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Hello! You speak English? |
03月14日 (日) |
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東京駅で新幹線から中央線に乗り換えようと乗り換え改札口をでたとき、私の後ろを歩いている三男のとなりに陽気な外国人が。三男を見て、ハローと話しかけています。おや、どうなるかな、と思っていると、三男が、はにかみながらハローと返しています。
You speak English?
Yes.
Oh, do you? Really, good! What's your name?
Shun Kato.
What?
SHUN KATO.
I see! I am a Bragirian. Haha, Play soccer!
ふうん。舜は、自分で英語が話せると思っているんだ。
三男の舜は、2歳から5歳までアメリカで暮らし、今はすっかり日本人の2年生の8歳。
アメリカに行ったときは、英語日本語の感覚はまだない。渡米後1ヶ月で保育園に入り、週に5日、朝8時から夕方6時まで英語の世界。もちろんお友達も英語とはまだ呼べない代物だったかも知れないが。保育園、プリスクール、キンダー、そしてアメリカ人の子どもたちと同じように一年生になった。その後帰国。日本の幼稚園の年長クラスを半年経験し、日本の小学校の一年生になり、現在に至っている。
日本に帰ってから、新しい環境になれるのも早く、新しいことばもどんどん覚えた。と同時に英語はどんどん聞かれなくなった。英語を言語として学校教育を受けていた期間の長い長男、次男と比べると、消えるのが早いのも仕方がないか、でもどんな風に、あるものは残り、あるものは復活するのか、と思っていた。消えると言うより、深層に潜るというほうが合っているかも知れない。殆ど幼児の語彙である。それがどういうふうに残るのかしら、音として、また、幸せな思い出に繋がる言語環境としてかしら。
そして、ラボがどのように作用していくのか。我が家では、ラボライブラリーを毎夕食事にきいている。毎週のラボのクラス、行事、そして受け入れ体験も多い。
ある時舜が自分から「ぼく英語忘れちゃった」と言った。だから話せない、と。人前で英語を言うことをいやがるようになった。我が家に滞在する大人のアメリカ人は、舜にもどんどん話しかける。舜が言った。「ぼくね、言われてることはわかるんだけど、どう答えていいか忘れちゃったの。」
最近、それが変化してきた。それは彼の中で、日本語が育ち、語彙が豊かになってきたのだ。ライブラリーをきいて、英語と日本語の違いを発見するようになった。ことばとことばの対応が出来るようになってきたのだ。こんなふうに、言葉は残り、生き続けていくのだなと実感していたこのごろであった。ラボのやり方は、幼い帰国子女に無理なく、こんなにいい感じでことばを潜めていけるのだなあと思った。
そして今日、である。あんなに自然に、自分は英語が話せるよと、答えているなんて。自信がなければ、どんな小さな一言も出ては来ない。彼の中で、それが生まれたのだな、と思った瞬間でした。
今日は、実家(愛知県)へ行き、父の四十九日と、経営者だった父の会社のあと始末で、臨時株主総会を開いて、帰ってきた、その帰り道でした。
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