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SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 161件~170件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
『長ぐつをはいたネコ』の絵 11月22日 (月)
あおもりけん
 写真の巨大な犬は、青森県立美術館に展示されている「あおもり犬(けん)」。作者は弘前市出身の奈良美智(なら・よしとも1959-)氏。世界的評価の高いポップアーティストであるのだよ。この人はかつてニューヨークの地下鉄に落書きをして逮捕されてしまったという剛の者。
 撮影したは昨年の夏。退院してから1か月後にふらふらの身体ででかけた。美術誌でこの犬と出会い、どうしても会いに行きたくなったのだ(マジで見ずに死ねるかと思ってた)。ちょうど太宰の生誕100年特別展もやっていてお得。さらに、寺山修司と棟方志功のルームもある。すごいぞ青森! 
 さて先日。ある人が「『長ぐつをはいたネコ』の絵はどうしてあんな絵なのか」という。うーむ、そう素直に問われると当惑してしまうが無理もないか。
 絵の作者は中西夏之氏(1935-)。前衛芸術といういい方は好きでないが(芸術はいつも前衛。どんな古典もその時代のニューウェーブ。ミケランジェロもベート
ーベンも、当時の批評家がぶっ飛ぶような造形や和音をつくりだした)、20世紀の日本を代表し、現在も精力的に活動されている前衛アーティストだ。
 『長ぐつをはいたネコ』が収録されているSK13の絵は、『アリ・ババと40人の盗賊』以外は、当時のジャパンアートのトップ3といっていいゴージャスなメンバ
ーが描いている(ことわっておくが『アリ・ババ』のウラディーミル・タマリ氏もすごいのよ)。高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之。ああ、なんという奇跡! そのころこの3氏は、それぞれの名前から「ハイ・レッド・センター」(高・赤・中)というアートグループを結成、日常への懐疑をモティーフに破壊力ある(『きてれつ』の破壊力もすごいね)活動を展開していた。
 各氏の作品の魅力について、ここでぐだぐた書くことはしないが、『長ぐつをはいたネコ『グリーシュ』『きてれつ六勇士』の絵本を目の前に置いてみてほしい。いずれも薄いペーパーバックだが、なんという迫力だろう。ゆるぎない個性。自由闊達にして造形のたしかさ(ここ大事)。そして大胆で繊細。こうした作品に幼いときから出会えることは本当に幸せだ。
 ちょっと生意気にいうと中西氏の作品は美術界では「思考性が高い」と評価されている。それは、氏の主たるテーマが氏と現実空間との緊張関係にあり、日々変化する氏の思考の流れが作品に鮮やかに反映しているからだ。

  しかし、例によってこれでは当初の疑問のこたえにはなっていないので、少し冷静に書いてみたい。たしかにこの絵は、わけがわらないかもしれない。でも、すぐに底が見えてしまうのもつまらなくないだろうか。
 絵はよく抽象、具象という分け方をされるが、そもそも紙に書いた表現というとではいっしょ。また、残念なことに抽象ということばは日本ではあまりプラスの意味でつかわれない。「きみの意見は抽象的なんだよ」なんていわれてしまう。抽象と具象を往復する力がほんとうはたいせつなのに。
 さらに…、「抽象画はわからん」というけれど、逆にアートを「わかった」「理解した」なんてことがあるのだろうか。絵でも音楽でも文学でも、出会う年齢や人生の時期によって受けとめ方は変化するし、日が変わっただけでも異なる。「わか
った」なんてとんでもなく傲慢だと思う。
 理解しようとすると絵は逃げていく。色や形が、カッコいい、すごい、きれい、気持ちわるいといった感じ方がだいじなんだと思う。
ピカソがいったことだが「山にいって、朝、鳥の声で目覚めた時、あの鳥はなんていってるんだろうとは考えないだろう。ああ、きもちよい。山に来てよかったと思うはずだ。絵もそれでいい」。わかるより感じる心をそだてたい。
蛇足だが、こどもがあの絵をいろいろ想像して、これは猫、とかいうのをとめる必要はないと思う。「ふーん、そう感じるの」とまず認めてあげればいいと思う。
 だが、先生これどうしてメチャクチャなのと訊かれて困ったときは、「これは絵を書いた人の心のなかなんだよきっと」というのもいいかな。
 ぼくも、あるときラボっ子に「みんなも、夢とか、悔しかったこととか、心のなかを描いてといわれたら、丸とか三角とかわかりやすいかたちでは描けないでしょう」といったことがある。すると、『ひとうちななつ』の絵本(野見山先生=この絵もすごい!)を手にした男の子が「じゃあ、この絵も心の風景画なんだね」とい
ったのを思い出す。
 繰り返すが、いわゆる抽象画は「わかりにくい」かもしれない。でも、めちゃくちゃではない。たしかな造形がそこにはある。美しいものは、確実にこどもの心をゆさぶる。まちがいない。
かにどん、かにどん 11月19日 (金)
もみじ
 冬眠している間、時間だけはたっぷりとあったので、
とにかく読む、見る、聴くに徹した。
 音楽会、舞台、美術館とやりたい放題。
 とくに本については、これまでほとんど手にしなかった
経済関係や福祉、医学、植物など、
砂漠でオアシスを見つけた隊商のごとくがぼがぼ。
そんな乱読の果てに思ったのは、
