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昨年秋くらいからこの春にかけて激やせし,船長はもうだめらといという噂が全国をかけめぐったらしい……。たしかに医者からは1部のデータだけ見れば悪性腫瘍の末期といわれ,4月に緊急入院。幸い1週間で復帰し,2か月の治療でなんとか健康になりました。
原因はストレスらしいが,なにせ30キロ痩せたのでさすがあせった。2004年に『ひとつしかない地球』をつくっているときに胃潰瘍で救急車ではこばれ2週間入院。このときに16キロ痩せて、1年間は節制につとめた。しかしながら2005年から『はだかのダルシン』の制作がはじまつたら,ウェールズ,カナダとニコル氏とともにいっぱい食べたたりが運のつきで17キロもリバウンド。そこからまた30キロ激やせで,まるでロバート・デ・ニーロ。
おかげさまで今は172センチ 67キロ BMI22いたって健康。これを維持しなきゃ。
さて,SK31の制作が夏のあいだ粛々と進行し8/25にはラボ・センターで日本語吹込みラボっ子の2次選考会があった。全国334名の応募のなかからテープ審査を通過した30名が集合。もちろん1次を通過できなかった子もみんなたいへんな意気込み。応募動機もビッチリ書かれていて,こんなにも愛されているラボ・ライブラリーはほんとうに幸せものじゃ。
結果として8名がスタジオにいく。これからおいおい新刊リボーとをしていくのでよろしく。ところで本日のミニ情報。『ロバのシルベスターとまほうの小石』の音楽を担当する渡辺俊幸さん(ラボ・ライブラリー初登場。『利家と松』『大地の子』などの音楽を担当。さだまさし作品の編曲などもテューターがける超売れっ子作曲家)の音楽収録が8/23日に行なわれたが,渡辺氏が彼のプログでていねいにラボの録音のことを書いてくださっています。http://blog.toshiyuki-watanabe.com/ぜひのぞいてみてください。
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ラボ・ライブラリーの英語担当でおなじみの
鈴木小百合さんがJAPAN TODAY(英字新聞)
のインタヴューをうけて写真入りで記事になりました。
下記のURLで閲覧できます。
鈴木さん先日はロスでスピルバーグのプロモーション
を終えて帰国 今週は来日しているジョニー・デップと
オーランド・ブルームだそうです。
http://www.japantoday.com/jp/newsmaker/405
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メディアのあつかいが小さかったのてご存じない方も多いかと書き込むことにしました。
去る3月29日,『はだかのダルシン』『十五少年漂流記』『おどりトラ』『ヒマラヤの笛』『寿限無』そして『鮫どんとキジムナー』『チピヤクカムイ』などの英語を担当されている翻訳家・通訳の鈴木小百合さんが,今年度の「湯浅芳子賞」を受賞されました。
この賞はチェーホフ『桜の園』やマルシャーク『森は生きている』などの名訳で知られるロシア文学者の湯浅芳子氏の遺志によって彼女の遺産をもとに設立された賞です。対象となるのは海外戯曲作品の上演と翻訳。今年は上演部門でブレヒトの芝居を長く続けてきた「東京演劇アンサンブル』,そして翻訳部門では鈴木小百合さんと徐賀代子(じょ・かよこ)さんのおふたりが選ばれました。
小説をはじめとして芸術作品におくられる賞はあまたあります。詩の賞は「H氏賞」,音楽なら「尾高(おだか)賞」,写真は「木村伊兵衛(きむら・いべえ)賞」などなどいずれも権威ある賞。戯曲も国内作品では「岸田国士(きしだ・くにお)賞」(昨年なくなられた岸田今日子さんの父上)などがあります。そして翻訳にはこの湯浅芳子賞です。しかも翻訳関係はこの賞しかないので,翻訳家にとっては(賞を目標に仕事をする人はいませんが)
あこがれの「いつかは」という賞です。
鈴木さんが受賞されたのは『漂う電球』(作=ウッディ・アレン 演出=ケラリーノ・サンドロヴィッチ《イカ天時代,有頂天というぶっとんだバンドのボーカルだつたケラです》出演=わたなべいっけい他 本多劇場)と『アラブ・イスラエルクックプック』(劇団一跡二跳 出演=長山藍子他 シアター・トップス)の二作の翻訳。どちらの公演もぼくは見に行きましたが(いつそんな暇がある! という人へ。暇はつくるの)どちらもシリアスでかつ楽しい舞台でした。
3月29日に青山学院のアイビーホールで授賞式とパーティがあり,およばれしていってきました。選考委員長はシェイクスピアの翻訳者であり演劇好きでしられる小田島雄志先生。
