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世の中には、おもしろいことをする人がいるものです。
キャラ弁は、もはやあたりまえ?!
ヘビーなところでは、虐待弁当というのもありますね。
なにがギャクタイかといいますと、中学生の息子さんに、
あけるたびに恥ずかしくなるような、大注目を浴びそうな、そんな
弁当を毎日セッセと作り、持たせている(た)方がおられるのです。
私が中学生のとき、(軽くウ~ン十年まえ)クラスの女子に
元祖「ギャク弁」を持ってくる子がいました。
鮮明におぼえています。その子は、タッパーウェアの弁当箱のふたをめくり、 チラとのぞいてから、
「かんべんしてくれよ~」と叫ぶので、まわりもすぐ察するのです。 「えっ・また?」みんな覗き込みます。
ごはんのところに、白いごはん。おかずのところに、なにやらねっとりした 色彩のよくない黒いものが敷き詰めてありました。
そう、のりの佃煮ですね。
彼女は、のりの佃煮がどうやら嫌いなようでした。
あるときは、二日続けて同じ内容の弁当でした。
「また喧嘩?」
お母さんもひどいなあ・・・そうおもって見ていたわたし。
そのわたしも母となり、立場も変わるといろいろやることも変わるものです。
弁当箱は、通常22:00以降に出すと、自分で洗わねばならない。
それは、「あしたもおねがいします」のあいさつと同じだ、と常々言ってあります。^^:
洗わなければ、弁当は作りませんよ~。
この約束を過去何度も破り、洗わずに放置。
理由は、「コンビニで買うからいい」
でも、朝「カネクレ」と平気で言うのはだれです? プンプン
そこで作戦を立てた。
私の母業初の「○○弁当」。
おかずのところにも、白いゴハン。ゴハンのところにも、白いゴハン。 片方は間におかかをサンドイッチして、 ちょっとだけ愛情を残しておきました。 そして表面には海苔で細工。
ちょっと友達の前では開けられない、かな。
さてその弁当の行方は、・・・
土曜日の部活が急に中止だったのか、授業が終わって帰宅したらしい。 食卓にふたが開いたまま、途中で断念したらしい残骸がありました。
残念だなあ。
「今日が部活なくてよかった・・さすがにちょっと」
息子が言った。
こんどは表面だけ先に食うことにする。(またやるつもり?!)
おやおや、そうはさせませんよ。
「では次回をおたのしみに。」(母)
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バラバラに行動することが常となり、家族で出かけることもほとんどなくなったいまや、 家族の集合写真を撮るのは何か理由がないとありえない。 調査票、もう写真を貼って提出しないとね。
それで、更新したパスポートを受領するついでに、と考えてデジカメをかばんに入れて出かけた。
というか、家で撮るつもりが、兄妹で些細なことでもめ、片方がすっかり気分を害してしまったのだった。
こうなったら、気分を変えて外で撮ろう。
写真のためだけに、共に行動してくれる息子ではない。
そういえば、このまえ家族写真を撮ったのは、長男がホームステイに行くその年のいまごろ。 だるい、うざい、めんでー..という言葉を百回ほど聞いたかもしれないが、 なんとか説き伏せ近所の池がある公園で三脚をたてて撮った。
そのころは、二番目に背が高いのは私であったが、今は息子に座を奪われた。 そのうち、息子が一番になるに違いない。(でないと困る)
今回も、人の往来を気にしながらの撮影となった。
「もっと人のいないところで撮ろう」
「サインをせがまれて面倒なことになる」
いわせておけば、言いたい放題いうなあ。^^:
今回の主役は、キミじゃないの。引っ込んでなさい。++;
・・あっいまいま!はやく!
