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政府は、グローバル人材を育てたい。
そのためには高校の英語の授業を全部英語で行う。
すると、英文法の補習授業をわざわざ朝日本語で行わなければならない。
A大学の副学長さんがいわく、「グローバル人材だから当然英語は必要になってくる」
そのために入試で一人ひとりの発音や内容を評価する必要があり、
ベネッセ営業の方が売り込みに行った、「コンピューターを使って解答を録音して、それを国内外のネイティブスピーカーが評価するシステム」をお買い上げになったらしい。
大事な入試。自分の英語の録音。それを海外のネイティブスピーカーがどこまで質を一定にして合否を決めてくれるのだろう。
そんなことするなら、いっそコンピューターに判断してもらってよと皮肉をいいたくなる。
もう一つの手段としては、トフルや英検の結果を大学に提出して合否に使うというもの。
これはこれで、英語に力をいれている新潟の高校の先生が危惧なさっている。自分のところの生徒は英語を聞き、話す力がある場合、不利なのは外部試験を受けに行く交通費や受験料、遠いので機会そのものも不利。
大学入試の英語をかえなければ英語力があがらないという日本人の英語へのモチベーションがまずいと思う。
そこに語学習得のモチベーションを求めさせる時点で難しい。
第二に、本当に大学受験をする全国民が日本をグローバル化に対応させうる「英語力」を持たなければならないのか。
グローバル化に対応する英語力って、ちょっと入試の英会話ができたくらいじゃ無理でしょう。
英語力と人材は一致しないし。
気づいた方がいい。まず、人材育てが先。
多様性を受け入れられる大人になるよう、子どものころから育てる。
その中で、英語も怖がらず、それが使えれば人生より楽しいと知り、自主的に継続する環境を作る。
でも留学先から娘がいってくるのです。
「こんなにいい人間教育が出来ているのだから、英語教育をあきらめたらもったいない。」って。あきらめてないけど、上記の書き方だと人間教育重視で、英語は二の次に聞こえるんでしょうね。
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来週、メイン州に一年高校留学しているYが帰国します。うちのパーティの小学生達の多くはその三ケ所を世界地図で指させます。(笑)
昨夏、出発してから時々報告を受けながら、日本で一緒にいるラボっ子以上に気になってすごしてきました。精神的にもしっかりした子なので、基本的なところで心配はしてなかったのですが、異文化、英語だけでの高校の授業の中で苦労がないわけはなく、前にパーティからはじめて一年留学に参加した娘の経験も重ねながら、心の中で、すべての経験を「よかったこと」に変える力を持ちますようにと祈っていました。
帰国を前にして、まだ自分の経験を振り返って整理するところまではいっていないと思います。でも日本の高校生だけなら、しなかったであろう経験、ホストファミリーは読書の時間を持っていたようで、彼女にもその習慣がついたこと等も含め、かけがえのない宝物をたくさん得たことは確か。
これからどんな道を歩こうかと考えるとき、他の同年齢の子たちの何倍ものアドバンテージがあるし、社会と自分の接点を考えるときにも役立つ経験です。
英語が出来ることは、英検に受かる、企業の就職に有利、道を聞かれて英語で答えられる、グローバル人材として日本の国力をあげる、そのどれでもなくていいと私は思います。
ラボメソッドでは、英語が話せるようになっていく過程が人として自分の中身の価値をあげることとイコールなので 英語が出来ることは、現代社会において、自分の人生をより豊かに生ききることにつながる。
英語の次はドイツ語、スペイン語とそれぞれ留学している大学生から伝わってくる雰囲気はまた、高校留学とは違うものがあります。
大学生は、ホストファミリーに限定されない分、友人関係にしてもとても自由。ウィーンにいる子は、治安もチリよりずっと良いので旅行も興味の赴くままにして、写真がアップされているのを見ますが、自分の知的好奇心を十分に満たしている感じです。
留学生にも様々なタイプがいるとは思いますが、日本にいるときからまじめで語学のことだけ考えるタイプより、ラボの子はいろいろな国の人と友達になることを楽しんで、留学生活をより充実させることが出来ていると感じます。
若い時に多様性を受け入れ楽しむ体験を積むことが、これから日本の国内にいても役立つ経験だと思うので、帰国後はぜい後輩たちにいろいろな場面で伝えてほしいなと思います。
そして留学を見送った中高大生たちも、留学中の子達のがんばりに対して自分たちもしっかりしようと、目に見えない力をもらっていたように思います。語学は、一人で机の前でまじめに反復練習という「勉強」では身に付ききれない不思議な学びだなあといろんな局面をパーティに迎えてあらためて感じます。
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今の日本の一般的な学校教育を受け入ている子ども達が、どうすれば、世界にはいろいろな価値観、場合によっては全く自分と違う考え方があり、それを尊重することを、こころで学べるのだろう。
「古代ギリシャのいいこと図鑑」を使って話してみました。
今回はギリシャ神話をやろうと小学生がまとまる。
でも、まだみんなの手元に一緒に聞けるライブラリーがない。そんな時は、ゆっくりギリシャの手触りを子ども達と味わおうと小学生向けの本をかりてきました。
まずは、「日本でいいことっていわれてるのはどんなこと?」
意外と子ども達は答えられない。
「いいことしたねっていわれるのはどんな時?」
学校でいい成績をとるとか、お年寄りに席をゆずるとか、そんなことがぽろぽろと出てくる。
最近入会した子が、「ニュースでいってたけど、線路で倒れてしまった男の人を助けたとか」と話してくれる。「自分の命をなげうっても人を助けるのは確かにりっぱだよね。」
では、「古代ギリシャのいいこと図鑑」小学館、にはなんてかいてあるか見てみよう!
