幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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つばめ号の日記
つばめ号の日記 [全313件] 71件~80件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
ウガンダのマリーちゃん 08月03日 (水)
娘がラボの高校一年留学から昨年帰国したとき、「私は恵まれているから、その分、恵まれてない子を自分のお小遣いから支援したい」と言い張るので、あるプログラムに登録して、ウガンダのマリーちゃんという子を支援してきて、ちょうど一年。(実際には、娘、私、私の母の3人で一ヶ月分のお金を出し合っています)

その子の成長を見ることが出来るし、お手紙もボランティアの方を通して、時々やりとりすることができます。9月がお誕生日なので、ささやかですが、誕生日カードに子供の喜びそうな動物のシールを娘と選んで入れたりすることもできました。

このプログラムが工夫されているなと思うのは、その子にお金を渡して援助するというのではなく、その団体が地域の人々とまずは信頼関係を築き、そこから貧困の中にいる人の意識や生活を変えていく全体を支援するという仕組みなのに、支援する私たちには、具体的に一人の子が成長していく過程が見えるところです。

 こんな形でなければ、ラボのことに一生懸命で日々がすぎていく私には、支援する意識は芽生えなかったと思います。

 大学生までラボをやっている子には、その子の志向によりますが、ぜひ留学や旅をとおして、世界を肌で感じてほしいと思います。
 世界を知る旅をできる能力のある子にはみんな、育っていると思います。
 
 絵本の日本語の部分に、クメール語など現地の言葉のシールをはって、送って読んでもらうというボランティアを、私などが簡単にできる仕組みを作っている団体もあったし・・・・。

 何か強い思いがあれば、工夫をして、そこから人々の協賛を得ることはできるものだなと、自分が最近、二つの団体の考え方に賛同してほんの少しのボランティアをする機会を得たことから感じました。

 私の力は、ラボっ子や図書館に本を求めにくる人、少しはラボママ、ファミリーのために使うことができます。
 でも、正直、世界の苦しむ地域の人々のために使う能力は残念ながらないと思います。
 ラボっ子を育てることが、間接的にその人たちの力になれるといいなという夢をこの夏あらたに意識し始めました。

(身につけたツールとしての英語、コミュニケーション能力を何に使うかは、その子の自由!)


 
くろひめ一斑のCS「おにのパンツ」 08月02日 (火)
くろひめの感想を、子供たちに帰宅してすぐに書いて、ファックスやお手紙で送ってもらっています。

その中に、キャンプファイヤーでのコーチの「おにのパンツ」がすごかったという感想が何通かありました。
 小学生の子供が、短い感想文の中に書くことは本当に印象に残ったことだけです。
 そこにのるというのは、すごい。

 私の記憶にも残っているし、ロッジのテューターとも「あのコーチのおにのパンツは迫力あってよかったよね~。」と話しました。
 一斑のキャンプファイヤーは雨のあいまをぬって、本部が苦労して実施してくれましたが、短いものでした。
 それでも、子供たちの心にしっかりのこるキャンプソングをやってもらえたことは嬉しいです。

 ラボをやっている高大生なら誰でも?!いくつかは持てるキャンプソングのレパートリー。
 でも、口先で発して、なんとなく身体を動かすというレベルから、一歩上へいってくれれば、こんなにもみんなの記憶に残るんですから、ぜひ、そんな感動を与えるCSを目指してほしいです。

 あの「おにのパンツ」を見た子達のなかから、誰かきっと受け継ぐ子が出てくると思います。
 また、あんな気合の入ったキャンプソングに出会えることを楽しみにしています。
 
 今までわたしの記憶に残っているCS ベスト3?!
 OG YちゃんのUFO 地区合宿のキャンプファイヤー
 現役大学生 T君の地区発表会?での「きりんさん」
 今回のおにのパンツ
  
ももたろうの絵本を、カンボジアの子供たちが読めるように・・。 08月01日 (月)
夏休みなので、「絵本を届ける運動」に賛同して福音館のももたろうとぐるんぱのようちえんの絵本に、クメール語のシールを貼る作業をしています。

 これを貼り終わったら、団体に送り返すと、まとめて2月にカンボジアに送ってくれます。

日本人の子なら、図書館等も利用すれば、本が不足している環境はない?と思います。
 カンボジアでは移動図書館に今回のように私がささやかなボランティアとして翻訳シールをはらせてもらった本たちをのせて、現地の子供たちによんでもらえるようです。

