幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 21件~30件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
水無月の終わりは君の「あを」 Jamais Contente 06月30日 (金)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる

朝、一日早いけど
ラボ・カレンダーをめくった。
小雨は降っているが
思ったより空が明るい午前7時。
東の窓を開けると水無月三十日の
朝の陽光が差し込んできた。
そのなかで、この絵の背景の青が
さっと浮き上がる。
なんというか個性ある青だ。
rennet
過去にも書いたが、
青の種類は日本でも海外でも大変多い。
スカイ、マリン、アクア、プルシャン、
ターコイス、セルリアン、ネイビー、アイスランド、
アイルトーン、アカデミー、アカプルコ
アクエリアス、インディゴ 、ミッドナイト、
オーシャン 、サックス、コバルト……。
まだまだこの10倍以上あるが、
みんなblue。

日本の色でも
藍、紺、縹色、浅縹、深縹 青黛、
浅葱色、水浅葱、甕覗、
褐色、青黒、鉄紺色、納戸色、藍鼠、
青鈍、露草色、花色、山藍摺、空色、
群青色、瑠璃色、褐返し、呉須色
など、これまたまだまだたくさんあり、
こうした色をちゃんと日常のなかで
弁別していたのだからすごい。

このなかで甕覗(かめのぞき)は、
手ぬぐいなどに使われる藍染の
やわらかい緑の入った青だ。
江戸時代の歌舞伎の台本にも出てくるし、
樋口一葉の『われから』にも出てくる。

今歳も今日十二月の十五日、世間おしつまりて
人の往來大路にいそがはしく、お出人の町人
お歳暮持参するものお勝手に賑々しく、
急ぎたる家には餅つきのおとさへ聞ゆるに、
此邸にては煤取の笹の葉座敷にこぼれて、
冷めし草履こゝかしこの廊下に散みだれ、
お雑巾かけまする物、お疊たゝく物、
家内の調度になひ廻るも有れば、
お振舞の酒に酔ふて、
これが荷物に成るもあり、御懇命
うけまするお出入の人々
お手傳ひとて、う琉さ五月蝿きを
半は斷りて集まりし人だけに
瓶のぞきの手ぬぐひ、それ、と切つて
分け給へば、一同手に手に打冠り……、

『われから』は早世した一葉の
最晩年の作品だがかなり「やばい」。
『たけくらべ』の透明な哀感とは
まるで異なるが、どこかで通底する。

青の前置きが長くなったが、
それほどに
ぼくはこの絵の青に心惹かれた。
描いてくれた人は
秋山心音(小1/横須賀市・菅野P)さん。
「ここね」さんだろうか、
「しおん」くんだろう。
たぶん前者かな。
新刊ラボ・ライブラリー
A Midsummer Night’s Dream
『夏の夜の夢』にインスパイア
された作品だ。

いきなり背景の色から入ってしまったが、
今朝の寝起きにはとても爽やかだったのだ。
そのあと、落ち着いてみると、
上で紹介したような、
まさに多彩な青で塗られている。
瓶覗もあるし、ターコイスもあるし、
マリンもある。
そしてどの青も「スカッとぬけていて」
濁りがないし、オブラートをかけたような
不透明感もない。
そして微妙な明度や彩度、コントラストの
変化がさわやかだ。

青(あお・あを)は「しろ」「くろ」「あか」
とともに「やまとこば」だが、
とくに「あを」はその表現範囲が広い。
緑、グリーンやビリジアン系も
古くは「あを」にカテゴライズされていたし
(信号は緑なのに
「青信号」というのはその名残)、
地方によっては黄色まで「あを」の範疇だった。
briny
さて青ばかり褒めていては失礼なので、
本題に入ろう(やっとかよ!)。
とにかく大胆不敵。
自由闊達、問答無用。
このエネルギーはなんだ。
もしかすると男の子の絵かもと
思ったくらいだが……。

クレパスと水彩を両方使っているが、
クレパスだけで力強く塗っている部分が
かなりの面積にわたっていて、
それだけでも相当なパワーとガッツがいる。

注 おとな場合は、
センスはあるけどガッツがない。
ガッツはあるけどセンスがない。
センスもガッツもない。
の3パターンにわかれるが。

しかも、全体におおらかで
大胆な印象を作りながら、
細部の描き込みが、
とんでもなく「良い意味で」しつこい。
やりすぎ一歩手前まで勝負している。
いい根性だ。

普通紙その手前で止めるが、
(というより、疲れるか
もう十分と思ってしまう)
心音さんは、全然満足しないで
徹底的に描き込んでいる。

この絵もかなり込み入っているが
ぼくはそこが好きだ。

描きこみすぎて
表現しすぎて失敗というのは
絵のみならず
文でも(お前がいうなだよね)
音楽でも芝居でもよくあること。
だけど、変に出し惜しみしては
伸びない。
やりすぎかどうかなんて後の話。
とくに子どものときは、
表現は出せるものを全部、
それまでの人生も総動員して
勝負したほうが悔いはない。

抑制が効いた表現、
贅肉のない表現も大事だが、
そんな洒落たことは、
気絶するくらいにやりすぎて
とことんやってから自然にできてくる。
テーマ活動だってそうだ。
人生総動員だから教育プログラムなのだ。

これだけ描いても、
心音さんは、また満足していないと思う。

地上の乗り物で最初に時速100キロメートルを
超えたのはじつは電気自動車だ。
ベルギー人の土木技師ジェナッツィは
時速67キロメートルの記録を作るが
すぐにロバーツという伯爵に
93キロというとんでもない速度を出されて
破られてしまう。
しかしジェナッツィは研究を重ね、
その3か月後の1899年4月、
106キロメートルを出す。
内燃機関もガソリンエンジンの車は
1885年にベンツによって開発されていたが、
100キロ超えはジェナッツィの電気自動車だった。
このジェナッツィが愛車につけた名前が
Jamais Contente 
「けっして満足しない」号だった。
klnn

話が逸れたが、
とにかくこの絵は観ていていて飽きない。
1か月、毎日新しい発見がありそうだ。

しかしただ描き込んでいるだけではない。
奥行き感と横へのスピード感、
ナーサリー・ライムのようなリズム感も
溢れている。
妖精たちが舞う、月の光のような
あざやかなイエローの流れがすばらしい。
とってもとっても幻想的。
まさに「夏の夜の夢」。

この光の川の上で
満ち足りた笑顔を見せる妖精の王に
象徴されるように、
すべてが祝福されている。
心音さんとこの物語は
どんな睦みあいをしたのだろう。
繰り返し聴いたことは確かだろう。

物語の山や谷、森でいえば
幹から枝から葉の一枚ずつ、
さらには下草や苔、
木のウロまでが
点滴のように体内にしみこんでいるから、
これほどの描き込みできる
エネルギーがでたに違いない。

そして蟹江杏さんの絵本の写しではなく、
しかし十分に絵本をリスペクトしつつ
自分の絵にした心音さん。

心音さんが物語を祝福し愛したように、
心音さんもまた、
物語に祝福され愛されている。
こんなすばらしい体験を
6歳でできたことは
とんでもないことである。
教育の本質は
「指導や教え込み」ではないことが
この絵一枚でわかる。

しかし、どんな楽しみながら
描いたとしても、
描き終わったときの心音さんは
相当にお疲れだったのではないだろうか。

ところで、賢明なる諸姉兄は
お気づきだと思うが、
6月、7月の絵は連続して菅野パーティである。
また、パーティは異なるが、
『夏の夜の夢』は2作目だ。

「えっ、パーティで二人も入選?!」
「物語かぶりアリ?」
と思った善良なる方がたよ。
ここでラボ.カレンダー選考内規を
紹介する。
かつてぼくがスタッフと
相談してきめたのだが、
たぶん今も変わっていないし、
秘密にすることでもないので書く。

・入選作品にいては基本的に作品主義。
・支部バランス、男女バランス、年齢バランスは
とくに考えない。
※ふしぎにばらけるもの
・12点の入選は物語の重複を避けるが、
新刊に関しては応募点数も多いこと、
また発刊をお祝いする意味で2点まで可。
・同一パーティの入選は2点まで可。
ただしひとりで2点以上入選は、
佳作も含めてできない。

というわけだ。
で、今あらためてこの絵を観たら、
やっぱりすごい!
「海はこわいところさ。 でも命の生まれるところでもあるんだ」 06月01日 (木)
gbgb
写真は武蔵学園大講堂。ぼくの仕事場。

三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる
「海に生まれて海に還る」

6月。水無月。June。
どれもいい響きだ。
水無月の語源は大きく分けて二つの説がある。
まず、な=無は「の」の変化で
梅雨で降雨が多い「水の月」から。
同例として神無月が「神の月」。
もう一つは梅雨の後のひでりで
水が無くなる月という説。

※10月に全国の神様が出雲大社に集合して
縁結びのサミットをするというのは中世以降に
出雲大社の御師(スタッフ)たちが
プロテュースして広めた「語源俗解」というのが定説。
これについて中国文学、語源研究の高島俊男先生は
「神無月は師走と同じくらい語源俗解が多い」といわれている。

この高島先生は「お言葉ですが……」などのエッセイでも有名だが、
若き日には武蔵で講師として漢文を教えられた。
ぼくも習ったのだが、とにかくぶっ飛んだ先生で
期末試験の試験監督に来て、手持ち無沙汰になり
「あのー、たばこ吸ってもいいかな」と
高校生のぼくらに尋ねた。
すると誰かが半分冗談、半分呆れて
「いいんじゃないすか」といったら、
本当に高島さん
(先生と呼ばずに
さんづけでよぶ習慣がある)は、
ベランダに出て一服した!

なお、Juneはローマ神話の
女性の守護神Junoからだ。
Junoはぎりしあ神話のヘラーと同一視される。
なお、フランス語ではJunon。
みなさん不倫はダメよ。
bnhnh
前置きが長くなった。
昨夜遅く、カレンダーをめくったら、
思わず「わっ、海のなかだ。すげえ」
と呟いてしまった。
危ないおじさんである。
作品はラボ・ライブラリーSK7より
The Ocean-Going Orchestra
『うみのがくたい』にインスパイアされて
描かれた絵だ。
描いてくれたのは
佐藤菜月さん(小5/横須賀市・菅野P)だ。

『うみのがくたい』といえば、
ラボ・カレンダー
では初夏から夏の定番で、
毎年かなりの数のentryがある。
したがって、当然にも多数の傑作、
力作、名作が過去に登場しているから、
このテーマで入選を果たすのは
けっこう大変なことである。
どうしても何か
「ここにもない」「どこにもない」
新しい美しさや感動を
『うみのがくたい』という物語から
引っ張り出してくることが求められる。

で、ぼくも過去のカレンダーを
出してきて眺めてみた。
そして、納得した。
菜月さんの「揺るぎない個性」に脱帽した。

まず「水中感」が半端ない。
ゴホゴボト知ってしまいそうである。
アクアラングをつけて一緒に潜水している感覚がある。
『うみのがくたい』を描く子は
魚やクジラたちが海上で
演奏したり楽器をもらったりする場面が多いのだが、
菜月さんの絵はもろに水底、海中である。ゴボゴボ。

で、なによりすごいと思うのは、
物語をしっかり理解し、取り込みながら、
色もフォルムも構図も、
原作絵本から解き放たれた
自由に菜月さんの造形であることだ。
強いていえば、上方の夕焼け空の
sunset orangeが絵本に近いが
ぎゃくにこの夕焼けこそ
『うみのがくたい』の
肝であることを示している。
その夕焼けも濃淡を使っていて
物語の深みとリンクしている。

魚たちの描き込みも楽しい。
カメやイカやクラゲの色合いや
魚の鱗の模様なども全く自由だ。
イエローと水色のイカなんで
普通は思いつかない!
3匹のカメの甲羅が全部違うのもニクい。
ピンクのクラゲもおしゃれだ。

ニヒルな笑いを浮かべるクジラも
ジャック・ニコルソンのようでかっこいい。
真っ黒の面積が大きいのはきわどいが、
周囲の魚たちの描き込みが
たくさんあるので気にならない。
とにかくこれだけの色を使って
細かく最後まで描き込んだ集中力は
物語の力の証明だ。
『うみのがくたい』を
菜月さんはパーティでどんな
楽しみ方をしたのだろう。

色のすばらしさばかり書いたが、
構図や魚たちの動き、
絵全体に溢れる音楽性、
戦慄とリズムもこの絵の魅力だ。
さっと描いたようにように見える
小魚たちの群れ(これも色分けされてる!)が
画面の右から左へながれ、
対して大きなクジラは右へ向かっている。
その間で、イカやクラゲが浮遊し、
他の魚たちさまざまに踊っている。
(楽器を持っているのはクジラ
だけかと思ったら、鈴やタンバリンや
トライアングルも持っているだ!)

