなくサポーターになった。だからいつも選択権と責任は自分にあった。ある意味"恵まれて"いるのかもしれないけどそのかわりプレッシャーもすごいあった。

人生は与えられたものを一生懸命生きているのか、それとも自分で選んだものをいきているのか・・・あるいは、そのどちらもなのだろう。

でもどっちにしても場面場面で、どの道を行くかを選んできたのはやっぱり私自身だから、自分の人生を否定はしたくない。他の人に批判されても、自分だけは自分を肯定していたい。
自分を信じるっていうのはそういうことなんだと思う。それがけっこう難しいし時間もかかるのだけれど・・。

ぼんやり考えていると、お腹が減った。カフェオレ飲みたかったけど牛乳がなかった。あと蛍光ペンが切れてもいたので買い物に出かけた。

Fat Freeのチョコクッキーアイスバーを買ってしまった・・・。

そして、2個で$1.20のチョコバーをかえりにおもわずカゴに入れてしまった。

部屋に帰ってカロリーチェックしたら一個につき280KCalもあった。恐ろしい。
でも、これを買ったのも私の選択・・・。人生、正しい選択をするのはつくづく難しい。

食べるか食べないかも・・・。んー。悩むところ。
やり遂げた壮行会、ゴロヒゲ平左衛門ノミの仇討ちの結末は? 1 06月10日 (木)
2004/6/9 2004年四国支部壮行会前日・・国内交流委員と言う立場で、高校生シニアメイトと共に壮行会実行委員合宿で豊浜に行った。
6日の壮行会で激励発表する『ゴロヒゲ』は、この合宿に土曜日には出発するために、金曜日に幼稚園の講堂をお借りして最終練習をしていた。最終練習でも際限のないほどいくらでも改善点自体は見つかったのだが、なぜかもうすっかり安心していた。というのも、この一ヶ月間、悩み苦しみ葛藤し、眠れない日々が続いたけど、日に日に絶対成功させたいというみんなの思いが一つになっており、この日はなんともいえないすがすがしい気持ちになっていた。形を改善するのではなく、最も伝えたい事、表現したい気持を互いに確認しさえすれば、後はみんながおもいっきり楽しんで発表できること・・それが一番大切なことだと願っていた。
前日から泊りがけで作った実行委員パフォーマンスは、シニア養成合宿でみんなで作ったティームワークがばっちり機能して、様々なアイデアが出た。ストップモーション国際交流体験スキットは相当笑いが取れたよね。会場係りや駐車場係り・・など其々の役割分担の運営をスムーズに進行するためにもみんなが一生懸命だった。誰一人として、人事に感じているメンバーはいなかったと思う。そして湧き出てくるアイデアを実現するには努力が必要だった。BGMを各プログラムでかけるのも素適だったけど、選曲と編集には相当時間もかかった・・なぜこんなに必死になれたんだろうかと思うほど・・それはみんなが自分達のこのメンバーでしかできない満足の行く壮行会をみんなの力で作りたいと思ったからだと思う。ほんと、実行委員よくがんばったよ!最高だったよね。
そしていよいよ当日、指示を仰ぐ必要もないほど、てきぱきと自発的に動く様子は、まるでプロの動きだった。Mテューターは、標葉パーティのファミキャンにも来てくださっていたから、どうも標葉の男の子達に眼が行ってたらしいよ・・『もうみんなほんとによく育っていて、かっこよすぎてまぶしいくらいだったよ。壮行会もファミキャンも自分達の力で良いものにしようという意気込みで、なんか勝負かけてるよね・・それがすっごくまぶしく素適にみえたよ』なんて言って下さった。うれしいよねぇ・・・やっぱ、仕事のできる男はまぶしいんよ。顔に自覚ができてきたときって、なんだか男前に見えてくるよね。私が無意識で、『女も男も男前になれよ・・』ってなんとなく言ってたのはこういうことやったんや!ゴロヒゲの発表に関しても、この発表を支え、小学生が楽しんで練習できるように工夫し、中学生たちの心のケアをしてくれたのは高校生だった。一人づつの中学生に2,3にんが相談相手になって、表現したい事を引き出す手助けをしてくれていた。その情景は、とてつもなく暖かく、まさに『一人はみんなの為に、みんなは一人の為に』の言葉通り!せりふを言う人だけが主役じゃなく、みんなが其々の役を担い、その役目を精一杯、主になって果たそうする・・これこそが『主役』である。
だから誰一人として脇役もいないし、背景もない!壁もノミもみんな主役!そういえば壮行会実行委員も、みんな主役だったよね。
・・・・そして日曜日6月6日、激励発表では、本当に目指してきたものが実現した。小学生から大学生まで、60人近くの仲間全員が、主役だった。そして誰一人として人事でやっている子はいなかったし、一人一人が誰ひとりかけてはできないかけがえのない存在だった。
あっという間に感じるほど、楽しい発表ができて、最高の自己満足作品がまた生れたね。
ファミキャンからたった1ヶ月で時間がないことや、小学生、中学生、高大生の気持のずれが生じた事とか、思っても見なかった障害を解決するのに時間をかけてしまって戸惑い苦しんだテューターだったけど、人間関係&信頼関係作りが実現し、ティームワークが生まれ、自発的に楽しいテーマ活動にしたいという意欲がわいてきたとき、そこにおおきなゴロヒゲの世界が実現した。
今回、壮行会の激励表現の紹介パンフを作るに当たって、みんなが思い浮かべた言葉は『江戸時代にタイムスリップ!』だった。
当日、ほんとにみんなで江戸時代にタイムスリップできたよね!
