翻訳は第三の言語~「NARA万葉世界賞」 |
06月27日 (日) |
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万葉集の研究や国際的な普及に貢献した人を顕彰する第2回「NARA万葉世界賞」の贈呈式と記念講演が県立万葉文化館であり、参加してきました。
受賞者の中国・天津師範大学大学院の王暁平(ワンシャオピン)教授と選考委員の日本文学研究者のドナルド・キーン氏の講演の後、同館の中西進館長と、第1回受賞者でブラジル・サンパウロ大元教授のジェニ・ワキサカしが加わったパネルディスカッションがありました。
王氏の受賞講演は「万葉集と詩経」
万葉集は日本人の、詩経は中国人のこころの住処である。詩経の理解が困難なのは、当時の社会歴史文化を知らないからで、それを知る必用がある。私は幼いときから民謡が好きだったから、詩経の日本人の研究書を見て感動した。そこで日本語を勉強しようとした。万葉集が詩経の導入になると知り感動した。1300年前のものだが外国人(中国人)には万葉仮名が親しい漢字であり、馴染み深い漢字があたらしい生命を獲得したと感じた。日本人は漢字にあたらしい生命を吹きこんでいると思った。難しさとおもしろさを楽しんだ。
日本は北京から飛行機で2、3時間で来れるが人の心と心はまだ離れている。しかし、万葉集と出会ってから詩経と共有できる世界を見つけた。
万葉集と詩経を比較しながら国は違えども人々の思いを詩にする心は同じ例をたくさん挙げてくださいました。
~講演の始めに、王氏は日本の帝塚山学園大学に5年間勤めていたので、たくさんの方がお祝いに来られているのに感謝して、当時の5年間の思い出は、学問よりもたくさんの日本人の友達ができたことが忘れられないことです。と述べられていました。~
ドナルド・キーン氏の記念講演は「万葉集と翻訳」
最初の翻訳はいつだったのか?
万葉仮名から現代語へも一種の翻訳!
いつから外国人が万葉集に親しんだか??
キーン氏の推測
阿倍仲麻呂が唐で「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と詠んだものを現地では言葉の意味を漢字(男文字)に書いた。遣唐使の時代に同じようなことが何度もあったはず。(この詩は万葉集に入っていないが)
徳川初期に14,5才で来日したポルトガル人のジュアン・ロドリゲスが、「日本語」辞書を編纂し、3298語入っていて、例文がすばらしい。長歌・連歌・俳句(初めての印刷)。季語についても説明があり万葉集を例に入れている。
最初の万葉集の翻訳はフランス語。
出島にいたオランダ人が、フランス語に翻訳。
数少ない東洋学者はフランス人で、当時フランス語がインテリに通用していた。
翻訳によって当時のヨーロッパ人の東洋知識が分かる。
今から見ると間違った翻訳だが、絶対に正しい翻訳はありえない。
例:源氏物語にも3つの訳があるが、どれも違う。しかし英訳を読んで素晴らしと思う。
日本語から英語は難しい。
英語の詩は適当な音・リズムが無ければならない。また、韻を踏んだものにする為、苦労した。
また例えばYAMATOのアクセントがMAにあるか、TOにあるか、何処にあるかで次の音も変わる。日本語は流れるが、英語は流れず、小さい山が沢山ある。
日本文学を学ぶ英米人は万葉集に魅力を感じる。エベレストに登る気分。
人麻呂の長歌を読んで驚いた。50年前に「日本文学選集」を出したが、一番最初に万葉集、古事記は後にした。古事記を最初にすると人は読み続けない。しかし万葉集を一番にしたので人は読み続ける。おかげで20万部出た!
枕詞をどうするか・・・多くの人はない事にする。しかし、リービ英雄氏は訳している。(とても評価する)
音楽的に訳して欲しい。
私がはじめに日本文学に入ったときなぜ?と言われたが、万葉集は今世界の万葉集になっている。
パネルディスカッション「世界の中の万葉集」
「あの難しい万葉集をなぜおもしろいと思うのか。」を
①私と万葉集 ②~文化の中での万葉集 ③翻訳 の3点で
①私と万葉集
キーン氏
戦時中にナチの軍隊の占領の記事ばかりの新聞を読むのがいやだった。源氏物語の英訳を見つけた。今までのヨーロッパ文学は文学と思わなかった。人間は美のために生きてもよい→日本文学との出合い。当時1940年には万葉集の翻訳はなかった。古今集は宮廷文学。万葉集は無名のものも美しい。学問がなくても分かる。英訳でも豊かさが分かる。外国文学を読んで感激する。人麻呂の長歌には学生も感激した。普遍的に多様性があるのが魅力である。
ワキサカ氏
1973年大学に入って万葉集の原文を見て感激しのめり込んだ。
最初の驚きから・・題材の広さ、歌人の層の厚さに心が引かれた。
漢字表記について、文字を持たない国民が中国の文字を借りて違う意味の言葉に変えていった努力に感激。(自分の感情が文字を作った)万葉仮名として漢字を使用する発想。それをもって国民の感情を記載する努力に感心した。
万葉集には歴史事典としての役割がある。それを収集した時代と文学の関係について考え、不思議だと思う歌に仮説を立てながら読んでいる。
王氏
私の学問の出発点1978年内モンゴルに暮らしていた。
読む本がなく、農民達の詩を聞いた。それで詩歌の勉強をした。図書館に日本人の書いた詩経の本があり、必ず万葉集を書いてあった。
中国の詩で、今の詩は西洋の影響を受けている。
和歌には日常性がある。
日本の和歌、俳句を真似る人もいる。
中国人は詩を詠んでみんなと気持ちを共通にする。
②~文化の中での万葉集
キーン氏
万葉集は男性的な詩歌である。積極的で家持の詩などは英語の世界。
私は英文学者であるが、シィクスピアの悲劇の発音・比喩は我々の血液となっている。それは無視できない。何かシェイクスピアのセリフに似たものを人麻呂の長歌に感じる。
中西氏
ロイヤルシェイクスピア劇団が、王にまつわる言葉をピックアップして朗読したのを聞いて、古事記に全く応用できる作品であると思った。
まさに、人麻呂の時代以前、7世紀の人麻呂峠の向こう・・・
アメリカ文学にはないか?