それらが奏でる音楽と水中で繰りひげられる
パフオーマンス! 
いやあ、これはすごい。ゴボゴボ。

そして、忘れてはならないのが
船の乗組員たち、まさにコラボしている。
だけど背景の夕焼けと相まって
彼らの演奏が切な聴こえてくるのはなぜだろう。
ひときわ紅い中央の夕焼けと、
荒れているような波間の
せいだろうか。
hdn
菜月さんが感じとった『うみのがくたい』が
ここにある。
それは絵本の写しではない。
菜月さんの『うみのがくたい』への思い。
そして海への思いではないか。
想像だけど、菜月さんは海が大好き。
そして水族館やお魚も大好きかな。
横須賀だからはっけいじまの水族館には
なんども行っているかな。
どうしてこの物語を選んだのかな。

原作絵本の絵は
「原爆の図」で夫である
丸木位里氏とともに
ノーベル平和賞の候補にもなった
(といわれるが、公式的なものではない)
画家の丸木俊先生である。

ぼくは埼玉の丸木美術館でも
広島でも長崎でも先生の「原爆の図」と
何度も対面している。
とくに長崎は長男が小1、
長女が保育園のときに連れていった。
広島や埼玉は
高校生くらいになれば
自力でいけるだろうと思ったからだ。
「強烈すぎるか」とも思ったが、
現在35歳の長男は記憶にあるという。
長男が明治の政治経済にいながら
卒論にチョムスキーをえらび、
アクティビストとしての彼に着目して
「テロリストの再定義」を書いたのは
長崎の原体験が影響しているかもしれない。

『うみのがくたい』の絵は
丸木先生は2年をかけて制作されている。
イルカやサメなどの動きに
たいへん苦労され、近所にすむ
「おさかな博士」の少年
から助言をうけたというエピソードもある。
nhh
そして、先生は人間の生命や尊厳をおびやかすものへの
怒りは苛烈で、容赦はなかった。
かつて「ラボの世界」のインタビューで
ラボっ子たちがお宅をたずねたときも、
核エネルギーと人間が
共存不可能であることを説いてから、
ドクロのお面を全員につけさせて
「原発反対!」とシュプレヒコールを
子どもたちとともにされた。
 
『うみのがくたい』の物語を構成するモティーフ
海、夕焼け、音楽、海のいきものたち。
これはすべて美しい。
いやモティーフ、動機というより
キエティーフ、動かない静機と
いってもいいかもしれない。

海は、遠くに開かれ、
水平線の先にはなにも見えないがゆえに、
古来から多くの想像がなされた。
不老不死の国や黄金の国、
さまざな楽園を人は想像した。

そして多くの命が冒険にでて帰らなかった。
いや海に還ったというべきか。
そして戦もあった。
若きかけがえのない魂がやはり海に消えた。
しかし、海はぼくたちをを惹きつけてやまない。
行ってみたいなよその国。
9.11の直後、そんな海への思いと平和への願いを込めて
ぼくは『十五少年漂流記』のエンディングテーマ
「海へ」の詞を書いた。

『うみのがくたい』の
丸木先生の夕焼けも、間宮先生の音楽も、
すべては海にきえた命への
鎮魂のように思える。
これは何度も書いた話だが、
あるとき5歳のラボっ子が『うみのがくたい』についてこういった。
「先生、あの船は
ほんとうは沈んだだよ。
だからあのお話ができたんだ」

かつて瀬戸内海の高島という島で
「海の学校」をやっていたとき、
若い漁師の「タカちゃん」という
おにいさんがこういった。
「海はこわいところさ。
でも、命の生まれるところでもあるんだ」
無心の筆、『きょうはみんなでクマがりだ』と選考会の思い出 05月01日 (月)
jam
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
卯月から皐月へ。
すでに緑が息苦しい。
その下で新入生たちの声が
小鳥のように飛び交っている。
学園暮らし、4年目の初夏だ。
nh
昨夜、記念祭と夜の会食で
けっこうグダグダに疲れて帰宅し
泥のように眠った。
eew
それでも今朝は5時に目覚め、
朝食前の朝日のなかで
カレンダーをめくった。
朝の自然光で観る色が
絵も人も風景も本来の色だ。
美術館のプロによるライティングも
素敵だが、
午前のやわらかな自然光のなかで
コーヒーなど飲みながら
ぼんやりながめる
友だちが5分で描いたリンゴのイラストに
救われるときもある。
品のない話で恐縮だが
夜のルージュより
朝の光を反射する
血の通いはじめた唇が
艶かしいときもある。
とにかく今朝は、
この5月の絵が疲れた身体を
癒してくれた。
絵は
Helen E. Oxenbury絵、
Michael Rosen文による絵本作品を
もとにしたラボ・ライブラリー
We're Going on a Bear Hunt
『きょうはみんなでクマがりだ』に
題材を求めたもの。
ujjuy
描いてくれたのは、
石郷岡将汰くん(5歳/伊丹市中出P)だ。
人生爽やか笑顔で毎日を過ごしたいが、
年を重ねるごとに、
いや子どもでも
嫌なこととか、つらいこととか、
くそーっみたいなことはしょっちゅうある、
それは『かいじゅうたちのいるところ』の
マックスが証明している。
でも、それらのお悩みの大半は
客観的に見れば些細なことが多いが、
本人にはのっぴきならない大事だったりする。
そうした心の底の小石や沈殿物を
吹き飛ばす術をはいくつかあるが
その明快な一つが将汰くんのような
無心で自由闊達な絵だ。
無心、自由とことばにするのは
easyだが、
10歳を過ぎるとなかなかできない。
ジョアン・ミロは5歳の眼を持っていたと
いわれるが、
誰しもミロになれるわけではない。
パブロ・ピカソは晩年、
幼いこの絵のような作品をたくさん
つくり、
「やっとこんなふうに描けるようになった。
70年かかった」といっている。
ピカソにしてこうである。
何も考えるなといわれると
人間は考えてしまう。
「彼女のことを考えないようにする」
というのは
「彼女のことを考える」のと
事実上同じことである。
禅宗のなかで臨済禅などは
公案という
理論では説明できない問題を考えて参禅するが、
(有名なのは「隻手の音」、両手を打つと
音がするが片手の音とは……)
曹洞宗などでは黙照禅といって
基本的に何も考えずにひたすら瞑想する。
昔、その黙照禅を体験したとき、
邪念の塊のぼくへのadviceとして
「目を瞑り、目の前の庭の風景を
想像して集中しなさい。
そして、灯篭とか、松とか、池とか、
順番に消していってごらんなさい。
すべて消えた状態を保てばいいのです」
そうやってトライすると身体は
あまり動かないし
ある程度だけど無っぽくなれた。
でも眠りそうになった。
かように無心は難しい。
将汰くんは、
おそらく無心で描いている。
哲学的な意味での無心かどうはさておき、
少なくとも
「うまく描こう」とか
「じょうずだねといわれたい」とか
「先生にほめられたい」などとは
考えていない。
「こんな絵では怒られるかな」とか
「もっとていねいに描きなさい」
っていわれるかなとも考えていない。
じつは上記のことは、
大人や、ある程度の年齢になった
子どもはつい考えてしまう。
uyuy
これも推測だが、
将汰くんのクレパスと筆を
動かしているのは、
ただこの物語が好きな気持ち、
この物語によって刻まれた
心のリズムだけだ。
そう、「そらはこんなにはれてるし」
という透明な気持ちだけだ。
だから、色を見てごらんなさい。
空も草はらも
「スカッと抜けて濁りがない」
この澄んだ色を観ながら食べる
朝ごはんは最高の気分だ。
しかし、ただ透明なだけではない
草はらにはビリジアン系の
濃淡で色変化があり、
空のsky blueに雲が気持ちよい。
人物の肌色も澄んでいるし、
クマの茶色もいい感じだ。
巧まずして空の色と補色関係になっていて
茶色の重さを消している。
色数は消して多くないが、
濁りなく彩色されているのは、
毎回、筆をよく洗って
柄も拭いているか、
複数本の筆を用意したのかわからない。
そのあたりに大人のadviceがや
あったのがどうかは不明だが、
仮に助言があっても、
それを持続して実行するのは
将汰くんの年齢ではたいへんである。
基本はクレパスで線を描き、
不透明水彩で彩色していると思われるが、
そのクレバスの線に躊躇がない。
うまく形を取ろうという狙いがなく
まさに無心で、楽しさのなかで
物語のリズムのままに引かれた線だ。
そのことが、動きと速度感を作り出した。
これもこの作品の魅力だ。
人物もクマもフリーズしていない。
また、水彩での彩色も決め手だ。
ラボ・カレンダーの絵の応募サイズは
たぶん将汰くんの肩幅より広い。
それは彼にとっては驚異的な大きさのはずだ。
その面積をクレパスで塗るのき
たいへんな負荷になる。
クマの楽しそうで
かつとぼけた、
「ここまでおいで」的な顔がいい。
人物の表情は、
うれしそうでもあり、
びっくりしてそうでもあり、
怖がっていそうでもある。
いろいろ想像が広がるから
5歳くらいの子どもの絵はおもしろい。
無心に描いているからそうなる。
受け手の想像を刺激してくれる。
いかにもクマだ! びっくりとか、
ではつまらない。
もともとこの絵本は
詩人のマイケル・ローゼンが
キャンプソングをもとにしてして文を書き、
オクセンバリーが絵を描いた。
muu
物語が終わった後の
「とめ絵」で、
「ほんとは遊びたかったのに」
という雰囲気で
寂しそうに帰っていくクマが
描かれているのは
オクセンバリーの解釈と遊び心と
「思い」だろう。
ハンティングという行為に対する
穏やかなアンチテーゼとも取れる。
将汰くんはどう感じたのだろうか。
単にリズムのよいお話以上のものを
感じ取っていることは確かだと思う。
この物語はラボ・ライブラリー
『ドン・キホーテ』に収録され
1997年夏にリリースされた。
20年前の作品だ。
このときは久しぶりに
日本語音声収録をラボっ子で行なうことにした。
テープ応募による
一次選考を経て、
二次選考をワークショツプ形式で
開催した。
演出の西村正平先生の指導で
数グループに分かれて練習して
相談タイムの後、
また発表してもらった。
そんななかで、
自然と選考をすることができ、
その選考会自体が教育プログラムとして
成立した。
じつはぼくは、ラボっ子に
制作に参加してもらいたいが、
いわゆるオーディション
みたいなものは
ラボになじまないと感じていた。
しかし、スタジオに行くのは
限られた人数だ。
単に落ちたとか、合格したという
短絡的な選考会ではなく、
それ自体がワークショップ的な
プログラムになって、
結果としてはスタジオに行けなくても
参加してよかったと思わってもらえる
選考会になればと思ったことが
実現した。
だから、この物語以降、
ラボっ子から音声吹込み者を募る場合は、
はっきりいって手間はかかるが、
できるかぎりワークショップ形式で
行なうようにした。
そして、必ず参加してくれたラボっ子には
以下のメッセージを
一次選考を
通過できなかった子には文書で、
ニ次選考以降の場合は直接語りかけた。
「この吹込みラボっ子募集に
応募しようと行動してくれた
みなさんは、その時点で
制作の仲間です。
みなさんの
ラボ・ライブラリーづくりに参加したい
というハートに感謝します。
そして、こんなにも
多くの子どもたちに愛されている
ラボ・ライブラリー制作に
携われることをほこりに思います。
できあがったラボ・ライブラリーに
クレジットされる
『日本語吹込み=ラボ・パーティの子どもたち』とは、
録音したラボっ子だけではありません。
みなさんたちすべて、
この募集に応募してくれた
みなさん全員のことです。
だから、今日の結果はどうあれ、
ぼくは、わたしは、
ラボ・ライブラリー制作に参加したんだと
どうどうと自慢してください。
ぼくも、みなさんたちのような 子どもたちと
仕事ができたことを
ラボを知らない友達に自慢します。
世界には、まだ多くの不公平や
飢餓や難病や暴力や諍いがあります。
そうしたゴツゴツした世界のなかで
ラボのような活動ができる幸せを
たいせつにしてください。
そして、世界をもっとまるく
やわらかくしといける力をもった
おとなになってください。
そのためにみなさんはラボで
学んでいるし、
今日もそのためにたあります」
選考会に来るラボっ子の熱気は
おとなが想像する以上に高温だ。
だから命がけで向かわなければ
彼らに申しわけができない。
そうも思い続けてきた。
「愛されること」/青春の日付変更線を超えて 03月23日 (木)
ruth
写真は国際基督教大学、マクリーン通りの桜。

「ラボ国際交流のつどい」に参加して
という感想文みたいなものをFacebookに書いたら
予想以上に反響があったので
こちらにもアップする。

昨日、文京区シビックセンターホールで
「ラボ国際交流のつどい」に参加した。
2011年から皆勤賞だ。
現役事務局員だったときは、
夏に新刊が出るときは
録音や編集の追い込みでスタジオにいた。
逆に冬に新刊が刊行されるときは
必ずスタッフとして参加していた。
また、その夏はキャンプで
大統領や村長をするか
国際交流の引率をしていた。
国際交流では、幸せなことに
1978年に25歳のときのMichigan州引率を
かわきりに、
Kansas、Massachusetts、
Rhode Island、Connecticut、
Arkansas、Louisiana、
Indiana、Washington、
第3回中国交流副団長、
第2回Mexico交流団長、
第1回New Zealand交流団長
などで引率経験を積むことができた。
思えばこうした国際交流やキャンプで
子どもたちと直接に関わる経験があったから、
ラボ.ライブラリー制作を続けられたと思う。
事務所とスタジオだけにいては
乏しいぼくの想像力はあっという間に
枯渇していただろう。
thigh
京都、直指庵の葉もみじ

国際交流の引率をするとき、
参加者やシャペロン、
そしてホストファミリイに
一貫して伝えてきたことがある。
それは、
The most important thing in
this International exchange program
is not to do many activities but
to be loved by people in new country.
なんだかキザで恐縮だが
国際交流活動の目標としては
新しい国での新しい家族との
暮らしのなかで、
なにを体験し、なにを学び、
なにを得るかという
獲得すべき体験や感動に思いがいきがちだ。

