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毎回のパーティを家でやっていると、ここでおもしろいことやってるって誰にも知られないよ・・
いつしか息子に言われ、ときどき場所を借りてひと目につくように
している。 するとラボっ子の友達がそばを通るので、そのたびに あっ〇〇だ~!と窓のほうへ寄っていくので中断することもしばしば。
知ってる子がじ~っとのぞいていたとき、「見るな~!」とあわててカーテンを閉めていたが、 それじゃだれもあそびに来てくれないじゃない・・というと じゃあある程度は見られてもいいよ、ということになった。
でも、外から見るだけでは、何をしているのか???だろう。
這い蹲っていたり、ぴょんぴょん跳んでいたり、走ってたり、ごろごろしてたり、踊ってたり・・。
またあるときはまるくなってなにやら話し合い。
今度またのぞいてたら、こう言おうよ。
おいでよ、いつでもウェルカムだよ。
そんなところが、近所にあってもいいでしょ。
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卒業まえの最後の保護者会があった。
のべ10年間おせわになった小学校。
ほんとうに最後だなと思うと、子ども共々残りの日々がいとおしくなる。 はやく大きくなあれと思っていたのに、いまは
お願い・・卒業しないで~。^^;
以前からおたよりで、この日なにやらスペシャルな企画があるときいていたので楽しみにしていた。
それは、一枚のディスクにまとめられたクラスの思い出アルバム。
保護者があまり様子を見ることのなかった行事の写真とともに、
後半は子供一人一人からのビデオレターがおさめられていた。
「言いたくても言えなかった言葉」、「家の人にあてたメッセージ」。 見る前から「なんだかもう泣けてきた」というお母さんも。
先生のBGMの選曲もさることながら、それにのせて子どもが詰まりながらも ちょっぴり照れ笑いもまじえながら、心から伝えるその飾らない思い。
何度も何度も、撮りなおしもしました、と先生がおっしゃったけれど、 それは本当の気持ちを素直に言おうとしたからなんだなあ。
わたしも、すこしでも体を動かすと涙があふれてきそうで
わあっと笑いが巻き起こったりしても微動だにせずに、
教室の隅っこにあるブラウン管テレビの画面にしがみついていた。
6年前、あんなにちいさかった子達が、一人前の口をきくほどに
大きく成長するこの長い時間。
親としても、階段を一段一段のぼって、子どもと共に歳を重ねてきた。 「これからもわたしが悪いときはきちんとしかってください」
むすめがメッセージの最後に言ったその言葉を聞いて、
むしろ、親のわたしほうがしかられるべき場面も多々あったことを振り返り、 そしてそのことを恥じ、 画面に映るむすめに「ごめんなさい」・・と心の中でつぶやいた。
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わすれてはいけない。ライブラリーは、そもそもセンテンスを覚えるために必死で聴くものじゃない。
ひとつのことばにはイメージがいくつもある。
その奥行き、ひろがり感が大切だと思っている。
たくさんのお話に出会ううち、
こどもたちは言葉のもつイメージを自然に感じ取る。そしてそれはストックされていく。
これはこういう意味です、と教えない理由はそこにある。
ナーサリーの詩のなかに、SBの歌のなかに、
いろんな物語の中に出てくるあることばは、それぞれのイメージをもっている。 それをイメージごとまるまるからだにしみこませていること、 こどもたちの豊かな表現力となるべくストックされていってることが、 ラボっ子の強みでもある。
Pussy cat, Pussy cat,のさいごのlittle mouse のlittleは
This little pig went to marketのlittleとおなじだと言い、
・・I frightened a little mouse under her chair のunderは
We're Going On a Bear Hunt の We can't go under it. のunderだと すぐに結びつけている。意味をこうだよ、と教えないのは
