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5月にシーザーを発表したとき、導入として「ローマ人の物語」を読もうと投げかけました。読むことができたのは、二人ほど。まあそんなもんでしょう。
大学生になれば、レポートで必要な本を読むことも多いし、高校生たちも今から読書週間をつければ、どれだけ役立つことか。
なにより、ラボでは幼児から「読み聞かせ」を大事にし、「物語で育つ」といってるのですから、中高大生が本をさらっと読める体質にしておくのは必須だよねえ・・・。ちなみにテューターになってから絵本も含めて私が図書館から借りた本は2000冊ほど。それらがどれだけ私を助け、楽しませてくれたことか。
私一人頭の中でそんなことを考えていましたが、ことばの宇宙を小学生に手渡したとき、絶叫に近く「ライオンと魔女」がお話(ラボの)になるの?!すごい。これ大好きという反応が多かったことに勢いをもらいました。
小学生たちのライオンと魔女への好反応からして、このままでは中学生以上が、新刊に乗り遅れる。
そうでなくても、ライブラリーへの単純な感度は小さい子たちのほうがいいのだから、ここで中学生以上でシリーズ7冊を読破しておきましょう、そして夏活動報告会で、小学生以下の興味をかき立てるパフォーマンスをしましょう、と提案。
中学生以上も、シーザーで読書が出来なかった自分たちを覚えているので納得してくれて、まず簡単な小学生向きの本からと、今、各自、読書中のはず。
そう、うちのパーティ、読書が出来て、さりげなく発音も話し方も良い大学生として卒業させるのが何年かかるかわからないけれど、これからの目標だなと、私の中では方向が定まりつつあります。みんな、交流はすっごく得意だからね。
今までの「話したいという心があれば、ことばの壁は乗り越えられる」という基礎的考え方は日本の英語環境では当たり前になり、これからは一対一のホームステイのような交流の場以外のところ、「数カ国の人が混じって会議を行うような場所で、より効果を発揮する英語力が求められるようになる」気がする。
小学校で導入される英語が会話や遊び中心の今、日本人にとってそれはかなり大変な努力を要すること。
でも、それこそ1歳2歳からはじめるラボっ子だからこそ出来ることだと大学生までいるパーティになってみて思う。
これから数年先を見据えて英語教室運営をするテューターとしての力の見せ所であり、そのスキルは既にあると感じる。あとは工夫次第。
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4月から通常授業がオールイングリッシュの学部に進学した娘。2年前、一年留学から帰国して以来、言語習得についての様々な刺激を私にくれる。
小さいころから英語を習ってきた子が高校時代の同級生にも多かったけれど、そのなかでもヒアリングはラボで育った自分は群を抜けて出来る実感があった様子。「ラボほど自然な形で小さいころから英語を聞き続ける教室はないからね~。」などと娘と確認しあっていた。
4月から入った大学で、彼女いわく「様々な方法で幼い頃から相当なお金をつぎこんで英語をやってきた子達」がいて、TOEICでも発音でも、びっくりするほどレベルが高い。
その子達のほか、日本人なのに英語のほうが得意な子もいる環境。そういう友達には、娘の発音や英語の話し方を忌憚なくアドバイスしてもらうかわりに、日本文をチェックしてあげたりするらしい。
4月ごろはよく「ママ、〇〇に人ごみって日本語、どういう意味?って聞かれてびっくり」、とか「〇〇がバイトの応募の電話を日本語でかけたんだけど通じたが心配だから、もう一度電話で自分のかわりに確認してみてくれないっていわれたから、それおかしいよって断ったよ~。」とかエピソード満載。単に日本語に慣れてないだけで、すごく頭のいい子達であることも興味をひく。
この学部の子たちは私が聞く限り、いわゆる「とってもラボ的」
ラウンジにたまっているとき、一人でも知り合いがいると人見知りせずに近寄っていて、そこで初対面の人ともどんどん知り合って仲良くなっていく。最近たまにきく、一人でご飯を食べてるところをみられたくなくて「トイレでそっとご飯」なんてありえない。
人見知りなしの国際教養学部の環境はラボで育ってきた自分にとって、居心地がいいという。