人の心に深く入ってきて、なにか真実のようなものを
語りかけてくれるのはやっぱり「物語」なのだなあ。
 さて、昨日も書いたが、ラボ・ライブラリーをめぐるあれこれを、
とくに「資料集」などの公的刊行物に記載されてないこと、
また、あっても遠い過去の機関紙誌のどこかに眠っていることなどを
メモがわりに少しずつ書いてみようと思う。
 それが後の日に、すぐれた事務局編集者の手でまとめ
られることでもあれば望外の幸せである。
 したがって(くどいようだが)、
あくまでも1OB(アウトオブバウンズ?)の私見であることをご了解
いただきたい。それと、昔の日記と一部重複しても許してね。
 とはいえ、なにから書こうかと思ったら、
あまりに書くぺき料が多すぎるのに今更ながら気づいた。
テーマ的なことを書くだけでも1作品について相当長くなるし、
重要な英語、日本語、訳の対応などのことばについても
ふれていけば、これはさらにたいへんだ。
 そこで、順不同で、誰かと最近話したこととか、
質問されたこととかをひろげるかたちでスタートする。
SK1からなんて、はじめなくてよかった。
 で、例によって前置きが長いが今日は『かにむかし』のこと。
先日、ある人が「『かにどん』は"Mr. Club"と男性で表現されているのに
なんでこがにが生まれるのか」という。
 これは、発刊後もよく寄せられた質問で
1986年11月号の『ことばの宇宙』の質問コーナーで
回答したことを記憶している。
 そもそも、昔話にあまり科学的合理主義をもちこむとおもしろくない。
「石から猿が生まれるはずはないだろう」、といったら孫悟空も
否定されてしまうし、『ポアンホワンけのくもたち』で、
きょうだいたちが虹やツルなどに出会うのに、
ほかの雲にいっさい出会わないのもふしぎといえばふしぎ。
 しかし、常に真実を知りたい「どうして魔人」のこどもが納得しないとき、
そんなことをいっても無意味。
「頭で考えるな、心で感じろ」とは昔よくいわれたが(誰に?)、
こどもに考えるな、論理を放棄しろというのもこれまた暴力装置的発言。
 それで、ちょっと整理してみる。
まず「かにどん」の「どん」だが、これは「殿」が
変化したもの。愛称といってもいい。好例は「西郷どん」だ。
この「どん」は、九州だけでなくわりと広い地域で使われていた(る)。
そうきくと「どん」=男性のようだが、「おたけどん、おつかいにいっておいで」などのように、女性に対しても用いられる呼称だ。
さらにいうと蔑称となる場合もある。
 さて、英語のMr. Clubだが、日本語にどんという
呼称がついているかぎり、なにかでうけざるを得ない。
日本語の「かにどん」は中性的に表現可能だが、英語では中性的呼称は
ほぼない(最近はchairmanとはいわずchairpersonなどとERA=Equal Rights
All Women and Manを意識した表現が多くなったが、それでも姓名の前に直接つける呼称、尊称には性別がある)。なにかあるかなあ。
 ともあれ。ここで生まれる英日の差はいかんともしがたい。
これこそ言語文化の差。
 ただ、それでも英語はスペイン語などと比較すると性の区別はまだゆるい。
言語学の先生にうかがうと、「時制にきびしい言語ほど性の区別にきびしい」
とのことだった。確かにスペイン語は冠詞にも性別があるし過去形も複雑だ。
 後年、宮沢賢治の仕事をしたとき、『かにむかし』の英語を担当した
パルバース氏とこの話題にふれたことがある。
すると氏は「たしかにその差は気になるかもしれない。
でも、英語版だけでいえば、こうした昔話の場合は特に
Mr. Clubが男性であることは意識しない。古いイギリス昔話でも、
いつのまにか主人公の動物の性別が入れ替わったりしている」
※この話は、神宮輝夫先生が『トム・ティット・トット』の
日本語を担当されたときも、同様のことをおっしゃられていた。
 ここまで、読んだ方は「なんだ、これではとてもこどもに説明できん」
と思われたであろう。しかし、またれよ。
 当時、そんな皮相的な言語学もどきの説明をこどもに伝えるのは
とっても無理とぼくも思った。
 そこで窮余の一策。多摩動物公園で飼育課長をされていた矢島稔先生に
直接電話した。無礼千万だが、じつはその数か月前に「ラボの世界」のインタビューでラボっ子とともに先生にお会いしていたのだ。
先生の蝶について書かれた文がとても美しく、
それに感動して会いにいったのだか、
自ら園内を案内してくださりながら、飼育について熱く語られ
るそのお姿から、動物にかける愛情の深さが感じられた。
※先生が手がけられていた昆虫館では、世界の蝶が見の前で飛ぶのを見られる。
 矢島先生は、おどろくべきことに木下作品もかなり読んでおられて
もちろん『かにむかし』(1976 岩波)もご存じだった。
 そして、夜分にもかかわらず先生はやさしく教えてくださった。
「あの汐くみにいくカニはおそらくサワガニのなかまでしょう。
うみべで産卵するなかまもいます。しかも、オスが、メスが生んだ
卵を孵化するまでお腹の下に抱えている種類もいます。
かれらは岸辺で波の寄せ返しにあわせて孵化した赤ちゃんがにを
放出するんですね。その動作も汐くみに見えるかもしれません。
ですから、オスのカニがこがにを生んだように見えても
なんのふしぎもないです」
 ぼくが最後に非礼をわびると、矢島先生は
「いえいえ、お役に立ててなにより。でも、昔話にあんまり
科学の理屈をもちこむとつまんないよね。ハッハッハ」
と豪快にわらわれた。

