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あのね、おおかみと七匹のこやぎ・・・ 07月05日 (木)
地区研でのライブラリータイムに「既刊ライブラリーのレポートをする」順番が回ってきて、
以下のようなことを考えたなかから、抜粋して話した。

おおかみと七匹のこやぎ・・・

グリムは世界中のいろいろな神話や昔話、当時の社会情勢とも関連していて、
その元になった精神世界を考えるとおもしろい。
たとえば、オオカミが子山羊を飲み込む、ピープが救い出すというところは、
ギリシャ神話のクロノス(ガイア・ウラノスの息子でタイタン)が
父を殺したように自分も我が子に殺されるという予言をおそれて、
生まれた我が子を次々に飲み込んでしまうのだが、
最後に生まれたゼウスを母のレアが隠し、代わりに石を飲み込ませ、
後にゼウスがクロノスを倒して兄弟たちを助け、そこからタイタンとの戦いになる。
(クロノスの睾丸を切り、そこからほとばしった精液が天の川になった、
それを浴びたレアが妊娠したという生々しさ)

母ヤギについて、
子どもの成長を願う一方、失うのを恐れて、
過保護にする(腹に戻す)という母親の飲み込む性も連想し、オオカミとの同一性を思う。
母親はこやぎたちを留守番させるという試練を与えながら、オオカミになって様子を見に来てしまう。
おおかみ対策をあんなに言い聞かせておいたのに、やっぱり、だめね、あんたたち・・・
こやぎたちは、母親なら簡単に見つけてしまうような日常生活の道具の中にかくれ、
見つかってしまうでしょう。
彼らは、過去(生まれる前)に戻される。
ピープだけは、時計に隠れたので、未来と繋がっている。
けれども、時の中に囚われて、自分からは声が出せない・・つまり仮死状態ですよね。
それを打破するのが、三時。
厳密に三時というわけでなく、お茶の時間とか、ごはんだよとか、
ガンピーさんの「そろそろお茶の時間だから」のように、
膠着した物事がふっと切り替わる力をもったことばですよね。

ちっとも言うことを聞かない子ども(ラボっ子)に腹を立てながら、
ときどきなにか素晴らしい成長を見せてくれたりすると、
テューター冥利に尽きるなどと思い、
そんな一喜一憂も、私たちはしょっちゅう経験しているけど、
ピープが生き残ったことで、「すこし元気が出て」オオカミを探しにいく。

子どもの頃、布を切るはさみの切れ味にうっとりしたことがある。
そんな気持ちを見透かされ、「それで紙を切ったらダメだよ、絶対に!」と祖母に戒められたものだ。
だれでもそんな思い出を持っていることだろう。
切れ味のよい刃物で切って、上手く縫ってしまえば、切られたこともわからない。
そもそも、この物語では、子山羊も飲み込まれただけでするっと再生するし、
(また生まれるってことだよね)
(だから逃げまどうときラボっ子たちはあんなに嬉々としている)
オオカミも死んだと言っても、井戸に落ちたのだから、またどこかの地下の道を通って地上に現れるかも、
という連綿とした繰り返しを感じさせる。
「繰り返し」という原則があるならば、子山羊たちの7匹も、七曜とか、繰り返されるもので、
月、火、水・・・といって、ピープは、日曜。

また、懲りる・懲りぬ・懲りろ・グレる・グレぬ・グレろ・・・
わんぱく小学生やわからんちん中高生につきあっている私たちがやりたくなる「下二段活用」でしょう?
谷川さんのあそびですね。



このライブラリーがでたのは、高2のころで、シニア対応していたサマーキャンプのテーマでした。
当時は、キャンプのテーマは「かえるときんのまり」シリーズということで、
4つの中のどの物語にするかは、ロッジのメンバーを見て
相談したり、シニアの導入で決めていました。
2班対応するうち、シニアのペアも変わるし、どんなラボっ子がどんな意見を持ってくるかで、
テーマが何になるかは、「生もの」だった。
キャンプ直前のシニア合宿で、谷川さんより新刊ライブラリーの「講話」を拝聴した。
それは、内容がとてつもなく深いのだが、自分たちの活動が芸術となりうる感動も覚えた。
「おおかみと七匹のこやぎ」の谷川講話を、
みなさんにシェアすることができれば、とても有意義だと思う。


