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ジュリエットは14歳 |
04月12日 (木) |
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小学生のラボっ子のお母さんが、シェイクスピアのロミオとジュリエットの年齢の若さについての記述を読んだということを聞いていた。10周年の発表で中高大生の1幕2幕の発表を見て、ますます思いを強めたらしく、記述をコピーして持ってきてくれた。「だから先生は、ティーンエイジャーにロミジュリさせるんですね」と。
この著者は、シェイクスピアが「14歳」の恐ろしさをいかに的確に生き生きと描いているか、さすがは天才とうなっている。二人の純愛の周りに登場する人物たちが多種多彩、猥雑で、争いが絶えず、何人もの若者が簡単に命を落とす。こうしたすべての登場人物が、実は若者の心の中にあるものだといっている。「限りなく猥雑で、限りなく純粋で、というのが14歳なのだ。それを生きることは大変であり、ちょっとした『偶然』が命を奪い、悲劇を生む。そのことをシェイクスピアは、16世紀の時代によくよく知っていたのだ。その知恵はどこへ行ったのか。近代人は人間はもっと理性的で、子どももちゃんと育てれば、馬鹿なことはしない、などと思いあがったのではないだろうか。ところが、どっこい。現在、われわれは14歳の恐ろしさをはっきりと思い知らされているのではなかろうか。」
ロミオとジュリエットのオリジナルになる物語は、古代からあり、ギリシャ神話でも、騎士物語でも、このモチーフは繰り返されているが、シェイクスピアのすごいところは、ジュリエットの年齢を14歳にまでぐっと下げたことと、言われている。そして魅力的な登場人物たち。それは、思春期の若者たちに、どうしても体験してもらいたいライブラリーとなるゆえんだ。私自身、そしてこのライブラリーに出会った後輩たちも、初めは、え!?14歳?やばっ!くらいの反応だった。他の登場人物の俗物性を侮り、二人の純愛を高めていく時期をへて、また、彼らを取り巻く大人たちへと意識が届いていく。10代を過ぎていくに従い、切なさだけでなく、愚かさも見えてくる時期もある。ジュリエットだけがある意味強く成長してしまい、男たちが引きずられていくような印象も受ける。
ところが、私自身、思春期のラボっ子と我が子を育てながら、久しぶりに取り組んでみて、上記の著者と同じことを思い至った。いつも母の会などで「思春期の若者の頭と身体と心は、別々」と言っている私。この現象が、シェイクスピアがえがいているものではないか。
映画などでは、乳母は実に下劣で、マキューシオたちの乳母に対する態度もひどい。それすら、実はジュリエット(思春期の子)の心の中にあるものなのだ。それでもひたすら純愛に導かれていき、あろうことか死にまで突き進む。善意の大人もいるわけだが、若者の突っ走りの前ではなんと無力なことか。4幕でロレンスが「この二人はどちらも自分の手で命を絶ったのです」というくだりは、いいわけがましくて、ロレンスを嫌いになるシーンだったが、これは、無力な大人の、悲痛な叫びか・・・
いまはまだ、シェイクスピアの入り口に立ったばかりの我がラボっ子たちよ。先は長いよ。
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