そんな環境の中で、耳も育ってる彼女が気になるのは、発音や話しかたのレベルに移ってきた。
友達とどんなに楽しく英語でコミュニケーションとれていても、やはりゼミ、授業では知的な説得力を自然と発する英語が話したいらしい。
今、ホームステイ中の子たちを、英語が間違ってるかとか発音とか気にしてないで、”STEP”を大事にどんどんコミュニケーションとってくることと送り出している。
そうやって扉を開いたその先。
大学でのレポートの内容やゼミでの発言内容はもちろんのこと、知的で説得力を持つ英語の話し方を身につけたいと自然と思える環境に進んだことが新たな英語学習のモチベーションになっている娘の姿は私も自分のラボに刺激をもらう。
Wの発音の練習をしている娘を見て、ウィディウィディワーキーを思い出した。ナーサリーライムやポエムもしっかり方法を考えて取り組めば、絶対もっと発音もよくなると思う。発音や話しかたも含めた言語習得の教材はラボの中にごろごろあるから、それをどれだけテューターとして意識して取り組めるか、夏休みに交流で成長を遂げる子達に対して、もっと私が出来ることがあるなと、秋からの目標の一つも見つけた気持ち。
イギリス英語がアメリカ英語かも、この段階になると自覚して、
「自分はアメリカ英語を習得したいから。」とイギリス英語のナーサリーライムとは距離を置こうとしてきて苦笑。こんな日がくるなんて。
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今年の野外活動は、ロッジからラボっ子が誰も参加しないので、パンとジャムを作りに参加。
くろひめに来る直前に友人から生のブルーベリーを摘んだからと1パックもらい、「ジャムにしてみてね。」といわれたものの、「絶対、生のほうが美味しい」と思い込み、全部、生で間食したばかり。
野外活動だからジャム作りの企画はわかるけど生でもいいのにななどと思っていたらとんでもない。
今まで食べたことのないものすごく美味しいブルーベリージャムが出来てびっくりしました。
ラボっ子たちが、お鍋を指でこすってなめる勢いで食べる姿をみて、参加していたテューターたちと「トムソーヤも、これだけ美味しいからがまんできなかったんでしょうね。」と話しました。
きょうは図書館勤務のあと、年少からうちのパーティのラボっ子で、現在大学2年の子と待ち合わせて二人で秋以降の年間計画の打あち合わせ。
そこでもデザートのアイスにブルーベリージャムをついたのですが、絶対くろひめの方が美味しかったな。(お鍋を洗ってくださったテューターの方、ジャム作りを教えてくれた職人の方、有難うございました。)
ラボっ子と二人で外食は、初体験でしたが、黒姫に参加しなかった彼女に、どれだけ楽しかったかを語りまくり、自分の子でなくてもこうやって体験を共感してくれる子がいてくれる幸せを感じました。
良い夏休みの一日でした。
ちなみに、本日、借りて読んでいるのは「たった一度の人生を記録しなさい」という本。
今年は中高大生以上のラボっ子ひとりずつに違う宿題を出したので、その分、私も自分に、ひろば、facebook、自分のHP、ブログ、どれかを一日一回は更新して記録するのを課してみました。がんばろう。
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くろひめ3班。
シニアの進行が絶妙。あちこちに技あり!
過去の経験でつかんだことを生かして、段取りよく、みんなが楽しくすごせる時間を生み出している。(あえてこの技は記憶しないようにします。次のシニアの段取りと比べてしまってはいけないし。)
帰りのバスを各自が待つ、普通は帽子にサインをしあう時間。このロッジの子達は前日の自由時間から帽子に書きあっていたこともあり、小3の男の子がリードして自然発生的にキャンプソングを踊り狂う小学生たちの姿が見られたのもすごく微笑ましかった。
そのとき、うまくシニアが共通SBシンプルサイモンもまぜ流したら、みんないい感じでやりはじめて、どちらかというと課題としてやらされる印象のある共通SBを自由時間に楽しめるってすごい。
別れの集いで小学生男子が「キャンプはいつも楽しいけど、シニアと友達にはなれなかった。今回は話しやすくて、仲良くなれてよかった。」と感想をいったのにもジーンとしました。