もちろん、それ自体は参加の
Motivationだし
物見遊山ではない教育プログラムとしての
国際交流活動の最もたいせつな部分だ。
しかし受け入れてくれる
ホストファミリィにとって
日本の子どもがホームステイすることが
どんな「良きこと」であるかにも
思いを馳せねばならない。
受け入れる家庭にとっても
教育プログラムであること。
それが、相互交流の基本であり、
ラボ国際交流を
産業や商業ではなく、
大きな善意という同心円と繋がりのなかで
長年継続させてきた根拠だと思う。
hmm
秋田男鹿半島の寒風山。

そのうえに立って考えると
新しい家族や街の人びとに
愛されることは
わかりやすい「良きこと」のあかしだ。
愛されることは
愛することよりも難しいかもしれない。
それを考えるのがプログラムかもしれない。
だが、昨日、
昨年度参加者による
彼らの準備と体験と今がギュッと凝縮された
スライドを映写しながらのスピーチには、
彼らがいかに愛されたが明示されていた。
だから感動する。
ラボ国際交流は
子ども能力のデモンストレーション
に行くではないから、
いわゆる特技がなくても、
明るく、なんにでも積極的で
感謝の心をもち、
「意思を伝える努力」ができるという
地球市民としての基本があればいい。
もちろん「なにかできること」があれば、
受け入れ家族にとってはよりうれしいことだが、
上記のような「普通の地球市民」であれば、
十分に「良きこと」である。
これは「受け入れ」を体験すれば
より鮮明になることだが、
遠くからやってきた
言語も生活習慣目標異なる国から
やってきた少年少女を
受け入れる側も緊張する。
しかしそのことによって
家族はreunion、再結合する。
新しい家族のメンバーと関わるなかで
親は子を、子は親を
夫婦は互いを見直す。
平板化していた家族のあり様が立体化する。
そして、新しい家族を近隣に紹介することで、
地域社会も再結合していく。
そのことが、ラボのような
比較的低年齢の国際交流において
受け入れ団体が期待していることの
ひとつであることはまちがいない。
ラボ国際交流は
日本の民間交流の歴史のなかでも
大きな、かつ特別な足跡を残してきた。
その特徴は、なにより
幼いときから準備して参加することと
相互交流であることだ。
さらに、参加者のみならず
青少年国際交流の教育力を確信する
多くの関係者が長年にわたり
しかもvoluntaryに
力を合わせてきたことも見逃せない。

これらは、学校に象徴される
Formal educationではなかなかなし得ない。
それは学校に勤務して4年経た今、
強く感じる。
というより、ラボのような
非公教育、informal educationならではの
活動であるといえる。
これはテーマ活動も同様で、
ラボの物語を公教育に持ち込む、
あるいはそれを活用したスタイルの授業は
十分に可能だが、
たとえば公立小学校において、
週1回、45分の授業だけで
家でラボ・ライブラリーに触れることがなければ
「ラボ活動」そのものはできない。
ラボ国際交流は幼いときからの
テーマ活動という教育プログラムを
基礎におくことで成り立っているから
やはり公教育での「海外研修」とは
大きく異なるといえる。

さらにいえば、
パーティ活動や地区の活動、
キャンプなどでの
異年齢のグループによる学び合い、
体験の共有もまた
公教育では容易なことではない。
これもまたラボ国際交流を成立させている要件だ。
毎年の「国際交流のつどい」は
客観的には「民間の一教育・交流団体の内輪の式」だ。
しかし、前述した
民間ならではの
言語体験プログラムに裏打ちされた
相互国際交流による教育プログラムの
社会的意義と責任を確認する場でもあると
今年も再々再々確認した。
rgerg
武蔵学園、中の島のイロハモミジ。

よくいわれることに
ラボ国際交流には3段階の特徴がある。
第1段階は、
幼いときからラボ教育活動に参加し、
キャンプ、事前活動と続く準備。
もちろん、準備そのものもプログラムである。
第2段階は、夏のホームステイそのもの。
より良いチャンスは
準備した者に与えられる。
そして最も美しく長い第3段階は、
夏の体験と感動を携えて、
地球市民として生きていく
残りの人生すべてだ。
テューター・シャペロン代表として
あいさつされた野田知美テューターは、
まさにその3つの段階を
自らの体験を交えて明確に語られた。
「国際交流は教育プログラム」ですと
明るくいい切ったのは感動的だった。

私的な話になるが、
野田パーティの先代、すなわち
野田知美テューターのご母堂には
生前、長男と長女がお世話になり、
知美テューターも高校生時代から
存じあげているので、
立派なテューターになられたなあと
ついウルウルとしてしまう。
世界は今、またきな臭い。
極端な愛国主義、排他主義が
ちらついている。
家族を愛せ、国を愛せと
強制されることに息ぐるしさを感じる。
その愛をなぜ
世界や地球に広げられないのかふしぎだ。
誰かさんがいうように
世界のまんなかで輝く国より
国民から、世界から愛される国になってほしい。
グローバルということばがあちこちで
便利に一人歩きする今、
多様性が否定されかねない状況がある。
異質なものを忌避する芽が潜んでいる。
ラボ国際交流のこれまでの
民間交流としての継続の歴史、
湾岸戦争でも天安門事件でも
9.11でも途切れることのなかった流れは
評価されねばならないし、
誇りにしなければならない。
そして同時に、この流れを
さらにたくましく
未来に向けて続けていく
社会的責任も自覚しなければならない。
そしてこの夏、 青春の日付変更線をこえる
子どもたちよ、
こうした体験ができる幸せを
たいせつにしてほしい。
きみたちはまだ、
どんなおとなになるか
何者になるかはわからない。
でも、何にでもなれることを
信じてほしい。
世界を変えるのはきみたち自身だ。
そんなことをまた確認できた一日だった。
例によって長くなったので、
jh
金沢兼六園。

写真は「日本の四季っぽい」ものを
並べてみた。
日本を離れることは
日本を知ることであり
新しい自分と出会うことでもあると
ぼくは体験を通して思う。
弥生の夜の夢 Early Spring’s Dream 小さい頭を捨てて大きな心で 03月03日 (金)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる
いきなり3月をとばして4月の絵の感想をアップしてしまい
混乱をよんでしまった。
あらためておわびする。
hyryh
で、仕事部屋であらためて3月の絵をみたら、
がーんとやられてしまった。
カレンダーの入選内規には
「基本は1物語1点だが、新刊に関しては
最大2点まで」というのがあるから、
「今年は『夏の夜の夢』は2点入るだろう」と予測していた。
そして早々2月に掲載されたので
次はまあ5月か6月の夏至のころがオシャレだべと
勝手に想像していた。
そうしたら、なんと連チャンである。
これは不意打ちだ。

夏の絵はまだ見ていないが、
(その月まではめくらない。
初見で、でもじっくり見て
感想を書いている)
多分「夏! 夏ーっ」という絵が来ているのだろう。
楽しみだ。

描いてくれたのは鄭裕里さん(小2/郡山市・山崎P)。
1年前に新刊の告知パンフで
蟹江杏さんの絵を見たとき、
ネット住民的にいうなら「キターッ!!」という
声を心で発したが
今回は「キタキタキター」だ。

これは前にも書いたのだが、
作品について触れる前に
誤解のないように前置きを少し。

裕里さんの所属する郡山市の山崎智子パーティは
「カレンダーの絵の活動」開始以来、
ほぼ毎年、入選、佳作入選を続けている。
ぼくは現役のときから
ひそかに「山崎流」とよんできた。
もうここまで続くとひとつの伝統、あるいは文化といっていい。
本来ならHall of Fame入りといいたいところだが
ラボっこは常に新しいのでそうはいかない。

山崎テューターご自身は
たしかに絵の素養がある方なのだが、
特別な絵画指導をパーティで
しているわけではない。

そのことは山崎テューターご自身が
「子どもたちの絵は、
あくまでライブラリーと深くむきあい
テーマ活動に心から取り組んだことが
もたらす結晶のひとつです。
ライブラリーの聴き込みと
テーマ活動ありきなのです」
と、きっぱりとぼくにむかって
おっしゃられたことがある。

しかし、それだけではない。
パーティ内で描画活動を
プログラムとして位置付けてきた
パーティ全体の組織体験の蓄積も
無視できないとぼくは思う。

歴代のラボっ子が
ラボ・カレンダーの絵の活動をテーマ活動の
しめくくりのひとつとして
毎年取り組んできたことが
確実にうけつがれているのだと思う。

ここの成長が全体の成長になり
全体の成長が新しい個々を育てる。
その循環。
これは教育論というより組織論である。

さあ絵に戻ろう。
一見すると、絵本の模写のように見える。
でもそうじゃない。
全然違う。
ラボ・ライブラリーの音声と
蟹江さんの絵にインスパイアされて。
いやそれらをすべて
裕里さんが耳と心と眼で
身体の中に取り込んでから、
それを心の底の方で咀嚼してから
ギュッと絞り出された新鮮な果汁だ。

ご存じのように杏さんの絵は
ドライポイントという版画の一種だ。
それに対して裕里さんはクレパスと水彩。
画材も技法も違うが、
おそらくたぶん、もしかするときっと、
お二方に共通するのは、
「ストーリィや物語のテーマを
頭でこねくり回すのではなく
大きな心で自由闊達に思い切り描いた」ことではないだろうか。
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『夏の夜の夢』は、貴族・妖精・職人という
三種の存在がキイであり、
その間に唯一自由に介在するパックが
まさにtricksterとして機能する。

そして、
物語のほとんどが都市や宮殿ではなく
森のなかで展開するが、
それらを分析するのではなく、
物語や登場人物から感じる
「ふしぎさ」「あやしさ」「うつくしさ」「せつなさ」
「いとしさ」「もどかしさ」「きらめき」
なんかを心のままに表したのだろうと
勝手に妄想する。

ピカソは「この頭をどこかに飛ばせば
自由に描けるのだが」といい、
晩年には子どものいたずらがきに見える
素朴な線の作品を描いて
「やっとこういうふうにできるようになった。
70年かかった」ともいっている。

しかし自由とめちゃくちゃは異なる。
蟹江さんの絵にはプロとしての
揺るぎない造形の確かさがある。

そうしてみると裕里さんの絵は
中心にどんと描かれた鋳掛屋Stoutが
三頭身にデフオルメされ、
さらに広げた両手もかなり長い。
バランスがくずれているように感じるとしたら、
それはリアルな人体のフォルムにとらわれているからだ。

逆に考えて、
絵本と同じようなプロポーションで描かれていたら、
これほどの迫力は出なかった。
この大きな顔が作品として成り立たせているのだ。

おそらく裕里さんはStoutの顔から描いていったのだろう。
そしてどうしてもこの大きさが必要だったのだ。
だからクレパスの線に迷いがなく力強い。
顔に合わせて手も長くなったのは自然な成りゆき。
帽子を後から描きたしているのもおもしろい。

フォルムにとらわれて
コミックのような輪郭線を細かく描くと
(コミックを否定しているわけではない)
どうしても世界が区切られてしまい、
さらに「はみ出さない」意識がはたらいて
「ぬり絵」になってうごきが止まってしまいがちだが、
裕里さんの場合は、
ブラウン(に見える)のクレバスでのびのびと引かれ、
しかもタッチの強弱や太さの変化もあるので楽しい。
さらに、線にこだわらずに彩色していて力がある。
(結果してほとんどはみ出していないのもすごい)

で、ぼくはなによりStoutのBlue eyesの水色が好きだ。
さみしそうであり、遠くを見ているようでもある。
チークと大きな口の赤の濃淡差もおもしろい。
芝居掛かったセリフが聞こえてきそうだ。
顔色に微妙な変化が付いているのもニクい。
とにかく
これから1か月、毎朝、この顔にあいさつするのが楽しみだ。
まだまだ発見できることがありそうだから。

シャツのボーダーもただの縞ではなく、
クレバスと水彩で重ねている。
1本ずつ意思を持って描いているのだ。
それが掲載された機械性ではなく、
あるリズムを感じさせる。
最初から、この作品全体に音楽を感じていたが。
こうしたポーダーにもそれがあるんだと途中で気づいた。
イタリアンレッドっぽいズボンもかっこいい。

そして、この絵も描き込みの「しつこさ」がすばらしい。
これでもかというくらいに色位なものが描かれ。
さらにそのひとつひとつが、
小さな蝶でさえ、色変化がつけられているように、
すべてが可能な限り細部まで描き込まれている。
「やりすぎ」一歩手前まで描いたパトスがすごい。

でも、「まあいいや」で止めるより
やりすぎくらいでちょうどいい。
描き込みすぎて変になっても、
さらに描き込むくらいでちょうどいい。
音楽でも文学でも学問でも探検でも
「やりすぎ」過度、too muchが
栄光への道だとウイリアム・ブレイクという人も
いってるけんね
探検でやりすぎは命が危ないが
絵でやりすぎはどんどんGOだ。

裕里さんの溢れる物語果汁は濃厚だ。
パックもいたずらっぽい顔でのぞいているし、
ロバの頭を被せられたボトムスも
なかなか情けにい顔つきだ。

背景のの抑えめの水色にも変化がある。
そして三色すみれの描き込みは特にすごい。
みているぼくらもおかしくなるかも。
裕里さんもクラクラしたかもしれない。

この作品は一見、絵本の15ページを
もとにしたようではあるが、
最初に書いたように、
裕里さんのなかで醸成された物語が
ギュッと抽出されたものが
Stoutに集約されているのだと思う。
だから「との場面」といういい方はしにくいと思う。

このあたりはご本人にきいてみないとわからないが。
たぶん、これだけ描ける裕里さんは
「ないしょ」というだろうし、
そんな説明ができるならこんな絵は描かない。

はっきりしているのは、
裕里さんとこの物語の音声と杏さんの絵が
激しくであい、裕里さんが強烈にinputした結果なのだということ。
その過程にどんなパーティ活動、言語体験があったか!

