幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧こども・子育て・教育ランダム新規登録戻る 0173739
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
・ シアトル小景
 シアトルのセントパトリックデイ
 スノーコルミー滝
 シアトル・タコマ福岡県人会
 外国人の作った俳句
・ 留学生帰国プログラム
 2005-2006
・ 留学生ミッドタームギャザリング
 2005 MI
 2005 MO
 2005 KS
 2006 NL
・ 雑記帳
 お宿
・ カナダの会議
 2006 Olando
 2007 Toronto
・ ニューイングランドホームスクールの会議
 2005 Boston
 2006 Peabody
・ 4Hの会議
 2005 秋, MI
 2006 春, WA
 2006 秋, ID
 2007 春, WA
Welcome!
『アエラ』から 

 昨日アエラを読んでいたら、日本の若手政治家がネオコン化し、一部には日本も核武装すべしとの意見があると載っていました。私はこの方向に危惧を覚えます。今の日本は経済も政治も閉塞感に満ちています。このような情況の中で政治家は世論の矢面に立たざるを得ませんが、それは特に政治をリードする立場の人間にとっては都合のいいことではないでしょう。このような,政治家にとっての内憂を抱えた時に,いつの世でも行われるのは,外患を作り、危機感をあおり、そこへ大衆の意識を向けて、そのオピニオンリーダーとしてのプレゼンスを確立することです。それが自身の保身にも繋がるからです。
しかし日本は世界の歴史の中で唯一被爆を経験した国で、その責任を果たすと言うことは、核の非人道性とその連鎖性、そして果てにある情況をリアルに想像し、廃絶に向かわせるということだと私は思います。安全が保証されている限り戦争は最大のショーであるという言葉を聞いたことがありますが、まさに今の政治家の立っている立場の自己認識は,戦争の中に身を置かない第三者的発想でしょう。しかしもし戦場に立ち,こめかみに銃口を突きつけられた瞬間には誰だって恐怖におののき、その情況に入り込んだ自分を悔いると思います。
そのことを思えば今日本が取るべき方向は、三流といわれる外交力を強化し、独自の視点で平和を推進するということだと思います。それは例えて言えば最近のドビルパンのような、国際人としての人を育てることだと思います。平和憲法を持ち、大戦後誰一人戦争の犠牲者になっていない国は、十分その資格と義務があると思います。
備えてしまえば誰かに疑心を生むのは間違いありません。融和を生むのは毅然とした決意に基づく粘り強い行動とコミュニケーションです。先日来日したノムヒョン大統領はその決意の点で揺ぎ無いものを持っていました。その力強さを学ぶべきと思いました。
話は変わりますが、昨日のNHKで少し前の生命の誕生の特集をやってました。人間一人一人は天文学的確立の中から生まれてきていることを伝えていました。その意味からもひとりひとりが特別なオンリーワンな存在だということです。その命をむやみに粗末にすることは何としても避けなくてはいけない。教育の原点は何にしても共通するのは命の尊さを教えることと聞いたことがあります。いまこそ大人はこの原点に立つことを強く認識しなくてはいけないと思います。

********************************************************************************
 
『鳥』

先日,春日井少年自然の家での国際交流事前合宿に参加したときのこと。たくさんのつばめが心地よい夕暮れの中を飛んでいました。そのときふと自然の家の軒先を見上げると,そこにつばめの巣があって3羽ほどのヒナが親鳥の帰りを静かに待っていました。親鳥は子どものためにせっせせっせと虫などを取ってはヒナに与え,また飛んでいくことを繰り返していました。親鳥が近づくとヒナはピイピイピイとうるさく鳴きます。エサを頂戴という自己アピールなのでしょうね。そんなときふっと私の目の前を一羽の小さな蛾がふらふらと横切りました。その瞬間つばめの親鳥はその蛾をさっとくわえ,それをヒナに与えるために巣へと戻っていきました。あわれ蛾の儚い一生は、つばめにくわえられた時に終わってしまいました。
 しかしこんな光景は朝から晩まで、それこそ日本のいたるところで繰り返されているのでしょうね。そのことを考えた時に,初春から初秋にいたる時間の中で、つばめをはじめとする鳥たち(益鳥~人間にとってね)が食べる害虫(人間にとってはね、虫にしたら何と勝手な!と思うでしょうが・・)は膨大な数になるでしょう。食物連鎖の中で鳥が生きることが人間の、極端な言い方をすれば、命をつなげていることにつづいているということは、普段は何気ないあたりまえの風景の中に隠されている、実は私たちにとっても大きな意味を持つことなのです。
ラボが25周年の時に地球環境をテーマにした,子どもたちの国際シンポジウムを名古屋と東京で行いました。その時に協力していただいたのが理化学研究所の槌田敦先生でしたが、そのとき教えていただいたのは、江戸時代、世界最大の都市であった江戸は環境的に,資源の循環が同時代のほかの世界に比してうまくいっていたとのことでした。そのことに鳥の存在が大きく関わっていたそうです。東京は今でも意外と木が多い街です。それこそ武蔵野の姿を大きく残していたであろう江戸時代には,鳥の住処である森もいたるところにあったでしょう。そしてその鳥は虫を食べるとともに、目の前に広がる江戸湾の魚をたくさん取って、目黒の秋刀魚かな?、森に帰っていったのです。そこでたくさんの糞をする。糞は森の栄養になり木が育つ。木が育てば雨を生み、その雨が栄養分を運んで江戸湾に流れ込む。するとプランクトンが育ち、それを食べる魚が育つ。それをまた鳥が食べる。人間も魚を食べ、野菜を食べ、人糞がまた畑の栄養になる。"江戸前"とはそんな環境の中で豊かに育った美味い魚の代名詞なのです。そんなことがPHP新書『環境大国江戸』にも載っています。逆に当事の世界の大都会,パリやロンドンの住環境は、全く不衛生だった。映画『恋に落ちたシェイクスピア』の中で、2階の窓から糞尿を捨てている場面が出てきますが、その状況は推して知るべし。香水が発達したのもいわずもがなです。
 先日仏映画『WATARIDORI』を見ました。3年の月日と20億の巨費を投じた映画ですが、同じ巨費を投じても『マトリックス』は確実に作れるでしょうが、この映画はその保証の無いところで作られたことを考えれば、スタッフの努力には頭が下がります。この映画はほぼ全編さまざまな渡り鳥の生態を撮ったドキュメンタリー映画で、少しのナレーションが入る以外はまさに鳥、鳥、鳥!集団で飛ぶ鳥たちに伴走?するシーンは驚きとともに鳥たちの力強さ、美しさを教えてくれました。しかし時として人間の犠牲になるシーンは命の儚さとともに、人間のおろかさをも教えてくれます。鳥が生きられるという環境は人間が生かされていることに繋がることを知っておくことはとても大事なことだと思いました。
 暮れなずむたそがれのときに、つばめを眺めながらこんなことを考えたのです。
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.