祝辞は東京演劇アンサンブルの音楽を長年かかれている林光先生。いずれもラボ・ライブラリーがたいへんお世話になっている先生です。とくに林先生は年齢を感じさせない若わかしく鋭いごあいさつをされていました。ラボ・ライブラリーの初期の作品の音楽はほとんど林先生が担当されています(近年は宮沢賢治作品の音楽)。乾杯はタレントの愛川欽也氏。
「えっどうして」と思ったけれど,「東京演劇アンサンブル」は愛川氏など俳優座の三期生が立ち上げた劇団が母体とのことでした。
芝居を仕事にしていくのはほんとうにたいへんなことだけれと,国ももうすこしお金をださないと。文化庁よろしく! パーティ参加者の平均年齢はめちゃ高いけれど,やっぱり芝居が好きな人たちの集まりは独特の若さがありました。
下の写真は4/7の土曜日,新宿の「歓」というラボも御用達の創作中華の店に鈴木小百合さんを囲んで大学(ICU)の同期の仲間が集ったときのもの。中央で花束をかかえているのが,いうまでもなく鈴木さん。最前列左側の眼鏡をかけたチョイ太めの男性が鈴木さんのご主人である鈴木雄三氏,同じく最前列右側の男性がこの店の共同経営者でもある大林守選手大学教授(イタリア経済学)。女性陣はほとんど同時通訳者か翻訳家(しかも皆酒豪・オソロシイ!)。ちなみにぼくの左どなりは鈴木さんの実の妹さん(彼女も英語が仕事)。
なお,鈴木さんは映画関係の通訳の仕事も多いですがも,4/16か4/23日の月曜の夜のフジテレビ「SMAPSMAP」(通称スマスマ)に出演するそうです。仕事は俳優のヒュー・グラントの通訳。本日収録だそうです。グラントの新しい映画の,「ラブソングができるまで」(原題 MUSIC AND LYRICS)プロモだそうです。オンエア日がきまったらまた書き込みます。ところでスマスマって全国ネットかな。
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このところ,というかずっと更新できなっかたのは,
自分のページにログインできないという不可思議な現象があったからなのねん。
ところが今日は奇跡のように入れたので,とりあえず書き込むのだ。
もともとごく一部のマニアックな読者が読んでるだけなので
「まあ,いいや」と思っていたけど,
ある作家の先生に「作家も編集者もよい読者との出会いがたいせつ」
といわれたことをふと思い出したのですよ。
ともあれ,これからはまた日記をかきます。
ところで゜新情報。5月の全日空の国内線の一部で「エコフライト」という地球環境をテーマにして飛ぶ便があります。この機内映像にニコルさんが登場,水をテーマに語ります。
メインの映像は九州の遠賀川(おんががわ)。ここはサケがかえってくる川だそうです。
サケの川といえば新潟の村上が有名ですがみのの遠賀にはなんと「鮭神社」があるそうです! エコフライとの情報はhttp://www.ana-eflight.com/まで
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8/23にシアトルから帰国した。ワシントン・ワールドファミリーズの対応も3年連続。今年もまた日米2往復だ。ただし、今年はキャンプがステイのまんなかにあったので。ぼくは7/25にラボっ子とシアトル入りし7/26は小学校のサマースクールをたずねて日本文化の紹介。7/26には、ホストファミリィとの対面式。ぼくはその夕方はシアトル市内のホテルに宿をとり、シアトル事務所の間島夫妻と平野団長とハーバーの「チヌーク(先住民のことばでサケ)」でシーフードのディナーをたのしんだ。そして7/28にシアトルをたって成田へ。そして8/5にまたとってかえしてラボっ子20名、120名のアメリカの子どもたちとともにキャンプへ。
このキャンプのことはいずれ別にかくけれど、まんなかにキャンプがあることはラボっ子のコミュニケイションスキル向上のためにはたいへんよい。ホストファミリィにいると、ことばを発しなくてもニコ二コしていればなんとかなってしまうことも多いが、キャンプのような場ではそうはいかないからだ。
さても8/6から12日までキャンプが終わりラボっ子たちはふたたびホーステイへ。ぼくは、ジョージタウンというシアトル市の南のはじっこのホテルをウィークリィで借りて(安い)毎日、バスでシアトル事務所にかよった。ちなみにバス代は
往復で約2ドル半。
帰国前のある日、間島夫妻とともにシアトル子ども病院を訪ねた。見舞というわけではない。じつは『サケ,はるかな旅の詩』の絵を担当したスーザンさんに四月にバンクーバーでお目にかかったときに「いちばん新しい作品がまもなくシアトルの子ども病院にとどくの」とおおききしていた。そこで「いかずばなるまい」と間島氏の左ハンドルのカローラにのりこんだ。