イメージは言語の充実のなかから生まれる。
心のままに描くためには、
十分な言語のinputが必要なのだ。

テーマ活動でも、あまり聴き込みが進んでいない段階で
「発表会まで日にちがないから
今日はこの場面を考えよう」
なんて話し合いをすると、けっこう空疎だったりする。
しかしことばがメンバーのなかに入り
音楽CDで活動するようになると、
みんなが「それいい!」と感動するアイディアが続出するのも
イメージと言語の関係をよく表す経験則だ。

先日の「わかもの」でも、
そうして生まれただろう瞬間がいくつもあった。

最後にStoutは「鋳掛屋」Tinkerであるが、
tinkerは動詞では「いじくりまわす」という意味もある。
また鋳掛屋は定住した職人の前は漂白する旅の仕事師で
蔑称でもあった。

技術を持った漂泊者は笛吹きやバードだけではなかったのだ。
ジャックぼうずは教えてくれた 「空だけは自由」ってね。最年長世代の役割/成長の物語たち 03月01日 (水)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる

弥生。
今日もまだ気温は低いが春だ。
3月は祖父も祖母も
母親も妹もぼくの長男も長女も、
そしてぼくも誕生月なので特別な思いがある。
また、出会いと別れ、旅立ちなどの
人生の場面転換とその決断の時期でもある。
foggy
今朝は5時に目が覚めて、
なんとなく寝足りない頭でシャワーを浴びて
のそのそと服を着てから、
寝室のカレンダーをめくった。
東側のカーテンの隙間から
朝日が糸のように差し込むと同時に
ジャックが「おはよう。どうした」と語りかけて着た。

ジョセフ・ジェイコブズのイギリス昔話から
制作されたラボ・ライブラリー
『ジャックと豆の木』に題材をもとめた絵だ。
描いてくれたのは
菱戸理那さん(小4/小金井市・沖野P)。
ありがとう! ぱきっと眠気がとんで
昨日までの心のそこにあった小石が溶けていった。

そして、朝食をとりながらずっと眺めていたら、
じわじわと色々なことが見えてきた。
何から書こうかな。
ちょっと見はごく普通に物語の一場面、
おそらくは空高く豆の木を登って
大男の城を望むところにいるジャックだろう。
あるいは頭上の鳥は金の卵を産むめんどりか。
だとすれば帰り道?

ジャックは画面のどまんなかで、
ものすごいバランスで平然と立っている
ように最初は見えた。
じつにピュアでとらわれのない顔つきだ
でも、いたずらっぽくも見える。
そして何より
「この先には何があるんだ」という好奇心にあふれている。
真っ赤な口とこちらを直視した目、
拳を握った両手は好奇心が勝っているにぢがいない。

とにかくこちらにさまざまな想像をさせてくれるのは、
それだけで楽しい絵である。
これはひと月じゅうぶん楽しめるな。

それでふと思ったのは、
このジャックの好奇心も、
さまざまに想像を喚起するたたずまいも
理那さんの心映え、
理那さんの物語への思いそのままなのではないか
ということ。
この物語とどんな体験をしたのだろうか。
木になる。いや気になる。

もう少し細かく見よう。
なんといっても画面を左上から右下に
ズンと伸びている太い豆のツルが、
この絵の大きなポイントだ。
おそらく左上から一気に描き、
後から濃淡や小枝という小さいツルを描いて
仕上げたのだと想像するが、
(違うかな)
迷いのない線の力強さには脱帽である。
なにやら書家の線のごとき気合いと清々しさがある。
理那さんの体格はわからないが、
何かスポーツをやっているか、
あるいは書道を習っているのだろうか。
これはまったくの想像だけど、
割と小柄だけど体幹がしっかりしているのではないかしら。

このツルが画面を分断しているようだが、
右下は断ち切りで左上は雲の上の城に繋がっている。
なので、世界は区切られておらず。
むしろ奥行きと高度、さらに
「まだツルが成長しているんじゃないか」と思わせる
速度感が出ている。
ツルの弾力もある。
それに気づいたときに、
びっくりして味噌汁にむせそうになった。
baby
ともあれ、こうした点はじっくり見ないと
立ちあらわれてこない。
ぼくみたいな凡人はなおさらだ。

色のことを描こう。
濁りがなき「抜けた色」が気持ちいい。
もちろん濁りがあっていい感じになる場合もあるが、
この物語、この場面には
空の透き通った感がすてきだ。
色数は少ないようだが、よく数えるとかなり多い。

空やツルにグラデーションがあり、。
しかも細かい。
だから雲が流れている。
それでいてさっき書いたように濁りがないから
毎回、ていねいに筆を洗い、
根本もちゃんと拭いているき気がする。

ジャックのぼうしり朱色、scarletも
かっこいいし、ブラウンの上下に
ツルの色に合わせたベルトもおしゃれだ。
イエローオーカーの靴も軽そうでよい。
そして肌色もスカッと抜けている。

とにかく全体に迷いがなく
すっと描いているように見える。
だが、楽しみながら描いていながら
じつは相当体力も気力も消費しただろう。

今年は5年生。
このまま描き続けて欲しいと心から思う。
fg g
この物語の原作者は
イギリス人のジョセフ・ジェイコブズ
Joseph Jacobs 1854 - 1916だ。
1900年から刊行された
「イギリス昔話集」「ケルト昔話集」は
重要な仕事だ。
田舎道の日向の砂ぼこりのような
「土臭い」 感じは
グリムの北ドイツの深い森の物語とは大きく異なる。
また、金持ちも権力者も
ときには自分自身も突き放して笑う
ヒューモアもその根底にあり、
地方語もいかしたリズムのよい語り口は
英語のマザーランドの物語の面目躍如だ。

