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Barney の思い出 12月09日 (火)
バーニーとの思い出

 親しみと敬愛を込めて、皆さんがバーニーさんとお呼びしておられるバーニー・レーベンスピール氏とは、アメリカで、離れてはいますけれども一緒にお仕事をしましたので、同僚のような親しみと友情をこめBarneyと呼びます。
 98年春から2001年秋まで、夫の転勤に伴いアメリカに住んだ私は、4-Hのコーディネイターを体験する機会に恵まれました。4月テキサスでの生活が始まり、5月からダラスの4-Hオフィスに通い始めました。アメリカでの生活を覚えるのと同時に私のオフィスでの格闘が始まったのでした。当時プレイスメントはやっと10分の1ほど。日を追うに従い、あと何人、と夢にまで見るほど。やがて、レイトプレイスメントながらどんどん決まりだし、ホストファミリーが余って、他の州からラボっ子をまわしてもらいました。HIS をシアトルの4-H事務所に送るのですが、ラボのシアトル事務所でも待ちに待っていることを知っていますので、同時にファックスや電話などで、情報をリークしてあげるわけです。そんな折り、バーニーとも、「一人決まった。やったね!」と喜び合ったものです。
 シアトルのラボとの電話を家でしていると、「家で」というのは、テキサスとシアトルでは時差がありますから、まず午前中は電話はかかってきません。そして私が帰ろうとする頃、または、家に帰り、三人のこどもたちに夕食を食べさせようとこれまた奮戦しているころ、シアトルからのんびりした感じの電話がかかってきます。ホームステイの期日が迫ってくると、鬼気迫るものがあり、ホストファミリーが決まったときのうれしさはいいようがありません。
 こどもたちが「誰と電話しているの」というので、「バーニーと」と言うと、三歳の三男が「バーニー、ポーエイチなの?!」と目を輝かせています。まだ4-Hと発音できない3歳のこの子にとって、アメリカでバーニーといえば、テレビのこども番組で大変人気のあるキャラクターの紫のかいじゅうです。うちの子はバーニーの寝袋、バーニーのスリッパと、キャラクター商品まで持っていて一番お気に入りの番組だったのです。バーニーが4-H関連の仕事をしていると思って大変な騒ぎでした。
 秋になり、平野さんから、4-Hのニュースレターに私の奮戦記を載せようということになり、がんばって作文を書いたのですが、作文をシアトルに送った頃には、もう、平野さんから聞き書きしたバーニーの文章ができあがっているのです。内容は同じなのですが、バーニーはとてもソフィスティケイトされた、知的な文章を書く人ですから、私のものとは、ずいぶんちがいます。でも、それでは私が右も左もわからないアメリカで奮闘した熱さが伝わらない。稚拙な文章でも私のいかにも苦労した、というところがなければ、と、ずいぶん変えてくださいとお願いしたりしました。そのニュースレターが出て、11月に4-Hのナショナルコンファレンスにいきますと、皆さんが読んだ読んだと言ってくださり、バーニーにもお会いすることが出来ました。
 お互い「やっと、お会いできましたね。」バーニーが「あなたとても有名ですよ。」「ええ、あなたのおかげでね」と私。そのコンファレンスは大変素晴らしいものでした。ラボで働いているバーニーは、4-Hのコーディネイターたちからとても信頼されていました。私は、アメリカで人生観が変わったというか、結婚や離婚、再婚、年をとってもいきいきと人生を営んでいる姿に感動していたのですが、コンファレンスでバーニーに会い、「What a nice guy!」と思ったものです。
 その後、私はカリフォルニアに移り、コーディネイターの仕事の内容が変わりましたし、バーニーは、ノン4-Hの担当になり、あまりお電話で話すこともなくなりました。平野さんが帰国され、事務所をバーニーの自宅に移したと聞いて、お電話しましましたら、バーニーがでて、「お身体大丈夫?」「シアトルにいらっしゃい。案内しますよ。」「まあ、じゃあ、ぜひ!」実現できませんでした。
 私は3人のこどもをおいて、5日間ほどのコンファレンスに参加しているわけですが、「4-Hコンファレンスでバーニーに会ったとこどもたちに報告できるわ」というと、「僕は紫じゃないけどね」とおっしゃいました。
 素晴らしいバーニー、すてきなバーニー、知的で優しいバーニー、安らかにお眠り下さい。
 
Re:Barney の思い出(12月09日)
ミニばらさん (2003年12月12日 01時40分)

My Pageご訪問ありがとうございました。
お会いできて嬉しかったです。
バラは母が大好きで、家中バラだらけでした。
我が家にはまだバラは植えていません。

この会には遅れて参加したものでスピーチ伺って、4Hの方かと思い、失礼致
しました。
私も68年にラボに入会し、77年にCal.に行きました。
まだ国際交流参加者もいないので,日記感心して読みました。
ピンと来ない事も多いですが…
又訪問させていただきます。
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