 次回は『なかぐつをはいたねこ』の絵について書く予定
 
Good bye and Hello 3 11月18日 (木)
YUHU2
YUHU1

たいへん、たいへんごぶさたしています。じつに2年ぶりの更新です。
一部の方にはごあいさつをさしあげましたが、
11月1日からは元事務局員、特別参加として日記に参加します。
 あくまでラボOBとしてラボの応援が少しでもできればと思います。
昨年春に大きな病気をして14時間の手術わのりこえて
黄泉の国の入り口からまいもどってきました。
まさに「よみがえり」です。
 これからは、これからはあたためていたテーマで
作品とよべるかどうかは別として、好きなものを書いていくつもりです。
 一方、これまで関わったライブラリーのこと、
またラボ・ライブラリーについての思いなどのなかで、
これまで資料集などに書かなかったことを含めて
後のちのためにまとめておきたいと思っています。
その下書きというかメモとして、この日記を書いていきます。
 私見でよろしければ、また皆様のご質問やご意見をうかがってリアクションしたいと思います。
 写真は、15日に訪れた大分県湯布院です。金鱗湖の朝が美しかったです。
玄奘の旅・日出づる処の応用問題 05月26日 (月)
玄奘 四川省大地震の話題がリアルタイムではいってくる。四川省には行ったことはないが中国は2度たずねた。思いは軽くない。
 一度目は89年,ラボが月壇中学とホームステイ交流を開始したとき。ホームステイに該当する中国語がない時代。「卓球でもバレーでもなく,なにで交流するの」という教育委員会の素朴な疑問に,「生活をともにする」国際理解教育の意味を説いて奔走された呂校長と月壇中学関係者はまさに「井戸を堀った人びと」だ。
 この年の6月24日,天安門事件がおこるが,ラボ国際交流はそれをのりこえて交流を続ける。湾岸戦争でも9.11でもラボは民間交流の老舗として継続に最大努力をしてきた。澱むことなき大河,ラボ国際交流の特徴としてこの継続性をもっと誇っていい。
 その6年後,再び中国へ。中国語『はだかの王さま』(皇帝的新衣)の録音だ。これにも月壇中の協力があった。生徒の母親が北京放送日本語部のアナウンサーで,その紹介で北京放送のスタジオ使用,北京放送テレビ劇団の出演がOKになったのだ。
 ベテラン女優の李林さんはじめ4名の売れっ子俳優が12月のスタジオに集結。声の仕事だからと「おしん」の中国語吹き替えを担当したメンバーだ。事前にライブラリーの音声と中国語台本を送ったが,もちろん日本語はわからない。英語も堪能ではない。スタジオにはみな集まっていて,けんめいに送った音声を聴いている。声のはり方,距離,感情,役のつくり方を音声からとらえようとしている。さすがプロ。録音には通訳をたてたが,「だめだし」で通訳がまごつくことはなかった。それだけ彼らはライブラリーを聴きこみ,役の細部までつくってきていた。挿入歌も歌いきった。
 そうなるとこちらも「よりよいもの」をめざし細かい要求をだすが,「いいものを子どもたちに」という思いでプロどうし一致するのは中国も同じ。録音本番は「回してください」というが,中国語では「走(ツォ)」。途中から僕が「走」を連発することになった。
 SK3は4話構成。この日,昼前から始めた録音(昼食は社員寮堂)は,19時の段階で『アリとキリギリス』をのこして終わった。事前確認でスタジオは三日間,収録二日間,一日は予備日兼荒編集にしていた。すでに録音開始から8時間,相当疲れているはず。僕は「のこりは明日に」といった。すると俳優陣から「今日はノッているので,このままあと1話収録したい。そのほうが明日1日空く」という提案があった。ぼくは「来たな」と思いつつ「いや,声がもう限界だろうし(事実,日本の俳優なら無理),予定では明日も収録日。明日とりたい。それがラボのクオリティ」とつっこんだ。
 すると「理解するがノリもたいせつ。ラボの仕事は気持ちがいい。テストでいいから収録しよう。よくなければ約束通り明日も収録する」という。そして23時……。収録は文句のつけようのない内容で終わった。
 確かに翌日に撮ればテンションが変わる。同日に撮る意味はあった。心配された声の疲労感はまったく杞憂。彼らの声の強さには恐れ入るばかり。きけば全員が幼いときから京劇や伝統舞踊など古典芸能の素養を身につけており,その上に演劇技術を積んでいる。声も身体もきたえ方がちがう。
 別れ際,「明日はみなさんオフだけど,どうするの」ときくと,全員がボイストレーニングと筋トレ,仕事の予習とさらりとこたえた。尋ねた自分が恥ずかしい。「おつかれ様」は「辛苦了(シンクゥオラ)」。
 翌日,月壇中学に収録が終わりの報告。もともと月壇中学は『西遊記』の絵を描いた李庚氏の娘さんが生徒であることからの交流。ここでやっと玄奘の話。
 玄奘は随末の生まれ。602年ということだが,まあ7世紀の人だ。若いときから秀才の誉れは高い僧侶だったが,インドにむけ密出国したのは諸説あるが27歳くらいのとき。すでに唐代になっていたが,このころの仏教は資料不足,クマラジーバなどが訳した教典はあったが,若い僧侶たちは本家のインドへの留学を希望した。しかし,この頃の唐は国境紛争が続いており,あぶなくて優秀な頭脳を外にだすことは国も認めなかった。玄奘も三回留学申請を却下されたらしい。当時,密出国は捕まれば死罪。従者1人で馬に乗っていったようだが,白馬かどうかは定かでない。