なんとか一枚パチリ。 ほ~~っ**;
これほどまでに、手間のかかる家族写真もめずらしい。
あっ、そういえば家族一匹忘れていました。(=^.^=)
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新宿のラボセンターにて、今夏の首都圏からの参加者に向けて、事前活動がありました。 北米やAUS、NZへ行く子供たちのように、毎月の会合は持っていませんが、 独自の交流プログラムでもあるため、別途こうして集まる機会を設けています。 「参加者心構え」からはじまり、実際にホームステイに参加するには、どんなことが大事なのかを お話していただきました。 韓国で滞在中の生活面や準備品に関しての一歩踏み込んだ説明などは、質疑応答も行ったあと、 午後は、子供たちと同行してくださるTシャペロンと団長、崔さんもを交えて 歌やソングバーズの練習?!、そして自己紹介アルバムの進捗状況など情報交換も行ったようです。
リエゾンとしてお世話してくださっている崔さんのお話で、印象に残ったことがあります。
ある男の子のラボっ子ですが、韓国の家庭で、料理をお手伝いします、と申し出てやろうとしたところ、
一緒に暮らしているハラボジから、「男子厨房に入るべからず」というような意味のことを言われ、 困ってしまった、というエピソードでした。
さあ、そんなときはどうすれば・・。
事前準備がなぜ大切なのか、
行けばいいじゃん、と思う子供に、なぜ事前活動があるのかを説くのは案外難しいものです。
行く側の人は、行くということに考えが終始してしまい、
自分が行くということは、「むこうで待っていてくれるひとたちがいる」んだ ということを、やや忘れがちです。
待っていてくれる人のきもちに思いを馳せることが、
やはり、第一ステップかなと思います。
あんなおみやげ、こんなおみやげ、いろいろ考えは及ぶのですが、
モノではなく、訪ねていく「じぶん」こそが
最良のおみやげであることを、忘れてはならないと思います。
自分をうまく出せたなら、どんなことがあっても、結果的に言うことないすばらしい交流ができるのですから。
昨年度、ホストファミリーを体験してみて思ったこと。
何よりも私たちの心にのこるのは、
スジが持ってきてくれたジンラーメン♪そのものではなくて、
それをいっしょに作って「おいしいね」と食べた「時間」です。
どこへつれてってもらおうかな、なんて考えるのではなく、
まだ小学生や中学生になったばかりのラボっ子だけど、、
自分、自分、という考え方を省み、
「韓国で、その家族の一員になれるわたし」ってどんな私なのか、
そんなわたしになるために、どんな努力が大事なのか、
ちゃんと考えて今から出発までの数ヶ月を過ごそう、そんなことも含めてすべてが事前活動なのです。
やはり、ホームステイは「ひとりだちへの旅」ですね。
さて、先ほどの料理を手伝いたい男の子のようなケース、どうすればよいのでしょう。
ムリに押し入っても角が立つし、でも、せっかくのチャンスを逃すのも残念ですし。
なにか一品でも簡単に作れるメニューを練習しておき、
「ぜひ日本の料理を食べてもらいたくて、実は準備しました」と伝えることができたら、きっとみなさんに喜んでもらえるでしょうね。
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先日、お友達のお誘いで、ミュージカルを観ました。
ラボじゃない舞台を観たのは、小学校の学習発表会以来でひさしぶりです。 でも、演じていたのはほとんどが公募により集まった市民劇団員です。 年齢も職業もさまざまな人たちが、いっしょになって創るステージです。
お友達と、まだ小さいそのお子さんも、楽しそうに生き生きと、ステージ上で輝いて見えました。 一緒に見に行ったわが子も、二階席から身を乗り出して舞台を見つめていました。
さすがに演じている中に男の子が少しだけしかいなくて、ちょっとさみしかったかな。
でも、どの役もそれぞれが自分のチカラを出し切って演じていました。 とても素人とは思えないナリキリ具合で、
こどもの心をきゅっと掴む最近のお笑いギャグを時々織り交ぜたりしながら、 あっという間の一時間半ほどの舞台。
床置きマイクが、子供たちの声をよくひろっていました。 発声法なども学んでいるから、やはり違うのでしょうか。
もし、今から生まれ変われるのなら、19かハタチの夢いっぱいの 「ビンボーなミュージカル俳優のたまご」にでもなりたい。
そんなふうに思ってしまいました。
人はだれでも表現者なんだ、ただ、表現の手段がそれぞれ異なるだけ。 そう、わたしは思います。
うちの子は、どんなときもイマイチ本番ではじけることができないじぶん自身を思って いつかあんなふうに、その日見たドロシーのように、(娘と同じ歳)心地よく舞台の上で自分の思いをぶつけてみたいと、 強く思ったようでした。
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4人用のテントを買ったのが、10年前か。
長女はまだ、あんよができなかったころだ。
地域振興券とかいうもので、OGAWAテントのドーム型のを購入。
はじめてのオートキャンプは、1日目の夕方から土砂降りの雨にたたられ、 屋根つきタープテントは浸水して炭はおこせず、カセットコンロにフライパンをのっけて ソーセージを焼くのが精一杯。
遊ぼう遊ぼうとせがむ長男をなんとかごまかして、汗水ながして建てた テントに身を寄せて、風が木々を揺らすなか、ランタンの下で心細い夜を過ごした。
でも、長女は翌日はじめてキャンプ場で数歩歩いたっけ。
子どもをつれてキャンプに行くつらさだけを味わって帰ったわけだが、 これで懲りたりする私ではなかった。
何を隠そう、YMCAのリーダー時代の血がさわぐ。
それで、あれから何回行ったかな・・。
でもわたしは、考えてみたら雨にたたられなかったことがない。
どうやら名前に反して、雨雲を呼ぶらしい。
ここ数年、持病が悪化するといけないので、テントで寝るのはさすがに控えていた。 でもついに解禁!というか、もう限界。火をおこした~~い!!