最高の自己満・・万歳!
OB淳君に理学療法してもらって、なんだかほのぼの幸せな日! 05月29日 ()
2004/5/29  ゴロヒゲの事を、寝てもさめても考えている今日この頃…スプリングキャンプに行ったころから、日に日にひどくなってる頸肩腕症候群とやらの痛みが、最近、耐えられないほどになってきているのも眠れない原因の一つかもしれない。特に夜中になると、まるで肩から指先まで鉄の重しを載せたようにつらく、朝方はもうむくんで指が曲がらない始末…。一日も早く病院に行くように、息子に口うるさく言われていたものの、時間が作れない事を理由にほったらかしていた。これがもっとひどくなったら、壮行会の激励発表にも差障りがでると、今日思い切ってラボッコOBの淳くんの渡辺整形外科に行った。なんと彼に会うのは10年ぶり?いやそれ以上か?健康保険を窓口で出すと、お母さんも会いに来て下さり、余りの懐かしさにHUGしてしまった。お父さんに診察してもらいながらも照れくさいやら懐かしいやら…そして私の第1号ラボッ子淳君に理学療法をほどこしてもらいながら、昔話に花が咲いた。他人行儀な丁寧語から、だんだんと昔のままの話し方になるにはそう時間はかからなかった。小学生からずっと見てきたあの淳君が、私の痛む肩から腕に薬を塗ってくれたり電気を当ててくれたり…あ~なんだかすっごく幸せな時間・・身体の痛みと同時に心まで癒されたよ。ラボッ子にこうやって助けてもらう日が来るなんて・・夢みたい!淳君のお父さんには、二男の譲が腕を骨折して上腕が壊死しかけてあわや切断か・・という時に危機一発で助けてもらい、お陰で今両腕がついている。今から19?20年?も前のことなのに、しっかりと昨日の事のように覚えて下さっていた淳君のお父さんにもう感激。譲の命の恩人と言っても過言ではないもの・・。しかも今日は淳君に私の腕の上にのしかかっている鉄の重りを優しく取り除いてもらえて・・ほんの1時間ほどの時間が、たまらなく幸せな時間だった。こんな風に、大人になったラボッ子に会うたびに、今日のような幸せなひと時が訪れるのかと思うと、どんなにくじけそうになってもやっぱがんばるぞ!って勇気が出たよ。淳君と『ゴロヒゲ』の発表は全然関係ないけど、なんだかちょっと元気が出たよ・・ありがとう!!