こどもが発見することができるから。
これは母国語とおなじ気づき。
時間がかかる。じれったい。でも待つんです。
今日はいくつもこどもたちの「わかった!」の瞬間に立ち会えて
とても嬉しかった。
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きょうはよみきかせボランティアの日。
こんなあたたかい晴れの日はひさしぶりだったので、
さすがにママもこどもたちもお出かけしたようでした。
いつもの時間に子育て広場におじゃますると、
し~んとして誰もいない。
こんなときもあるんです・・とスタッフの方が
申し訳なさそうにおっしゃった。
こんなときもあろうかと、臨機応変にするのもワザのうち。
でもそうこうするうちに、
大歓迎を受けてひと組の親子さんがいらっしゃって、そのあと
たまたま通りかかって外の絵本の紹介をごらんになり
お子さんがだいすきなおはなしだから、とまた別の方が入っていらした。
今日は見学にこられていたNPOの方々までご参加いただいて
The Turnip かぶ のおはなしをみなさんで動いてみました。
ほんのすこしの時間でしたが、ほんわかしたここちよい時間を
楽しんでいただけたかな~とおもいます。
次回 3月31日もどうぞお越しくださいね
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バレンタインデーの日曜。 ライブラリーCooking」と題してご近所のPといっしょに、 ライブラリーに出てくるお菓子を作るイベントをしました。

いそがしい時期で、大きい子は参加が難しくて残念。 でも
小学生中心に、おともだちも含め20名以上が集まりました。
メニューは、ぐるんぱのおおきなクッキーに、 かいじゅうたちのいるところ・・のマックスがたべた晩ごはん。 (内容は今回はきゅうりのサンドイッチとスープ)と、はらぺこあおむしのマフィン。


おやつの時間めざして準備しましたが、できあがったのは おやつ以上のたっぷりのボリュームでした。 Davidのライスクリスピーもおいしかったし、

中学生たちがていねいに炒めてくれた玉ねぎを入れたオニオンスープもみんな何度もおかわり。 ホットケーキはきれいにフルーツとチョコソースでデコレート。

さいごに焼きあがったぐるんぱクッキーーは、3枚をみんなでなかよく分けました。

やっぱりおいしいパーティはいいですねえ。
レシピも配られたので、またなにかのときに作ってみたいと思います。
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・・・マーシャ嬢さんのページのこのタイトルがとても気に入ってます。
わたしの書店での読み聞かせも、何回目?
ずいぶん経つようだけど、正直まだまだはじまったばかり。
じつは、英語と日本語で読む意味を、自分も心底理解してはいなかった。 英語の訳ぐらいの気持ちがすこしあったかもしれない。
でも、それは違うと悟った。 日本語の豊かさと、それを英語で言うならたとえばこんな表現・・。 いずれも心で感じてもらいたいといまは思う。 読み方が流暢であるよりも、むしろ心をつたえようとするのがとても大事なんだと気づいた。
読み聞かせに参加してくださるお子さんの、そのおうちの方は、
きまってお子さんの背中から絵本を見ておられる。
なかには、とつぜんその場を立ち去ろうとして
せっかくいいところなのに、無理に引っ張ってお子さんを連れて行かれる。
そんなとき、
おかあさん、お子さんの表情をもしわたしの肩越しにごらんになってたら、 こんなふうに連れて行かなかった、いや、 もうすこし待っていられたのではないかな・・と思えてならない。
わたしに、留まってもらえるだけの力が不足しているのかも。
いろいろと悩み、毎回趣向を変えてみたり。
たとえお買い物途中の偶然の出会いであっても、
これをきっかけにお話とあたらしく出会ってくれた人がいたら
それもひとつの喜びになると考えている。
絵本との出会いに「遅すぎる」はないと思う。
その人が感じるこころを持っていさえすれば、
いつでも出会いなおしができるのが物語の良さだと思う。
ひとの生の声に耳を傾ける時間、
呼吸を感じながら過ごす時間。
その大切さを伝えつづけていきたい。
