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「人生まっとうした会」 |
04月22日 (土) |
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3月にラボっ子のお父さんが亡くなられた。何年もの間、癌と闘い、子どもたちを見つめ、奥様を信頼し、家族で支え合っていらした。訃報を聞き、駆けつけたが、やることは全てやったと、穏やかに眠っていらした。家族も、支えきったと。
彼は画家である。今日の「人生まっとうした会」では、作品と、縁のある方たちが集まり、その生き様がしのばれるものだった。いつ頃、どんな状態、心境であったかを書いたものを拝見し、ああ、あのころ、ああ、あのころと思いをはせていた。ラボの合宿で、ラボっ子たちに指導してもらいたいと頼んでいた。実現の機会を待っていたが、かなわなかった。やるべきことがたくさんあり、また、治療の関係で体力もままならなかった。申し訳ないことを頼んでしまったと思っていたが、彼もそれを望んでいたと、実現できなかったことを残念に思っていらした。
去年の夏のおわり、娘のSちゃんの国際交流の親子面談。西洋医学で闘うことを選ばないと決めた頃だった。「すみません。家族全員で来てしまいました。」ああ、お父さんも来てくれた、と思って、胸が詰まった。弟のYちゃんの面倒をうちの息子に見させ、話をした。Sちゃんの国際交流は、お父さんの悲願であった。視野が広く、外国旅行も多いご家族だったが、ホームステイ交流にだす、ということについては格別のものがあるようだった。以来、書類から準備、語り合い、全てをお父さんが受け持ってくださり、お母さんは生活を支えた。
11月の親子オリエンテーションには、お父さんは来られなかった。その頃外出する体力はなかった。いいときもあり、肺の転移が消えたと、手を取り合って喜んだときもあった。この何年間か、私がラボっ子にやらせたいテーマ活動は、生きること、死ぬことに関わることが多かった。
Sちゃんに話していないこともある。私も慎重にことばを選ばねばならないのだが、うまくできたかどうか。今年になって、ラボで新年の抱負をいいましょうというときに、Sちゃんのことばが、それまでとは違う調子だったので、もしやと思って、お母さんに電話してみると、やはりお父さんの容態が思わしくないとのこと。Sちゃんの国際交流をどう支えていくのかを話し合った。お父さんへの義務感から、国際交流に行くだけは行こうとしているのが痛ましかった。事前活動が始まり、持ち前の前向きな積極性を取り戻したSちゃん。ラボのクラスでも牽引力になっている。ほっとしたのもつかの間、お父さんは旅だって行かれた。
今日の「人生をまっとうした会」には、ラボのお母様方も行ってくださった。私も合同練習の後半(小学校高学年以上)を大学生の長男と夫にまかせて、コンビニのおにぎりを口につっこんで駆けつけた。なんだかふらふらする。腹ぺこのせいかな。こんな時にお腹がすくなんてと思いながら、まだ残っていた会場の食事をそおっと口に運ぶも、つぎつぎと泣ける弔辞があって・・・・
私の仕事は、ラボっ子たちを全力で支えていくことだけ。お父さん、Sちゃんの国際交流、成長を見守ってくださいね。
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