2004/5ドンキホーテキャンプが幕を閉じました・・ 1 05月25日 (火)
2004/5/2 ドンキホーテキャンプが幕を閉じました・・
標葉パーティファミリーキャンプは、たった一泊二日なのにラボッコがグ~ンと驚異的に成長する標葉パーティ最大イベントである。第9期のメンバーにとっての卒業制作キャンプである「ドンキホーテキャンプ」は、16年目を迎える標葉パーティにとって、なにか暗示的なほど衝撃的だった。毎年、「如何に新しいことに挑戦するか」と、常に新しいキャンプを目指して、それぞれの時代を担う最上級生達が、アイデアを駆使して作り上げるファミキャン・・・毎年積み重ねてきた「年毎に新しいファミキャン」だが、今年は何か特別なものだった気がする。まずは参加者人数が初めて200人(216人)を超えたということ。その要因の一つに、他パーティからの参加が挙げられる。埼玉から1人、九州から10人、徳島から10人と、テューターがラボッ子を連れてきてくれ、将に全国対応キャンプだった。2001年に初めて出したスプリングキャンプでのテーマ活動発表(ロミジュリと平 知盛)そして2003年には「ドリトル」と「耳なし芳一」、そして今年2004年に出した「ドンキホーテ」・・・・これらのテーマ活動こそが、紛れもなく今年のファミキャンに各地から人を引き寄せた原因であることは明白である。テーマ活動は人との出会いを生む・・・そういえば、しんただってスプリングキャンプでロミジュリや知盛を見たことがうちのパーティにくるきっかけの一つだった。そうやってテーマ活動が人を引き付け、新たな出会いを作ってきた。
16年間の歴史・・テーマ活動の変遷・・ラボっ子の成長・・それら全てがたった一泊二日に込められ、参加した人たちに「今、ここにある、これこそがまぎれもなく今の標葉パーティだぞ!」って胸をはって見せていたように感じた。
 今年のドンキホーテキャンプの特徴はといえば、なんといっても・・何から言ってよいのかわからないほど新たなこと満載のキャンプだったってこと。
まず会場が初体験の野外活動センターだったこと。今まで何年も慣れ親しんでいた北条SCは、さすがに会場の使い方を熟知していた事もあって、プログラムを作る際に様々な事が前もって予測できたが、今年は、実行委員が、野外活動センターを前もって下見し、用意周到にしていたものの、実際に経験しなければ全くわからないことが多く、まるで賭けをするように「ええぃっ!」と決断する必要があった。それでも、初めてにしてはかなり適切な判断ができていたと思う。
そして何より、初めての参加者200人以上の大規模キャンプだったこと。なのに整然とプログラムは進み、水谷テューターのことばを借りれば、高校生実行委員が、父母会の役員さんが、参加ラボッ子が、見守るお父さんお母さんが・・・全ての人々が、組織的にしっかり機能している「WELL―ORGANIZED CAMP」であった。だからこそ、200人以上になっても、何一つパニックになることなく進行していった気がする。すごいよね~!どうしてこんなにすっごく組織化出来ちゃったんだろう・・・。
終わってから気付いたんだけど、このキャンプでは、初めて3つのパラレルワールドが同時進行していること(終わってから気付くなんてちょっと情けないね・・)多分この状態こそが『組織的』なのだろうね。気付かずやっていることの多い事!いや・・高校生はきづいていたのだろうか???  もうテューターよりも、何倍も彼らはすごいです。
おはなしワークショップの5つのブースもファシリテーターのみんなは小学生用、中学生用、大人用と3バージョン作るのは大変だったけど、どれもすっごく楽しくて、ドンキホーテ作るときにそれはもう役立ったよね。標葉パーティの特徴はなんと言っても、このWS能力だと思うよ。夜のミッドナイトWSも『認めること・認められること』というテーマで、親たち50人もが参加する盛況ぶり!高校生を交えて、キハーナとサンチョの信頼関係の原点を探りつつ、親子で語り合えたね。最後に、9期生がなぜこれほどまでにラボをし続けたかったのかを各自が話し始めたときには、ジョイナーはもう涙涙で・・・・
そして二日目、飯盒炊飯や運動会を終え、正直いって、私が認識しているのは、卒業式しかない!でもこの時のことを思い出すとまた泣き出すので、胸に秘めていたいとおもう。