ナムーサリー・ライム、
シェイクスピアとともに
イギリス昔話は英語にちかづくための
必須の宝物だ。

ジェイコプズはイギリス人で
ケンブリッジ大学で学んだが
生まれはオーストラリアのシドニーだ。

彼は座談の名手で
人を飽きさせることがなかった。
それで多くの著名人が
ジェイコブズと食事をしたがったという。

ここからは「わかものフェスティバル」の感想です。
「わかものフェスティバル」に思う。
最年長世代の役割/成長の物語たち
注 暴力的に長いです。
新江古田から大江戸線。
青一で乗り換え半蔵門線で三軒茶屋へ。
ここから二両の東急世田谷線。
全線で10駅5キロ。
都電荒川線とともに東京に残る路面電車だ。
住宅の間を縫うように走ったかと思えば
いきなり環状七号線を横切る。
そして7分も乗れば松陰神社前だ。
松陰神社は安政の大獄で処刑された
吉田寅次郎松陰を高杉晋作らが
改装してここに祀った。
「わかものフェスティバル」が開催される
世田谷区民会館はこの駅から徒歩で6分ほど。
松陰のアカデミックパワーが届くだろうか。
もっとも松陰はradicalな
アクティヴィストでもあったから、
その行動力にもあやかりたい。
などと思いながら若い人たちや
子どもたちの流れとともに会場へ。
風弱く、快晴。
はずかしいのでサングラスをかけていたが
ずくにバレる。SNSおそろし。
世田谷区民会館は建築界の巨匠、
前川國男の設計でコンクリート打ちっぱなしの
力感あふれるおしゃれな建物だが
竣工された1959年には斬新であっても
さすがに設備や機能面ではそろそろ限界か。
世田谷区ご一考願いたい。
「わかものフェスティバル」は
通称「大学生年代」すなわち
大学生、専門学校などに通う、
あるいは働いている概ね18歳以上の
ラボ・パーティ会員たちによる
「支部ごとの有志による年間の表現活動」の
報告、発表会である。
40年前、18歳以上の会員が少なかった頃は
大学生活動と一般的に表記していたが
高校卒業後の進路が大学進学率上昇の一方で
専門学校などに多様化していくなかで、
「大学生だけじゃない」ということから
「大学生年代」という表記が使われるようになった。
しかし、冷静に考えると、
「大学生年代」という表現も「大学生ありき」的で、
大学生に価値を付加している印象がある。
気にしすぎか。
そもそも彼らの年代に特化したプログラムが
生まれたのはキャンプにおける
「大学生コーチ」が最初である。
1980年のことだ。
高校生以上によるシニアメイト活動は
すでに存在したが、
ラボ活動の柱のひとつである
キャンプの教育力をテーマに
年間で研究活動を行ない、
その実践として
キャンプ本部に事務局とともに入村し、
運営、安全管理に関わり、シニアメイトの支援も行う
「教育プログラム」としてスタートした。
この教育プログラムというところが
大事な点で事務局の助っ人や下働きではない。
とはいえ、今やキャンプの運営は
彼ら抜きでは考えられない。
この「大学生コーチ」もスタート当初から
順調だったわけではない。
それまではロッジでワイワイやっていたのだが、
そこから出て「本部」という
管理する側に回ることは、
同じラボっ子のなかに
Hierarchieが生まれた印象を作った。
ややこしいことに
シニアメイトには大学生もいたからなおさらである。
しかし物語による連帯、子どもたちへの眼差しという
ブレないベクトルは強い。
さらにCamp must go on,という姿勢が
そういった課題を陶冶していき、
現在まで受け継がれている。
その次に誕生した大学生年代の活動は
カレッジメイトである。
キャンプと並んでラボ活動の柱である
国際交流プログラムをテーマにしたプログラム。
そしてその実践の場が、
ラボっ子たちの国際交流の出発や帰国の対応、
事前活動のサボート、「国際交流村」などの
独自のプログラム、また海外から来日する
青少年受け入れ対応などである。
そうなると、ラボの最も大きな柱である
物語をテーマに据えた大学生年代の活動があっても
いいのではないかとなる。
じつは1970年代には「むさし学堂」という
在京中心の大学生有志による
大胆なプログラムがあり、
専門家も交えたかなり突っ込んだ表現活動があった。
しかし、残念ながら、
創始者であり求心力を持ったトップ2名の
教育論の相違と経営者としての問題から
おこった後にいう「組織混乱」の
まきぞえを食う形で「むさし学堂」は終焉する。
大学生コーチ誕生の数年前である。
そのあたりの経緯はいずれ細かく書く時期がくるだろうし、
極めて単純なことと複雑な背景が同居するのだが、
いずれは誰かがしっかり総括して解題すべきだと思う。
その後、1983年くらいから、
やはり大学生年代の表現活動が
したいという声が高まり
本部主催で「あずま学堂」としてスタートし。
1年かけて『ふしぎの国のアリス』
(ラボ・ライブラリーはまだないので
自分たちでスクリプトを作り、音楽も作った)
そして翌年は『オズの魔法つかい』に取り組んだ。
どちらもぼくが担当したのでよく覚えている。
(この時は北関東信越支部の組織担当者だった)
話はややそれるのだが、
ぼくは大学生コーチに
キャンプ委員として対応したし、
カレッジメイトも第1期、2期と担当した。
「学堂」にしろ、コーチにしろ、
カレッジメイトにしろ、
日常活動の基本は原則として
パーティのない月曜日の夜がほとんどだった。
(どの活動もフランチャイズであるパーティ活動を
きちんとすることが前提で、今もそれは変わらないはず)
活動の後で食事をしたりすると帰宅は遅くなる。
それら全てに付き合うにはなかなかたいへんだ。
しかし、大学生たちの自主性を尊重するという
いいかえで「放置」はできない。
ラボの看板で行うプログラムである以上、
対応するおとなには活動内容と
メンバーの行動への責任がある。
大学生年代であっても、
また仮にフェローシップのような
成人の活動であっても、
ぼくは「見つめるまなざし」が大切だと確信している。
それは指導とか、善導とかいったきもち悪い
外側からの力ではない。
彼らの全力に応えうる、commitしうる
感性と教養と熱意と視野の広さを
総動員したおとなとしての向き合い方だ。
彼らはそうした事務局やテューターの関わりを
求めていることは今も変わらないと思う。
ただ単なる年長者としての圧力や
半端な口出しはただの迷惑だ。
今、かつてそうした大学生年代の活動をされた
40代、50代のOB・OGとFBを通じて再結合し、
情報交換をしたり、食事をしたりする機会が増えている。
それが時を超えて成立するのは、
やはり全人的に向き合った青き日々が根底にあり、
しかもその源泉が物語と交流にあったからである。
なかなかフェスティバルにいかないので
申し訳ないが、
この機会に大学生年代の活動を振り返っている。
「わかもの」というラボでのtermはかなりふるい。
ラボ・ライブラリーや「ことばの宇宙」
の文法と表記では、概念に引っ張られやすい
漢字は動詞も名詞も、
意味を限定して使うというルール、慣行があり、
「ことば」と「こども」はひらがなと、
最初に定村さんや谷川氏から教わった。
言葉より「ことば」のほうがラボらしい。
言の葉ではない。もっと広く深いもの。
ひらがなにすることで想像力が求められる。
12年ほど前に議論の末
一般の文書では「子ども」を用いるようになったが、
ぼくは今でも「子・ども」ではなく「こども」であると
思っている。ましてや子供ではない。
「ことばがこどもの未来をつくる」のだ。
「わかもの」もそうした文化から生まれたと思う。
「若者」という熟語に押し込められない
青少年の柔らかさと強さを表現し得ていると思う。
さらにいえば
「わかもの合宿」がまず先に発生し、
その後、支部ごとに大学生年代の会員が増えてきて
それぞれで表現活動のグループが成立するようになってから、
その活動報告の場として、
「わかものフェティバル」が誕生し
合宿とセットとなり
ラボ最年長世代会員のビッグプログラムになった。
開催する支部は立候補とそれを受けた討議で決まるが、
単純に持ち回りにすると
支部にもつごうがあるので、
あくまで立候補というモティヴェィションをだいじにする。
今もたぶんそうだろう。違ってたらごめん。
今年は東京がホスト支部。
2012年に開催して以来の5年ぶりである。
このときもフェスティバル会場は
この世田谷区民会館だった。
さて、まずもって開催に尽力された実行委員、
ならびに発表された各支部のメンバーに
心よりお礼をいいたい。
自分の同年代の思考や行動を振り返ると
ただリスペクトしかない。
情報量も多く、多忙な大学生活であるのに、
ラボ・パーティ活動、
さらにはこの大学生年代の活動に
時間と体力と経済を費やしている
その意思の強さと持続性、
そして活動への信念には喝采しつつ頭を垂れたい。
その前提のうえで、少しくこのフェステイバルで学んだことを
書いていきたい。
「わかもの」の諸君には耳が痛いこともあるやもしれぬが、
まあ「海を知っている古い水夫」のぼやきと思ってほしい。
はっきりしているのは、
いくら古い水夫が潮や浅瀬を
わかっていても未来への助けにはならないこと。
新しい海を見つけるのは、常に新しい水夫だ。
いただいたパンフレットには
「伝える。応える」がテーマだとある。
そしてごあいさつの文には
合宿の分科会のお題のひとつが
「テーマ活動は教育か芸術か」であると
力の入ったことばが掲げられている。
狭いスペースの限られた字数のなかでは
比較的よく書けていると思った。
というか正確にいうと、
なんとなくいいたいことは斟酌できる。
もっと書けるだろう! といいたいが、
きびしくいえば「それだけの理解と思考だから」
それ以上には書けないということだ。
何かのっけから苦言で恐縮だが、
「もったいない」と思うからだ。
これだけの中身のあるテーマ活動という
極めて知的で、全人的で、コミュニカティヴで
何よりクリエイティヴな活動をアピールしてほしいからだ。
「わかものフェステイバル」を内輪の祝祭で
終わってはもったいないからだ。
準備はたいへんだろうが、
メディアに取材要請をし、記者会見をするくらいの
外への力が欲しい。
発表テーマに関係した専門家の先生や
教育現場に関わる人たちを来賓として招くこともできたろう。
その橋渡しを事務局に依頼すれば、
喜んで協力してくれただろう。
もったいない。
「見せる」「伝えたい」と書かれているが、
その相手をラボの外側に想像していれば
あいさつ文はもっと緊張したものになつたろう。
(固い柔らかいという意味でなく)
とはいえ!
このあいさつ文も、SNSを使っての事前発信などの表現も
前述した今付き合っている40代、50代のOB・OGの
現役時代に比べたら数倍進んでいる。
(彼らもそう思うだろう)
今、彼らは色々なフィールドで
すばらしい仕事をして、
すばらしい文も書いているが。
その原点はラボでの体験だとみないっている。
そう考えると、
十分今の若者はすばらしい。
そのうえで、もったいないというわけだ。
というのも、
ラボの年長世代としての
社会的責任も自覚してほしいからだ。
これまでなんども書いたが、
ぼくは今、私学ではあるが学校という
公教育の場にいる。
ふしぎなことだが、ラボから離れるほどに
ラボのような学校外教育のたいせつさが
はっきりとわかる。
ラボは単なる仲良しグループでも
英語サークルでもない。
社会的責任を持った教育組織だ。
だから、最年長世代の「わかもの」が�これまでラボ活動で得てきたものを、
どうやってラボや社会に還元していくのか。
それを考え、行動できるようになることも
「わかもの」のラボ教育活動の
ひとつの山頂ではないか。�そうした還元の貴重かつ重要な一例が、
「わかものフェスティバル」ではないかと思う。
合宿のお題の答えではないが、
テーマ活動は教育プログラムだと
常々書いている。
これを否定したら「ラボ教育センター」は成立しない。
またラボ・ライブラリーを長く制作してきた者として
いえば、
「芸術作品」を作ったつもりはない。
もちろん教材でもない。
ラボ・ライブラリーは
「英語と日本語音声と音楽による物語と絵本」であり、
一人で聴いても楽しく、仲間と活動すれば
よりすばらしい言語体験、表現体験ができるものだ。
だが、その制作にあたっては
言語、音声、音楽、絵、構成などにおいて
高い芸術性と創造性、想像力喚起力などが
求められている。
そういう関係だと思う。
芸術の定義は難しいが、
ぼくは芸も術も使ったつもりはない。
多分、ラボ・ライブラリーに関わる専門家の
先生方もご自身を「芸術家」とはくくっていないだろう。
ところで、
あいさつにあった「伝える・応える」は、
とても気に入ったことばになった。
テーマ活動が教育プログラムであることと、
「わかもの」がテーマ活動で「伝えたい」と思うことは
まったく矛盾しない。
「伝えること」とは何かを学ぶプログラムになっているからだ。
また、ぼくはいわゆる「ラボの発表会」は、
発表の仕上がりより、
観る側が何を学ぶかがたいせつと確信し、
観ることも教育プログラムと断言しているので
大いに共感できた!
発表10編を1日で観るのは修行、荒行に近いが、
うまく休憩も入っていたので完走できた。
第一部は前から3列目のかぶりつきで観て、
表情などもよくわかった。
ランチのあとはMCの開始時間を信じて戻ったら
もう『太陽へとぶ矢』がはじまっていたので
最後列で観たが、
それも全体を俯瞰するおもしろさがあった。
大学生年代の「伝える」ことをテーマにした
しかも参加費ありの発表なので、
テーマ活動についての感想も少し書こう。
これはうれしいことだが、
全体にラボ・ライブラリーをよく聴いている
印象が強かった。
もちろん、支部、個人ごとに濃淡はあるが
「作った感」「なぞった感」が少なく気持ちよかった。
1年かけたインプット、
物語との睦みあいが感じられた。
これは観ていた後輩たちにとって
すばらしい贈り物、お手本、メッセージだ。
子どもたちは敏感に感じているはず。
英語のみ、英日、どちらも
「ことば」が安定していたので
表現も自然にできていたとと思う。
こんなことは中高生までの発表なら
書かないけど。
今回の物語をよくよく観ると
「明るい、元気一杯」の物語より
圧倒的にヘヴィなテーマが並んだ。
『ギルガメシュ王ものがたり』『幸福な王子』
『ヘンゼルとグレーテル』『太陽へとぶ矢』
『ドリームタイム』自分のドリームタイム
『マクベス』『ハムレット 悟り』
『注文の多い料理店』『はだかのダルシン ケルトイの掟』
『ドリームタイム』最後のレッスン
いやいやすごい。
で、思ったのは、意図してか偶然か
これらの物語の縦糸は「主人公の成長」であること。
『注文の多い料理店』は果たしてそういえるかは
微妙だが、
(暗色のレストランのホール員を思わせる
コステュームはいい感じ! 紳士二人のキャラの違いも
出ていて驚いた。よく聴いているなあ)
それ以外は
困難と助言者、気づき、
そして克服による成長がある。
このパターンは昔話、伝説、ファンタジーの
定番、定石ではあるが、
そのことがクリアに伝わってきたのは、
発表者自身が成長しているからに他ならないのだろう。
これらの物語のうち、
ぼくが直接制作に携わったのは
『ギルガメシュ王ものがたり』
『注文の多い料理店』
『はだかのダルシン ケルトイの掟』の3編だ。
やはりドキドキする。
もっともリリースされてしまえば
ライブラリーも小説も映画も音楽も
受け手のものになり、解釈も味わい方も自由だ。
でもいつも感じるのは、
自分が世に出した物語が
ラボっ子たちによって「さらに成長している」喜びだ。
今回もそうだ。
「えっ、こんなにおもしろかったし
深かったんだ」と再発見して感動した。
上記の3編ともそうだ。
これは物語にとっても作り手にとってもうれしい。
だからこそ、前述したように
ひとりでも制作に携わった先生に
観てもらいたいなと思った。
でも、そのほかの物語も、
1年という月日をかけて
物語を愛してきた心が伝わったし、
彼らひとりひとりが、
物語から愛されていることが感じられた。
あえて書くと、
個人的にインパクトを強く受けたのは
『ギルガメシュ王ものがたり』と『マクベス』だ。
それぞれ目から鱗なところがあった。
『ギルガメシュ王ものがたり』も『マクベス』も
はげしさのなかにソフィスティケイトされた表現が
ちょっと、おっ! ときた。
でも、ラボラトリーは実験室。
贅沢をいえば
ラボの最年長世代ならではの
もっとブッとんだ、
「こいつら何考えてるんだ」という
限界突破、テーマ活動の常識をひっくり返すような
挑戦が一つ二つあってもいい気がする。
ことばの宇宙の果てまでは100万光年。
50年は旅のはじめなのだから。
ラボ・カレンダー2月の絵 浮遊感、透明感、未来感、幻視感 02月07日 (火)
生まれてはじめてinfluenzaに罹患し
ちょうど1週間籠城をした。
その間、ほとんど寝ていたが
くだらないcolumnや食事についての投稿は
Facebookにしていた。
どれも寝転がりながら、iPhoneかiPadで
書き込んだもの。

じつはカレンダーの絵の感想も、
そうやって書こうかとも考えた。
ラボ・カレンダーは寝室のテレビの斜め上にも
掛けているから可能といえば可能だ。

しかしそれでは、身体も心も削って
全力で作品を書いたラボっ子に失礼というもの。
ちゃんと明るい午前の自然光で
しっかりと色々な角度や距離から拝見して
イスに座って背筋を伸ばして書かねばと思い直した。
これまでそうしてきたから、
インフルごときの理由で「やっつけ」はまずかろう。
いやあ自らハードルを上げているな。
ether
作品は、昨年夏に刊行されたラボ・ライブラリー
A Midsummer Night"s Dream
『夏の夜の夢』に題材を求めたもの。
描いてくれたのは
小林花帆さん(小1/耶麻郡猪苗代町・野澤P)だ。

毎年、3000枚以上全国から送られてくる
「ラボ・カレンダーの絵」で
もっとも応募点数が多いのは
「最新刊の物語」に題材を求めたものだ。
これはほぼまちがいない。

したがって新刊の物語に関する絵は、
点数が多いから力作も多くなり、
結果として激戦になる。
で、一応ルールというか内規があって、
「原則、同一物語からの入選は1点までだが、
新刊については最大2点まで可」
「同一パーティの入選も原則1点までだが
作品によっては最大2点の入選まで可」
となっていた。
現在は、わからないが基本は作品主義で、
支部バランスなどの組織力学はあまり考慮しない
点は変わっていないと思う。
※あまりに入選作が一支部に偏ることは避けるが、
不思議なものだが結果的には分散する。

一次選考で残った180〜300枚を
大きくABCの3グループに分けるが
選考委員の一人でもAといったら、
その作品はAグルーブに入れる。
この方式だと最初のほうに観た絵と
終わりの方で観た絵では、基準が変わっているし
鮮度や疲労度もある。

絵を選考委員に見せるときは、
作品名と作者の年齢のみを発表し、
質問があれば性別はいうが、
作者名、パーティ名はもちろん、
支部や地域も告げない。
極めて透明かつ公正だ。

そこでCグルーブの作品を逆の順にまた観ていき、
選考委員が一人でもBといったらBにあげる。
いきなりAにジャンプする場合もある。
続いてBも同様に見返していく。
作品は何度も観ることで発見がある。
音楽でも一度聞いただけではピンとこなくても。
次第に好きなっていくことはよく経験する。

そうやって絞られたAグループを
テーマ別、季節別に仕分けてから
各月を飾る入選作12点と次点となる佳作を
選んでゆく。
ここからがじつは血なまぐさいといったらオーバーだが、
たいへんなたたかいである。
選考委員にも好みがあるし、
というか絵は基本的に好みの世界だから
当然なのだが、全員一致で「○月はこれ!」と
一瞬で決まる場合もあるが、
1枚の作品で30分以上の議論になったりもする。

昔、『太陽の子パエトン』のおぼまこと先生が
ゲスト選考委員でいらしたときなど、
先生はたいそう気に入られた1点をだきしめてしまい。
「ぼくはぜったいこれ! だれがなんといってもこれ!」
とみんなが賛成するまで手放さなかったこともある。

今回はゲスト選考委員に
この物語の絵を担当された蟹江杏先生が参加されたと
カレンダーの表紙に書かれているが。
どんなお気持ちで選ばれたのだろうか。
(じづは12月に国分寺のサロンでお目にかかったときに
感想をお聞きしたのだが、そのときは「とても楽しかったですし、
いっぱい私の作品をテーマにしてくれて嬉しかったです」と
だけおっしゃられていた)

