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ラボっ子のテーマ活動発表にもとめるもの その2 |
02月12日 (月) |
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昨日は東京支部高学年活動テーマ活動大会が行われ、各地区から一生懸命取り組んだテーマ活動が集まり、どれも見応えのある素晴らしいものだったように思う。私の方は、花粉が始まり、体調が万全ではなく、しっかり受け止めきれなかったと、後悔の念しきり。あ~・・・えら~い~(えらいとは、中部地方のことばで、つらいの意味)
実行委員達も、実によく頑張っていたようで、また、自分の思いをしっかりと英語で伝えようとするのがとてもよく伝わってきた。実行委員長のスピーチは、つかえたりしたことも含めて、まさに感動的だったと思う。ラボがいいのは、ことば、物語、交流の3本の柱に、あっちよりこっちよりしながら、螺旋状に成長していくこと。ことばによりすぎていたら物語に・交流に、物語によりすぎていたらことばに、という軌道修正ができるし、交流のみを楽しんでいると思ったらいつのまにかことばも物語も成長していた!という発見もある。ラボっ子達のテーマ活動に求めるのはそういうことだ。
中部のシンポジウムで、国連前事務次長の明石氏の講演を聞く機会を得た。明石さんが言うには、国際会議などではどの国の人も自分のことばで(お国なまりの英語を駆使して)その言わんとすることを伝えようとしている。それに対して日本人は上手な通訳を連れてくることが多いという。通訳は英語は上手でも話し手の心までは伝えられない。ましてコミュニケーションは会議場の中のみならず、むしろロビー、廊下、洗面所などで進められるので、日本人は、入り込めない。そんなことを言っていらした。
私も時々感じるのは、自分のことばで話そうと努力している人でも、自分のスピーチのみに没頭しているので、人のことばを聞いていないということ。自分の番が来てスピーチする以外に何も考えていない人。これでコミュニケーションと言える?これは英語を言っていても、コミュニケーションをしているとは言えないではないか。
こどもの挨拶だってそうだ。親が我が子を外国の人と話させようとして、他の子のことば、交流は無視。我が子の口から出る英語のみで、相手の外国の人の返す言葉すら聞いていない人がいる。それで「先生、うちの子、英語が言えました」なんていう。テーマ活動の発表でもそうだ。自分の番に備えて練習していて、人の発表を見ていない人は、意味がない。自分の発表が済んだからと、帰ってしまう人も。
ラボっ子たちは、この意味でも、貴重な体験を繰り返していると思う。自分たちの発表に込めるもの、他の発表から受け取るもの、その中で育っていくもの。大人達はこういうことを見なければいけないよね。折りしも、総局長の林さんの挨拶に、10人の人とコミュニケーションするときは、10分の9は聞いているんだ、という件がありましたが、まさにそのとおり。ラボっ子達は実践していると言えますね。
でも、それでも、テューターとしては、辛い評価もするよ。素晴らしい!でも、精進したまえ、きみたち。
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