ただ・・自立させるために育てたんだけど、自立して育ってしまうときの身を裂かれる辛さは、我が子との別れとラボッコとの別れと、全く同じなのよね。
正直にいえば、ほんとに未練がましくて、人恋しくて、情けないテューターです。
そして今、これほどすごいファミキャンをみんなと共にやり遂げた達成感と、まぶしいほどに成長したラボッコを誇りに思う満足感・・それに加えて(ここ数ヶ月前から覚悟はしていたものの)予想以上の9期生喪失感が、同時に私を襲ってきているのです。
ドンキホーテファミりーキャンプ を終えて  05月12日 (水)
        
年に一度のパーティファミリーキャンプが、終わってしまいました。余りにも感動が大きすぎて、まだ頭の整理がついていません。216人という参加者人数も初めてのことなら、使った会場も初めての場所・・。今はこのキャンプの成功を喜ぶというより、本当にキャンプを中心になって運営した高三の2人が卒業してしまった喪失感のほうがひどくて、なにをするにも気合が入りません。野活、幼児対応、メインプログラムの3つの世界を同時進行するという初めての試みを、見事にやってのけた頭脳派キャンプでした。気付けば、コーチ、シニア、中学生、役員のお母さん方、そしてテューター・・全員がスタッフとしてフル回転していました。スタッフばかりでなく、お父さん15人ほどで作ったグループでは、バザーで用品を売るのもお父さんたち・・昼食のスペイン料理を作り、宣伝し、売るのも全員のお母さん達・・・・各グループでは、小学生もリーダーと共に、自分のグループの為に何ができるかを一生懸命考えて動いていました。
ゲストパーティとして10人のラボッコを引き連れて来て下さった水谷テューターが「一言で表すならば、将にwell-organaized campだったよ」と言ってくださいました。そういえば、以前にもいろんな方から、標葉パーティは、スマートに組織化されたパーティであり、そこにいる全ての人が、主体的に動いているのがすごい!って言って貰っていかけど、自分ではあまり意識してそうやっているわけではありません。毎年やっているキャンプでも、毎年全てをゼロにして、その時代の、そのメンバーにしかできないキャンプを創り上げているわけで・・・でも毎年参加者にどう楽しんでもらうか、一生懸命考えたら、いつも究極は「参加者全員が、お客様気分ではなく、主体的に関わるキャンプ」にという事だけなのです。そうやって今年も参加者主体の感動的なキャンプが終わりました。高校3年のメンバーの卒業制作キャンプとしても、9期卒業生の快挙です。高2生のアイデアを駆使したドンキホーテ卒業式・・・高3がこの一年間付き合ってきたドンキホーテを・・そして何年も共に生きた標葉パーティを・・卒業していく淋しさに、200人が泣きました。それはこのキャンプをこれほどまでにやり遂げた自分を今こそ誉めてやりたい喜びの涙、最後を迎えラボと決別しなければならない悲しみの涙、来年を任された重圧に耐える涙、憧れの涙、よくがんばったというねぎらいの涙、・・・・・高3生がこんなに一生懸命だからこそ、それを支え共に作ってきたメンバーだからこそ、みんなが素直に泣けたんだよ。本当に美しい涙が、そこにはいっぱいありました。
9期のみんな・・ほんとにありがとう!君達は今輝いて次の世界に歩いていくけど、ラボで出会った沢山の喜びや感動は、いつまでも胸に抱いて大人への道を進んでいってください。
我が子のラボから、自分のラボへ 1 03月12日 (金)
第一回 関西・四国支部フェローシップ交流会報告     
3月6日(土)四国は松山の道後温泉椿館に、関西から4パーティ、四国から2パーティの熟年フェローシップメンバー24名が続々と集合した。以前から顔見知りのテューターは別にして、全く初めての顔合わせであるフェロー会員は少し緊張した面持ちで、あたりの様子を伺いながら「はじめまして・・」と挨拶を交わし始めた。とにかく打ち解ける事から始めようと、まずはソングバーズ、次に血液型や誕生月別セブンステップス、そして自己紹介を兼ねて、自分の特徴を言いながら互いの名前を覚える「隣の隣ゲーム」をしていく内に、「この年になったらすっかり記憶力がなくなって・・」などと言いながら盛り上がり、自然と笑顔がこぼれ互いに親しく名前を呼び合えるようになった。心が打ち解けた所で、いよいよ交流会の開幕である。第一回の交流ということで、関西の北村総局長と中四国の青木支局長が、フェローシップ第一回を記念して、この交流を実施するにあたっての熱い思いを語ってくださり、待ちに待ったテーマ活動発表交流会が始まった。