子どもたちの絵はエネルギーに満ちているから
気合いを入れて観ないと魂も体力も吸い取られる。
マジに体重が落ちる。
1986年の秋から2008年まで、
毎年の3000枚以上の子どもたちの絵を観てきたが、
振り返ればカレンダーいがいの作品も含めて
10万枚近い子どもたちの描画作品を観たことになる。
それはえがたい経験だったと思う。

ともあれ、ラボ・カレンダーの絵の選考は
ラボ・ライブラリー作りにも負けない緻密さと
こだわりで行なっているのだ。
子どもの全力に応えるのはおとなの全力しかない。

さて長い前置きだったが、ここから本論だ。
タイトルに浮遊感、透明感、未来感、幻視感などと
カッコつけて書いたけど、
確かにそういう魅力はいっぱいなんだけど、
最初に感じたのは
「ラボっ子の描く絵はも、なんでこんなにやさしいんだろう」
という素朴な感情だ。
hyjhjet
でも、この点はずっと思ってきたことでもある。
「やさしい」とというのは単に色合いとか
タッチとかいうことではない。
強い色や暗い色の作品もあるし、
激しいたタッチの絵もある。
でも、ラボっ子の絵はやさしい。
それもひ弱な皮相的なやさしさではなく、
強さに裏打ちされたやさしさなのだ。

贔屓目かもしれない。
だが、毎年3000枚以上のなかから選ばれてくる作品は、
力強さ、言語では説明しきれないパワー持っていることは
まちがいないし、
そのバワーがやさしさの源泉のひとつであることも確かだろう。
さらに、ラボっ子が睦み合ってきた、
愛し愛されてきた「物語」の持つ陶冶力が、
ラボっ子の魂を研磨し、鍛造し、
熟成させていることもその背景にあるはずだ。

そしてあたらためて見返すと
オベロンもパック? も
なぜに! というほどにやさしい。

しかし毎回のように書くが、
花帆さんの年齢で、この大きさの画面を
隙間なく、しかもこれほど細かく彩色するのは
尋常なことではない。
描き終わって
夏の夜の微熱どころか、
大熱を出したのではないかとしんぱいになってしまう。

しかし、そんな疲労感や「ここはラクしよう」という
手抜き感は皆無であるのに驚く。
しかも木の葉もherbも
すべてが柔らかく緩やかに浮遊している。

そして透明感が気持ち良い。
これだけ複雑に色を変えて
濁らずにスカッと抜けた色合いになっているのは
毎回ていねいに筆を洗い、
柄までしっかり拭いているはずだ。
(そうたくさんの筆は使用していないだろう。
8号と10号の丸筆くらいだと思うが、
本人に聞いてみたい)

さらにこれだ細かい描き込みなのに
タッチは自然で線に迷いがない。
自由闊達で天衣無縫な自在さがある。
それでみごとなパランスと造形の確かさもある。
恐れ入ってしまう。
蟹江先生もおそらき「あらま」とびっくりし、
そして手を叩いて大喜びされたと思う。

さて、未来感という感想に
「なに?」と思われた方も少なからずいるだろう。
A Midsummer Night's Dream、
がシェイクスピアによって書かれたのは
1595年 - 96年といわれ、
Romeo and Julietとほぼ同時期の作品だ。
シェイクスピアはいうまでもなく古典、
クラシックであり、
ギリシア悲劇とともに人類の言語遺産といっていい。

しかし遺産だから、クラシックだから
「古い」わけではなく「昔のこと」でもない。
時や地域を超えて人間の普遍的な本質を
描破するという意味において、
古典は常に新しい、今のこととして向き合える。
逆にいえば、古典はすべからく
当時のニューウェーブである。

ミケランジェロしかりベードーベンしかり。

そして古典はときを超えて不滅である。
おそらく200年後に聴いてもベートーベンは魂を打ち
ミケランジェロはぼくたちをその前からくぎづけにし、
シェイクスビアは繰り返し上演され、
新しい演出がいくつも生まれているだろう。

花帆さんの作品はそうした古典の本質を感じ取り
「物語を説明する」というつまらなさを放棄して、
「夏の夜の夢」の発するメッセージに素直にリアクションし、
さらに未来への希望、強いていえば
「諍いなき世界」への思いを描きこんだように見えるのだ。
考えすぎかもしれない。
でも妖精の王と稀代のトリックスターの顔からは
現在の世界の危うさへの警鐘も響いてくる。

最後に幻視感というのも聞きなれないことばだろう。
visionaryは「幻想の」「幻想的な」という意の
形容詞であるが
「幻視者」「空想家」という名詞でもある。
夏至、あるいは夏至前のアテネの森でのできごとを
(Midsummerの解釈は多々あるがそれは河合先生に
お任せしよう)
花帆さんはリアルに視ることができるvisionaryのような
感性に満ちているのではないだろうか。
「視えないものをみる力」、想像力にすぐれている
ということだけでは、
花帆さんの年齢で、これほどの絵が描ける説明にはならない。

イェーツというアイルランドの大詩人は
「人は心に深い傷を負うとvisionaryになる。
しかし、ケルトのように生まれた時からvisionary
である人びともいる」といっている。
もちろん花帆さんは魔女でも妖精でもないが
人並みはずれて強い空想力と
その世界に遊べる力を持っていることは確かだと思う。

それはおそらく絵本を描いた蟹江先生も同じで、
そのvisionary同士が引き合って、
この作品が飛び出た気がしてならない。
作家の作品を魂ごと受け取る子どもは多い。
j uyjtujt
一冊の絵本は怖るべき才能をよび起こしたのかもしれない。

ドリックスターといえばプロメテウスも
トリックスターだ。
人類に火を与えながら、死を避けられないmortal
な生き物にし、さらにパンドーラを送り込ませられる。

さてトランブというトリックスターを
このオベロンはどう見ているのだろうか。
2017年 今年もやっばり物語だぜ! ことばがわしらの未来もつくるのだ 01月01日 ()
あけましておめでとうございます​。
buggy
2017年が始まった。
毎年、どうしようかと思うのだが、
やはり継続は力なり、であり、
小さな積み重ねが遠くに行く唯一の方法という
イチロー選手のことばに学び、
一人でも読者がいるかぎり、
ラボ・カレンダーの絵の感想を書いていこうと思う。

なんども書いたことたが、
これはけして批評や評価ではなく、
あくまでも私的な感想である。
いやそれよりも作品を描いてくれた子どもへの
ありがとうのきもちが強い。

ラボ・カレンダーの絵を描こうという活動は
開始から32年になる。
描画を子どもの表現の一つとらえ、
それをひたすら激励するというシンプルな思いが
そのきっかけであり、
今もそれは不変であると思う。
ijh53
描画活動そのものはラボ教育プログラムに
明確に位置付けられているわけではない。
ただ子どもたちはラボの物語や歌と睦み合うなかで
自然にノートや紙にその喜びを描く。
それらは絵であったり文であったり、
ときには両方であったりする。
描きなさいと「指導」される我ではないのに描く。
それは極めて自然なoutput。

ラボ教育の基本的スタンスのひとつは
「ひとりの子どもが物語との関係から生み出す
あらゆる表現を受けとめ、認め、激励する」
ことである。
これは数値化可能な形で評価をしなければならない
公教育教科ではなかなかできないことだ。

ラボ教育のなかで描画の意味が明文化
されているわけではないと書いたが、
ぼく自身も子どもと絵の関係を理解しているわけではない。
しかし、以下のようなことを私的には想像する。
好きな物語を描くことで自分のものにしたい。
ラボ・テューターや両親などのたいせつな人と
喜びをわかちあいたい。
物語から受けた心のふるえや余韻は言語化しにくいから絵にする。
でも、それはことばが育っている証ではないか。
ハートの筋トレ。

まだまだあるが、これらのことはぼくのこじつけ、
あるいは単なる妄想かもしれない。
本当のところは発達心理や児童心理の先生にお任せだが、
子どもはそのことを否定されない限り
基本的には「絵を描くことが好き」なことはまちがいない。
泣くこと、笑うこと同様に自然なoutputだからだ。

32年間、職員時代からずっと子どもたちの絵を見てきたが、
なにひとつクリアになってはいない。
ただひたすら子どもたちとoutputに感動してきただけだ。
でも子どもと絵の関係から学ぶことは多い。

日本の印刷技術は世界でもトップレヴェル、
いや世界一といいきっていいが、
印刷した絵と原画では色合いもタッチも変わる。
でも印刷することで絵は広い世界に出て行くことができる。

ひとりのラボっ子が描いた絵が
日本じゅうのラボっ子の家の壁をかざる。
海を越えて外国の友の部屋もかざる。
すてきなことではないか。
そしてなにより描画活動の激励ではないか。

ラボっ子が絵を描くのはほとんどが自宅である。
ラボ・パーティの時間内に描くことは稀だ。
だからこそ、カレンダーの絵のように
でっかいサイズの絵を全力で描くような企画を立ち上げ、
「描画祭り」で盛りあげようじゃないかというわけだ。

しかし、この活動も子どもたちに支持されなければ成立しない。
応募される作品がなければ始まらない。
子どもたちは偽物を見抜く。
おとなの計算づくの企みを看破する。

32年間も毎年300枚の絵が送られてくることは
子どもたちに認められているということだ。
そのなかにテーマとなった物語について
思い出すことなども触れられればと思っているのだ。

前置きがながくなったが、
年のはじめなので根っこのぶぶんを描きたかったのだ。

さて2017年の年頭を飾る絵は
レオ・レオニの名作『フレデリック』
Fredrickに題材をもとめた作品だ。
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描いてくれたのは
常山咲織さん(小2/上尾市。生形P)。
暗い話題が多かった2016年を
明るく飛ばしてくれたね。

めくった瞬間、部屋か明るくなり心にも光が射しこんだ。
原作の絵本はどちらかという抑制した色調で
色数もそれほど多くない。

だが見よ! 咲織さんの色を。
いったい何色使われているのだろう。
ざっと数えてみたが、黒も含めて少なくとも10色はある。

おそらくは細字と中字のマーカーかサインペンで輪郭をとり、
色鉛筆かクーピーペンで彩色したのだと思う。
こうした方法は輪郭という「線」にこだわり過ぎると
「塗り絵」になってしまい、
躍動感がなくなり、線によって世界が分断されてしまいがちだ。

しかし、咲織さんはそんな定石も吹っ飛ばしてしまった。
それはなにより線の迷いがなく、
すっと描かれていること、
中心のフレデリック以外は比較的細い線であること、
ほとんど隙間なく、仲間のノネズミをはじめとして
さまざまな物を描き混んでいることで世界を構成していること、
などずそのパワーの根拠だ。

さらに細かくいうと、
フレデリックをどまんなかよりやや右におき、
左にバランスをとるようにインパクトの強い物を描いている。。
これで奥行きが出ているので、塗り絵ではけしてない。
また、咲織さんの線は自由な曲線でほとんど構成されているが、
(直線もあるが直線も曲線の一種にしている!
これは幾何の基本)
じっとさんぷん以上眺めているとわかるのだが、
ふしぎなリズムがあって、
それぞれがバウンドしているような楽しい動きがある。
こういうことはばっとみただけではわからない。

絵にかぎらず子どもの表現をその場だけで
簡単に判断したり評価することがいかに危険で
子どもにとって災いであるか、
改めて自戒を込めて思うのだ。
ます受けとめて「やったこと」という事実を肯定したい。

さて、もっとおどろくべきは、ていねいな彩色だ。
とにかくこれだけの面積を水彩絵の具ではなく
色鉛筆などで色をつけていくのは大変なことである。
体力も気力も根気も必要だ。
8歳という年齢から考えるととんでもないこと。
背景の青なんか、もうすごいの一言。

フレデリックのカラフルさはいうまでもなく楽しいし、
とんでもない発想だ。
絵本では灰色のフレデリックをこんな色彩にしようと思った
咲織さんのとこの物語の関係わら知りたいものだ。

これは、ぼくの勝手な想像だが、
これまさに「色や光やことば」を集めたフレデリックを
表したのではないだろうか。
それともオシャレにしてあげかっただけかな。

さらにすごいのは、
フレデリック以外の物もすべてが
細かく色を変えて描かれていることだ。
それも同系色の濃淡や補色もあるから驚く。
やはり今の子どもたちは
ぼくの子ども時代とは比較にならない色数を見ているし、
かつてならありえないcollar coordinationのも
今はぎゃくにオシャレだ。
音楽も、バッハの時代では許されない和声も
ベートーベンが、シェーンベルグが、
ジョン・ケージが革新してきたように。
r3434
そして!
フレデリックの勇気と誇りに満ちた顔!
『だいじょうぶ。
きみはきみらしくあればいいんだ」
と激励し
「難しそうな顔は簡単。
たいへんなことはわかってる。
前を向けよ」
と叱咤している。

そして、今思ったのだが、
咲織さんは、ひとつひとつの色ら
何か特別な思いをこめていたのではないだろうか。
それはことばにすれば
「希望」とか「成長」とか「憧れ」とか「勇気」
といったものではないか。

そうだ。
確かに年齢に関わらず、
自分らしくあることが困難な
息苦しい時代ではある。
なんども書くが、
自分らしくあることは、他者の個性も認めることだ。
ここから出発しないかぎり、
人類の持続可能性は高まらない。

