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ベトナム人のフォンくんがきた。 11月13日 ()
地区の留学生との集いで、八王子の東京工業高等専門学校に在学中のフォンくんが一泊ホームステイで我が家へ。地区で毎年行っている国際交流活動で、今年は高専からフォンくんはじめ7人(マレーシア、フィンランド、ベトナム、フィジー)が、JICA(国際協力事業団) から6名(ホンデュラス、パナマ、グアテマラ、インドネシア、ニカラグア、アルゼンチン)が、ラボ日本語学校から韓国のお姉さんたち6名が地区主催の集いのあと一泊ホームステイをする。JICA の方は一旦6名の参加と決まった後で、「僕たちも行きたい」という気持ちになった方がいらして、さすがに突然のこととてホームステイは無理だったが、集いには参加してもらうことになった。
 私の役目はJICA に「お迎え」に行くこと。9人ということで私ともう一人Sテューターが、奇しくも同じ赤いオデッセイでお迎えに。私はまず集いの行われる会場に持ち寄り夕食と上の息子2人を降ろした後、三男を乗せてJICA へ。今年の方はみな中南米で、9人のうち英語が話せるのはリス(インドネシア)とエルネスト(アルゼンチン)の2人。ラボっ子時代にやったスペイン語を引きずり出して、挨拶し、「シンコ ペルソン、ベンガ バモス」なんとか5人を私の車に。彼らの話す言葉の中から、ふとラボライブラリーで聞き覚えのある簡単な言葉を聞き、それって・・の意味?なんていうと、スペイン語がわかる!とおおうけ。車中では、遊戯王カードをもっていた三男がそこについている数を見てスペイン語の特訓?を受け始めた。いやー、たいしたもんだ。三男も。りっぱにホスト役をはたしているではないか。ほんのちょっとでも、挨拶や数、色がわかるとそれだけでもうち解けてくれる。いすに座ってもらう順も数が言えるとすんなり案内できる。
 つどいは、対面式、チームチャレンジ。それから「日本文化紹介」「相手の国を知ろう」ではコーナーごとに移動しながらいろいろな文化を体験。それぞれの国の楽しい文化体験ができ、ベリーサクセスフルとは、James のことば。ジェイムスは、ラボ日本語学校のプロモーションビデオ撮影のためにやってきたカメラマンについてきたアメリカ人のおじいさんだ。ジェイムスはサンフランシスコにから来たそうで、うちの次男を通訳につけた。わけが解らないものね。ジェイムス、うちの次男が気に入り、とてもポライトな態度にベリーインプレストだったそうだ。
 持ち寄り夕食はごちそうがいっぱい。うちの三人がばかすか食べるので私もどっさりもってきたけど、彼らのお皿の盛方をみたら「あら、足りなかったかしら」
 ホームステイに行く人、集いだけで帰る人も楽しかったといって去っていった。うちのフォンくんは、一人っ子だそうだ。うちの三人兄弟にはびっくり。帰りの車の中で次男三男がげっぷの応酬。そのうち全員でふざけだし、21歳、17歳、13歳、9歳の男どもが車の中で暴れている状態、想像してみてください。
 帰宅後、普通はホストマザーである私は大車輪で忙しいのだけれど、なんと長男が麻雀を教え始めた。落ちこぼれの長男、ベトナムから日本に勉強に来ているフォンくんから、「いい影響」を受けて欲しいと願っていた私の思いもむなしく。
 今日は子供会の役員として、お昼ごろ古新聞回収をやった。長男次男を手伝わせ、私のオデッセイで集めてまわる。業者に間違われ、隣の町内のおばさんから「新聞やさーん」と声をかけられ、小学校の廃品回収と説明して「寄付」してもらった。そうね。勉強が出来なくても生きていける。でも、高校くらい卒業して!
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