小口パーティ「雨にも負けず」は朗々と美しく、奥野パーティの「ガンピーさんのふなあそび」はガンピーさんのタペストリーを持参し、2人でほのぼのと、木津パーティの「王様の耳はロバの耳」は、思わず笑ってしまったほどひょうきんに明るく、標葉パーティの「ききみみずきん」は、イメージ表現を追及し、そして武田、阿部パーティ合同の「不思議の国のアリス」は、とことんアリスのへんてこな世界を楽しんでいた。それぞれの異なった個性が光る発表の中で、メンバーはそれぞれに心から楽しんでいる。終わってから、互いに感想を言い合ったのだが、特徴的だったのが、今回の交流メンバーのほとんどが、現役またはOBのラボっ子の父母であったという事である。子供はラボを卒業したが、ラボから離れたくないので今は自分の為のラボを楽しんでいるという。そういえば、子供は高校や、もしくは大学を卒業すれば、ラボとの関わりはなくなってしまう。しかしフェローシップに卒業はないのである。子供にさせたいと思って出会ったラボから離れたくないという想いで、フェローに入っている人がこんなにいるとはうれしい驚きである。ラボ活動の素晴しさを改めて認識することができた。テーマ活動発表を見て、衝撃的だったのが、男性会員の存在感の大きさである。6パーティ総勢22名のうち木津パーティ、標葉パーティのラボっ子のお父さん二名が、そして小口パーティラボっ子OB一名の、計3人の男性がいることで、テーマ活動の幅の大きな広がりを感じる事ができ、渋い、味のある表現が生れていた。何よりも子供の親であるという立場ではなく、自分自身が一人の人間としてラボを楽しみたい・・という気持を表現する場こそがフェローなのだと言う事を再認識した。懇親会では、ほんの数時間前まで全く見ず知らずだった人々が、テーマ活動を発表を見せ合ったことで、物語世界やラボ活動という共通項を媒介にして、旧知の仲のようにパーティや支部を超えて、こんなに熱く語り合っていた。「本音で語り合え、無償で支えあう事のできるフェローの仲間は、本当の姉妹、兄弟以上の関係です・・交流によってこういう仲間が日本中にできたなんて夢のよう。今度は四国から関西にみんなで行きたい」と標葉パーティフェローメンバーがつぶやいた言葉が実現する日が待ち遠しい。
(テューター通信掲載に同じ)
2004/02/26:もうすぐ・・うれし悲しい・・ファミキャン 5 02月26日 (木)
5月1,2日に実施する標葉パーティファミリーキャンプ・・・一年間のさまざまなイベントの中で、最も長い準備期間を要し、大規模にくりひろげられるのがこのキャンプ。毎年ながら苦しみと、焦りと、あるときはいらだちと・・そして不安と・・さまざまな感情をラボっ子と共有しながら、作り上げているのです。キャンプを実施し始めて、その度に感動に泣き続けて何年になるのだろう・・10回以上も回数を繰り返しているうちに、キャンプ自体が生き物のように成長しているのが感じられる。テーマ活動にしても同じだが、開設当初はそれはそれはお粗末なものだった・・テーマ活動は?そう英語でしっかり言えてる子などほとんどいない・・英語を言おうとするとつっかえて無言になってただ呆然と突っ立っている・・見ている父母もさぞ苦痛だったに違いない。でも小学生でさえも、今では英語の言えない子はほとんどいない・・・どうしてなんだろう。そしてキャンプにおいても全く同じで、昔は進行がうまくいかないし、運動会も退屈な時代もあった。しかし確実に毎年BETTERになり、かなりの内容の充実が感じられる。数年前から何故かこのキャンプが最高学年の卒業制作に位置づけられ、最高学年の企画によるミッドナイトワークショップが大きな目玉プログラムになってきた。テューターの気持も反映してはいると思うが、やはりラボっ子自身が、「自分達がラボを長年やってきた証をここに残したい!」という熱い気持がすべてファミキャンにこめられているのである。私にとってファミキャンは、最高学年の子供達を“よくここまで育ったなぁ”とまぶしく見つめることのできる最高に幸せなときであり、それと同時に彼らの巣立ちを見送らねばならない最も悲しい日である。後、残すところ何週間あるのだろう・・毎年来るこの悲しみのときが、しずかな足音でひたひたと近づいてくる。
わかっているのに、毎年思うこと・・“時よ、止まれ!!”