日本の昔話のももたろうと、ラボっ子にも人気のぐるんぱ、カンボジアの子達の心にどんな風に届くのかな?できれば、本を一緒によんでみたい!
くろひめみやげ「こずくまんじゅう」 07月31日 ()
 今年からおみやげに加わった「こずくまんじゅう」

私は二日目の昼寝タイムは、ロッジでぐっすり眠ってしまってラウンジにいかれなかったのですが、同ロッジのテューターが三つ買ったからよかったら一つどうぞといって譲ってくれました。

 長野県出身の母に渡したところ、受けました。
「ほら、ずくなしって言葉、あるじゃない~。根性なしっていうか・・・。」と長野の方言の解説がはじまりました。
 そういえば、母はときどき「ずくなし~~。」と怒ってたな。
 
 くろひめで、何度かこずくまんじゅうの意味をちらっと見ても、全然その言葉のイメージがつかめなかったのですが、母の解説で「ずく」の意味がくっきり!!

 言葉っておもしろい。

 同ロッジだった大先輩からも、おもしろい言葉をもらいました。
私は宿泊責任者で、ロッジ点呼をとるとき、最近老眼が入ってきて字が小さくて見えずらかったんですよ。ぎりぎりセーフで読めました、と
お箸を洗いながらムダ話してたら、ひとこと。

「成長の証し!!」

 大先輩からの老眼は成長のあかし発言に、何だかこころがほっこりしました。

 こずくまんじゅう、美味しかったらしく、いつのまにか全部なくなっていました。ダイエット中の娘も食べたのかな?!
小学生の号泣で、わかれのつどいの声が聞こえない・・・。 4 07月30日 ()
くろひめ一斑の別れの集い。


以前から「来たときは、家に帰りたくて泣きたかったけど、最後の日はみんなと別れるのがつらくて泣きたかった。」なんていう名言がいろいろ出るキャンプ。
 子供たちがわかれのつどいで泣くのは、よくあること。
でも、今年のR3は、小学生の号泣がすごくて、他の子の声が聞こえないほど。
 確かにみんなが仲良く、誰もはずれることのないロッジでした~。

 最近、感心するのは、小学校低学年の子達も本当によくロッジの一員、キャンパーとして手伝うということ。
 普段、家庭にいたら子供はいいからといって、大人がやるであろうことを、全部自分たちでやる。
 テーブル運びから、食器並べ、布団敷き、風呂やトイレのそうじまで。
 
 私と掃除が同じグループの小4の男の子が、「何をしたらいい?」と聞くので、トイレをほうきではいてとたのむと、さっさときれいにして、「次に何をしたらいい?」と聞いてくる。「風呂場の床の雑巾がけをして。」とたのむと、それもきれいに済ませて、「次は?」と聞いてくる。
 その間に、風呂の排水溝まで女子たちがぴかぴかにしている。子供たちはすごい掃除上手。

27人中、大人が3人しかいないロッジ。
家なら母親だけが家事をしてすむけれど、ここでは待っていては何も進まないことを子供たちは身体で感じていて、状況に応じてさっさと動いているように見えました。

 ゲームもテレビもない生活。あるのは友達と自然と聞きなれた英語の歌のメロディと聴いてきたももたろうのお話。
そんな場所で、より子供たちが自分たちの本来持って生まれたたくましい生命力、能力を発揮しはじめるのがキャンプだと感じます。


 おもしろかったのは、アメリカとカナダのユースが、キャンプソングを英語で教えてくれようとしたとき、子供たちを静かにさせるために、ラボマークを指で出していたこと。もうラボマークは海を越えました(笑)



 
桃はどこから流れてきたか? 子供たちの想像。 07月19日 (火)
まず、「ももたろうじゃなくて、すいかたろうとかだったらだめだった?」の私からの質問に、「すいかじゃ、うまれた子はもう二歳くらいだ。」「もしぶどうだったら小さすぎる。」などいろいろサイズの問題から検討し、結局は、「おじいさんとおばあさんが、ももが好きだったんじゃない?」ということに。

