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Welcome!
 3月3日にシアトル別院で行われた福岡県人会に参加してきました。昨年に引き続き2回目です。福岡で生まれ育った私は、同郷の方々とシアトルでローカルなお話ができるということで、勇んで出かけました。
 当日の参加者は総勢で100名は越えていたと思います。シアトルでの県人会は、沖縄が一番多く、次いで広島、そして福岡と言うような感じだそうです。でも参加者のほとんどがご高齢の方で、今回も亡くなった方への黙祷から会は始まりました。お話によると若い方はなかなか来ないそうです。私でさへ最年少の部類に入るくらいです。と言うのも、ここに集う方はいわゆる移民でいらしたり、昔結婚していらした方がほとんどで、その次の世代はもう完全なアメリカ人なので足が向かないそうです。顔や名前は日本人なのですが、言葉、考え方、交友関係は完全にアメリカに密着しています。地元テレビのキャスターにも山田さんとか松川さんとかいらっしゃいますが、確かにアメリカ人ですね。ですので福岡県と言われてもぴんとこないし、集まりもその世代の関心を引くものにはならないのでどうしても高齢化になっていくそうです。
 それを考えると、人種や国籍とは何だろうと考えさせられます。初めの世代の方々でもお話は英語の方が便利と言う所にも、国境を越えて生きてきた歴史と背景に持つ文化とはなんぞ、と思いめぐってしまいます。昔、アメリカは人種のるつぼと言われましたが、その後溶け合ってないから人種のサラダボウルになり、でもこの様子を見ると、サラダのように一つ一つが完全に分離をしているわけではないけど、完全に混ざり合っていない、例えて言うならサラダにかけるオイルドレッシングのようなものでしょうか。水分とサラダオイルの間に隙間はないし、振れば一見渾然一体となる、でも基本的には分かれているし、時間を置くと完全に上下に分かれてしまう、そんな感じですかね、何か他にいい例えはないものでしょうか・・・
 さて福岡県人会は今年創立100年だそうで、夏にはなんと福岡県人会世界大会がシアトルで開かれます。いかに祭り好きの県民性とは言え、世界大会があるとは驚きです。この世界大会を行っているのは福岡県人会だけだそうです。海外は北米、中南米に散らばっているとのこと。つまりこれは昔の日本の移民政策の名残なのですね。貧しく日本で食べられなかったから外国へ行った。でもそこでも苦難の生活だったのは、割と最近南米の移民政策の誤りを認める裁判があったり、ブラジル移民をテーマにしたドラマなどからでも知ることができます。シアトルでも第二次大戦中、強制移住が行われ、財産を没収され困窮した生活を強いられた方々もたくさんいらっしゃったそうです。現在もシアトルには日本人の方が多く住まわれているのですが、それはここに来ざるを得なかった人たち、その次のアメリカ人になったの世代、そして若くしてここに仕事を求めてきたり、勉強しにきたり、私のように駐在で居たりとそれぞれに理由があってここで暮らしています。今は日本人と言えばイチローがすぐ浮かぶように、平和にいられることは有難いのですが、また先人が辿った歴史は忘れてはいけないのだなとも思います。
 さて県人会にはシアトルの総領事、田中さんも毎回いらっしゃいます。今回は直接お話しする時間がありませんでしたが、財団法人ラボ国際交流センターは外務省の管轄でもありますから、先回はご挨拶をさせていただきました。外務省の総領事と言うとどうも近寄りがたく思われますが決してそんなことは無く、気さくな方でした。今回は戦争前に日米で交換された青い目の人形のことをお話され、お隣のオレゴン州のユージーンにあるオレゴン大学に、ミス福岡が健在だと教えてくれました。ユージーンは私が76年にホームスティした所でもあり、また青い目の人形の話は、以前中部と九州でお世話になった矢部総局長からひんぱんにお聞きしたので、いつか行ってみたいと思っています。田中さんは他の県人会や日系の人たちの集まりなどにも引っ張りだこです。日本人の特性なのかなとも思いますが、領事を中心に人々がまとまる所に、封建的な国民性が反映されているのかなとも思います。在外公館というといい話は余りニュースになりませんが、地道に頑張っている方が大半だと思います。以前中部にいた時にお世話になった、元在オランダ大使館に勤務されていた杉本さんのお話を伺った時も、広く知られては無いけどみなさん頑張っているのだなと思いました。
 さて会では色々な方の挨拶に続いて、昼食を一緒にいただきました。食前食後にお話をされたのが、シアトル高野山別院の住職、今中太定さん。私と同じ頃シアトルに来て、シアトルセントラルコミュニティカレッジのESLクラスの同級生でもあります。シアトル名産鮭の切り身を頂く時にも命に思いを馳せて欲しい、とのメッセージはなかなか心にしみいるものでした。

太定さん
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 お近くの席の方ともお話しましたが、今の香椎高校(ローカルですが・・・)が女学校の時に卒業した、なんて話を聞くと歴史だな~と感じました。県人会の会長さんは本籍が福岡で日本では東京は阿佐ヶ谷にいたとのこと。元杉並区民同士としてローカルな話しで盛り上がったのは果たして福岡県人会かな?ただ福岡は柳川のお寺にお墓があるとかで、私の母が柳川なものですから浅からぬ縁も感じた次第でした。
 食事の後はみなさんのお好み演芸会があり、最後はご当地炭坑節でお開きと、楽しい中にもご縁や歴史を感じるひと時でした。
 シアトル、いまでも様々な人生を背負った日本人の方がたくさん暮らしています。


みんなで炭坑節♪県旗は太宰府天満宮の梅をモチーフにしたもの。京都では恐れられている菅公も福岡では人気です。
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