ゆったりさせてくれるよね・・・。
そんなお約束で行くことを決めた。
本当にひさびさだ。家族全員で行くのは。
子供たちも、下手な近場の旅行よりも喜んで行く。
テントは子どもらと夫でたちまち完成だし、
タープもやめておくから、あとは火おこしだけだ。
いい具合に乾燥していて、簡単に火がついた。ザンネン。
今回は、火の番も息子に頼んでしまおう。
もうラクチンで、こんな思いをさせてもらったのは初めてだ。
夕食にと買い込んだ肉を炭火で焼いてキムチといっしょにサンチュで巻き それらをしこたま食べたあと、なぜかプロメテウスの火を聴きながら 薪をくべ、12時ごろまでファイヤーを楽しんだ。
渓流のせせらぎをBGMにして眠りに就く。
たしかに、どんなに腰にマットを敷いても完璧な寝心地とはいかない。 でも、この感覚はやっぱり家ではあじわえない。
身体の疲れは、よく眠ってとれるかもしれないが、
眠っても取れないからだの疲れは、心の疲れと一体だから。
夜中にトイレに行きたくて、子供がテントからうまく出れなくて
起こされちゃったりするのだけど、
あとで「あ~あやっぱり寝不足」と思ったりするのだけど、
からだの別の部分が、ちゃんと確かに、スッキリ浄化されてるのがわかる。
明らかに、元気になってる部分がある。
実は、その夜遅くから、また!雨に降られた。
テーブルの上のものをすっかり片付けておいてよかった。
やはり、青天井や夜空を楽しむのは、私にはムリなのか。
朝方、テントにあたる雨音で目が覚めた。
今度こそ、と思ったが、朝食を終えると、やむなく撤収となった。
ああ~~、まただ。
帰宅すると、台風が来てるとわかった。
やっぱりね。
湿ったまんま袋に押し込まれたテント一式が部屋を占拠し、
お天道様に干されるのを、今か今かと待っている。
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何って問われても、何もみつからないのがここ最近のわたし。
もちろん、欲を言えば、実はあれやこれや出てくるんですけどね。
そういう物質的欲ではない部分で、なんだか満たされたいような・・ そういうのって、トシのせいなんでしょうか。^^;
年々来るのがおそろしい誕生日。
今年のマイバースデーは、なんと3度たのしみました。
一度目はプレバースデーを、パーティの子達が祝ってくれたこと。
その日は、パーティの前に、娘がなにやらあたらしく買ってもらったサンダルをはきたいから といって出かけたのでした。そして帰ってきましたよ。青いかわいらしいお花を抱えて。
二度目は、そのあくる日、大変遅くに帰宅した主人がシャンパンをぶらさげて帰ってきて、おいしくいただきました。
「ケーキはあした」
その次の日、朝からしごとの私のかわりに娘と出かけ、 近所でも良いしごとをすると評判のケーキ屋さんで見繕ってきてくれました。
ラボの仲間と食事して帰ってきた息子も合流して、
さて、お味見の時間だ。
娘が、「ハイ!」と渡してくれたのは、
シロツメクサで編んだ見事な冠です。
いつの間に?
ここ最近の数年は、Happy Birthdayの歌を歌ってはくれなかった息子が 妙にテンション高めの大声で歌ってくれたので、
どうしたんだ~、なんだか感慨に浸りました。
これまで、私のためのケーキは主人の自家製が多かったのですが、
こういうのもいいね、とプロの味を堪能しました。
五号を4分の1ずつで、濃厚なお味だったので、たいへん満足でした。
^^;
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そんな大それたことではないのだけれど、やはり子どもたちと
ふりかえりの時間は持ちたい。
GWをはさんでしまうと、この気持ちが遠くへいってしまうので、
臨時に集まりました。でも、ひとつやふたつはSBやろうよ。
All Around The Kitchen は? いいよ~。
季節外れだけどクリスマスの12日もリクエスト。
さて、録音を聞いてみよう。
じぶんの番が来ると、キャーキャー声出して聞こえなくする。
去年もそうだったね。
実は緊張してたんだって。「うそ・・」?