「今から約2500年ほどむかし ギリシャで…
美しくて たくましい文明が頂点をきわめました
エーゲ海の島々がうみだした(この中のひとつがセリポス島だね)
人間と神さまの世界
古代ギリシャがたいせつにしたものは
のちのさまざまな文化のお手本になりました」
1ページめをよんで次をめくると、こどもたちが「ぎゃー!」「わぁー!!」と悲鳴をあげる。
「はだかはいいことだ」と大きな文字と一緒に、アルテミシオンのゼウスのブロンズ像の写真が出ている。
はずかしい~という子どもたちに言い聞かせるように本文を読みます。
「あっ、はだか!はずかし~ぃ」なんていうのはどこのどいつだ。
オレさまは神々の王、ゼウスさまとしてつくられた。超一級の男性像なんだぞ。
中略
服をまとってかくすなんて、ああ、はずかし~い。」
ずいぶんびっくりする方法で、自分たちと古代ギリシャの価値観の違いを知らせてしまいましたが、
次々と続きます。
「美しいことはいいことだ」(ミロのヴィーナス)
「踊ることはいいことだ」(踊るサテュロス)
「ほほえむことはいいことだ」(ぺプロスノコレーのアルカイックスマイル)
このスマイルには、みんな、これはいいねえと声が自然とあがるので、すかさず
ホームステイに必要なものの一つがこれであることを伝える。
「きたえることはいいことだ」(円盤投げ)
ペルセウスが、投げたのもこれだ~、普段からきたえて投げてたんだねえとみんなで納得。
「勇敢なのはいいことだ。」(ヘラクレスがライオンと闘っているところ)
「名をのこすのはいいことだ」(さいころをふるアキレウスとアイアス)
「こわいものが」いるのはいいことだ」(メドゥーサ)
これはまさしくペルセウスがとり、アテナにささげたもの。魔よけのおまもりとして、こんなこわいものを屋根やよろいにつけたなんて感覚、理解できる?ときいてみた。
Tだったら、こんなこわいもの家の中に飾るのはいやだなあ、これって大人の感覚?というと
子ども達は、これはすんなり理解できるそう。
怖いものだから、もっとこわいものがこないように追い払ってくれるんだよといってました。2500年前の人と子どもたちは感じ方が一緒だ~。
「いろいろいるのはいいことだ」(パルテノン神殿フリーズ)
ゼウス、ヘラ、アポロン、アルテミス、ヘルメス、アフロディテ
アルテミス、ポセイドン、ヘファイストス、デメテル、アテナ、アレス
「いろいろいるのはそりゃたいへん。でもみんながないたり笑ったりしながらともに生きる
それが古代ギリシャのいいことなんです。」
さて、まだCDもないからこそ、ゆっくりと導入できるのもいいところ。
こうして心にたまったイメージが、CDの英語、日本語の余白の部分にたまり語彙が深まるでしょう。
ラボの英語は、丸暗記ではなく、英語と日本語それぞれをこころで感じ、その余白にあるもの、英日が単語帳のように一対一では一致しないその感覚、文化の違いも含めて、みにつけていくのがいいところ。
そうすれば、日本社会が苦手とされる「多様性を受け入れる」ことが
自然とできるようになることでしょう。
ちなみに、この本を、遅れてきた子に、最初からいた子が、
「この本、おもしろいよ~!」とすすめてくれてました。
こういう瞬間が紹介した者としてはホントにうれしい。
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ランパンパンを小学生クラスで読み聞かせしてみました。