 かくしてシルクロードを北まわりで旅たった玄奘だが,一歩国外にでれば中国語は通じない。しかし玄奘は,立ち寄ったさ国ぐにで尊敬され,留まってほしいと懇願される。上に貼った画像はよく知られる玄奘の旅姿で実物は西安市の博物館にある。彼は180㎝をこす長身,精悍かつ端正なマスクは初対面の人の心をすぐにとらえる力があった。
 また,玄奘は「人間どうしコミュケイション可能」というラボ的発想の持ち主で異文化,異言語の壁をこえる能力にたけていた。日本でも新井白石はシドッチというイエズス会の修道士をわずか4回尋問し,『西洋紀聞』『采覧異言』という大著を上梓したが,白石もまた玄奘のような確信をもった人だった。白石は後に失脚するが,彼の仕事は鎖国にわずかな風穴をあけ,時代の歯車を前進させることになる。
 玄奘はインドについてからインド全国を巡礼,ナーランダの寺院で学ぶ。ここは世界最高の仏教大学で卒業できたものはわずかしかいない。そこをト
ップで卒業した玄奘は,帰れば死罪と知りつつ帰国の途につく。教授たちはひきとめたが,学長だけは「仏教はインドよりも東の国で発展する。そのためにも帰るべきだ」といった。事実,インドの宗教はやがてヒンドゥーが主流となり,仏教は中国,そして日本で花をさかせる。
 玄奘は帰路,皇帝に報告の手紙を書く。その返事は密出国をゆるすものだ
った。645年(大化の改新だ),玄奘は大歓迎のなか650部あまりの教典とともに長安に帰朝する。正月七日,玄奘43歳の男盛りと『大唐西域記』には記されている。
 玄奘の仕事の凄さはその後である。皇帝のブレーンにというオファーを断り,膨大なサンスクリット語の教典を翻訳することに残りの人生を費やしたのだ。ご存じの「般若心経」なども彼の訳である。
 玄奘の旅は,もともと説話として寺で民衆に語られていた。しかし仕事終わりの疲れた人びとにきかせるためには話に「おひれ」が必要。それが次第におもしろくなり,祭の講談などのバフォーマンスになっていった。これらを小説にまとめたのが呉承恩という人だ。
 玄奘はかようにガッツとパワーとセンスに満ちた人だった。この多重なキ
ャラがはじけとんで分割したと考えるのは難しいことではない。彼の闘争心は孫悟空,人間としての煩悩は八戒……。だから,三蔵自身はやや女性的な信仰と信念だけの無垢な存在として残ったといえる。
 また実際の旅では,4000mをこす高地や,海抜マイナス200メートルの盆地など,とんでもない自然をこえていったわけだが,いかにタフな玄奘でも高山病や疲労から,幻覚におそわれたりもしただろう。それらのきびしい自然現象や病気による怪奇はさまざまな妖怪変化になった。
 しかし,中国の人に最も好かれるは孫悟空よりも三蔵法師だという。無垢で信念だけの赤ん坊のような存在に,悟空も妖怪たちも決局のところかなわない。本当のチャイニーズヒーローは強さを誇示しない玄奘や劉備玄徳のような存在だという。
 玄奘の旅から時は流れ,8世紀に入ると唐の国は絶頂期をむかえる。長安は人口100万をこえるローマよりも大きな都市になり,赤い髪や青い瞳が碁盤の目をいきかった。多くの文人,墨客が活躍し,日本からも安倍仲麻呂などのすぐれた人材が学んだ。仲麻呂は一流の詩人や学者と交流し,ベトナム大使や国立図書館長などの要職につく。
 西安市の公園の一角に仲麻呂のいしぶみがある,スマートな塔だが,その裏面には追悼の絶句がかかれている。その作者は詩聖,李白だ。
 今,日本には多くの若者が日本に学びにきている。彼らに胸をはって提供できる「真の学びと文化」をわれわれは保持しているのだろうか。
 日いずる処は応用問題をとかねばならない。
PANICパニック!? 04月25日 (金)
 まもなく五月である。どうでもいいことだが,サツキの語源は
いろいろあって,サは接頭語だという説もあるし,サは田で
田月の変化したものという論もある。サが田だとすると
早乙女は田乙女,五月雨は田みだれで,まことにつごうがいいが……。
 早苗は田苗というわけだ。
 さても,新宿のラボ・センター16階から窓外をながめると
日々,緑のグラデーションが明度と彩度と濃度をあげて息苦しい。
しかし,目と鼻の先に59階の高層が3棟も建つらしいので
とってもゆううつだ。
 しかし,ほんとうにあたたかくなり,午後は思わず昼寝をしたくなる。
ドビッュッシーの『牧神の午後への前奏曲』がきこえてきそう。
 ここでいう牧神はいうまでもなく,ギリシア神話にでてくる。
牧神パン=Panだ。ラボ・ライブラリーでは『王さまの耳はロバの耳』
に登場する。
 上半身は男性,しかも残念なことに美少年ではなくオッサンで
下半身はヤギというミュータント。しかし,牧神であることから
ヒツジやヤギや牛,そして牧童の守り神であり,
ちゃんとおまつりもされている。
 このPanは,いたずらずきのこまったちゃんで,なまけものでもある。
昼間はおおむね,牧場のしげみのかけで昼寝をしており,
夕方などにのそのそおきてきて,美しい少女や少年が通りかかると,
へっへっへとおそいかかるとんでもない性癖をもっている。
しかも,彼が寝ているところに旅人などがあやまって踏み込んで
目ざめさせてしまうと(牧童たちはけしてじゃまをしない),
パンはとってもおこって,その夜,自分をじゃました人間に
恐ろしい悪夢をおくりこむ。
そうすると,安眠していたはずの人物は,まさにおおあわて。
これがPanicというわけだ。
 Panにはほかにもいろいろな物語があり,興味がつきない。
牧場と昼寝というイメージからだろうか,彼は笛の名手であり,
その音色には誘眠効果があるといわれる。