クジラ駐車場(写上)に車をとめて、クジラエントランス(下)からはいるとそこは五階。ほかにもキリン玄関などあって、とにかく病院くさくない。

案内できくと4階の広いホールにスーザンの作品があった。すごいエネルギーだ。
これではほとんどの病気がふきとばされるだろう。そんな命のパワーがすごい。
こうしたアートを飾る姿勢はすばらしい。いて楽しくなる病院。

ちかよってみると「おつ、ラボ・ライブラリーとおなじモティーフ」。みなさんも絵本でさがしてみてください。
このあと病院内のすてきなカフェでお茶をしたかえった。
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いやあ、不覚にも体調をこわしてしまい。
しばらくエンジン半開(半壊)の状態でありんした。
したがってプログどころではなかったっす。
まあライブラリーがひとつおわるといつもがっくりこん
なのだけれど、今回は誤植があったりして
けっこうなダメージであった。
それもこれも身からでた錆なりだけれど……。
ようよう食欲もでてきてふたたび日記にとりくむのだ。
この間、あまり食べていないのでどっとやせてしまい。
この冬まではリバウンドで激太りして(ニコル氏につきあって
食べまくったからなあ)、こんどはまたやせたので
周囲からはロバート・デニーロとよばれている(ウソ)。
さても、先日、間宮芳生先生をセンターにまねいてお話をうかがう機会があった。先生がそういう話をまとめてしてくれることはめったにないので
一部ライブラリー委員にも公開した。おふたれくらいが感想をアップされている。
お話全体はいずれまとめるつもりだが、今日は印象にのこったひとことを紹介しておく。じつにうれしいことばだ。
「教育とは英知の伝承である。それは自分の音楽でもそうなのだが、まずは模倣にはじまる。それが意識化されて創造性につながる。その過程を経ないでいきなりの創造はない。この間、日本ではそうした教育が欠落してきた。ラボ・ライブラリーは、この欠落を補完するラボ・パーティ教育の素材である。そう確信してラボ・ライブラリーの制作に携わってきた」
すごい!
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昨日の写真がちいさすぎたので修正するのだ。日曜のラボセンは静かすぎるのだ。
『ビノッキオ』に「まいにちにちよう そうずっとおやすみ」というのがあるが
こちとら毎日月曜じゃい なんてね

『サケ,はるかな旅の詩』の音楽録音。3月28日,バンクーバー郊外のウエッジウットサウンズで。手前左から赤いラグジャ(ウェールズ代表のレプリカ)ではずかしいわし,渡邊くん,エンジニアのクリス。みんなヘッドフォンわしているのでブキミ。奥左から助っ人としてシアトルからかけつけた間島くん,ダンカン氏,ニコルさん。テストの録音をきいているところ。

3月30日、録音がおわってなごみの図。スタジオは後ろの家の地下にある。ここはまったくふつうの住宅街だが裏手の川にはサケがかえってくる。写真にはないが桜とマグノリア(こぶし)が美しい午後だった。犬はクリスの愛犬でコリーのギネス

サケが5000万匹かえってくるカピラノ川の河口でニコル氏とわし。鉄橋はライオンズゲイト橋という有名なもの。ニコル氏は若き日,この河のここから800メートルほど上流のビルでカナダ環境庁の自然保護官をつとめていた。油や中和剤を海に流す日本の船を逮捕したこともあるそうだ。

リン渓谷の湿地に咲いていた黄色いミズバショウ。水はとんでもなく冷たく10秒足をいれていると感覚がなくなる。そんなに冷たいとミズバショウは生きられないが、このバショウは自らのタンバク質を燃焼させ,その酸化熱で生育しているというしぶとい根性のもちぬし。ただし、タンパクをもやすのでスカンクもびっくりの臭いがする。さらにおどろくことは、熊は冬眠から目覚めるとまずこの花を食べるという。下剤のかわりにしてたまった宿便を排せつするという。さらにさらにおどろくのは、この話をしてくれたのはニコルさんの長女でバンクーバー在住の美和子さんである。彼女はこの話のあいだじゅう終始すてきな笑顔のままだった。さらにさらにさらにおどろくべきは、このリン渓谷(かなりでかい県立公園)は住宅街のどまんなかにあるのだ。美和子さんは夏になると毎日この渓谷であそんだという。

