戦艦大和~戦争について考えた2日間~ |
09月19日 (月) |
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18日19日と呉、尾道に行ってきました。映画『男たちの大和』で使った実物大の戦艦大和のセットを尾道で来年3月まで公開していると知り、中学時代にマッチ棒で50cm大の大和の模型を作ったという主人にはきっと興味があるだろうと、インターネットで調べると呉に『大和ミュージアム』が今年4月にオープンした事も分かりました。そこで、昨日はまず呉の『大和ミュージアム』に行きました。JR呉駅からとてもきれいな遊歩道が付いているので迷わず着きます。一階は呉の歴史が、その背景となった世界、日本の動向との関わりの中で紹介されています。~写真や映像に加え、10分の1戦艦大和や、零式艦上戦闘機、人間魚雷『回転』などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます~(パンフレットより)・・・日露戦争の時代から、第二次世界大戦までどのようにして、日本が戦時国家になっていったのかが、呉の歴史でとてもよく判りました。映像や、遺品なども涙なくては見られないものでした。
日本海軍には、戦艦等の名前をつけるのに決まりがあったそうですが、戦艦は昔の国名が使われていたそうです。安芸、武蔵・・・そして大和。日本の当時の最高の工業技術を駆使して作られた次はない戦艦だったのですね。軍需景気というものの実態が判ると同時に、戦争とはなんと人々の判断を狂わせるものなのかという事をこの展示で今の人々に語りかけているようです。戦後60年、大和の生存者の方々や家族の方々の語る映像が迫力を持って平和を訴えかけています。
『大和ミュージアム』は呉市海事歴史科学館なので、3階には『船をつくる技術』の展示室があり~船を中心とした科学技術の原理を体験・体感を通してわかりやすく紹介します。操船シミュレーターのほか、作った船を走らせることが出来る実験水槽、科学の不思議を体験するサイエンスショーや工作教室などで楽しく学べます~(パンフレットより)というように、子どもたちが船が浮く原理などをクイズ形式で学べる場所もあります。
そして、今日19日は尾道の『男たちの大和』のセットを見学にいきました。こちらはJR尾道駅の前の桟橋から前島(日立造船のドックがある島)行きの小さな船に乗ってすぐです。JRの駅で前売り入場券を買うとこの船の運賃は無料です。さすが実物大ということですごい迫力ですが、船の上の部分(わたしにはなんと言う部分か分かりません)がありません。その部分はCGで映し出しているそうです。実物大と言っても全部があるわけではなく実物の4分の1の部分が作られています。隣のドックと比べてもその大きさがとてつもないものであったと想像できます。子ども時代に数え切れないほど大和のプラモデルを作った主人は感慨無量のようでした。
この部分は映画のメイキングビデオで、反町隆史、中村獅童らが戦闘している場面に出てきた所です。
『大和ミュージアム』の遺品や生存者の証言などを見聞きした後でこの大和に上がってみると、ますます戦争の悲惨さが応えました。
主人の父はシベリアに抑留され寒いシベリアで軍手を解いてチョッキを編んだぐらいの器用な人でした。一度だけ色んな当時の資料を出してきて少し話をしてくれたことがありました。長男が3歳の時に亡くなってしまったので、義父の戦争への思いや、当時のことをもう聴くことが出来ません。だんだんと体験者から直接戦争の悲惨さを聞く機会がなくなって行きますが、正確な資料や証言でこれからも日本が戦争をしたことを残し、語り伝えていかなければいけないと思いました。
映画『男たちの大和』がどのように戦争の悲惨さを語っているのかも興味があります。
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Re:戦艦大和~戦争について考えた2日間~(09月19日)
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スミティさん (2005年09月21日 22時17分)
遠いところ、いらっしゃったんですね。私も行きたいと思っています。
呉のMパーティとパーティ交流をしたとき、我が家にお泊りに来たラボっ
子のおじいちゃんが大和の設計に携わられたそうです。
我が家の近くには回天基地が戦争中あって、呉から人間魚雷回天をのせ
る潜水艦がやってきてたそうです。
まさにこの地で終戦(敗戦)を迎えた方の孫もラボっ子。我が家にステ
ィしました。
縁ですね。
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Re:Re:戦艦大和~戦争について考えた2日間~(09月19日)
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candyさん (2005年09月21日 23時57分)
スミティさん
>遠いところ、いらっしゃったんですね。私も行きたいと思っていま
す。
呉のMパーティとパーティ交流をしたとき、我が家にお泊りに来たラボっ
子のおじいちゃんが大和の設計に携わられたそうです。
→呉に着いたとき、ここにもラボパーティーがあるのかな~と思いまし
た。ミスティさんと交流されているパーティーがあるんですね。
呉は戦時中は日本のあらゆる工業技術が結集した所だったようです
ね。今ではその技術が日本のあらゆる産業に生かされているようで
す。いつまでも高度な技術は平和利用して欲しいものです。
我が家の近くには回天基地が戦争中あって、呉から人間魚雷回天をのせ
る潜水艦がやってきてたそうです。
まさにこの地で終戦(敗戦)を迎えた方の孫もラボっ子。我が家にステ
ィしました。
→いま、世界ではテロが頻発していますが、日本の特攻隊や人間魚雷回
天のことを思うとき、戦時下という異常な状況が今の世にもあるのだ
と思い知らされますね。どうして人間はおろかなことを繰り返すので
しょう。一度経験した者は二度とそのようなことにならないようにし
っかり声を上げていかなければいけませんね。
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