ラボっ子を愛せば愛すほど別れの辛さは尋常でなく・・・でも自立していく子供に育てる為にラボをしてきたのだから・・いわば“別れ”る為に育て、胸をはってひとり立ちしていく子供達を、笑顔で送り出すのが私の使命なのに・・・やっぱり笑顔なんてできないよ!努力しても今だかつて笑顔で送り出せたことがない。
あぁ・・今年もまた・・と思うだけでもう泣いているあほなラボテューターです。
2003/12/26 ラボランドぐるんぱ城完成だ! 2 12月29日 (月)
グルンパ城竣工式
ラボランド竣工式に出席するために、19日(金)に意気揚々と松山を出発。伊丹空港から松本に向けて、順調に飛べば11:30には到着の予定だった。ところが、伊丹空港でフライト延期のアナウンスに愕然!雪の為、飛ぶ可能性は50%だという知らせに、待合室の人々はJRに乗るために飛行機をキャンセルし、どんどん去っていく。残った人もまばらになり・・なんとも心細い気持ちで待つこと1時間・・ようやく飛行機が飛ぶというアナウンスに大喜びしたものの、天候が悪い時は伊丹に戻るといわれて、またまたがっくり!もうこうなったらいちかばちか、かけるしかない!不安ながら飛行機に乗り込んだ。あっという間に松本空港上空に着いたが、窓の外は猛吹雪・・これじゃあ着陸できないはずだわ・・しかも乗ってた飛行機はちっちゃなちっちゃなプロペラ機・・揺れる揺れるで上空で旋回する事40分・・3回着陸にトライして、今度駄目なら伊丹に戻るというアナウンスにお先真っ暗な気分に突き落とされた・・っとその時!一瞬の晴れ間をぬって突如着陸態勢に入り降下し始め、無事に雪の松本空港の到着!2時間以上も松本空港で待ってくれていた長野のテューターにあった時は無事ついた喜びで、初対面にもかかわらずついつい
抱き合ってしまった。これがぐるんぱ城の完成のめでたき日の前日。雪はどんどん積もり、あたりはすっかり雪渡りの世界。楽しく長野の観光に連れて行ってもらい、夜の9時頃ようやく黒姫へ・・。長野のSテューターは、雪道運転に慣れていらっしゃるのだが、それでも夜の険しい山道、吹雪の中を走るのはかなり刺激的だった。まるで肝試しのように、横から雪が流れてくるは、木の上からドサッと雪の塊がおちてくるはで、将に視界0の状態での運転だった。すっごいな~・・雪国の人はこんな命がけの毎日を送ってるんだ・・。恐怖のドライブを1時間ほどしてようやく黒姫に着いた。
さて次の日、待ちにまった完成パーティの日・・・まずは集雲堂にて長野の中高生活動のメンバーによるテーマ活動『国生み』発表・・たくさんの出席者の前で堂々とやり遂げた。なんと一ヵ月半で仕上げたと聞いて驚く。大きな声で一生懸命・・きっと毎日曜日に集まっての必死の練習だったに違いない。そしていよいよ真新しいぐるんぱ城に移動し、完成お祝いのプログラムとなった。社長や建設会社、建設に当たって協力してくださったさまざまな人たちの挨拶の後、C.W.二コルさんの挨拶となった。ラボとの関係をこれからもっと蜜にやっていこうというお言葉を聴いて胸躍る思いだった。ラボの未来に今にもまして明るい光がさすのを感じた。そして、言語学者の鈴木たかおさんのお話を聞いて、ラボ活動により一層確信をもつことが出来た。最後にな~んと全国のテューターの代表で、恥ずかしながらこの私目が挨拶をさせてもらった。突然、前日に依頼を受けたので、どんな言葉も用意していなかったのだが、ぐるんぱ城完成の感動を伝え、黒姫に来るまでの命がけの体験をお話し、ニコルさんを守り神に、鈴木さんを縁の下の力持ちに、これから益々我々テューターも命がけでラボを頑張っていきます!』というような事を話した・・気がする。ニコルさんからも、じっくりとラボとの出会いなど思い出話などを聞かせていただき、鈴木さんにはなんだか笑わしてもらいましたよ!もう信じられんほどお茶目な人で、言語学者なだけに笑いのつぼを心得ていらっしゃる!そんなこんなで無事パーティが終わり、またまた長野までの帰りのバスでも電柱にぶつかり、助手席に乗ってた私は、目の前に電柱が襲ってきて胸どきどき!危機一髪が山盛りの旅でした。
四国支部子供広場「ことばのシンフォニー」感動のうちに幕を閉じる・・ 3 11月17日 (月)
夏の終わりに実施した「子供広場実行委員会」を皮切りに、10月にシニアメイト研修、そして15日の中高生合宿・・・3回に渡ってイベントの内容、企画の提案などを話し合い、計画を練り、準備してきた≪四国支部の一大イベント≫が16日に感動のうちに幕を閉じた。おやすみみみずくやくまがり、どんなに君が好きだかあててごらん・・などのラボライブラリーの演出をして下さった西村正平さんを講師に迎え、合宿から参加していただくという大変欲張りな企画であった。