以下は過去の文と重複するが
大事なので少し変えて描いておく。

レオニの絵本はだれにも楽しめる一方で
人間の尊厳や存在に関わるテーマをやわらかに提出してもいる。
「あるがままを愛する」「自分の心に自由に生きる」。
それらのことは口でいうのは簡単だが、
なかなか社会はゆるさない。
フレデリックのような孤独、
孤立もまた表現者のたいせつな資質である。

この物語はまた、「ことばの力」が大きなテーマである。
そのことばの力はけして楽観できる状況ではない。
20世紀以降、現実がフィクションをこえてしまう
劇的なシーンをつくりだすため、
現実や世界をことばで支えることが難しい時代が続いている。

レオニはこの物語ではさらに
「ことばの力」が生み出す「絶望を希望にかえる力」
「命を活性化する力」を描きたかったのだろう。
彼はオランダで生まれ、
イタリアに住んだがファシスト政権から逃れて
アメリカに亡命する。

そのおだやかな画風からは想像ができない
きびしい人生をあゆんだ人だ。
そんな背景をもつからこそ、
「ことばの力」「ことばをつくるたいせつさ」
「ことばをつむぐものの孤独」を
おだやかにしかし強く表現したかったのだろう。
レオニの思いは世界中にうけつがれ、
日本の子どもたちに、
そして咲織坂にももまちがいなく届いたのだ。

2017年、とりあえず前へ!
月日は旅人のように通り過ぎていくけれど、今年も物語だったのだ! 1 11月30日 (水)
ythyth
三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。

師走の声をきくようになると
芭蕉の「奥の細道」の冒頭
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」
を思い出す。
月日は百代(はくたい・永遠の意)の過客(かかく・旅人)であり
来ては去っていく年も旅人のように帰らない。

実はこれにはオリジナルがあって
唐の大詩人、李白の春夜桃李園に宴するの序という詩の一節

夫れ天地は萬物の逆旅にして
光陰は百代の過客なり
からの引用である。
(逆旅・げきりょは宿屋のこと)
芭蕉の李白へのhommageオマージュ、
あるいはtributeトリビュートだともいえる。

この詩をざっくり訳すと

天地はあらゆるものを迎える旅の宿で
時の流れは永遠の旅人さ。
人生ははかなく夢のように過ぎ去る。
楽しいことは続かない。
だから昔の人は火を灯して夜中まで遊んだのさ。
このやわらかな春の日に、
桃が香る園に集まり、兄弟そろって楽しい宴。

弟たちは才能あるやつばかりで、
おいらはなかなか叶わない。
花咲く樹の下に座り、
羽飾りの杯を交わし
月に酔っぱらうなら、
かっこいい作品を作らなきゃ。
もしできないなら
罰として酒三杯を一気飲みだい。

芭蕉はこの天才の
時の流れには勝てぬと知りつつ立ち向かう
詩人の自負に満ちた詩に
おそらくは生きては帰らない終活の旅だちに向かう
自分自身を重ねていたのだろうか。
car

前置きが長くなったが、
いよいよ今年最後のカレンダーの絵だ。

ウクライナの昔話「THE MITTEN  てぶくろ」に
題材を求めた作品。
描いてくれたのは正木祐太朗くん(小6/戸田市・町田P)だ。
一年の終わりを締めくくる大トリの絵にふさわしい力作だ。

場面はいうまでもなく、
すでにフルハウスの「てぶくろ」に
「のっそりぐま」が真打登場! とばかりにやってきたところ。

昔話の一つの特徴である「くり返し」は
ロシア系昔話にも数多く見られる。
読み手は、しだいに大きくなる訪問客に
「もうムリ〜!」とドキドキ最高潮になるところだ。

森は深く、寒く、雪はただふりつもる。
普通なら、
「入れろー、グオーつ」
「あかんで、ムリや堪忍して」
「なんやとー、ガオーッ」
となるところだが、
迎える「はやあしウサギ」や「きばもちいのしし」タヂは
実にとぼけて「はいれば」的雰囲気だ。
また、くまもくまで、
ご近所のおじさん的穏やかさで覗き込んでい、
こちらも表情がほとんどない。

正木くんがどの程度意図して
こう描いたのかはわからないが、
年齢から推察するときっと考えがあってのことだと思う。
小6男子の正木佑太朗くんが、
この作品を選んだ理由をぜひ知りたい。

そうしたらハッと思ったのだが、
彼はこの夏の新刊『夏の夜の夢』の
蟹江杏さんの絵にインスパイアされたのではないか。
ぼくの考えすぎかもしれないが……。
hide
原作絵本のラチョフは、
徹底した観察とデッサンで動物たちののフォルムや動きを
柔らかで緻密な線で表
現したことで知られる。
さらに動物の生き物としての特徴をキープしながら
愛情を込めて擬人化している。

この物語を題材にしたカレンダー応募作品は多いが、
どうしても原画に寄せた、
厳しくいえば「真似しようとした」絵が多い。

だが、祐太朗くんは物語のエッセンスをたいせつにしながら
まったく独自の世界を描き出している。
その個性は絵のなかにいろいろと見えるのだが、
なんといっても表情を抑制した動物たちだ。
偶然かもしれないが、やはり意図がきっとあると思う。
jjjm
表情を抑制したことで
みるがわにさまざまなストーリィを想像させ、
新しい物語がいくつも生まれる。
『夏の夜の夢』にインスパイアなどと
穿った想像ををしたのはそんな理由からだ。

しかし、表情は抑制していても
「はやあし」「きばもち」「はいいろ」「のっそり」などの
動物たちの個性はきっちりと描かれている。
「個性を排除しない」「可能なかぎり受け入れる」
という今も物語が発する共生への
普遍的なメッセージだ。

動物たちは自らの個性を変えようとはしない。
それがなくなったら自分ではなくなってしまうからだ。
だからこそ、つぎつぎとやってくる動物の個性も
多少の抵抗はしても受け入れていく。

個性的であることが生きにくい時代、
グローバルという美名の画一化時代への
警鐘のように思えてならない。
その意味で、年末大トリにふさわしい、
翌年への期待を込めた作品だと書いたのだ。

さらに絵を観よう。
色合いもぼくは大好きだ。
てぶくろのライトレモンイエローが
スコット抜けていてかっこいい。
動物たちの色もみんな透明感がある。
のっそりぐまのブラウンと
かなりハイブランドっぽいアウターのビリジアンが
極めておしゃれである。
服地のパターンとくびもとのリボンもすてき。
こんなオーバー売ってないかな。

このオーバーが特徴的だが、
手袋も動物も皆平面的に描かれている。
これはビリービンというロシアのアーティストの手法だ。
この人は画家であるとともに優れたアートデイレクターでもあり
ストラビンスキーの舞台美術なども担当したが、
立体的に描きながら、例えば横を向いている王様の服を
わざと平に、しかも精密なパターンで描くという技を用いている。
ビリービン、もしくはびりびんで絵本が刊行されているので
興味のある方は
https://ja.wikipedia.org/wiki/

でみておくれ。


この平面的な感じも個性だが、
背景の雪景色は単調にならぬよう
複雑なタッチと色変化で塗り分けて奥行きを出している。
やはり只者ではないな、正木くん。
そして降りしきる雪も奥から最前面まで描かれ、
くまのオーバーの手前にもちゃんと降っている。

そうそうディテールでいえば、
てぶくろのファーの部分の質感もいいね。
この黄色いてぶくろ欲しいな。

今年も1年間、ラボ・カレンダーの絵で楽しんできた。
もう30年以上前に、
「子どもの描画を激励しよう」という
シンプルな意図でスタートしたこの企画が
今も続いていることに嬉しく思う。

これほど長い間、
こども絵を大きく用いてくつくるカレンダーを
刊行している例はあまりない。

だからぼくはすこしでも長く
この活動がつづくことを祈念して
「感動した点」を書き続けている。
それは決して評価や批評ではないということを
改めて宣言して、
来年も一人でも読者がいるなら、
いやいなくても勉強のために
この「感想」をつづけたいと思う。