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ひよっこパーティでいまだよちよち歩いてる私ですが、
そんな私をよそに、子どもたちは小5以上が集う多摩地区最後の高学年活動に参加して、 パーティも違う兄妹がはじめて同じステージにあがりました。 昨日の東京支部高学年活動発表会は、そんな記念すべき日でした。
正直、こんな日は、来るとは思いませんでした。
それはもう、くねくねと長い道のり。
なにしろラボの活動は入り口がいくつもあるし、途中で枝葉はいくつにも分かれるし、 個々の目標も出口もひとつじゃないし。
実際に子どもたちにその全容が見えてくるのはいつのことか・・。
もちろん、こどもにとってやりたいことはラボだけじゃない。
たくさんあることのなかからその時々で取捨選択するのも悩むし、
長男の場合も、目の前のやらなきゃならないことに辟易して、
さんざん文句は出るし、やめるのなんだの、、それはもうきりがないけれど。
もちろん、親子の話し合いもたくさんしたし、
その都度テューターや先輩ラボっ子、
OB、OGのみんなの力添えがあって、
ほんとによくここまでこれたなあ・・と思うのです。
昨日も本番直前に顔を見せてくれたOB、OGたち。
だれよりも彼らの姿を見つけたときのうれしそうな現役ラボっ子たちの笑顔。 よし、頑張ろう、そう気合が入ったにちがいない。
今回地区のテーマ活動をひっぱって来た高校生リーダーたちも
ある意味ほんとにいい勉強ができたと思います。
ましてや、縦長異年齢集団のラボだから。
じぶんたちのことだけ考えてはやっていけない。
思わぬことが起きるし、できると思ってたことがうまくいかないことも たくさんある。でも、ラボっ子っていいな。
そういうとき、つねに「じゃあどうしたらいい?」と
かならず前向きに、建設的な意見を出すことができる子達。
今はまだみんな実感がないだろうけれど、
今後社会に出てから絶対に必要とされる、チームで仕事をする上で欠かせない 問題を解決する能力や、調整する能力をしっかり培っていると思うのです。
人と人が向き合って顔をあわせて話しあい、考え、つくりあげていく。 そんな超アナログ!な活動だから、面倒くさいにきまっている。
今回の発表のためにも、何回臨時で集まっただろう。
だけど、そこで得られることは計り知れないと、子どもたちに気づいて実感してほしくて、 そのためにわたしたちおとなはがんばる。
私自身が、ある時期一生懸命やって心から楽しかったことを、
いま子どもたちが実際に体験して、その中で成長していってくれること。 これはもう、考えてみれば何よりうれしいこと。
それは決して言葉にしないけど、
ハハよあなたもがんばりなさいという、無言のメッセージのようでした。
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こないだのパーティ。
Make a circleといってもsquareになっちゃうな~。
仲間よおいでおいで~、丸くなろうよ~
でもPay Me だってやっちゃうよ。
Buffalo Girlsだってやっちゃうよ。
The Sky Blue Seedはわたしが大のお気に入りだったおはなし。
はじまりの音楽・・泣けてきちゃうんだよね。
幼いじぶんにいつでも戻れる。
このおはなし、ン十年ぶりにやってみる。
__きつねやるよ~、__うちはゆうじ。
__じゃあねこをやる。
__ 気づいたんだけど、これってうちのブルーじゃん!
いまうちにいるのがこの絵本のねこそのもの。
おおむらゆりこさんってロシアンブルーがすきなのかな。
だれかがいすを持ち出し、四隅いっぱいに置き
ゴムをめいっぱい伸ばして家をつくった。
きつねの言動に賛否両論。
__正直じゃん、
__ わがままだよ
_ だれにもらったのかな、このたね。
__ ひろったのかも。
__ へんなの、いらないって??
__ だからあげた。
__ もし、このとききつねがこなかったら?
__ Oh! かわりにみんなが気絶。
__ ちがう、いえはお日様に近くなるまでおおきくなったりしなかったよ。
__ きつねがばかだから。欲張るから。
__ 自己チユーじゃん。
__でもちょっとかわいそう。
_ゆうじはよくあげたね。きつねに。みんなだったら?