男の子のユース二人、そのホスト役男子も二人。小学生男子を肩にひざにのせ、またオオカミ役を熱演し、こんなにも双方にとって楽しい自然な国際交流が出来るんだなと、ユースのいるキャンプのよさも再認識。
そしてテューターとして何より今回、感謝したのは自分のロッジはもちろん、他のロッジのテューターの存在。
キャンプの途中で話を聞かせてもらうと、パーティから送り出した子について、よくケアしつつ様子も観察してくれ、いつものパーティでない場所でどんな個性が出るのか聞くことができました。医療等スタッフが去年の記録を持っていてくれるのもすごい。
逆に、自分のロッジの子の通常パーティでの様子を同ロッジのテューターー聞いてきてくれて、なるほど!とその子のロッジでの行動の意味を納得し「がんばってるんだね~。」と共感したり。
通常参加の子についての情報交換は、テューターの仕事の義務には入ってないことだけれど、各テューターが野外活動等で外に出るたびに、熱心に子どもたちのことを思い、話し合うことが、「いいなあ。」としみじみ。
うちに帰って何をしたい?と帰る日の朝食で小5男子に聞いたら「ゲームかな。」という。
私「ゲームのないこういう場所って、どう感じる?」
男子「なければね、友達を相手にする。楽しいし。」
子供がたくさんごちゃっと日々そばにいる環境なら、ゲームがなくても禁断症状がでるわけでもなく、人を相手に遊ぶことで発散できることも再確認。
食事時に外を眺めれば林の木々が見える。風が吹き抜ける。
そしてあちこちに良いスタッフ(ロッジマザー!シニア、シニア経験の大学生、コーチ、看護師さん、事務局)がいる。
子どもたちにとっては最高の遊び相手、自然と友達がいる。その上今年みたいに運営がよければ、これはもう、どんないいホテルでも経験できない体験・・・・かな。
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昨日で支部発表が終わり、子どもたちのいう「ジュリアスシーザー」のない日々」が始まるのだと思ってました。
地区研で「このような場を与えていただき感謝しています。」と述べた後、ここらかが始まりなんだと思えてきました。
与えられた機会によって一人ひとりに訪れた変化を、これから彼らの人生の幸福に、どこにどういかしていけるか、じっくりつきあい見守っていく役割が私にとっても今日からはじまったということ。
シェイクスピアにしっかりと向き合ったことで、小学生のころライブラリーを楽しんだ感覚が大学生年代にも戻ってきたことは何より良かったことです。
意味がしっかりとつかめそうでつかめない、でもすごく心ひかれる言葉の数々、場面展開。聞いても聞いても、やってもやっても、なかなかすんなりと正解は出ない、でも、出ないとこがまた魅力。
テーマは?なんて話し合って、2,3行でまとまるようなものでないことに取り組んでいる感じは、本当に刺激的な日々でした。
苦しみがいのある壁に、みんなで何度も体当たり。
その壁の向こうから呼び続けてくれたのは、シェイクスピアだったし、ブルータス、キャスカ、ポーシャ、また陰謀者たちでした。
パーティの休憩時間には、シーザーのセリフを使ってやりとりをして遊び始めたり、役が夢に出てくるまで聞き込んだけど、でもまだ聞き飽きない。そんなライブラリーが実はあったことがすごい。
どんなにつらくてもやりとげたいと思える事柄がある。その環境は普通の英語教室にはないこと。
昨年の秋に「冬のパーティ内発表に何をやる?」
「Yが来年卒ラボだから記念に残る話をやりたくない?」というだけの発想ではじまり、オーディションめざし、気づいたら発表会は昨日で終わり。
あっという間の日々だったけれど、12歳から20歳までの子、それぞれの心の中にうまれたシェイクスピア体験記を、これから読みといていきたいと思います。
読み解くキーとして、日常パーティで
1 高学年はCDの音声の口マネ発表でなく、自分の心に言葉を一つずつ落とす 必要なら辞書等をひく
2 背景をつくることを、当たり前と思わない
3 自己表現をしっかりする(中学生年代はとくに)
この3つを考えていきたいです。
彼らの人生をさらに豊かに充実したものにするために、欠かせないのは英文を読む機会、日本文を読む(読書)習慣。シーザーをやるにあたっての推薦図書「ローマ人の物語」を読み通せなかったのが残念だったので、4つめにはパーティ外活動として、読書が広まるよう見守っていきます!