この笛にもアウロスあるいはシュリンクス,またパンフルートと
いろいろな呼称がある。
 アウロスはラボ・ラボライブラリーの佐野洋子氏の絵本で
パンがもっている笛である。これは楽器としては後述の
パンフルートよりも複雑で
オーボエとおなじダブルリードの木管楽器だ。
絵本のように共鳴管が二またにわかれているので,
主旋律と伴奏を同時にふくことができた。
 アウロスはギリシア時代はプロの演奏家がおり,
そのあやしい音色がいかがわしいと(事実いかがわしい商売
もしていた)禁止になったこともある。
 佐野洋子氏の絵はまさにこのアウロス。
佐野氏はクラフト紙にパステルと緑のカラーインクでこの絵を書き,
さらにその上から水だけつけた筆でなぞり「にじみ」をだしている。
いい絵だ。
 一方,よくしられるパンフルートは,葦笛であり,長さの異なる管
がニ列で配列されている。その透明な音色はファンが多い。
ルーマニアや南米にまで同種の楽器がひろまっている。
 この笛はシュリンクスともいわれるが,
これにはパンの悲しい物語がある。
 パンは水のニンフ,シュリンクスにまじめに恋心をいだき,
彼女をおいかけまわす。しかしシュリンクスはパンはキモイので
いやでしかたがない。
彼女もニンフだからすばしこいが,牧場をかけまわって
毎日クロスカントリーてきたえているパンにはかなわない。
第一,ニンフと神様じやニンフに勝ち目はない。
とうとう,川辺にシュリンクスはおいつめられてしまう。
もうだめと悟ったシュリンクスは必死にゼウスに祈る。
そしてパンがその腕をつかんでと思った瞬間,
パンが握っていたのは風にそよぐ葦の茎と葉だった。
 「ああ,そんなにいやだったのか……」とパンはへこみまくり,
その葦をあつめて笛をつくりシュリンクスとなづけたというわけ。
 そんなことがあり,パンはトラウマをしょいこみ,
あかるい牧場から森にでかけては,動物たち,森の精を相手に
コンサートをするようになった。
そんなときに出会ったのが,例のミダス王(Midas)。
 この王さまはっこうでっかい国の王でリッチなのだが,
金持ちはケチという鉄則にやけに従順で,欲深いことこのうえなし。
そんな王の国にある日,バッカス(ディオニュソス=酒とぶどうの神)
の一行がとおりかかる。
 ごぞんじのアポロンは音楽の神であり,予言の神でもあり,
ヘルメスととともに知性派代表だが,
バッカスは「ぶっとんだ神」で,いつも熱狂的信者をひきつれ,
音楽を流しながらライオンにひかせた車にのって
ワインをのみつつ巡行するというとんでもない神だ。
 やけになったあまりに「神は死んだ」とさけんだ哲学者のニーチェは,
アポロン的,ディオニュソス的とニ元的分類をしたが
 そういう意味では,ラボの活動はきわめてアポロン的な要素と
ファナティックかつ狂乱怒濤のディオニュソス的要素がみごとに同居
しているといえる。やはりラボえらい。
 そのバッカスの弟子のひとりにシレノスという神さまがいる。
なかなかえらい神だが,見た目はただのよっぱらいの老人だ。
この神が酔ってへたりこんでいるところを,
城の兵隊がひったててミダス王のもとに連れてきた。
 ミダス王はケチだが,どこかの国の政治家とちがって
教養はある人だったので,
一目で「この人はバッカス様の一番弟子のシレノス様」
とわかった。そこで,王は老人を丁重にもてなした。
 するとシレノスは帰りぎわに
「わしをきたない年よりとじゃけんにするのがふつうだが,
おまえはなかなかえらい。なんでものぞみをかなえてやる」
という。そこで欲張りのミダスは,
「さわるものなんでも金にして」とオバカなリクエスト。
「ほんとにいいんだな」といって去るシレノス。
 最初はイスやテーブルを金キラにしてよろこんでいたミダスだが
すぐに気づいた。パンをたべようとした瞬間にカチン。
ワインもたちまち金のかたまり。これでは飢え死にしてしまう。
 へこみまくっているミダスのところに,娘があらわれ
「お父さまどうなさったの」,よせばいいのに
「ああ娘よ」と肩に手をおくと……。
 反省しきりのミダスに
シレノスは森の湖てみそぎをしなさいと指示。
以後,その泉からは砂金がとれるようになり,
ミダスの国はさかえたそうな。
 その後,ミダスはもろに厭世的になり,城をでては森でぶらぶら。
そんななかで,パンど出会い,なかよくなった。
まあきらわれものどうしのキズのなめあい。
だから,ミダスは音楽勝負でパンの勝ちといったのだ。
 あとはご存じの通り。
 さてもパンのエピソードはかように広いのだが,
かのPeter PanのPanももちろん,このパンと無関係ではない。
 Peterは代表的な男の子の名であり,またApostlesのひとり
ペテロでもある。Panは,そのいたずらっぽさと,
PとPの頭韻(ex.Tom Tit Tot)のきもちよさなどからだろう。
だからピーターが吹くのは葦笛である。
 バリのセンスがひかる。というより,ギリシア神話,ギリシア悲劇は。ヨーロッパ知識人の基礎教養だったのである。
 つまりヘレニズムっつうことです。その一方でキリスト教,
すなわちヘブライイズムもまたヨーロッパ人文主義の根底にある。
しかし,そこでは補完できない世界を象徴するのがケルト……。
 いやきりがないので,ここまで。
なお,この日記は,別の原稿のために書きとめたものなので
あまりきにしないでください。コメントは自由ですが。
知識の切り売りしてるみたいでいやなのですが。
メモがわりには便利なので。
 
ロージーちゃん リリース! 6 12月04日 (火)