ももはどこからきたんだろうね、というと、もう、みんないろいろな意見が出て、とまらなくなりました。

「二個目のももが流れてきたのは、運がいいってこと。」と感じ取っている子も。
でも、いろんな子が何度も自分の考えを披露しているうちに、リーダーさんがみんなの説をまとめたももについての物語は・・・・。

 もも好きのおじいさんとおばあさんが子供がいないのを気の毒に思った、ももの精霊(ももたろう)が、まず一個目のももを流してみてうまくいったから、二個目のももにはいって、生まれることにした。

 ももを二個手に入れられたおばあさんの魔法使い説や、ももたろうはオニの親分だったという強い自説を繰り広げる子も。

 ももたろうの子分になった、きじ、さる、いぬについては、きじについては干支の「とり」のことだねと確認する子もいて、鋭いと思いました。

  
 ももたろうみたいに退治したいものってある?と聞くと、暴力団、暴走族などなど。
 じゃあ、外にじゃなくて、自分のなかにある鬼で退治したいものある?と聞くと、
 いつもニコニコできない自分。
 ちゃんとするときはする、けじめをつける ができないとこ
 人の意見にまけちゃうところ。
 おもしろいおもちゃを、自分が楽しみたいからって妹にかしてあげられないところ。
  
 その前に、「ももたろうが木をとってきて、せっかく言われたとおりにしたのに、のきがくだけるとかいわれちゃったけど、自分が一生懸命にやったのに、大人からはけなされちゃったことある?」と聞いたときは、あんまり答えが出なかったのに、それに比べると、小学生なりに「こころのおに」について、考えてるんだなと感心。

 しょいこの作り方をそもそも知っていたのか?等、さぼるももたろうの人物像をさらに掘り下げようとする子もいました。

 昔話のことばのリズムも楽しんでいました。

 ももたろうは、シンプルな話である分、その昔話の周辺にあることについて、子供たちが想像する余地があって楽しいということを発見。
 キャンプも楽しみです。

 キャンプで、流れてくる桃に、へんな魔法をかけようとしている子がいたら、うちのパーティの子です・・・。
よしもとばななが語る「オバケのQ太郎」 1 05月05日 (木)
きょう、イスに座って漫画を読み、笑いすぎて頭をかべに打ち付けてる小学生を見かけました。(大人はよく電車で居眠りしてガラスに頭をぶつけるけど、そんな感じで)

 その子がよんでいたのは、オバケのQ太郎。
2009年に小学館から復刊され、今年に入って10巻めが出版されました。Qちゃんで、そんなに笑えるなんてと思い、私も読んでみると、後ろによしもとばななの解説がありました。

 「私のQちゃん」           よしもとばなな

  抜粋

 でも、(漫画を読み返して)改めて思ったことがある。
 Qちゃんは、なんとほとんど何の役にもたっていないし、涙もろいし人情家ではあるけれど、わがままだしマイペースだし、怒りっぽいし、案外なんでもすぐ割り切るし、けっこうクールなのだ。アニメの何倍も、「新オバケのQ太郎」よりもずっと。人々もオバケ慣れしていないから、接し方を試行錯誤している感じ。
 そうか、そうだったのか、大人になってアニメを見ていて、なんとなく感じていた違和感はこれだったのか。そして私がドラえもんは役立ちすぎるからなあ、といつでもQちゃんのほうに肩入れしていた理由もなんとなくわかった。
 この当時の豊かな時代において、なんの役にもたたない、大飯食らいの、でも正直でかけがえのない、異文化を背負った友達がやってきたということは、大人にも子供にもなんとなく嬉しくてしかたがないことだったのだ。
 みんな新しいものに接したくて、こわごわで、おっかなびっくりで、でもそのことを町中で仲良く楽しんでしまう、そんな時代だったんだ。
 今は、きっと違うんだ。それがいいとか悪いとかではなくって、やっぱり役に立ったり、悪と戦ったり、なにか不思議な力(飛べるとか消えるとか靴に化ける程度ではなくって)を持っていたりしないと、むつかしいような気がする。
 なんて豊かな子供時代を、私は過ごしたのだろう、Q太郎といっしょに育ちながら。
 あらためてそう思わずにはいられなかった。

