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安寿と厨子王 03月08日 (月)
テーマ活動の教育力を明快に描き出しマイパーティの強化に集中しよう。
 春の地区発表会に向け、安寿と厨子王を始めた。この物語は、私が小さいとき、おそれと感動をもって聞いた(読んだ)物語である。生き別れ、死に別れという、現代の便利で平和な生活とは無縁のようだが、ラボっ子たちはかつての私とおなじように身につまされて聞いていた。人買いにさらわれそうになったら、戦えばいい、やっつければいい、海に飛び込んで逃げればいい、などと、安易な感想が聞かれるはじめの頃から、テーマ活動を深めていくにしたがって、過酷な運命に耐える安寿と厨子王の心中を考えるようになって来つつある。母が盲目になるほどの悲しみとは何か。なぜ、安寿は、弟を逃がすため我が身を犠牲にしたのか。犠牲とはどういうことか。以前どこかで読んだ本に、山椒大夫には3人の息子があり、一郎は父の奴に対する酷い仕打ちを見て、黙って出奔する。次郎は心優しく、安寿に思いを寄せている。三郎は残忍な性格であるが、父にとっては頼もしい息子かもしれない。そんな話もラボっ子たちにしてみた。なぜ、安寿は、次郎のもとで安楽な暮らしを求めなかったのか。悪い奴に与したくなかったから?でも、そうすれば、自分と弟はもう少しましな労働につき、酷いめにあわないかもしれない、そういう守り方だってあるかもしれない。仏さまによる一条の光を信じて、ついに厨子王は逃げることが出来、父の無罪をはらし、母を救った。
 自分たちには起こりえないような過酷な運命をテーマ活動の中で経験することが、その心をどれほど耕していくものなのか、取り組んでいきたいと思う。人生にはいろいろなことがある。つらいときもあり、悲しいときもある。悲惨な世の中で自分を見失わないのは、心が「一条の光」を信じているからだと思う。根底に、明るい力強さを持ったこどもに、そして、想像力のある子どもになり、我が身の不幸だけを嘆くことのないよう、生きる力をみにつけてほしいとおもう。
 日本語であっても、今の子どもたちにはなじみのないことばにも出会っている。柴を苅るの柴とは?汐を汲むとは?そして仏さまはポケットにいれているのではない。「ふところ」をいうことばをお母さんから引き出してきた。ふところは着物の部分でもあるが、「ふところがせまい」「ふところがふかい」という言い方をしたときには、どういう意味?
柴については、芝だと思っていた子がほとんど。山の中でそんなもの苅ってどうするの?一人が、英語に気づき、薪だと言い出した。日本語の意味を英語から引き出した例である。
そしてそれをどう使うのか?当時の生活を考える子どもたち。汐汲みは、どんな経済効果があるのか考える子どもたち。そして、日本海の経済ルート。京都の政権が及ばない地方での悪党。政争に敗れたと考えられる父、正氏の流罪。「ながされる」ってどういうこと?九州に流された人で、有名な人は?子どもたちの興味は尽きない。ただの昔話ではなくなってくる。そんなことに費やしているうち自然と身に付いてくることば。そして感動を人にも伝えるには?楽しい縦長の活動の中で育まれていく人間としての成長。テーマ活動は素晴らしい。
Re:安寿と厨子王(03月08日)
がのさん (2004年03月09日 00時22分)

しばらくでした! 久々にしっかり日記を読ませてもらいました。
「安寿と厨子王」をカトリーヌがやっている――
それだけで,なにやらズキン! とくる感慨があります。
さすがです,「安寿と厨子王」の物語の奥処を的確に捉え,
そこのテーマをはさんで子どもたちと真摯に向かい合う,
そんなカトリーヌの姿が彷彿されます。
それにしても,現代っ子の感じ方,おもしろいですね。
わたしなんかには思いもつかぬ発想です。こういう子たちが,
かつての日本の歴史のなかでおこなわれていた生活様式と
それぞれの時代に吹いていた風を
テーマ活動の形でふれるとき,良きにつけ悪しきにつけ,
封建的であろうと近代的であろうと,新しい未来へ注ぐ視線には
(それを知らずに来てしまった人とは,大きく)違うものが
あるように思いますね。それが歴史だからです。
わたしたちが今立っているその下に流れている歴史だからですね。
カトリーヌご自身にとってこの物語がある特別なものとして
胸に残っていると同じようにして,
わたしの中にも鮮やかなイメージとして焼きついています。
わたしの幼少期といえば,絵本などめったにありませんでした。
それがどういうわけか,この絵本と数冊の日本神話の本が家にあり,
数十回,いや,もっとでしょうか,母親に読んでもらったものです。
今にして思えば,粗悪なものでしかなかったでしょうが,
盲いた母がうたう鳥追い唄,「ホーヤレホー…」は
いまは遠い他所に行った実母の記憶とともにあり,
ひとしおの懐かしさを覚えます。
文字が読めるようになってからも,鴎外の「山椒太夫」を
何十回読んだことか! 特別な思いのある作品であり,
これをラボ・ライブリーにするときには,
みんな帰宅してしまった事務所の片隅でスクリプトをつくりながら泣き,
録音吹込みに立ち会いながらひそかに泣き…,と,そんな感じでした。
でもまあ,そんな思い入れとは別に,
いまの子どもたちとは,無理なく,彼らの尺度も見ながら
このお話を楽しんでくださることを期待しております。

お亡くなりになったお父さんのこと,気持ちの整理はつきましたか?
まだまだ若かったですからねぇ。元気な声の戻るのを待っていますよ。
Re:安寿と厨子王(03月08日)
がのさん (2004年03月11日 22時28分)

これはひとにお薦めしたい本ではありませんが,
人攫い,人買いの話が出てくる話で,ちょっと「山椒太夫」に類似した
ところがありますので,一部概略をご紹介いたします。
皆川博子さんの『乱世玉響』(らんせいたまゆら)という小説。
「蓮如と女たち」というサブタイトルがついています。
蓮如は,知恩院派の高僧で真宗をつくった傑物とされていますね。
85歳で歿するまでに5人の妻をもち,27人の子をなしたとされています。
その子の一人,乙女というおんなの子が15歳のとき,
琵琶法師の男に騙され,人買いに売り飛ばされます。
次々に売り渡され,夜をひさぐ女になったり,
夜盗の群れに入ったり,乞食になったり…,
さんざんな辛酸をなめたのちにどうにか寺にもどることができたが,
生んだ子のことは顧みない,子をなした女を首を締めて殺すような父親の上人

聖人づらして人前で法を説くことにどうにもならない怒りを発し,
寺に火を放ったうえで,自身は首をくくって果てる,というシーンがありま
す。
フィクションですから,そういうものとして読まねばならないわけですが,
やはり,かつて日本にそういう時代があったんだな,
との思いを新たにしました。
わたしたちの幼少時も,わるいことをしたときに向けられる脅し文句は
人攫いにやっちゃうぞ,でしたね。頑是なくぐずぐず云っていると,
それそれ,人攫いがくるぞ,といわれ,口をふさがれたものでした。
「安寿と厨子王」の話を聞かされて育っていたこともあって,
「人さらい」は怖い怖いことばでしたね。それもいまはなつかしいですが。
( Mar 11,2004 )
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