さて、キャンプに入ってみると、私は一人で、ラボっ子でないロッジの対応になりました。
S学校という山の中の学校が、夏休みで生徒を家に帰す途中、ラボランドにやってきて、
「ラボを体験する」というもので、二ロッジに分かれて入りました。先生も二人ずつ。
その生徒たちは、自閉症や登校拒否、心に傷を受けている子、障碍を持っている子、潔癖症や、
とにかくいろいろな問題を抱えて、普通の学校に行けないでいる子たちだった。
ほとんどが男の子で、一ロッジ中、女の子は、4人でした。汚物もそこら辺に放り出して。
潔癖性で皮がむけるほど洗う子、何ヶ月もお風呂に入っていない子、
お互いに嫌っているか、無視しているか、感心がないか・・・
もちろん、ラボも知らないし、無表情だ。
そういう子たちが、なんで突然こんなところに連れてこられたんだろうと思っているわけで、
どうやってロッジ活動をしたらいいのか、途方にくれたが、
ラボをやってほしい、というそれだけを頼りに全力でSB,テーマ活動、キャンプソング、
いわゆる、ラボキャンプをやったわけだ。
(話が、ライブラリーから逸れているのをお許し下さい)
なにかとっかかりを見つけては、感性と、直勘の働くままに全力投球していた。
この時のテーマ活動は、「こやぎ」を選んだ。
無表情な子たちの感情を呼び覚ますには、どの物語もこの子たちに合わないような気がして、
毎回、母やぎが悲しむシーンをほんとうに泣きそうな気持ちでやった。
もう、ひとりだけ、バカみたいでした。それを黙々と・・。
ところが、だんだん、ひとりふたり・・テーマ活動に入ってきたのだ。
三日目の夜のロッジ交流会では、ラボっ子ロッジと発表し合ったが、
その時は全員がテーマ活動をしていた。
ピープを見つけた母ヤギのように、私もすこし元気が出て、
何ヶ月もお風呂に入っていない女の子たちを連れてお風呂に入り、
「女の子はきれいにしないとね」と言いながら、ひとりひとりごしごし洗ってやった。
女の子たちは無表情で黙って洗われていた。
(この子たちは、「いやだ」ということを言わないのだ)
だから私の自分勝手と自己満足かも知れないと思いながら。

4日目の朝、キャンパーたちが、しずかに泣いていた。
ひとり、またひとり、涙をこぼしているのだ。女の子たちも無表情の顔に涙が流れていた。

感想文には、「感動した」という言葉と共に、たくさんの感想が書かれていた。
先生方が、「驚いたよ。この子たちが感動したり、涙を流すことなど、ありえないのだ。
僕たちはそのために何ヶ月も費やしているのに、君はそれを4日でやったんだよ」とおっしゃった。
そのとき、いい気持ちになった一人の子がやり出したのが、
「にんじん・だいこん・かぼちゃ」。(だから元祖だよ?)


ホームステイは、私は高1で行ったので、その前の何年間か、かなりの聞き込み量があった。
すがたり、という時代ではなかったが、そらんじる・・・・物語が片手くらいあったと思いう。
オリエンテーション合宿のときにパジェント(野外劇)を見た。モルモン教の宗教劇だった。
私たちのラボっ子がホワイトホースシアターを見たときのように、細かい点にはとらわれず、
だいたいわかった、という感じだった。
ホストファミリーが何を言っているか、よくわからなかったはじめの頃、
ホストマザーに、このパジェントはじめ、いろいろなことを自分がちゃんと理解できているか
質問攻めにして確認したら、
「よくわかっているわ」ということだった。
また、それ以後、マムの英語はすべてわかるようになった。

ステイ中、「イエス・ノーをはっきりと」と言われるが、それだけではなんだか情けなくて、
なんとか会話が続くよう、イエス(ノー)のあとに続ける言葉や、
自分から言い出す言葉を心がけていた。
そのときの状況や精神状態にぴったりくるシチュエーションの物語のシーンを思い出し、
言葉を引っ張り出していた。
たろうからワフ、くるりんぼうずやたぬき、ピーターパンやトムソーヤなど、
当時出ていた全ての物語から、引っ張り出していた。
それを聞いた他のラボっ子が、思わず笑ったり、
アメリカ人たちが何がおもしろいのかと尋ねてきたり、
会話を逸脱してセリフやナレーションを何人かで続けたり、発展させたり・・・
それ自体も楽しかったが、そのうちに、引っ張り出さなくても、自然に出てくるようになった。
自分の中で複数のラボ機が回っていて、どのチャンネルでも瞬時にあわせられるような、そんな感じ。
気がつくと、独り言も英語で言っているし、
とつとつと単語を並べるのではなくて、あふれるように、
ある言葉を言ったら自然とそれに続く前置詞などがくっついてくる、
その前置詞に繋がる言葉が発音までリエゾンして出てくる、といった具合だ。

マムは、私のことを「そこらのアメリカ人の子よりよっぽど高度な英語を話す」と言ってくれ、
それほど親身に思っていてくれていたのかとうれしかったのだが、
私が「理解する瞬間」を大変楽しみにしていたそうだ。
じっと聞いていて、わかったとたん顔がぱっと明るくなるのだそうだ。
「あなたの顔が明るくなると、ああ、理解しているんだと思って、嬉しくなる」と言っていたが、
その時の言葉が、bright とdelight と言っていたと思うが、
韻を踏んでるな!と思ったものだ。
会話に使うだけでなく、ライブラリーの英語になれていたので、
倒置法、仮定法、長文・・いろいろな場面での説明などもよく理解できたように思います。


