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よしもとばななが語る「オバケのQ太郎」 05月05日 (木)
きょう、イスに座って漫画を読み、笑いすぎて頭をかべに打ち付けてる小学生を見かけました。(大人はよく電車で居眠りしてガラスに頭をぶつけるけど、そんな感じで)

 その子がよんでいたのは、オバケのQ太郎。
2009年に小学館から復刊され、今年に入って10巻めが出版されました。Qちゃんで、そんなに笑えるなんてと思い、私も読んでみると、後ろによしもとばななの解説がありました。

 「私のQちゃん」           よしもとばなな

  抜粋

 でも、(漫画を読み返して)改めて思ったことがある。
 Qちゃんは、なんとほとんど何の役にもたっていないし、涙もろいし人情家ではあるけれど、わがままだしマイペースだし、怒りっぽいし、案外なんでもすぐ割り切るし、けっこうクールなのだ。アニメの何倍も、「新オバケのQ太郎」よりもずっと。人々もオバケ慣れしていないから、接し方を試行錯誤している感じ。
 そうか、そうだったのか、大人になってアニメを見ていて、なんとなく感じていた違和感はこれだったのか。そして私がドラえもんは役立ちすぎるからなあ、といつでもQちゃんのほうに肩入れしていた理由もなんとなくわかった。
 この当時の豊かな時代において、なんの役にもたたない、大飯食らいの、でも正直でかけがえのない、異文化を背負った友達がやってきたということは、大人にも子供にもなんとなく嬉しくてしかたがないことだったのだ。
 みんな新しいものに接したくて、こわごわで、おっかなびっくりで、でもそのことを町中で仲良く楽しんでしまう、そんな時代だったんだ。
 今は、きっと違うんだ。それがいいとか悪いとかではなくって、やっぱり役に立ったり、悪と戦ったり、なにか不思議な力(飛べるとか消えるとか靴に化ける程度ではなくって)を持っていたりしないと、むつかしいような気がする。
 なんて豊かな子供時代を、私は過ごしたのだろう、Q太郎といっしょに育ちながら。
 あらためてそう思わずにはいられなかった。

以上が、解説の抜粋です。ちなみによしもとばななさんは1960年代生まれ。      
 
 私も、きょうの小学生と同じ漫画を読んでみたけれど、にやっとするくらいで、あんな勢いで壁に打ち付けるほど、体全体では楽しめません。書かれた時代と今は違うとはいえ、そうやって笑ってる子がいるのだから、こどもの感性には響くものなのだと思います。うらやましい。



 
 
 
Re:よしもとばななが語る「オバケのQ太郎」(05月05日)
SENCHOさん (2011年05月06日 09時42分)

おじゃまいたします。オバQは、ライブラリーにもありますね。
オバQは、人間にはない超能力の持ち主ですが、犬が苦手などの
人間より人間的な弱点を抱えています。
だから、世間知の高い正ちゃんにフォローしてもらって、
始めて活躍できます。
オバQは、日本が高度経済成長をつづけ、みんなが、
資本主義のゆがみを感じつつも、
より豊かな暮らしをもとめて必死に働き、
いろいろな意味で日本人が自信をもっていたときの、
カウンターヒーローだとおもいます。
いっぽう、ドラえもんは、日本人が、かなり疲弊して、
自身を失うとともに、物質だけの幸福追求の虚無感もあじわい
はじめたときのキャラクターです。
ドラえもんは、未来では不良品のロボットですが、
現代では驚異的な活躍ができます。
のび太は、正ちゃんとは逆になさけない男の子で、
当時の日本人の病根の象徴のようです。
のび太の仲間たちも、それぞれ弱点があるのですが、
ドラえもんとの交流のなかで、
勇気や、行動力などのヒューマンパワーを身につけていきます。
そうしてみると、藤子不二雄先生の社会をみる視座の高さと、
洞察の深さ、して、子どもたちへに愛情の強さに感服します。
さらに、日本語が自然な日常てきでありながら、
きたないことばがまったくないのも、
児童漫画というものへの真摯さのあらわれでしょう。
ライブラリーに選択されているのも、まさにこの点です。
今、日本に必要なのは、便利な道具をだすドラえもんではなく、
平凡だが、確かに生きる正ちゃんたちのような若者です。
子どもたちは、そのことをきっとわかって
オバQをようんでいるんですね。
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