感想を言ってくれる子もいました。
第一声は、ゾウがかわいそうだと。
気が狂ってふみつぶしあうゾウに何の罪があるのか。
今度は王様に聞こえないくらいの声で歌ったらどうだろうと言う子もいました。
なんでこれでいいの?だったら、おれ、クロドリに頼んで気に入らないやつみんな、やっつけてもらうと言った子もいました。
現代の国際関係、情勢が日々ニュースとして流れます。そして、どの国だけが正しいと言えない事情のある大人達。
子どもも、昔のように勧善懲悪で解決することは少なくなり、
誰のとったどの行動のどの部分は正しいのか自分なりに柔軟に考えようとしてるんだなと、ランパンパンの感想を聞いて知りました。
木の枝をはらたちまぎれにおる、水を汚す、これってみんなやりがちともいっていました。
この話は、自分をクロドリに重ねるのではなく、
王様にかさねて、そうしないことを考える話なのかな。
少なくとも、子どもたちはどうもクロドリの行動が
正しいのかはかりかねてるようでした。
ライブラリーになったら、またみんなで考えようと
先を楽しみにしてしめくくりました。
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昨晩、小学校5年6年の子、6名が我が家に寝袋持参で宿泊しました。
子ども達だけで、何の枠組みもない時間を与えられたらどう過ごすか、体験してもらいたかったのです。
私から出したミッションは、夜と朝、一回ずつチームビルディングで、ウェビングテープを使って”A window of Opportunity "をすること。
チームワークの変化を感じ取れるか。
食糧もみんなが夕と朝のみ持ってきますが打ち合わせはなし。
持ってきたものを段ボールに供出して、それを今夜と明朝に分けました。
傑作は、たった一合のお米で作ったいかの炊き込みごはんでしょう。
イカの缶詰を一度洗って?細かく切って、混ぜ込みました。
大人だったらたった一合のお米を75分後に食べる炊き込みごはんにできたかなあ。子どもの発想ですが、思いのほかおいしくできていました。
私はそこにいないことになっているので、食べ物を分けてくれる時は「お供え」といってふざけていましたが。
男の子でも、洗物やイカのカットが得意な子がいたり。
キャンプソングを提案してやってみたり。
忍者ゲームが白熱したり。
でも何より、子ども達がどう協力しようとしていたかが見えたのが収穫。短い時間でしたが、2年間あれば、それぞれが得意なこと、性格を生かして、生き延びていくだろうと思えました。
上級生がいること、または失敗をしてみること、その二つが、成長のキーワードと感じました。
縦長である 手を出さず失敗を見守れる 春の発表会もこの二つを大事にしようと思います。
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「世界の果ての井戸」を出勤中ipodで聞きながら歩きました。
継母に言われたことは、理不尽でも守らなきゃいけない弱い立場と心の幼さがなさけないよね等思いながら、なぜこういう場合、かえるなんだろう、いつの時代の女性にとっても現れるのは「ハンサム」じゃなきゃだめなんだ、それもおかしいなど、歩きながらいろんなことが頭をよぎっているところへ、なんとガマガエル(という名だと思う)が、足元に死んでました!!