__あげない。
__ やだ~。たからものなんでしょ?
__ ぜったいや。ね~。
__ じゃあなんであげたの?
__ きつねがこわいから。
__ ちょっとおもしろそうだから。
__ 興味あったんじゃ?
_ まさか・・っこんなになるとは・・。
__きつねはなにもしらなかった?
__ もちろん。
__あるいみ被害者じゃねe?きつね。
__ 一応かわいそうな目にあってて、もういいじゃん。
__ しんだの?
__ 、、しんでないって。
_ 本気でぼくのいえだ~って思ったよ。だってみんなたのしそうなんだもん。
きつねが悪モノということで収まっていた幼い記憶が
ラボっ子との話し合いで覆った瞬間。
いつでも新しい発見がある。
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先週娘の通う学校でおこなわれた研究授業。
他校の先生方や先生をめざす大学生、地域や保護者の方などがみえ、 どの教室も入るのをためらうほどの盛況ぶり。
国語科の授業を全校で一斉におこなったこの研究授業。
それぞれの学年で題材につかわれたお話は違うけれど、
めざすものは同じ。
こどもたちは、登場人物の心模様や背景にあることがらを読み取り、
じぶんの考えをまず書き記す。
そして文章化した考えをもとに意見交換。
最初はとなりのひと、そして少人数グループ、さらにもっと大きなグループ、 さいごに学級全体へと広げていく~。
まず、じぶんの考えを文章で具体化するという作業。
これは頭の中を整理し、伝わる言葉で伝えるための大事なプロセス。 そうして自分の考えを伝えたら、こんどは
ほかの人の意見に耳を傾ける。
違う意見を受け入れたうえで、じぶんの考えを再構築する。
というように、こどもたちが互いに学びあうことが大事だ、と。
ひとりひとりが出した意見が積み重なり、みんなの考えがそこに生まれてくる。 はじめはじぶんはこう思ったけど、ほかの人の意見を聞いて それもあるなと思った、あたらしい考えがうかんだ、
かかわりあいから学ぶ、正解はないからこそ、子どもたちが自らの力で学びあっていく。
先生がきめたゴールに向かって、それに到達させるために、あれやこれや指導する授業からの脱却。
「国語科の目標は、こどもたちが学び方を学ぶ、人としての生き方を学ぶことなのです」 と先生方の指導にあたられた方がおっしゃったそうだ。
この、今回の授業でおこなわれたひとつひとつのことをみて、
これってラボのテーマ活動をつくっていく工程とほんとに同じだ、
そう気づいた。
その講師の先生が講演のなかでおっしゃったということばを、
校長先生が学校のおたよりに書き記しておられた。・・
___ 文学作品を読むとき、一人ひとりが自分のイメージをもっています。 互いに交流して、はじめて自分の読みの確かさがわかったり、 他者とイメージを共有したりすることで、より豊かな読みになります。
イメージを交流させ、共有する、、これは、ラボのテーマ活動そのもの・・・。
近く行われる、東京支部の高学年活動の発表会をご案内したところ、ご都合がつかず
先生方には来ていただくことができず非常に残念。
このおたよりをよみ、一層先生方にラボの良さをお話ししたく
なった。
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時代とともに変化する人の考え方。
なんでもチョイスして自分流にコーディネートできるよのなかで、
プログラムに参加するひとの意識も変化してるのを実感する。
最近は、絵本を読み聞かせるときでも、おしまいまでそこに居られない 途中でその場から離れてしまう、そんなママたちの様子を現場で耳にする。
人が話している声には耳を澄ます・・
それが姿勢としてあたりまえだったときとはあきらかに違う。
興味がもてないと思った瞬間に、パタッと聞くスイッチが切れるみたいだ、と。
でも、子どもたちはちゃんとそこにいてくれたりする。
疑似のお話の世界と、いま居る現実のあいだで行ったり来たりを
自由にたのしむ姿はいまの子も変わらない。
自分は興味を持てないけれど、子どもにはそんな時間を与えてあげるのがいい、 そう思っていらっしゃるママたちもいるでしょうね。
そんな方たちが、こどもの姿を通して自ら気づき、
考えをすこしずつ変えていかれるような、 そんな場になればいいなと思う。
子育ての今を感じながら、マザーグースと絵本のつどいを
これからも地道に続けていこうと思う。
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