 いろいろとご心配をかけましたが,SK31の配送が始まりました。
絵本の入荷が遅れてどきどきしましたが,ともあれリリースです。
CD4枚,絵本六冊,テーマ活動の友,そして初版特別付録の谷川賢作さんの楽譜。
やっぱりゴージャスです(手前味噌かな)。昨日の全国ライブラリー委員会での報告に,
「音楽にくわしい新しい父母にこのSK31のことをいったら,『鼻血がでそうな人たちが
参加してるんですね!とびっくりしていました』というのがありました。
 確かに音楽はもちろん,吹込み者も含めて,鼻血どころが全身の血が
ふっとうしそうなメンバーでつくることができたのは,ほんとうに幸せです。
                ※
 絵本6冊のうち香港から船で送られてきたのが4冊,
"NIGHT KITCHEN"と"ROSIE"はニューヨーク発シカゴ経由の航空便!
ともあれほっとしています。
ラボ・ライブラリーのみならず,すべての表現作品がそうですが,
リリースされてしまえば作品は受け手のもの,すなわちラボっ子の
ものです。だから,つくり手が「このテーマは」とか「この物語の
メッセージ」とかのたまうのは「たわ言」にすぎず,
寝ころがって聴こうが,「こんなのいや」と
ほうりなげてしまうのも,聴き手の自由です。
とくに絵本作品は神宮先生もおっしゃるように,
みなさん「自分のイメージ」を強くおもちです。
だから,「これはちがうな」と思われたら
それで終わりみたいな不安もあるのです。
 ですが,DVDでもおわかりのように,ラボ・ライブラリーには
映画なみの人数と手間とお金がかけられています。しかもそれは
「量」だけではなくて,命とか情熱とか思いとか志といった,
数値でははかれない心の質が含まれています。
 だからだから,いっしょうけんめい受け取ってほしいなと
願うのは本音です。そして「よい読者」が小説家を育てるよ
うに,よい聴き手がラボ・ライブラリーを育てます。
 その意味では,ラボっ子は作家もうらやむようなすばらしい聴き手です。
それはラボっ子吹込み者選考会の熱気が証明しています。
ラボ・ライブラリーを育てるのはまちがいなくラボっ子です。
 さて,あちこちから問い合わせがきはじめたので,
「市販されている日本語版絵本とラボ・ライブラリーの
日本語のちがい」についてふれておきます(詳細は制作資料集)。
まず,絵本を翻訳するときに,まさかラボ・ライブラリーのように
対訳で表現されることを意識して翻訳する人はいません。
翻訳は作品の質と内実を保ちつつ日本語の作品として成立させる作業です。
その意味では「直訳は誤訳の始まり」とさえいう翻訳者もいらっしやるほどです。
 ラボ・ライブラリーでは,これまでも『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』
『ガンピーさんのふなあそび』『ギルガメシュ王ものがたり』『ヘルガの持参金』
『はなのすきなうし』などで,ラボ・ライブラリーならではの理由から日本語の変更を行なっています。
 その主な要因としては 
・誤訳! ・訳出していない(英語はあるのに,
その行に該当する日本語が約されていない) 
・訳しすぎ(原作で絵が十分語っていて英語がないのに,
日本語をつけたしている) 
・PC(パソコンではなくpolitical correctness
すなわち差別表現や性的表現=古い訳だとよくあったりする。
例=きちがい などl)などがあります。
どれも悩ましいことですが,とくに英日対応に関わる,
英語があるのに日本語がない,英語はないのに日本語がある
などというのはいちばんこまります。
 また,誤訳や差別表現も,ラボ・ライブラリーはテレビや
ラジオのように一度オンエアしてしまえば終わりではなく,
ラボっ子がくりかえし聴きくという特徴があるので,
やっぱりみのがせないのです。
 ですから,たとえば『十五少年』のようなオリジナル作品
ですと,英語も日本語もゼロからラボでつくめことができるので,
上記のような悩みは発生しません。
ところが,今回のようなよく知られた名作絵本では,
もしこうした日本語訳の問題が発性するととってもたいへん。
ですから作品の選定がたいせつなのですが,
前述のようにラボ・ライブラリーのような構造を意識した
翻訳などありませんから,悩まない絵本作品はほぼありません。
 したがって,ラボとして日本語を変更というかラボ・ライブラリー
にふさわしいものにする作業があるわけです。
その許可を日本語の出版社と翻訳者(故人の場合は遺族)
にとらなければなりません。これが一苦労です。
ある意味「この日本語はダメ」というわけです。もちろん
ラボ・ライブラリー独自の事情を説明しますが(出版社はラボ・
ライブラリーのことがわかっているところが多いので最近はすぐOK),
ぼくが翻訳者だったら「そんなこまでするのなら,録音そのものを
認めない」とおこっちゃいます。
某有名作詞家ではないですが「同一性保持権」(作品の変更を勝手
にさせない権利)がありますからね。
 今回,日本語を変更しなかったのは『まよなか』と『ピエール』です。
どちらも神宮先生の訳。先生は常日頃「原文以上に訳しすぎてもいけないし,
訳さないのもいけない」とおっしゃられているだけあって,すばらしい日本語です。
さすが。もちろん絵本のリズムということを意識した意訳の部分もあります。
その点をいくつか無礼にも質問させていただきしたが,
すべて明快なおこたえがかえってきました。
そのくだりはすべて資料集に書きます!
