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103歳の大往生 |
05月20日 (日) |
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明治37年生まれの103歳。祖母がその長い人生を閉じたのは、金曜の夜のことだった。眠っている時間が長くなり、さすがに終わりに近づきつつあるのか、静かに枯れていた祖母だった。あまりに高齢なので病院でお世話になっていたが、目が覚めると、ご飯を食べる。経口食というのか、流動食を時間をかけて、ちゃんと口から食べて飲み込んでいたそうだ。意識もあり、会話もできていたが、ただ、眠っている時間が長くなり、永遠になったのだ。
子どもの頃、祖母が自分の足の上に私の足をのせて、一緒に歩いて遊んだ。これは、今、小さいラボっ子とソングバードをするときに使っている技だ。ダンスを子どもに教えるときにも使う技。自分の身の上話を「昔話」として語ってくれたりもした。結構おもしろかったよ。朝くらいうちに潮干狩りに行って、土瓶に油を入れて明かりにしていて、顔がすすで真っ黒になった話や、乗り物に弱かった祖母が連れていた甥のおむつに吐いては捨てたという話。一番得意だったのは、自分が大谷ぎょうぶの末裔ということ。関ヶ原の戦いで西軍の大名だったから、普通の人とは違う、という意識があったのだろう。祖母の父は次男だったから、大谷家直系はまだ存続しているが、祖母の方の家系は、祖母が最後となった。
ティムも、おいていくわけに行かないから、車に乗ってやってきた。実家にはネコがいるし、私たちが泊まっている葬祭会館に置くわけにもいかず、しかたなくほとんど実家のようなFテューター宅に一晩お願いした。夜中、寂しくて泣いたそうで、先生、ご近所には大変迷惑をおかけしました。すみませんでした。F先生は、私たちのためにシフォンケーキまで焼いていてくれて、スイスのチョコレートも下さり、私はアフターラボの大学生ラボっ子たちと少し話をした。来週、発表だね。車はティムが乗っていたので、お乗せした人たちの黒い服はティムの毛だらけ。伯父が「それでガムテープ持ち歩いとるのか~」
どこへでも歩いていく明治の人だった祖母は、生涯丈夫で、最後まで心臓も肺もどこも悪くなかった。和裁が得意で若い頃は弟子もいたね。あの時代に「私、幼稚園に通っとりました」というのがご自慢。何でも食べるし、ハンバーガーも好きで、「テリヤキバーガー」を注文した。若い人に「他に好きなものは?」と聞かれると「ピザ」というウケをねらった答え。明治は遠くなりにけり。祖母が毎日あげていた修証義を今日は私がよんだ。
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