キーン氏
ウイットマンの詩にはある(好きじゃないが)
20世紀になったからは良くなったと思う。それ事前のはおもしろかったがすぐ飽きる。現代のアメリカ文学は大陸文化(native)へのノスタルジー・・・
ワキサカ氏
ブラジル・ポルトガル、ラテン系での万葉集は?(中西氏)
1500年前ポルトガル人によってブラジルが発見され、その20年足らずの間にポルトガルから持ってきたポルトガル文学。
純粋なブラジル文学はごく新しい。
万葉集に出てくるような、地方による生活苦が芽生えている。東北地方の貧しい文学に万葉集に似たものが出てくると思う。
万葉集はブラジルに普及する仕事を希望して、大学でサークルを作り研究を進めて行きたい。
中西氏
ブラジルはコロニアル文学(植民地文学)
日本語は植民地言語である。律令国家になる時の為政者たちのみでない、その中で働く人々の歌である。君も殿も外来語。
他の国でも同じような状況(階級性)があるはず。
本日のような国際的な場であるからできる話である。
~人麻呂の長歌と とイーリアスオディセイアの場面にも共通する所がある~
③翻訳について
キーン氏
リービ英雄氏の翻訳は現代英語でそれを、今の英語にするのはふさわしくないと嫌う人がいるが、私がそれはよいと思う。万葉集の翻訳も色々あるほうがいい。(中国のように)。リービさんの翻訳が出た時新しいと思った。日本学術振興会の翻訳もよかったが、古典でもなく現代的でもない中途半端。英詩を良くできる人が訳してほしい。
第二の万葉集を作るぐらいのものですね(中西)「第三の言語を作る」
ワキサカ氏
ポルトガル語の翻訳はまだ模索中、苦労している。
古代性を伝えられる翻訳をしたい。訳しながら再生していることを考えている。
~~~~~~
以上が私の心に残った部分です。
専門的なことが多くなかなか話についていくのが大変でしたが、
中西氏の
翻訳は第3の言語。
AをBに翻訳するのはAでもBでもない創造(クリエイト)された言語を作ることです。
と言うことに一番納得できました。
私達はたくさんのクリエイティブな第三の言語のライブラリーに囲まれていますから。
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Re:翻訳は第三の言語~「NARA万葉世界賞」(06月27日)
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返事を書く |
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がのさん (2010年07月02日 23時04分)
その「土地」ならではの、この「時」ならではのテーマに沿って、
すばらしいお勉強をなさいましたね。
チャンスに恵まれ、うらやましいことです。
日本古典文学研究の第一人者が集まっての
萬葉集をめぐるシンポジウム。
ここからはあまりにも遠いですが、
日本の魂の熱さが、この陽気とは別に、
じりじりと伝わってきます。
(World Cup Succerで日本の魂を見た、という人がいますが、
わたしには、あまりそのほうは…)
丁寧なレポート、ありがとうございました。
candyさんの知的activity に、腰を90度曲げまして敬意を…。
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Re:Re:翻訳は第三の言語~「NARA万葉世界賞」(06月27日)
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candyさん (2010年07月03日 00時22分)
がのさん
>その「土地」ならではの、この「時」ならではのテーマに沿って、
すばらしいお勉強をなさいましたね。
チャンスに恵まれ、うらやましいことです。
日本古典文学研究の第一人者が集まっての
萬葉集をめぐるシンポジウム。
→新聞で参加者を募集しているのを知った時、にわか学生(!)には、
話についていけるか心配しながら応募しました。リービ英雄氏の『英語
で読む万葉集』のみを読んでの参加でした。簡潔な英語と丁寧な解説
で、万葉詩歌を英語のイメージで楽しめたのですが、キーン氏がしきり
に褒めておられていてたので、なんだかほっとしました。
ここからはあまりにも遠いですが、
日本の魂の熱さが、この陽気とは別に、
じりじりと伝わってきます。
→本当に、3人が3人とも熱く熱く持論を語られるので、コーディネータ
ーの中西氏は、幾度も「今のお話で又一つのテーマとして研究できます
ね」と時間が限られていることを残念がっていらっしゃいました。世界賞
と言うにふさわしい刺激的な内容でした。
(World Cup Succerで日本の魂を見た、という人がいますが、
わたしには、あまりそのほうは…)
→私は熱狂的にそちらも応援しておりました!!
丁寧なレポート、ありがとうございました。
→薄学の私が理解してノートに書き留められたことのみですが、刺激的
な時間を過ごすことができました。がのさんだともっとすばらしいレポ
ートになったと思います。
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