3月30日夜、先住民の画家スーザン・ポイントさんとのうちあげるバンクーバーのダウンタウンのグーという日本式居酒屋で。右列は手前からスーザン、秘書のリンダ、それからうしろは娘さんの友人と娘さん,奥正面は息子さん。左列は美和子さんの夫のボブ。ダンカン夫人,音楽担当のダンカン氏,そしてニコル氏。
ニコル氏は乾杯のまえにめずらしくたちあがって「ラボは英会話の会社じゃない。物語とアートと音楽で子どもたちのことばと表現をそだてる会社。その中心になるのがラボ・ライブラリー。みんなのおかげて、またすばらしいライブラリーができた」とあいさつ。外は雨だったがすてき夜だった。当然にみみんなノミすぎてしまった。
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このところ、春霞かスモッグか黄砂か、せつかくの16階のながめもとにかくもやもやとしていたが、きょうの午後はなぜかすばらしくクリアで、はるかに筑波山もみえた。「おーいガマでてこい」とさけびたかったが、いかんせん立場もあるので静かにほほえんでいた。
いよいよ新刊も佳境にはいった。本づくりもはじまった。さあひとがんばり。
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3/27から4/1の日程でバンクーバーに飛んだ。
そう、ウェールズにつづく海外録音第2弾。
THE SONG OF THE SALMONの音楽どりだ。英語の語りはニコルさん自身、日本語は劇団四季の、というより日本本の名優、日下武史氏。
バンクーバーの空港についたのは3/27の午後2時すぎ。コンコースにはCanadian First Nation、すなわち先住民のアートがあちこちに展示されている。今回の絵を担当するスーザン・ポイントさんも沿岸サリシュ族のアーティストだ。
春休みということもあり、入国審査は日本人でいっぱい。やっとの思いで外にでるとニコルさんと長女の美和子さん、そして音楽を担当するダンカン氏がニコニコとむかえてくれた。さらに、そのかたわらにはラボ・シアトル事務所の間島くんがせもっとニコニコしてたっている。シアトルからバンクーバーまではプロペラ機でわずか45分。撮影そのほかの助っ人できてほしいとたのみこんだのだ。
「桜とマグノリア(こぶし)が咲いてるよ」とニコルさん。
ニコルさんがカナダで環境庁の仕事をしたのは4年間。今回はぐうぜんにもその思い出をたどることにもなるのだが……。
とりあえず、これからの書き込み予定。
土曜日に帰国し日曜日は事務所の引っ越し
そしてきのうから「ダルシン」の稽古。
時間がないので予告だけ。
1.音楽録音のようす 天才ダンカンとクリス
2.先住民の画家スーザン
3.ニコルさんのカナダの思い出
とりあえず写真を