 そして先生からは「どうぞ,ラボでかえてください。
わたしよりいい訳がでるかも」とおっしゃっていただきましたが,
なんど検討しても先生よりいい訳なんかかんたんにはでません。
英語となんどもつきあわせ,この2編は神宮訳をそのまま使用
させていただいています。
 では,どの物語の日本語をかえたのいうことで以下に記します。
『ロバのシルベスターとまほうの小石』??に日本語はごぞんじ
瀬田貞二先生。これもすばらしい日本語ですが,固有名詞でgnat
(本来は虻の意だが,瀬田訳ではオケラ)やsasafrasなどの動植物
の訳の相違があること,また,行数上やむを得ないことのなのですが,
英語にあって日本語がい箇所が1行ありました。
 これについては日本語版元のご協力で瀬田家のご了解がいただけました。
『ロージーちゃんのひみつ』??日本語は中村妙子先生,
80歳をこえてもお元気で活動されています。石井桃子先生は100歳!
 この作品は会話が多いのですが,とくに音声上課題となったのは,
歌姫アリンダになりきったときのロージーのセリフにつく,
「~とロージーはいいました」の語りです。
センダックはsaid Alindaとアリンダ状態のロージーときっちり弁別しています。
これはおそらく,当時,中村先生と編集者が年少の読者への配慮から
「~ロージーはいいました」とされたのではないかと思います。
しかし英日対応のラボ・ライブラリーではラボっ子たちが
混乱してしまいます。
ほかにも,場面転換の部分などで英語にない日本語の説明がある点も
課題でした(日本語があまってしまうのです)。
これもまことに無礼なのですが,日本語版元にご相談し,
中村先生にお手紙をさしあげて,「ご提案の通りでけっこうです」
という返事をいただきました。それもこれも,子どもたちのこの作品を
音声でとどけたいという熱意が勝負というところです。
それが透明であればクリアできることは多いと信じます。
 そしてレオニ作品,谷川訳はあまりに有名,
『ひとあし ひとあし』の冒頭の説明が初版にはなく後で付け
加えられたことがわかったのはびっくりしました。
権利をもつレオニ氏の孫娘の「これは祖父の文ではありません。
ラボの発見に感謝します」というメールが印象的でした。
そしてきわめつきは『フレデリック』。
日本語版にも谷川氏が書かれていますが,「絵をたいせつにするため,
訳を一部省略」されています。
ところが,英日対応のラボ・ライブラリーはこれではたいへん。
しかし,なんといっても日本を代表する詩人谷川俊太郎氏の日本語です。
打ち合わせときに西村先生と谷川賢作氏に「じつは……」とご相談。
すると賢作さんは「ラボ・ライブラリーのつくり方は『寿限無』で
わかっています。ぼくからまず父に話すのがいいでしょう」ときっぱり。
10日後,みごとな新訳がとどきました。ありがたや! 
 なお,賢作さんいわく「全国で大小のコンサートをしてるけど,どこにいっても
コンサートおわりに『寿限無』の絵本を抱えた親子や女性がやってきてサインを
くださいとたのまれます。ラボのネットワークおそるべし」。
生まれたてのラボ・ライブラリーSK31。どうかあたたかく育てててください。感想もおまちしています。


  
新刊なのだ??谷川賢作コンサート 10月19日 (金)
谷川賢作

昨日,四谷区民ホールで谷川賢作氏のトークとコンサートがあった。すでに何名かの方がプログに書き込まれているぜ。参加者は210名ほどだったが「とってもよかった」という感想がバンバンくるのでうれしい。とにかくあっという間の90分だった。
 ピアノだけのライブって意外にいったことのある人は少ないのではないだろうか。これを機会にピアノに興味をもつ人がふえるといいな。ぼくのすきなピアニストは,ホロビッツ,クライバーン,リヒテル,なんかほとんど故人だなあ。それと多少ミーハーっぽいけどジョ
ージ・ウィンストン。ホロビッツは晩年のかなりよれよれになっているとき,日本で神がかり的演奏をしたのに感動した。それからリヒテルは……,なんといってもカラヤンがウィーンフィル(ベルリンではなく)を振り,リヒテルと演奏したチャイコフスキーのビアノコンツェルト1番がまさに神曲。ただこの曲は中学高校の6年間(いわゆる一貫校にいた),昼休みにかならず放送部の生徒がかけるテーマレコードだったので,集会所(食堂のこと)の廉価なカレーの匂いと分ちがたくむすびついている。
 いまでもチャイコフスキーの1番をきくと,カレーのにおいがどこからかしてくる。まさにオペラント条件づけ,すなわちパブロフの犬状態。
 ともあれ、この日で賢作さんのファンになってしまったテューターやお母様方はかなりいらっしゃるのではないだろうか。作曲家と演奏家という2つの顔をもちつづけていることは