ライブラリーの英語、日本語、音楽、テーマ活動にしたときの仲間との思い出、
テープを聴いているときに寒かったとか、そんなことまでバックグラウンドになっている。
おおかみと七匹のこやぎといえば、谷川さんの話と、あのキャンプ・・・
ことばに濃い体験がくっついている。
そういえば、この間の金環食のとき、部屋が暗いので、突然、私の頭の中に鐘がなってきた。
ジャックと豆の木の音楽だった。
豆をなげすてた翌朝、部屋を覆い隠すように豆のつるが伸び、
部屋が薄暗くて一箇所だけ日の光が差しているというシーンの音楽だ。
こういうことは、私のひそかな楽しみである。

大人になって、話をするようなときも、ある共通の精神状態を相手に持ってもらうために、
Imagine, we are in Germany・・・ というような事をします。
Imagine, we are having a student who has a problem with ....
また、プロメテウスといえば、禁断の火を手に入れ、その成果が後世に問われるというような前提をもて、
まさに今の状況にぴったりの会話の土台となる。
イソップの話をだせば、こうあるべきなのに失敗する、という人生譚が下敷きになって会話が進む。
そうすれば、状況をいちからながながしゃべるより、相手が共感してくれるのだ。
共感しやすいたとえ話を探すのも、物語や世情を知っていないと、ですね。

アメリカの学校や幼稚園でも、出来事や指標を物語になぞらえて理解することもよくあった。
それで先生方とすぐに共感しあえ、よく手伝わせてくれた。
使った物語? やはりギリシャ神話、イソップ、聖書、フェアリーテールズ、シェイクスピア、
アメリカン・トールテール、トム・ソーヤなどのクラシック作品、
コルデコット賞やニューベリー賞の作品、話題作(映画含む)
気をつけたのは、ディズニー作品だった。
原作とストーリーが異なるし、あまりに有名で、そもそも私の意図しない方へ行ってしまう。
もっとも、そのうち、私がフェアリーテールズの原作に詳しいということが先生方に分かり、
先生方とディズニーの功罪を話したりした。


さて、こんなふうに、ラボライブラリーを活用?した私だが、
この分野が暗いな・・・と思わされたことがある。
それが自然科学だった。
物語はよく知っていても、幼児の使う昆虫用語さえしらない・・・
コンピューターや難しい科学用語というのではなくて、
子どもたちが嬉々として話したり、調べたり、扱ったりしているのに。
たとえば、ソーラーシステムという英語、何の意味だと思いますか?
太陽発電装置? いえいえ、水金地火木土天海冥・・太陽系そのもののことだ。
アリとキリギリスをやっていて、絵に描くとき、足はどこからでているでしょうか?
頭・胴体・腹の胴体部分から出ていますよね。
そんなことを話しながらアメリカで幼児が絵に描いていて、わ、わたしゃ・・・あせりました。
言葉を知らないだけでなく、他の分野への暗愚な自分。
アメリカで、ファンタジーの話をいつまでもしていることは、夢想家、はては危険人物扱いで、
おどろいた経験もある。
わくわくするような自然科学のライブラリー、ほしいなあ。


西欧文明を知っていることが言葉やコミュニケーションの役に立っているのだが、
アジアでは?
アジアではやはり、四書五経、漢詩、三国志など、中国文明をわかっていないと、
常識もないということになる。
昔の勉強はそうした書をすべてそらんじること。

世界の哲学が紀元前後の同じ頃に皆生まれたと、谷川さんの言葉にもあった。
ギリシャのソクラテス、イエス、ブッダ、孔子・・・世界の精神文化の源だ。
どうしたらそれをライブラリーに入れられるか、それもずっと思っている。
孔子と弟子の物語がやれたらいいのになあ。
孔子を題材にしたものは、きっと中国語から英語に翻訳されているだろうなあ。

そう思いながら、中島敦の「弟子」(ていし)を読んでいる。
Re:あのね、おおかみと七匹のこやぎ・・・(07月05日)
サンサンさん (2012年07月06日 10時11分)

ふ~、すごい!
カトリーヌさんの中にはたくさんのものが詰まっているらしい、、、フフ
Re:Re:あのね、おおかみと七匹のこやぎ・・・(07月05日)
カトリーヌさん (2012年07月06日 12時05分)

サンサンさんへ
いえいえ、サンサンさんにはかないませぬ。体験のすべてをつぎ込んでいる仕事ですよね。
Re:あのね、おおかみと七匹のこやぎ・・・(07月05日) ・
いとさん (2012年07月06日 13時34分)

良いお話を聞かせていただきました!
あらためてラボで育つものが何かを感じることができました。
Re:Re:あのね、おおかみと七匹のこやぎ・・・(07月05日)
カトリーヌさん (2012年07月12日 01時03分)

いとさん、さちこさん、小枝さん、
あともう少しで国際交流送り出しですね。
充分みてやったのか、足りないのか・・・思いが募りますが、
ラボっ子の底力を信じるのみですね。
おおかみのように、そこらをうろうろしてみても、空の向こうまでは届かない。
「国際交流に行ったら、英日じゃないんだからね!」と、今日もはっぱをかけていました。
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