目的も
≪西村正平先生に教えてもらう“ことば遊びの楽しさ”≫
≪シニア養成≫
≪中高生合宿≫
≪四国支部ラボファミリー全員集合イベント≫・・・の4つもかかえた欲張りすぎる企画だったため、どの目的をも満たそうとするととても大変な企画になった。1歳の幼児から御父母にいたるまで、あらゆる年齢層が満足するための企画というのは、本当にむずかしく、高校生実行委員が考えてくれた、3つのお話のワークショップ(お話し広場)と平行して、大人対象の講演会をいれ、中高生には、全体でリーダー養成とティームワークの研修の要素をとりいれた。いよいよ合宿という段階になって、当日は雨という天気予報を知り、急遽雨プログラムを作った。細部にわたるまでの細かいところは、何度もシュミレーションをしていたが、幸い晴れて嬉しかった。当日に決定したプログラムも多々あり、しかし、高校生の柔軟な対応でみんなの気持が一つになり≪みんなでこのイベントを成功させるぞ!≫という空気で一杯になった。
西村さんに来ていただくに当たって、今回は「何よりもことばを大切にした表現」ということを最も中心においてテーマ活動を作った。CDを聞いて動く事を通常にやっている子達にとって、ことばを大切にしての表現いうのは、とても新しい考え方だったようで、最初は戸惑い気味だった。しかし合宿の終わり頃にようやくポイントが理解でき始めた。ことばを声に出すことの楽しさ、ことばを気持をこめて声にしたとき、自然に生れる身体の動きなどが楽しくて仕方ない様子で、合宿の疲れはピークに達しているにもかかわらず、夜になっても自主的に何度何度も練習して、みんなの顔はどんどん輝いてきていた。その結果、当日の発表では彼らの精一杯を表現することができた。ことばのシンフォニーもわらべうたシンフォニーも、中学生たちにティームワークを考えさせるには最高の素材であった。群読のそれぞれ4つのパートでもパートのメンバー同志のティームワークと、4つのパート同士のティームワークの両方を持ち合うためにはどうすればよいかを、子供同士がしっかり話し合い実践することができた。一方高校生達は、参加者に群読を教える指導法を西村先生に教えていただく事で、リーダーシップを研修する事ができた。そして3つのお話しワークショップでは、全員集合当日、彼ら自身が考えた①お話で遊ぶ②お話を体感する③お話からイメージを広げる・・・ということが幼児、小学生対象にチャイルドケアとリーダーシップを発揮する事ができた。泥で遊んだり、自分達で創作した色んな鳥になったり、すきだよ~!と叫びあったり・・・・小さな子供たちの楽しそうな声があちこちの部屋に響き渡っていた。ティームワーク研修のお陰で、この企画を成功させたいという中高生みんなの気持が伝わってくるようなワークショップであった。
そして、最後のプログラムとして、わらべうたとことばのシンフォニーを中高生が舞台で発表し、その後会場に中高生が降りていって参加者と一体になり、西村先生が舞台上で指揮を取り、声の大シンフォニーが始まった。シンフォニーの声が会場全体をつつみ、4つのパートが互いに響き合い、時に激しく、時にささやくようになりながら、約300人近くの人々の声がハーモニーを作っていった。舞台袖で見ていた私は、もう感動で涙が止まらなかった。
四国支部の全ラボっ子が、遠隔地にもかかわらず川之江に集まってくれたことも嬉しかったが、終了後、帰っていく家族の中から、「来てよかった~楽しかったね~」という声を聞けたのは最高だった。これまでの体力的な大変さや、テーマ活動がなかなか進まない辛さも吹っ飛ぶような瞬間だった。西村先生からも終了後にお電話を戴き、「最高の会でしたよ・・・いろんな会に呼んでもらうことはたくさんあるけど、こんなに作る段階から参加させてもらってその結果これほど盛り上がると、僕も嬉しいです」といううれしいおことばをいただき、達成感と満足感でから中がいっぱいになった。西村先生、本当に有り難うございました。協力してくださったテューターの皆さんも、本当に有り難うございました。事務局・・お疲れ様でした。そして、がんばった中高生ラボっ子に・・・すばらしかったよ!君達は本当によくがんばった!胸が熱くなったのは、君達の頑張ってる姿がまぶしかったせいかも・・
次の10件 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.