目標は高く!壁は高いほうが燃えるという子どもにならい、私も4つも掲げてみました。
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シーザーの練習。
動きを考える中で、こんな会話がはじまる。
「この役の個性は?」それをもとに考えようとしての発言。すると、
「役割と個性は違う。」
物語のなかでその役がになっている役割と、その役の個性を一緒にとらえるずに、注意して作りたいという意味。
シェークスピアをやっているとそんなことを考える。
よくラボでやる「ルーシャスの年齢や家族構成を考える」以上に、この場面でルーシャスがはたす役割までわかってその場にいることが大事と思えてくる。
ラボでCDをまるごと聞いて、そのストーリー、テーマ、話に流れる空気(これは言葉にしきれないことも)をまず感じる。
みんなで動くとき、または発表するときは、自分が聞き取ったすべての一部を切り取ってそれを役として抽出するかのように、どれかの役になる。時に気になったり、「もやもや」の背景になったり。
今回、自分の役の個性以上に、役割を理解していることがより要求されるのは、物語をさらによく理解していることが求められていることと同義。
そしてシーザーのライブラリーは、何度聞いても役割理解のヒントになるものがつまっている。
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前回の発表で大きい子から、「小学生だって自分が発表でどう伸びたか、次はどこでがんばりたいかわかる方法を取り入れたい」ということで導入した賞方式。
今回が二回目。
子どもたち発案の賞は11個。
気配り賞 セリフがよかったで賞 かっこよかったで賞 レジェンド賞 なりきったで賞 がんばったで賞 発音がよかったで賞 ナレーション賞 大きい声でいえたで賞 日本語がよかったで賞 英語がよかったで賞
同時に発表前の練習回数、普段のCDを聞く回数を調査。
総合得点の高かった子の場合は、
一位 普段 週4回 発表前 一日おき 週に4,5回
二位 普段 週3回 発表前 一日一回 週に3,4回
三位 普段 週10回 発表前 二日一回 1フレーズずつ 覚えた後も二日に一回 10分ぐらい
一位二位の子はまんべんなくいろいろな賞で得票。
三位は、ナレーションがうまかったで賞、レジェンド賞を得票。すごく上手でしたが、こつこつと覚えればあとは10分くらいの練習でみんなを感動させるナレーションが出来る!
確か、日本語、英単語とかでも、イメージのわかないものには、こころでちゃんとイメージできるような投げかけをお母さんがなさっていると、聞き取りレッスンでお会いしたときにおっしゃっていた気がします。質の良い練習が親子で出来ていてすばらしいと思った記憶があります。
各賞の中で、「英語がうまかったで賞」を得票した子は、
普段 週に14回CDを聞き、発表前は一日2,3回 週に14~16回練習したそうです。
得票数が全体に少なかった子たちでみると、
普段 週0,1、2回など。 発表前CDを聞く回数は一日一回 週に1,2回など。
でも、この子達は不思議と「がんばったで賞」をもらっていました。
たぶん、聞き込んでないのに、紙に書いたものを必死で暗記した真剣さ、努力が大人に伝わったかと思います。
もっと日頃から、好きな話でも何でもよいのでCDを聞く習慣を身につけていれば、聞いて書いて丸暗記という苦労はしなかったはず。
テーマのとも一ページ分以上のナレーションを丸暗記するのですから、それはそれで「よく暗記したで賞」などあげたいところです。
それからたぶんたまたまそのお子さんたちが今回のアンケート時点で「普段のCD聴く回数」が減っているだけで、確か好きな話はとことん聞いたりしていた時期もあったと思います。
発表会一つ、その際のアンケート一枚に書かれた数字だけでは子どもの今までの歩みをとらえきれないわけですが、とりあえず、CDを日頃からよく聞く子は、よく話を想像できる能力があるという点でも、テーマ活動、発表、リーダーシップ等も自然と育ち、総合的な得票も多いといえます。
がんばったねと、苦労のあとがしのばれる子は、CD視聴が少ない時期を迎えていて、耳も英語から離れているので「聞いて自然と発語、暗記が難しい」、でもみんなといい発表を作ろうという責任感とモチベーションはあるので、丸暗記で苦労してしまうという流れもあるようです。
とことん苦しまず、発表を迎えるために、日頃のCD視聴と発表前の地道な練習・・・大事です。
以上は大人が選んだ結果の発表でしたが、小学生が選んだ「がんばったで賞」は一番年下の子が得票数が多かったり、ラボっ子の年下をかばい思いやる優しさを感じました。
さて小学生以下の発表が無事終了したので、これからジュリアスシーザーの追い込みにかかります。
中高大生も、もしかすると、同じことがいえるのかな。ためしにアンケートしてみるとおもしろそう。
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パーティ発表会が12月はじめに早々と終わり、来週はアリスの一話に取り組みますとお知らせをしておきました。
このクラスの発表、すごく上手で、保護者、ラボっ子みんなで絶賛。
(ラボの発表会といえば、どちらかというとがんばっているわりに、見栄えがしなくて、初めていらした方など???でお帰りになるのが多いのに、これは奇跡。)