李白は酒仙詩人ともいわれたが、
舟遊びで酒に酔い、
水に映った月を取ろうとして落命したという。

pdjg
伊豆高原、やわらかな光の空間で
寂しくない秋は久しぶりなのだ
蟹江杏『夏の夜の夢』原画展におじゃま

スーパービュー踊り子3号の展望車は
日曜にしてはずいぶんと静かだった。
窓の外ではべた凪の相模灘が
きらきら光りながら流れ、
はるか沖では初島が無限遠で
ゆれながら結像している。
伊豆半島をひたすらゴー。
ぼくは基本的にoccult的なこと
いわゆるspiritualなことは信じていない。
自分自身がはっきりそれとわかる
体験をしたことがないからだ。
でも自分が信じていないことと否定することは違う。
HellenismとHebraism、
ギリシア文化とキリスト教を両親とする
自然科学の方法論だけでこの世界が
説明しきれないことも認めることができる。
ニコルさんに案内されて「アファンの森」に
足を踏み入れたとき、
きちんと整備された道なのに
森のもつ霊気、日本的にいうなら
「もの」のパワーに圧倒されて
ニコルさんのそばを離れられなかった。
また、ぼくは毎日、17時20分に
建てられてから88年経過した
大講堂にひとりで鍵をかけるが、
何かに見つめられている気が
ずっとしている。
それらは脳内現象として
説明できるのかもしれないが、
見えないものに心を反応させることは
creativeに生きるためにはたいせつだと思う。
11月13日はそのことを再確認できた。
ブライアン・ワイルドスミス絵本美術館は、
以前からその存在を知ってはいたが、
訪ねるのははじめてだ。
今夏に刊行されたラボ・ライブラリー
Midsummer Night's Dream『夏の夜の夢』の
蟹江杏さんによる絵本の原画展を観覧し、
杏さんとこの作品の監修、ディレクションされた
気鋭の英文学者河合祥一郎氏とのtalk sessionを
拝聴する機会を得た。
遡ればこの春、
ラボ・ライブラリーがシェイクスピアを
とりあげるときき、
そのパンフレットを観たとき、
「キターっ!」と大人気なく心で叫んでしまった。
この絵を描いた人に会ってみたいと思ったら、
運よく古い知り合いのイラストレーター
高尾斉氏が蟹江さんと知己であることから
高尾氏の人の良さにつけこみ
紹介してもらい、
表参道のかわいいギャラリーで拝眉したが、
時間が押していたぼくのために
わざわざスケジュールをくりあげて
駆けつけてくださったのには感激した。
このかろやなフットワークと
反比例するような目力の強さは
なんだろうと思った。
その後、二度ほどグループ展や
初のdrawingによる個展などに
厚かましく押しかけたが、
そのなかで、蟹江さんが
東日本大震災の被災地で
ぬくもりのある文庫をたちあげて
理事長をされていることを知り、
さらに驚かされた。
ぼくも30年近い制作の仕事のなかで
幸せなことに多くのアーティストと
出会い
その度にゆるぎない個性に圧倒されてきたが、
蟹江さんのありよう、佇まいは
ぼくの経験値をさわやかにひっくり返した。
彼女が
技術のみならず、
まさに作家としての心のおきどころまで
師として仰いだ絵本作家である
ブライアン・ワイルドスミス氏との絆は
蟹江さん自身も語っているし、
多くの方が感銘を受けてFB上でも表現されているので、
ほくがわけ知りに書くことはしない。
ただtalk sessionの最後に
美術館長の野村道子先生がおっしゃられたように、
杏さんも語られたように
蟹江さんにsuccessorのバトンを渡して
8月の光のなかに帰天されたワイルドスミス氏が、
秋のやわらかになった陽射しに
ふりそそいでいたことを感じとったのは
ぼくだけではないだろう。
冒頭に書いたように、
ぼくはoccultは信じないが
見えないものを感じる力を
たいせつにしたいと思う。
展覧会場での作家による語り、
いわゆるギャラリートークには
これまで相当数参加している。
基本的にはこうした企画は
作家やギャラリーのサービス、
あるいはプロモーションの一環だから、
その内容の良し悪しを比較するのは意味がない。
だけれども、ぼくの個人的感想としていえば、
楽しさや学び、心の震え、余韻、
などを総合すると
僭越を承知でいうとベストスリーに入る。
ぼくは絵画でも版画でも音楽でも
アーティストに「ことば」で語らせるのは
少なくとも強要することではないと思っている。
なぜなら作品がすべてであり、
ことばで説明するなら文学になるからだ。
さらに、
極端にいえば人格とか社会性も
作品とは関係ないというのが
芸術の本質だと考えている。
芸術は極端にいえば反社会的側面もある。
それは犯罪という意味ではなく、
社会の通念とか固定した価値を
否定したり飛び越えたり、逆転することで
芸術は進んできたからだ。
ぼくは美術は大好きだが、
あくまでも素人だから、
芸術家の芸の部分を楽しめばいいと
少なくとも制作から離れた今は思っている。
なので、
術の部分をあっさり素直にいわれると
とまどうなどとsessionの後、
蟹江さんに余計なことをいってしまった。
それは半分本音でもあるが、
妙に斜めに構えて
ミステリアスなのが作家性だと振る舞うのは
まったく蟹江さんらしくないから、
あのことばは撤回。
蟹江さんがこの絵本の絵にいかに
思いをこめたのかは、
抑制したことばから
あふれるようにとどいてきた。
それは
先ほど余韻と書いたが、
まるでアップライトのピアノによる
硬質で透明な演奏のように
あの部屋を満たし、
最後はサステインが長くゆっくりと
減衰していきながら心を満たした。
さらに河合祥一郎氏が
『夏の夜の夢』について
全面展開を敢えてなさらずに
蟹江さんの絵がこの場の主役であることを
明確にするようにフォローされていたのも美しかった。
そして、
氏のおだやかなお声のトーンも
アンサンブルをよりさわやかにした要因だろう。
以前も書いたが河合氏はたまさか
ほくと同じ高校の8期後の
同窓生(後輩というのはおこがましいので)で、
今、ぼくが取り組んでいる
「百年史」へのご協力をお願いすべく
名刺交換とごあいさつだけはしておきたいという
下心があった。
oejv
これまでも氏の演劇公演のご案内をうけていたのだが、
不届きにもスケジュールを調整できず、
ラボのスタッフに頼んで
昼食後の貴重なおくつろぎの時間に
お話することができた。
ぶしつけな乱入にもおだやかに話をきいてくださり、
作品についての無知まるだしの質問にも
ていねいにこたえていただいた。
拝眉のおわりに
「先生と出会ったことは
ラボにとって大変な幸せですが、
先生にとってラボとの出会いが
良きことでありますように」
との申しあげると、
河合氏は急にフランクな笑顔になり、
「いやあ、なんでもっと早く
出会えなかったかと
スタッフの方と話していたんです」
とおっしゃられた。
とてもうれしかった。
ぼくがほめられたわけではないが
ラボでの34年が報われた気がした。
ラボ・ライブラリーは
大変手間のかかったある意味で贅沢な作品だ。
二言語を対応させた音声、絵画、音楽による
物語作品は教材という範疇をこえている。
それを子どもたちが再表現し
その過程で言語体験やコミニュケーション体験を
積み重ねていく教育プログラムは
formal educationの時間枠のなかでは
成しがたいものだと思う。
それは学校組織にいる現在、
より鮮明に感じている。
これまで様々な分野の研究者、
アーティストの方がたに
その意図、ベクトル(量のみのスカラーではなく)を
ご理解いただいて、またご興味を持っていただいて
ラボ・ライブラリー及び
ラボ教育プログラムにご支援とご協力を
いただいてきた。
蟹江さんも今回の作品が
転機になる気がするとおっしゃられたが、
ラボとの出会いが良きことであったようだ。
蟹江さんはラボのみならず
世界に多くのファンをおもちである。
そのひとりひとりに真摯に向き合おうとする
姿勢はたいへんなはずだが
すがすがしい。
蟹江さん自身も語られているが、
ものすごい集中力と努力を作品制作にそそぎながら、
その苦労感、内部に吹く風を
外に出さないから、
誤解や羨みをうけることもあっただろう。
そのなかで自分であり続けることは
なかなかできることではない。
しかも自分らしさを守るために
美しく装うのではなく、
画材をとびちらせても
しゃにむにつくることで
自分であり続けるところが
蟹江さんのすごさだと再確認した。
さらに、
現在のスタイルを完成と思わず
新しい世界をつくりだそうとする心根は
勇気のいることである。
満足しない、あきらめない能力こそが
才能なのだ。
12月に特別授業で来春卒業する高3生に
話をするのだが、
この自分であり続けるために
自分を変えていく努力、
満足しない、あきらめの悪い生き方について
語ろうと思っている。
自らしさをたいせつにすることは、
他者のその人らしさをたいせつにすることに
ほかならない。
蟹江さんの人への真摯な関わり方の
根源なのだろう。
「挿絵ではなく一枚の作品として描いた」
のくだりには思わずうなずいた。
「恋愛ってめんどくさいですよね」
といたずらっぽくウインクしながら同意をもとめられたが、
しんどい真剣な恋愛をしていなければ
でないことばだと思う。
人物の表情を抑制する描き方も
興味深く、書きたいことはたくさんあるが、
それぞれに受けとめればいいし、
可能性はいろいろあると思う。
聞き手はほとんどがラボの関係者で、
しかも多くの方がラボ・テューターだった。
テューターは聞き手としてはすばらしいので
語り手はやりやすかったと思う。
これはまちがいない。
そしてテューターは制作のスタッフと同じ
研究の段階から作り手でもあるから
その意味では作家のストレートな心情に
直接ふれられたことはありがたいことだと思う。
最後に、町田館長先生に御礼を申しあげたい。
蟹江さんに紹介していただいて
親しくお話する時間をいただいた。
そして運営にあたったラボのスタッフ、
マネージャーの岡本さん
大きな笑顔で迎えてくれた中野さんはじめ
お手伝いの皆さんに
Special thanks!
不安多爺は物語なき敷島を憂うのだ。ひまりWorld Returns! 11月01日 (火)
that
写真は武蔵正門から見上げた高積雲。
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
htny
大負けした母校のフットボールの試合から帰宅して
なんとなく片付かない気持ちの日曜の夕。
例によってフライイングでラボ・カレンダーをめくったら、
アスランが静かにこちらを見つめていた。
life
ラボ・カレンダーのライオンといえば
これまでは『はるかぜとぷう』の
風の子たちの騒ぎにブチキレて吠える
動物園のライオンがお約束だったが、
ついに「王の王」が登場だ。

Clive Staples Lewis
C・S ルイスの全7巻の長編ファンタジー
『ナルニア国物語』The Chronicles of Narnia
の第1巻、『ライオンと魔女』
THE LION, THE WITCH AND THE WARDROBE
に題材を求めて制作されたラボ・ライプラリー
『ライオンと魔女と大きなたんす』
にインスパイアされて描かれた絵だ。

描いてくれたのは、
由井ひまりさん(中2/茅野市・両角P)。
昨年は甲斐市・万行Pに在籍し、
”The Wolf and The Seven Little Goats”
『おおかみと七ひきのこやぎ』で9月の絵に
入選を果たしている。
中学生の2年連続入選はたぶん初ではないだろうか。
ひまりさんは、ご自宅などの関係で
移籍をされたが、しっかりと絵とラボを
続けているのがとにかくうれしい。

この絵と出会った日曜日の夕方は
試合に負けたこともあったが、
仕事でもいくつか悩ましいことがあり、
それは、客観的に考えると
じつはたいしたことではないのだが、
ぼくら凡人の悩みなんてのは
大半が個人的なもので、
それは当人にとっては結構なストレス
であることは否めない。

アスランはなにもいわない。
ぼくを見つめていると最初は思ったが、
じっと観ていると、
ぼくのようなちっぽけな存在など気にもかけず
眼ざしはもっと遠くにあるようでもあり、
ただじっと思索に集中しているようでもある。
力ある者の静けさが一番強い。

アスランは
「お前の悩みなどナルニアが抱える問題、
そして現実世界の問題に比較すれば
どうでもいいことだ」とはけしていわぬ。
ただ、この姿そのものから学べと
アスランはいいたいのだろう。

そして、ぼくが「考えろ、そして前に進め」と
自らに語りかけるのを激励している。

美術館のピカソや光琳にはいつも感動させられる。
だけど少女が描いたライオンの絵に
勇気をもらうこともあるのだ。
たかがカレンダーなどと口が裂けてもいってはいかん。

さて十分激励されたら、ひまりさんの絵を
よく観てみよう。
なんといってもアスランの目力の強さだ。
とりわけ「王の王」の瞳をていねいに
角膜、瞳孔、虹彩の反射も考慮しつつ
さらにネコ科の特徴もキープしながら
描き込んだ技は、
テクニックもさることながら、
この物語とアスランへの
思いをいっぱい集めたに違いない。
そんな、ひまりさんの心映えがすばらしい。
このアスランの目に
惹きつけられない人はいないだろう。

能の面(おもて)は、観る角度や光、
そして観る側の心の佇まいによって
表情が変わるが、
ひまりアスランもまさにそうである。

諸姉兄にはどう観えますか。

この絵のように動物の顔のアップだけ
しかもしずかな状態で描いて
長期間眺めることができる作品として成立することは
なかなか難しい。
対象が明確になりすぎているから
息苦しくなるし、何より動きがないからだ。

だが、ひまりさんの作品は
それらを超えて圧倒する。
アスランはあくまで静謐で動かない。
むしろこちらの心が動くのだ。

ぼくは毎朝出がけに、そして帰宅すると
玄関の父親の遺影に話かけるが、
今月はアスランにもごあいさつだ。
父親はしかめっらの眩しそうな顔で
「人にやさしくしろよ」「女性関係には気をつけろ」
とか、ときどき助言やく苦言をくれるが、
今朝のアスランはやはり黙ったまま。
でも、なにかしら心に響くものがある。

この絵の力は瞳だけではない。
思慮深そうな目尻のキレ、
苦難を隠した顔の皮膚の陰影、
理知的な額、
堂々した鼻、
(この鼻の濃いsepia的brownが
中央で安定感を出している!)
しっかりと結んだ
なにを語るんだと期待させる口。
(この口の白さ加減も鼻とセットで
絵を安定させている)
そしてなによりも雄々しく輝くたてがみ。
fbdbd
全体の色味はyellowとbrownの階調である。
色数を抑えてもこの階調がきめ細かいので
単調さは微塵もない。
外に向かって明るいyellowになっていき、
その枠外に宇宙のようなindigo系を配置し
下方では星雲か超新星のようなpinkに
アスランがいる
名付けてNarnia yellowを
吹き出させている。
なんというスケール感だろう。
大切な要素だと思う。

こうした描き方は知にとらわれて
説明的になりがちだが、
ひまりさんはいとも自然に
かつ伸びやかに描いていて、
大外のindigoのなかにある白い星のようなdotや
アスランの周辺のブbrownやviridianにも
自由さが溢れている。
そして何より造形の確かさがある。

ひまりさんのこの1年の成長が感じられる。

なお、これは本質的なことではないかもしれないが、
これだけの面積、yellow系、brown系を
使用するのはかなりむずかしい。
服でもyellow系のone-pieceを着こなすのは
相当の上級ファッションだ。
「ゲッツ」のお兄さんみたいになっちゃうからね。
rghyj
『ナルニア国物語』の作者であるルイスは
神学者としてまた信仰伝道者として知られている。
(神学的観点からはルイスへのバルトの批判が
興味深いが、そこを広げると大変なのでヤメ)
この物語は『聖書』のmetaphorであり、
アスランもキリスト、救済者のmetaphorであると
一般的にはいわれている。
ルイスは「伝道目的で書いてはいない」と
述べているが、
Christianityが底流にあることは否定できないし、
英語圏でキリスト教と全く無縁
(肯定も否定も含めて)な物語はあまりない。

ただ宗教と信仰は異なることを
認識しなければなるまい。
宗教は思想も人の集まりも含めて「組織」であるが、
信仰は個人の心のありようで、
逆にいえば押し付けてもいけないことだ。
そうしたsensitivityを持ちたいと思う。

このラボ・ライブラリーの刊行は
ぼくがラボ退社後であり、この作品の「制作資料集」を
不勉強で読んでいないから、
この物語とChristianityとの関係をどう考えたのかは
とても興味がある。

作品を何十回も聴いた訳ではないから
わけ知り的論評はしないし、できもしないが
ぼくは今の時代に求められる
いくつかのメッセージを感じた。
そのひとつはファーストフードや
テーマパークに象徴される消費社会への
さらには
ファンタジーを超える凄まじい現実
(テロや大規模災害、難民など)が
破壊するフィクションの世界、
すなわち物語なき現代への警鐘などがあるが
そのあたりを展開するには
もう少し聴いてからにしたい。

ルイスによって原作が書かれたのは1950年で
第二次大戦後だが、物語の設定はその30数年前の
第一次大戦中だ。
だから現代から見ればずいぶんと昔で、
ナルニアという異世界への入口は
さらに古い屋敷の古い衣装箪笥だ。
そのことは「ナルニア」の実在を
(もちろんファタジーとしての実在)
十分納得させてくれた。

ぼくが小学生時代には
邦訳(瀬田先生の初訳は1966)はまだなく
最初に読んだのは高校生の終わりの頃だ。
だから、その年齢らしい小さな頭でっかちで
捉えていた気がする。

ともあれ、今幼い子どもたちでも
ラボ・ライブラリーでこの物語の
エッセンスに触れて楽しむことができるのは、
全7巻(1巻ごとに読めるが)の原作への興味、
さらには英語圏文学への興味を膨らませる
ことにつながるとは確かだろう。

ひまりさんがこのライブラリーとどう出会い、
何を感じたかはこの絵から想像したい
だが、それを縷々書き流すのはやめておこう。
ただ、ひまりさんの個性、
心映えが溢れていることはまちがいない。

昨年、ひまりさんの絵について書いたとき
当時在籍していたテューターから
ひまりさんが絵やライブラリーと同じくらいに
自然や生き物を愛していることをうかがった。

だから、大ハズレかもしれないが
彼女もぼくと同じような
メッセージを感じているのかもしれない。

ひまりさんは今年は中3になられている。
いろいろといそがしいだろうが
絵を描きつづけてほしいと祈る。
そして「ひまりさんらしさ」を
自信をもってみがき続けていってほしいと思う。
最後にルイスのことばを
ひまりさんと諸姉兄におくる。

You are never too old to set another goal
or to dream a new dream.

You don't have a soul.
You are a Soul. You have a body.

- C. S. Lewis
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