新刊のなかのThe Song of The Salmon 鮭 はるかな旅の詩
の音楽録音敢行。とりあえずお写真を。上は鮭の河 下は録音のなかま
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火曜日、THE SONG OF THE SALMON『鮭、はるかな旅の詩』の日本語と英語の収録があった。日本語は劇団四季、というより日本演劇界の至宝、日下武史氏、そして英語はC・Wニコル氏自身である。
物語、というより壮大な叙事詩というべきこの作品は、ニコル氏が数年にわたってあたためてきたものだ。そのベースには氏がカナダの川をカヌーで下っているときにふと思いついた歌が流れている。卵からかえり、天敵からのがれ、ひたすら海をめざす鮭たち、そしてまた故郷の川をさかのぼり子孫をのこし、死んでゆく鮭たち。その大いなる旅はまさに命の循環だ。しかもその循環は水のなかだけのことではない。鮭を食べる熊たちによって、森の成長にもかかわっているのだ。
ニコル氏の歌は、Canadian First Nation すなわちカナダ先住民のあいだで大ヒットソングになったそうだ。この歌をニコル氏の友人であるバンクーバー在住の音楽家エイドリアン・ダンカン氏が編曲。ダンカン氏自身のバンド、THE SKY
STONEが演奏したCDがでている。歌のタイトルはSwim Away=どこまでも泳げ、
いうまでもなく鮭たちへの応援歌だ。
この歌をモティーフにした物語のアイディアがある、という話をニコル氏からきいたのは2004年の12月のはじめごろだった。ニコル氏がそろそろラボのために書きたいといっている、という話がでてから半年くらいたっていたと思う。
吹雪の舞う黒姫駅前は心ぼそくなるほど人かげがなく、タクシーで仁之倉のニコル氏のお宅にむかう道中はやたら緊張したものだ。そのとき、ぼくはニコル氏ときちんとむきあって仕事の話をするのははじめてだった。青き日に、なにかでごいっしょしたことはあったが、面識を得るという出会いではなかった。幸運にもこれまで、いろいろな作家や画家や作曲家や俳優と出会い、たくさんのすてきな仕事をさせていただいてきた。そのたびに感じるのは、すばらしい仕事をしている人ほど、おごらないし、たかぶらないし、ほこらないし、さげすまないし、くじけないということだ。そう信じているし、事実そうなので、この間は、どんな有名な人でも大御所に会うときも特別な緊張はおぼえたことはない(それだけずうずうしく鈍感に年を重ねただけかもしれぬ)。
でも、この日、ニコル氏に会いにいくときに感じた緊張はなんだったのだろう。わすが10分ほどの車中で、ぼくの頭のなかにはいろいろなことがぐるぐる廻った。
思い出の桜吹雪のなかにたちつくしているような気がした。
ニコル氏と谷川雁氏の出会いと交流、きびしいがラボの成長にはかかせなかった谷川氏とラボの別離、その結果としてのニコル氏とラボのあいだに生じた距離。
そしてニコル氏と谷川氏の別離。また、ニコル氏にはおよびつもつかないが、ぼく自身の谷川氏の詩や言説との出会い、そして氏との関係(告白するが氏との出会いがなければ、ぼくはいまここにいないだろう)。いまでこそ、ぼくのなかでは谷川氏の詩人、文筆家としての評価、行動者、組織者としての評価、さらにラボの経営者としての評価はそれなりに整理をつけているが、その整理の仕方のぜい弱さゆえの緊張だったやもしれぬ。
しかし緊張の理由はもっと深いところにあった。というのは、じつに僭越しごくだが、ぼくは氏の作家としての想像力、エネルギー、モティベイションを肌で感じたかったのだ。どんなに有名な作家でも、過去にすばらしいラボ・ライブラリー作品をのこしていようとも、現在から未来へつづくラボ・ライブラリーのことばをつむぐ者には、それらのパワーがもとめられる。なんという傲慢。なんという無礼。でも、それがぼくの仕事だといいきかせた。
それらの緊張は杞憂だった。あたたかいお部屋で5分も話すと、氏の強力な想像力とあふれる創作えのエネルギーのがオーラとなってとんできた。
なまいきにいえば"This guy is real."やつはほんものだぜ(これはあるアメリカの野球評論家がイチローがまだ活躍する前に一目みていったことば)。
その日、ニコル氏と話がはずみ、ぜひラボ・ライブラリーのために書きおろしていただこうという空気がただよったとき、軽いきもちで「いま具体的にお書きになりたいテーマかモティーフはありますか」とうかがったとき、氏が「あるんです」と目を輝かせながら見せてくれたのが、この歌の歌詞だった。そして、その8か月後には、さいしょの物語原稿をいただくことになるのだ。
もしかすると、THE SONG OF THE SALMONはニコル氏の後期の最高傑作になるかもしれない。いや、たぶんそうなるだろう。
絵はカナダ先住民の画家スーザン・ポイントさんのすばらしい作品がまもなくとどく。データでおくられてきたサンプルをデザイナーにおくるとすぐに興奮した電話がかかってきた。音楽はバンクーバーにあるエイドリアンのスタジオで、ニコル氏も先住民のアーティストも参加してなかなかすごいものになりそうだ。カナダには3/27の夜のカナダ航空でむかう。4/1にもどってくる弾丸ツアー(そのあいだに事務所のひっこしが!)またきっとおもしろい報告ができるかも。ダルシンの台本も完成が近い。ラボつ子の録音がたのしみだ。きのうも一日、三輪さんと鈴木さんと打ち合わせ。夜中の2時にはバンクーバーにいるニコル氏の長女の美和子さんに電話。ついに、仕事以外のことができない毎日になった。
たいしたことはしていないが、仕事ばかりの人生かもしれない。でも、それよりよい人生って、よく考えるとそんなにたくさんはない。
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