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張弛さん(中国)と奈良燈花絵へ |
08月15日 (月) |
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春の中国交流の時、ホームビジットをした、張弛さんが和歌山にホームステイしているので、今日は私が奈良を案内しました。朝9時に難波で待ち合わせ。そのまま奈良に向かいました。車中色んなお寺に行きたいと言うので、奈良で待っていてくれたfさん(一緒に中国に行きました)と少し引き返して、薬師寺と唐招提寺をまず案内することにしました。今日は大仏殿が7時から開放され、真ん中の窓が開いて、大仏の顔を外から拝めるまたとないチャンスと言うことで、こちらを夕方に回すことにしました。
まず薬師寺です。
凍れる音楽と言う愛称の東塔と金堂、こちらは裏側になります。
近鉄西ノ京駅からの入り口は裏側から入ることになるのです。
薬師寺は故高田好胤管主のお写経勧進によってとても有名で、今日も
写経に訪れている方々がたくさんいました。お写経道場という場所もあって、張弛さんにその様子を見せてあげました。
玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿も見ることが出来ました。
~一般公開は春季・秋季に限られていますが~
平山郁夫画伯による壁画は『明けゆく長安大雁堂』に始まり、『嘉峪関を行く』『高昌故城』(火焔山)『西方浄土 須弥山』『バーミアン石窟』『デカン高原の夕べ』『ナーランダの月』と玄奘三蔵のインドへの道程を一日の時間経緯で表しています。春に西安に行った私とfさんは大雁堂にも行った所なので、とても身近に絵を拝見することが出来ました。丁寧に解説もしてくれたので、とても有意義な時間でした。『ナーランダの月』の絵では、この絵の完成を見ることなく亡くなった高田管主と玄奘三蔵をダブらせて描かれた人影には、胸にじ~んとくるものがありました。張弛さんはもちろん玄奘三蔵の事はお手の物、解説の日本語は難しいといいながらも理解しようと頑張っていました。
私たちはたまたま、盂蘭盆会写経絵で、一部の会員に開放している所を入れていただけましたが、一般開放は決まっているので、ご覧になりたい方は問い合わせをしてから行ってくださいね。
URL.http://www.nara-yakushiji.com
次は唐招提寺に行きました。
私が奈良のお寺で1番好きな所です。
~が、なんと金堂は平成の大修理の最中ですっぽり鉄骨に覆われていました。中を覗くと金堂は壁がすべて落とされて柱だけになっていました。後4年かかるようです。古いしっとりとしたたたずまいが気に入っていたのですが、完成後はどんな金堂に生まれ変わるのでしょう・・。
鑑真和尚のことも張弛さんはもちろん知っていました。鑑真大和上御影堂に行きましたがここは、鑑真の命日6月6日前後にのみ公開されるとの事。来年は6月5日から、12日に一般公開されるそうです。ここでは、東山魁夷画伯の障壁画が一緒に見られます。 来年は忘れずにいかなくては・・とfさんと確認しました(^0^)。
この横に鑑真和上御廟があります。

苔むしたほっとする空間です。
鑑真和上御廟です。
仏教文化華やかだったころの高僧たちの名は、史上おびただしく遺っているが、その方たちのお墓は、たまたま出土品で明らかになった行基菩薩の墓所の他には例がなく、没後1200年間香華を絶たずお詣りされて来たのは、ひとりここ和上のご廟があるのみ・・・と言うことです。
薬師寺の喧騒と対照的にしっとりとした唐招提寺の境内は一日中でも座っていたい雰囲気です。
しかし、今日は遠来の客を案内しているので早々に切り上げて、また奈良市内へと引き返しました。
燈華絵は7時からなので、おみやげを買いたいと言う彼女を東向き通りに案内しました。携帯ストラップがいいのですが、中国に比べると物価が高く、なかなかたくさんは買えない様なので、100均の店に連れて行ってあげました。木で出来たひらがなの文字が気に入ってくれました。
これは、アメリカへのおみやげやプレゼントにもいいなと思いました。日本語に興味のあるホストの名前をひらがなで貼り付けたプレートは面白いでしょう?食料品のお店にも行って日本のお菓子をおみやげに買いました。私が中国に持って行ったチーズサンドのおかきが気に入ってくれていて探したけれど同じものはありませんでした。普通のお菓子はほとんど同じようなものが北京にはあるようです。
たくさんおみやげも買って、次はいよいよ東大寺大仏殿です。
5時半ごろ南大門まで行くとガードマンの人たちが沢山いました。
話を聞くと、大仏のライトアップをする7時からは無料で入れるということなので、早めの夕飯を食べて時間を費やすことにしました。
昼は薬師寺の近くのお団子やさんでキツネうどんとお団子を、夕飯はみやげ物やの食堂で彼女はエビフライ定食です。日本の食事が一人分ずつになっている事、野菜料理がとても少ない事が中国とは違うと思ったそうです。私も、中国から帰って野菜料理を沢山作るようになりました。
私たちがしたように、彼女も食事をちゃんと写真にとっていました。
その国の人が見るとちょっとヘンな行為ですね。それを私たちは嬉々としてやっていました。そんな写真がアルバムを沢山飾っています・・・。
さて、6時半を過ぎて南大門まで行くともうそこには驚くほどの人々が並んでいました。南大門から、大仏殿の中門まで200mほどあるのに6人ずつ並んでそこで待つのです。何時に入れるのか心配になってきました。
でもここに並んでいないと、大仏様の顔を大仏殿正面中央から拝顔することが出来ないようなので待つことにしました。少しずつ動き出し、7時半ごろ中門にたどり着きました。待った甲斐がありました。
これは大仏殿の中に飾ってあった写真を写したものです。
私のカメラでは無理でした。大仏殿の中は読経が流れ独特の雰囲気でした。大仏様も年に一度のお身拭いですっかりきれいになっておられました。沢山の燈籠に火が燈されていつもの大仏殿とは違う幻想的な雰囲気です。
後ろが大仏殿ですが写真には写っていません(--;)
幻想的な雰囲気に酔いながら出てくると雨が降ってきました。
春日大社の万灯籠も見たかったのですが、和歌山まで帰るにはもう限度なので、燈花絵を少し覗いておしまいにしました。
張弛さんは年に一度しか経験できない事、中国に関係あるお寺の事、何事も積極的に経験できることをとても喜んでくれたので、長時間でしたが付き合った私たちも楽しい時間を過ごすことが出来ました。しっかり勉強して北京大学に合格し、日本への留学をまた実現したいと生き生きと話してくれました。また、成長した彼女に会える日を楽しみにしています。
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