多摩のおっかさん |
02月05日 (火) |
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私が、中村安世子Tに出会ったのは、テューターになって多摩地区に入ってからだった。
有名な偉大なテューターで、筋の通った方だったが、人柄はとても気さくで、あたたかくて、
「多摩地区は、ベテランもいきいき、中堅もいきいき、新人もいきいき」がくちぐせで、
新人の私たちも、ひとりひとりが大事にされていると感じて、うれしくなってはりきって仕事した。
寸暇をおしんでラボのために働くその気概は永遠だったし、
現在ラボの骨格にもなっているナーサリーライムは、当時「テープ委員会」だったころ
中村さんが強く希望されていたものだったと聞く。
地区研の話し合いが、大筋から逸れて、袋小路に入っているようなとき、
中村さんの大道をいく指摘で、はっと我に返る体験は、私たちのだれもが経験したことだろう。
私が入った頃は、まだ強いリーダーシップを発揮していくという姿だったが、
次第に、中堅や若いテューターたちの意見や活躍を静かに見守りながら、応援する姿勢になっていった。
あるとき、自分たちでもどうしようも出口の見いだせない議論になってしまい、
助け船を期待して中村さんの方をみると、
いねむりしていた!
聞くに値しない討議であることに気づかされ、恥ずかしくなった。
ラボっ子たちもそんなことを言っていたな。
中村先生に見てもらえるような活動をしないとはずかしいと。
教務的にすばらしい活動をされていることは言うまでもないが、ほんとうにあったかくて、
いつもいろいろなことを心配してくれる「おっかさん」的な方だった。
地区研に行くと、帰りに「あなたは家族が多いんだから」と食べ物を持たせてくれた。
そんな中村さんのお人柄のおかげで、
地区研全体が、一生懸命でまじめに一致団結してがんばるカラーを保っていた。
みんな、育ててもらった。
訃報をうかがい、とても、悲しい。
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Re:多摩のおっかさん(02月05日)
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SENCHOさん (2013年02月05日 19時55分)
たいへん驚いています。事務局員になってすぐ、直属上司が現財団理事長の平野
さんで1か月だけですが当時の北多摩と中村テューターが所属されていた立川を
担当しました。中村先生も開設されてまだ一年たらずの1976年とことですが、
すでに大物の風格がおありでした。会員募集で候補者を個別に訪問しようという
そのころの方針があったのですが、なかなかやりましょうというテューターがい
ないなかで、中村先生は「いっしょに行きましょう」とおおらかにおっしゃり、
ともに何件かをご一緒しましたが、23歳の生意気盛りのぼくもまったく役にたち
ませんでした。先生はどうどうと、そしてにこにことラボを語り、相手の質問に
もていねいにこたえ、そして「一度遊びにいらつしやい」と明るく呼びかけてい
らっしゃいました。ぼくが「そのエネルギーはどこからでてくるのですか。 個
別訪問てつらくないです」と無礼に尋ねると、先生は「ラボは私のライフワーク
ときめているから」とあつさりといをれました。その大きさにぼくは自分を恥じ
ました。
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Re:Re:多摩のおっかさん(02月05日)
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カトリーヌさん (2013年02月05日 20時53分)
SENCHOさんへ、
偉大な、ラボのおっかさんのひとりでした。
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Re:多摩のおっかさん(02月05日)
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がのさん (2013年02月06日 23時21分)
エッ…エッ! 中村さん、亡くなったの!
そう、Songbirds の生みの親でした。<合掌>
体躯からしておおらか、シャイにも見える穏やかな目、
そしてあの独特の低い、あたたかい声。
忘れがたい存在の一人。おおくを教えられました。
え~と、多摩地区にはもうひとり“おっかさん”がおりましたよね
(お名前、いまはド忘れ)。ずっとずっと以前から
あそこは充実した地区活動がされているところでしたね。
カトリーヌたち新しい世代がしっかり引き継がないと
いけないね。
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Re:多摩のおっかさん(02月05日)
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小枝( こえだ)さん (2013年02月08日 14時35分)
心よりおくやみ申し上げます
寂しいですね・・・
ラボ35周年のラボランド合宿の折に同室で
夜を徹するほどにお話をさせて頂きました
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Re:多摩のおっかさん(02月05日)
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いもちゃんさん (2013年02月09日 18時23分)
まだ私が大学生コーチとまちがえられるくらい(???)若かった頃、
サマーキャンプでご一緒させて頂きました。
印象強く残っています。
ありがとうございました。
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