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「釣り上げては」 by Arther Binard |
06月25日 (土) |
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ふと、思い出したアーサービナード氏の詩。
大好きな詩人だ。日本語を巧みにあやつり、魂を入れ、
繊細な表現は、日本人より日本人みたい。
ラボライブラリーでは、ジョン万次郎の英語翻訳を担当。
すごい、すごい。子どもたち、いつ気付いてくれるかな。
今日は、父の命日。・・・27年も経ってしまった。
「釣り上げては」
父はよく 小さいぼくを連れてきたものだ
ミシガン州 オーサブル川のほとりの
この釣り小屋へ。
そして或るとき コーヒーカップも
ゴムの胴長も 折りたたみ式簡易ベッドもみな
父の形見となった。
カップというのは いつか欠ける。
古くなったゴムは いくらエポキシで修理しても
どこからか水が沁み入るようになり、
簡易ベッドのミシミシきしむ音も年々大きく
寝返りを打てば起こされてしまうほどに。
ものは少しずつ姿を消し 記憶も
いっしょに持ち去られて行くのか。
だがオーサブル川には
すばしこいのが残る。
新しいナイロン製の胴長をはいて
ぼくが 釣りに出ると 川上でも
川下でも ちらりと水面に現れて身をひるがえし
ふたたび潜って 波紋をえがくーーー
食器棚や押し入れに
しまっておくものじゃない
記憶はひんやりとした流れの中に立って
糸を静かに投げ入れ 釣り上げては
流れの中へまた 放すがいい。
BY Arthur Binard
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