以上が、解説の抜粋です。ちなみによしもとばななさんは1960年代生まれ。      
 
 私も、きょうの小学生と同じ漫画を読んでみたけれど、にやっとするくらいで、あんな勢いで壁に打ち付けるほど、体全体では楽しめません。書かれた時代と今は違うとはいえ、そうやって笑ってる子がいるのだから、こどもの感性には響くものなのだと思います。うらやましい。



 
 
 
英語のあいさつリレー 05月04日 (水)
 ラボはテーマ活動に心豊かに取り組む過程で、ことばを育てる。
それが誰がみてもその子に見えるようになるのは、中学生?早い子で小学生。
幼児や低学年は、CDの英語をたどたどしく真似しているようにしか、見ようによっては見えない。

 日ごろ、子供たちと関わっているテューターが、お子さんたちの成長はこんな風ですよと伝えていくことで、まだラボ歴の浅い保護者の皆様にも、「将来、話せるようになるんだ。」と安心していただけるかどうか、力量のみせどころ。

 テーマ活動や歌の発表以外に、英語の表現を見てもらえる機会はないかなと考え15周年記念発表会で、あいさつリレーを企画。

 日ごろ20パターンくらいの英語のあいさつを、軽く練習するようにしている。今回、周年表彰をもらう20名の子達がずらっと一列にならんで、そのあいさつから選んで、質問。された質問に答えて、次の子に新たな質問をするというもの。

 ○○、Do you like dogs?と、犬嫌いで知られる子にある子が質問すれば、それだけで会場からも笑いが。
 何度か練習したにもかかわらず、一週間前で、小さい子たちは覚えられていない様子で、「やっぱり音源のないものは覚えにくいんだな。かわいそうなことをしたな」と思っていました。ライブラリーは、長くてもあんなに上手に覚えられるのに・・・・。
 でも、当日も、もう一度自分がいうことを確認したいと真剣な子もいて、想像以上にみんな張り切ってスムーズにリレーが進みました。
 
 中高生クラスで、英語でフリートークというと難しくても、いくつかの会話パターンから質問してみようとサンプルを渡すと、相手にぴったりの質問をしたりして、おもしろい会話となります。
 たとえば、背の高い女の子にWho is the tallest in your class?という質問をしたり。
  
 いくつかの会話パターンを覚えているだけでも、英語を話そうとしたときには、とっさにライブラリーの英語を思い出す方法と同時に役立つと思います。
 

 
発表会が終わったあと、いつも落ち込む原因は? 05月02日 (月)
15周年記念発表直後の実行委員会、私が会場への支払いを終えて、ミーティング場所にいくと、なんか重いといってもいい静かな空気。決してはしゃいでない。

実行委員の子達は肌で感じていたのか、十分ではなかったことを。

テューターは、過去の発表会で何十回も、終了後「この発表でよかったんだろうか。」と落ち込み気味に自問自答する機会を持ち、そのたび一人ひとりのよかったところ、成長したところを確認して、成果と課題をみつけて次にすすんできた。
 その習慣があるので、今回も同じようなことをして、よかったところを見つけ、そちらに焦点をあてて反省会にも臨もうとしていた。

 最高学年が中学生、やっと高校生のときはそれで済んでいても、今回は、実行委員の中から、「納得できないところがある。」という反省があがってきた。

 特にピーターパンについて。
テーマ決定時の予想どおり、本当は小さい子全員くらいピーターになりたいし、戦いの場面がクローズアップされすぎの展開で練習は一月に幕をあけた。

 テーマは?と、実際の子供に話を聞いてみても、大人になりたくないなんてあまり感じてない。大人と子供のやることをあげてみても、意外と「大人はすごい」なんて感心しちゃってたり。
 今の子は、子供としての存在を尊重される環境にいるせいか、または子供なのに野山をかけまわるというより、時間管理の生活になれているせいか、大人になることに抵抗がないのか・・・。

 でも、「海賊役はやりたくない」と小学生以下全員拒否したように、あの姿はキライなんだ。

 
 今回は、小さい子の意見をひろって動きを作るのが大きい子の課題。
その意図に少しずれが生じてくるなか、合同練習はとても良い影響を小学生以下に与えた。
 自分が好きな話 それを大きい子たちとやること それだけで本当に幼児も含め小学生以下の気持ちが盛り上がり、素直に動きについてきた。

