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4th of Julyの思い出 07月05日 (火)
ドス、ドス、どどっ・・・誰?二階で暴れているのは?不思議なことに誰もいない。「花火みたいだよ。河原で誰かやってるんじゃないの?」と次男。そうか、7月4日はアメリカの独立記念日だ。横田基地の花火だ!
 昨日、財団のシャンティも、こういう日はホームシックになると言っていた。うちの子どもたちも「そうかあ、4th of Julyかあ。日本語でなんていうんだっけ?」(どどっ)
 我が家最初の4th of Julyは、アイダホのインターン、ペギーがステイしていた97年の夏。どうしてもこの日にバーベキューをやりたいという。金曜日なんだから、明日の土曜日にしたら?BBQなら・・・ダメ。絶対にこの日じゃなきゃ。優しくて、気のいいペギーが珍しくゆずらない。ちょっと、迷惑だなあ。もう少しこちらの生活習慣も尊重してほしい。一日がどうして待てないの?なあんて、思ったっけ。でも、やるか。あのペギーが譲らないんだもの。よっぽど大事なんだ。そんなこと無理だと言う夫に「絶対!早く帰ってきてよ。」と念を押した。狭い庭でBBQをし、花火をし、ペギーがすっころんで青あざをつくり、ソルトレークのモルモン教の大合唱団「タバナクル・クワイア」の壮大なる国歌その他の合唱を大音響で聴き、大いに盛り上がった。
 98年のテキサス。独立記念日なんだって?外様ながら、アメリカ人の様子を見ようと、ショッピングモールの駐車場に出かけた。テキサスの町はずれ、広い。そこで上がる花火に盛り上がるアメリカ人たち。この程度の花火で?と、日本人は冷静。やはり、外様では楽しめないのだ。
 99年は、カリフォルニアから出かけていった。この時期アメリカ人たちは休暇をとる。家でしらっとしてると盛下がるので、アメリカ人たちに思いっきり混ざることにした。ユタ州の私のホストマザーの家に行った。モルモン教のユタ州は、愛国的感情も超熱い。ホストシスターたちの一家もラスベガスから帰ってきて、久しぶりに他の兄弟たちも集合して、家族再会の場に私もまぜてもらった。友達とも再会した。3日の夜は、2家族でBYU(ブリガムヤングユニバーシティ)のスタジアム・ファイヤを見に行った。すごい、のひと言。人間キャノンボール、花火、催し物がすごい。催しものにあわせてファントム戦闘機が真上を飛ぶ。オリンピックの会開式みたい。ラスベガスに住むホストカズンたちもこの愛国的盛り上がりぶりに驚いていた。
 翌日アイダホのペギーの家に行った。ここでの4th of Julyは、7月だというのに寒くて、毛布にくるまって地平線すれすれのちいさ~な花火をみた。遠くってこと。音は聞こえなかった。前日の大行事と違って、ひっそり家族だけの4th of July。といっても大人数のペギーの家族にも良くしてもらって、いい旅だった。
 2000年は、ラスベガスのヒルトンホテルで花火を見た。ラスベガスに夫のホストマザーも住んでいたので、25年ぶりの再会。オレゴンから移住していた。ラスベガスヒルトンはスタートレックのテーマパークとして有名。ラスベガスに向かう途中ガス欠になったり、お母さんがミュージカルショーに連れていってくれたり、アメリカの誇るフーバーダムを見たり、アメリカの大金持ちがロンドンから移築したという「ロンドンブリッジ」を見たり、アリゾナの友達のところを訪ねたりして、ぐるっと西部の旅。
 2001年は、まもなく帰国ということもあり、地元での行事に積極的に参加した。次男と三男は町の愛国的合唱隊に加わった。パレードにも出た。準備から関わり、長男と次男は4-Hのパレードに、三男は合唱隊のパレードで、トレーラーの荷台に乗った。アメリカ人よりアメリカ人らしい4th of Julyを経験して、その年の9月にテロである。非常に印象が強かった。
 2003年は、メアリ・アリスさんがステイしていて、日本語研修の生徒たちに「たべさせなきゃならない」記念日お菓子やグッズを持っての登校。日本にいても国を思う気持ちを大切にしなきゃ、というわけだ。04年は、ジュディさんと昭島のホテルの最上階のラウンジにいって、横田基地の花火をみた。
 日本で、自分の国について、思うような行事はなんだろう。ステイ中の来日者を連れての日本文化体験。国際交流をして、かえって日本を実感する。
Re:4th of Julyの思い出(07月05日)
keikoさん (2005年07月08日 22時37分)

アメリカ人はやっぱり特別な思いでしょうね。Hテューターは息子さんから今
日は何の日だかわかる?と聞かれ、4th of Julyと答えられたとか、正解はお
孫さんの誕生日。さすが・・・ですね。
姉妹都市ワシントン州エドモンズで市長代理でコンバーティブルカーにのせて
もらい、手の振り方まで講義され、沿道の人たちににこやかに(?)あいさつ
したことがあります。花火はスペシャル席でスピーカーで紹介されると立ち上
がって手を振る・・・若かったですね。まだ日本で音楽つきの花火打ち上げは
やっていなかったので音楽といっしょで感動しました。
カトリーヌさんファミリーの4th of July、いろいろでおもしろいですね。

連続教育講座盛況でいいですね。ラボを語る絶好の機会。あまり遠慮せず、ラ
ボにお誘いしたほうがいいですよ。
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