そこからすべてがひっくりかえりました。
かえるグッズは身の周りにあふれているけれど、私が本物のカエルを間近に見たのは数年ぶり。
このお話が語り継がれ始めた時代の人々のカエルに対する感じ方と、今の自分たちとではずいぶん違うんだろうなと。
カエルが身近にいる、これが自分を助けてくれる王子様だったらって夢のように思う、救いを求めたくなる、そんなこともあったのか。
今、私が感じるほどカエルを気持ち悪く思わなかった可能性もあるのか?同じ昔話を聞いても時代によって体感するものはずいぶん違うのかもしれません。
それにしてもカエルの首をはねる、そこで思い切ってそんなことをする意味は、何なんだろう。
いますぐ解釈できない、何かじんわりとせまってくるものがあります。素朴な昔話に思えて、単純でない何かが含まれつつ、w、r lの音の響きも口と耳になじむ、ラボっ子と楽しみたい話の一つと思いました。
春先に穴から出てきてハンサムな王子様になる前に道路で死んでしまったかえるが成仏しますように・・・。
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ウィーン留学中のHが、大学の春休みを利用してローマへ旅行。
そこから、LINEでみんなに2012年の支部テーマ活動大会で発表したジュリアスシーザーゆかりの場所の写真を見せてくれる。
コメントがおかしい。その時シーザー役をやったくぼっちを引き合いにだし、「久保くんが火葬された場所」とか、まあ土の塊しかない写真なんですが見せてくれたり、あとは四角くて平で特徴のないように思える元老院の建物の写真には、チリ留学中のOが、「こんな地味な建物表現できないね、みたいになったよね、確か~」とコメントしてきたり。
日本でジュリアスシーザーに取り組んだ子の一人が、ローマから写真を送ってきてそれをみんなで懐かしむことができるのもラボならではだし、そのうち一人はチリにスペイン語留学中で、もう一人は高校留学でアメリカへ。
シーザーが力をくれたかどうかはわからないけど、私はドイツ語もスペイン語もまるでわからないのに、ラボっ子はすごいなと、あらためて耳から物語で習得する方法のある種の確実さと副産物のぴっくりするほどの多さに感じ入ります。
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パーティの大学生Hの友人が、来てくれました。
薄焼き卵で巻いたひな人形を作って食べたり、甘酒やおもち、おひなさまのお菓子を食べました。
会う前は、少しはどこか違いを感じるのではないかと思っていました。
でも、本当にかわらない。そんなことを子ども達も肌で感じたのではないでしょうか。
でも学生時代の生活スタイルはずいぶん違って、日本のように部活に放課後や休日の大半をとられるよなことはないようです。
5時位に終わったら帰宅。たまに映画をみたり。学校の部活はなくて、入りたい子はサッカースクールとかに個人で入る。
アメリカ等も、季節ごとのスポーツを楽しんで放課後にやったりはするようですが、日本のような部活体制はないみたいだし。日本人に部活は何を残すのだろう。
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明日は、今、ウィーン大学に留学中のパーティの大学生の友達(オーストリア人)が来てくれる予定。ウィーン大学の生徒さん二名。
パーティに昨年は半年間、アメリカの高校生が参加してくれていましたが、ヨーロッパからははじめて。
昨年の夏からひとりラボっ子が、ウィーン大学に留学中。その彼女から後輩ラボっ子には、経験者だからこそいえるメッセージが時々届いたり、いい経験をさせてもらっている日本組。
10日ほど前から南米チリに留学中の大学生は、日本文化の話など込み入った内容は、英語で話して、英語のわかるチリ人にスペイン語に訳してもらっているらしい。
ドイツ語も、スペイン語も、ラボではやってない。CDはあるけどテーマ活動はしてない。
それでも、その国に興味を持ち、ことばに興味を持てば、英語を身に着けたのが思いのほか簡単だったという感覚があるらしく、さっと次のことばに飛び込んでいく。
これは簡単には説明できない現象ですが、ラボで英語を学んだからこそ。
もっと多くの子どもたちがこの方法で母語以外のことばにも出会えるようにすることが私の使命 かな。
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留学中の生活は日本よかなり時間があった記憶があるので、本を持っていきたいということで、一緒に本選び。
日本の小説、英語で書かれている本、歴史の本、科学的な読み物などが希望というので、ひとつずつ探していた時のこと。
雑誌ニュートンのところで立ち止まり、これも興味がある、あれも知りたいと言い出すので、この子は理系じゃなかったはずなのに、いつのまに遺伝子とか、宇宙とかに興味があったのと思ったら、「フリズル先生」の影響だそう。
小学生くらいのときに、フリズル先生のマジックスクールバスを時々借りてきて読んでいて、とても面白いと思っていた様子。
それが二十歳すぎても、地球とかからだとかに興味をもてる最初のきっかけだったわけで。
どんな本にふれるかは、間違いなく大事だと再認識しました。
ちなみに、日本の小説は川端康成の「雪国」と村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を選択。
最近の大のお気に入りだった「抱擁、あるいはライスには塩を」は文庫本化されたのを喜んだものの、さすがにチリにお供には連れていきませんでした。私の江國香織が好きなので、読書は遺伝するのか?
本日も、雪の中、図書館を訪れてくれる方も何名もいました。
どうぞ、今日、手にしたその本がみなさんのこころの栄養になりますように!
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