 たぶん、小さい子が自覚的に楽しむ場面は戦いであっても、意識下で感じているもの、フックの血の色だったり、時計の音 ワニの存在は、大きい子が枠組みを作った動きのなかで、十分に納得して育っていたと思う。
 感想にも、「大きい子が支えてくれるなかで、小さい子が十分に楽しめて力を出せている」というのもあったので、それはとても良かった点だし、いかにもラボらしいところ。

 数回の合同練習の二時間半のなか、早くにセリフ、ナレをいれてきた中高大生の英語がとびかうのは、本当に小さい子にとっては母語的な体験となりえていたのも優れた環境として感動的。

 時計が暗示するもの 大人と子供、誕生と死、時間軸のとり方等、中高生クラスで山のように話し合ったことは、当日の動きにきびきびと反映できていたとは言いがたい。
 思いはあっても、結局、見てもらう発表そのものが中途半端に終わってしまったことが、あのすっきりしない発表後につながったと思う。
 
 課題は、みんな忙しかったこと、急遽記念発表会をすることに決めたので、準備会等が間に合わなかったこと。
 
 自分たちで、いつまでにどこまでやれば良かったのか、子供たちの誰も、経験がないのでわかっていなかったこと。

 創作劇をやったことや、踊りにこだわったことで、ますますピーターの完成度が下がったことも反省にあがっていたけれど、私は、創作劇は結局、みんなの成長に大きくつながったので、そこはやらないよりやったほうがずっと良かったと思う。

 課題を、次に生かす!今までもわたしが一人でやってきたこと、それを今回からは、中高大生ときちんとやって、成長につなげよう!

 ここまで考えれば、落ち込みから少し立ち直れるのです。
 
 
 
 
10周年から15周年に起きていたこと 05月01日 ()
 自分の書いた10周年のときの記録を読み返してびっくり。
15周年とは、やっぱりかなり意識が違う。10周年のときは、主に小学生たちのテーマ活動に臨む姿勢の変化を書いていた。
 自主的に生き生きと取り組むようになる小学生への変化がすばらしかった。

 あれからの5年で自分のパーティに起きていたことは、
最高学年が中2から大1になったことにともない、自分がラボで得たものを語れるようになっていたということ。
 自分の成長が、ラボ活動のなかでいかに育まれきたか、シニア、地区活動、留学などを通して自覚でき、それを語りたいし語れるようになった。

 そして中高大生クラスの子達が、自覚的にすごくいい仲間になっている。
 それぞれの個性と出来ることが際立ってきて、お互いがそれを理解しあっている。
 15周年で創作英日劇も上演してしまったほど、みんなの能力をあわせることでやれることの幅が広がる。
 セリフやナレーションを覚えることは、前から出来ていたから、今回は、中学生ではなしえなかった表現力がついたこと。これも大きい。
 シニアメイトや地区活動を経験することで、集団をまとめるスキルもアップしつつある。 
 

みんなが今度の20周年ではねと、もう当然あるもののように語ってくれる。
 するとこれからの5年で変化したいことは何か?それも見えてくる。
 
 1 実行委員会、企画をしっかりできるようになる。
 企画やタイムテーブル作りを、どうしてもまだテューターがやっている。司会の文章、文集等も、中学生にまかせたので、結局はテューターが最後、仕上げることになった。
 そのあたりが、忙しかったといはいえ、中学生とそれ以上の学年との差がない。
  考えてみれば、第一世代は、全員が部活の部長だったりして忙しく、発表会等を自分たちだけの企画でやりきったことがない。

 2 テーマを、パーティ全体で共有する方法を見つける。
誰がどう「動いているか」そして、その動きの背景にあるものを、読み取る能力を身につける。言葉で「どう思う?」と質問するのではなく読み取る。

 3 テーマ活動という名のマンネリ劇を作らない。
 学芸会のほうがわかりやすいとパーティ初期の頃に言われ続けてから、いつのまにか、学芸会を超えるものになっていたはず。
 慣れすぎることによって「セリフは念仏のようなトーンでいえる、一応、ナレーションにそった動きもついてる」みたいな発表をすることがないように・・・。

 4 部分で遊ぶことと、テーマをとらえることを混同させない。
本当にこころが感じていることは何なのか、それを、動きとして表現できているのか 伝えたいことは何なのかを見失わない。

 
5 私自身が自分が社会に対して、保護者の方に対して恩返しできることは何かという視点でラボを考えていく。
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