余計な裏話を付け加えれば、男子二人は通常のクラスでは「まじめにやる」とは程遠いところにあり、日々はじけすぎて何が何だかわからない感じで、女子には顔をしかめられることしばしば。
な の に なんとなく変り始め、ぽんぽんとセリフが元気に飛び交い始め、女子の作った背景とうまくまじって「ライブラリーよりよいピーターパンだった。」とほめられる経過をたどり、いかにも「ラボらしい」。
そして、ラボっ子のお母さんが発表のごほうびということで、スフレチーズケーキにほしぶどうでEAT MEと書いたホールケーキを差し入れしてくれました。
突然だったので、そのラボっ子と私しかしらないそのケーキの存在。
本当にいつのまにかあらわれたケーキ。
「食べる?」と聞くと、全員が「うん!!」と目をきらきら輝かせて。
いつもみんなに「もしEAT ME って書いてあるケーキがあったら食べる?」って聞くと、絶対「食べない」っていうのにね~。
本物には弱い子どもの姿を実感し、この子達全員、絶対ふしぎの国にいったら、3メートルになってたにちがいないと思いました。
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6月に支部のジュニアリーダー広場にいったあとも、同じ4年の男子に「おまえも、リーダーになる集まりにいっただろう!」といわれることもあった、パーティでは小さい子とじゃれ気味だったT。
先週、そのクラスのノートの表紙に全員の名前を書き、リーダーの5年と4年にだけ丸印をつけて、この二人がリーダーと私からいい、目でも確認させた。
同じ4年男子が都合で別のクラスにうつったこともあり、本当に自分がリーダーと思えてきたのか、昨日のパーティには、遠くにすむ父親の友人との数年に一度の会食という大事な用事があったにもかかわらず、短い時間でもラボに参加するといってやってきた。
4時半にきて5時15分に帰っていったけれど、「やっぱりリーダーが全部はいられなくても来てくれてよかった。」と私がいうと、「熱を出したとかってわけじゃないんだから、リーダーなんだから、少しでも来れるなら来ないと。」と発言して、5年生に「あとはたのんだ!」と手をあげて、ドアをあけて去っていった。
うなってしまうほど、すごい彼の成長の瞬間を目撃できた出来事だった。
「あとはたのんだ」というかっこいいセリフをはけたとしても、来週からもこれから先もずっと、その高レベルが続くわけではないことを、大人は知ってしまっている。
だから、大人は自分にやってくるいくつかの機会があっても、そんな風に単純に自分を信頼してのセリフははけない。
でも、子どもは、気持ちの向くままにすっとそのセリフをいえてしまうところに、本当の成長の一歩目があるんだろうとも感じた。
画家の堀文子さんが、大人になるということは子どものころ持っていた能力を失うことというようなことをおっしゃっていたけれど、ある意味、そのとおりだと思う。
でも、なぜか子どもは大人にならずには生きていけない。
だとしたら、大人になった今も、自分は子どもから学び続ける必要があるし、そうすることで、大人の自分も成長できるという循環がある気がする。
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集中できないときがあるのはなぜ?何をしにここに来てるつもりなんだろう?と、あらためて小学生に尋ねてみた
T 小4 外国の友人をつくるため
J 小2 ピーターパンの話を四つ全部いえるようにするため
M 小5 読めるように(他、私が日ごろ考えてることに近いこと)
英語ができればいろんな可能性が広がるから等
R 小1 英語をはなせるようになりたい
S 小3 読んだり書いたりできるようになりたい
C 小2 外国の人たちと仲良くなれるように
Jが、私の目の前にせまっきて「英語じゃない!ここでやってるのは英語じゃない。」というので何を考えての発言だろうとあせりましたが、みんなで口々に、「英語だけじゃない。」「楽しみながら~」とかいろいろ言い出して・・・。
テューターがいう、その役の気持ちになってのテーマ活動、縦長、物語を深く理解などというキーワードは、彼らが使うわけもなく、ただ子どもたちがいえたことは「英語だけじゃない。」ということば。
考えてみれば、しっかりみんなでテーマ活動に取り組むことで英語が出来るようになるという実感は、まだない年齢。
外国の人と仲良くなれるように来てるんだという気持ちを既にもてていることがすごいと思った。
その話でラボ開始から既に10分。いつもタイムテーブルなど気にしてなさそうな小4男子が、ちらっとうちの時計をみて、「10分たった」とつぶやく。ばたばたしてるようでいて、英語のゲームなりテーマ活動なりを、自分たちが体感してるタイムテーブルで動いてるんだと、ここでも気づく。
みんな目標があってきてるから、ソングバードでゲームも、そうなりたい自分に近づくためにやってることなんだから、じゃれたりふざけたりする人がいたら、他の人の目標を邪魔することになるよね?と確認。
その後、きょうのクラスは、意識が他にそれることが少なくて、集中して全部のことに取り組めました。
子どもたちをどうやったら、のせられるかなど、日ごろから私が四苦八苦して考えてることは、逆に、おこがましいのかなと思いました。
自分自身の目的と、やっていることの意味を明確にしてあげれば、おのずと動き出す能力を本来持っているんだということを再確認。
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