あのときなかなか言い出さないから、忘れちゃったのかと思ったら、 まだ客席がざわざわしてたから、静かにならないか待ってたんだって。 へえええ~、お~とな~。
太陽へとぶ矢の制作現場の様子が入ったDVDも観て、なんだ歌の録音は なにも映像がなかった・・とがっくり。
今日はこんなのこしらえてみました。
みんなががんばった記念にね。
あしたたんじょうびでしょ~。「ギクッ」
みんなでHappy Birthday Hami~イチニチハヤイケド♪と
歌ってもらいました。Thank You~・・・。
ジュースでカンパーイ!
KMママ差し入れのお菓子もあって、ふうう~、豪勢だねえ。
しめくくりにカードを使ってWORDチェック。
はるかぜとぷうのセンテンスをつかって、かるたあそび。
よくできるようになったね。これも
しっかりお話を自分のものにできてる証拠。
大変だったけれど、着実にステップを一段上がりました。
家でもせりふが口をついて出るんだっていう話を聞いて、
とてもうれしくなりました。
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年明けから、3ヵ月またはそれ以上かけてじっくりと取り組んできた地区発表会への道のり。 それぞれのパーティで、それぞれのドラマがあった。 発表して終わり、・・ではなく、ちゃんとふりかえりをシェアする。 終わって脱力してあーつかれたごろ~んとなりたいところ、 よっしゃとPCの前に座ってエヴァリュエーションシートを埋めたりする作業はとても大変だけれど、 これがなくては、発表会は終わらない。終われない。
わたしもメモ書きのようなパーティー記録用ノートをめくり、なぐり書き文字を拾い集める。
実は、そこに子供たちの発した大事な言葉、 毎回のテーマ活動のなかから発見した、忘れてはもったいないエッセンスがちりばめられている。
それらを残らず集め、半分だけ書き込んで置いてあった経過レポートに加えていく。
こうして平たく紙の上にのせてみると、非常におもしろい。
毎年変わっていくパーティ内の状況。同じ課題はふたつとないし、
去年と同じやり方はきっと通用しない。
歩き始めたばかりでも、年月を重ねていても、毎回が新しい挑戦であることに違いはない。
そうそう、予想不可能なハプニングも、発表会には付き物。
本番の何倍もプロセスが大事だ。実はこのような経過を経て、それでこの日の発表があったのだ、と伝えたい。
子供たちの成長をともに見守りたい。
また、自分ではマイパーティの不足な点としてとらえていたことが、周囲からみればそれはむしろプラスの評価であったりして、 ひとりよがりな視点では見えてなかった面にもスポットライトがあたり、予想外な展開に驚いたり。
ただ当日の発表だけを見て感想を述べるのでは、それは薄っぺらな評価にすぎない、ということがよくわかるのだ。
今後もこのような機会を持てたらよいと思う。
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テーマ活動に、こうしなくてはならない、というルールはないはずなのですが、
どういうわけか、わたしが勝手に頭の中でつくりあげたルールに
長い間縛られてしまっていたように思います。
でも今はこう思います。
ルールがどうしても必要というならば、
しいてルールというならば、それはたったひとつ。
「つねにその動きは気持ちから生まれたものであるはず」ということ。 ほんとうにこれだけなのではないかと思います。

今回の発表に出たことで、私自身が無言の縛りから自由になれて、
子供たちも「テーマ活動は自由自在」だということを実際にカラダで感じることができたのではないかと思います。
出ないという選択肢もあったなかで、あえて地区発表に参加して、みんなが成長できてほんとによかったと思いました。
助けてくださった方々、ありがとうございました。
この発表会は、
ラボっ子たちの心に、きっと、ずっと残るだろうなと思います。
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いよいよ明日、という前の日のパーティは、むずかしいこと考えない。
ただ、あした舞台の上で元気が出るため、それだけのためにやる。 でも、
楽しめばいいんだから、とは言うけれど、
・・それって人が思うよりはるかにむずかしいことだ。
こどもながらにいろんなプレッシャーも感じつつ、
一年ぶりの舞台に出るわけだから。
楽しむって、なに?楽しさって、なに?
大変なこともつらい事も、乗り越えたいすべてのこと、この一言に託したいだけなのかもしれない。
いろいろあったけれど、とにかくここまでたどり着いた。
いつもみんなの笑顔にたすけられ、支えられてきたよ。
自分以外の人に向けた激励メッセージを交換して
今晩ぐっすり眠れるためのお守りにしてもらうことに。
いい夢見てね。
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