とてもたいへんなことだけど,ぜひがんばってほしいものだ。ベートーベンやモーツァルトの時代は作曲家と演奏家はイコールだった(間宮先生のうけうり)。それが職業音楽家の分業化がすすむなかで,演奏のかたちはずいぶんとかわったといわれる。二兎を追うものは四兎も五兎も得てもいいのじゃないかしら。
 この日,四谷区民ホールにいた人びとは,けっこう幸せだったと思う。区民ホールとばかにしてはいけない,サントリーホールにもまけない音が響いていた(あのホールはすばらしいけど場所によっては,ウン? というときがある)。しかもピアノはベーゼンドルファーだぜ。うーんゴージャス。でもでも,なにより弾き手のあたたかさと情熱が伝わるすばらしい演奏だった。音楽も人がやるものじゃけん。
 それと,「作曲をはじめたきっかけは」という質問にこたえて「まず模倣から」とこたえた瞳が心にのこった人も多いはず。これは世阿弥もいっていること。本来,芸術も教育も模倣から始まり,そのうえに自らの個性ができていくもの。日本の公教育は残念ながら戦後ず
っと放棄してきた。多くの専門家がラボを愛してくれのは,そのことを民間レベルで40年も営々とかんばっているから゛てもあるのだ。
 コンサートのあと,「志な乃」というそばやで谷川さんと西村先生とそんな話をした。 
 
新刊REPORT2 神宮輝夫氏講演会/仙台 10月10日 (水)
 神無月。透明でさみしくて,美しくてせつなくて,
なつかしくて遠くて,深くてやさしいときだ。詩の季節。
 吉田一穂(よしだ・いっすい1898~1973)という詩人がいる。北海道出身で早稲田大大学に学び露風や白秋,赤彦から多くを吸収した。北海道をこよなく愛し「極北の詩人」ともよばれている。そんな百科全書的知識はどうでもよいのだが,ぼくはこの人の甘さやウェットさをすてた知性からにじみでる「泣きたくなるほとの叙情性=リリシズム」がすきだ。西脇順三郎をして「吉田一穂が詩生活(いいことばだ!)をしていなければ,自然科学ま分野でおそらくノーベル賞級の仕事をしただろう」といわしめた一穂は,花よりも三角形を美しいと感じる感性や情緒に埋没しない知性の持ち主だった。しかし,そうした評論をうのみにするとみごとにうっちゃりをくらう。たぶん一穂の作品では『白鳥』が最高傑作だが,長いので『海の聖母』のなかの「母」を紹介する。それはリリシズムのかたまりだ。
この詩は『声にして読みたい日本語』でも紹介されていたかしらん。
 母  吉田一穂
ああ麗はしい 距離(ディスタンス)
つねに遠のいてゆく風景

悲しみの彼方,母への
まさぐり打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)
 
彼が28歳のときの作品だ。うーん,ぼくは28歳で結婚した。詩も書きつづけていたが,
こんな切れ味があって美しいことばをどうやって見つけたらいいのかと自分の頭をなぐていた。「詩人は職業ではない,生き方だ」とは谷川俊太郎のことば。
 いま,また詩の時代だぜ。
神宮先生

ところで昨日は仙台で神宮輝夫先生の講演会があった仙台市内,周辺の図書館関係者や保育・教育関係者が50名以上参加された。テューターのみなさんとあわせて120名!
 センダックを中心にアメリカの絵本の魅力を時代の変化のなかでマクロ的に展開された。
訳の苦労話はほとんどされなかったが,次回の10/15の中部では具体的作品論をされるとのことだ。東京は11/6,みなさんよろしく。
新刊REPORT 1 谷川賢作氏のことなど 1 10月06日 ()
 秋である。夜が深くなって,やさしくなった。夕方,原稿書くのに疲れて16階から下におりたら青梅街道を渡る風は「千」ではなかったがけっこう肌寒かった。
 さても、10月18日は四谷区民ホールでラボ主催の谷川賢作さんのトークとピアノの集いがある。すでにご存じとは思うが,まだ席はあるのでぜひおこしください。当日は,今回のレオニの曲も弾くし,父上が絵本を翻訳しているときの思い出も話してくださるそうだ。
 レオ・レオニは,その洗練された色彩と大胆なフォルムと画面構成で子どもたちから圧倒的に指示されているが,彼のテキストもまた洗練されている。彼の作品は小さな主人公とそのまわりの大きな世界が対比として描かれ,その小さな命のがかやきと尊厳をしずかに歌いあげている。さけばないところが「粋」だねえ。
谷川賢作
※写真は9/12 『フレデリック』の音楽収録の後で。谷川賢作氏と演奏家とこの日,研修として見学にきた事務局スタッフと。前列で舌をだしている方がスティールパンの演奏家。
二列目右に谷川氏,後列の帽子の二人はマウスハープ(ハーモニカ)とウッドペースの奏者
赤坂のBACKPAGE STUDIOにて。

 今回,ラボ・ライブラリーがその題材をもとめたのは『ひとあし ひとあし』と『フレデリック』だが,『フレデリック』は谷川俊太郎さんがラボの英日対応のために日本語を書き直してくださった。なぜかといえば,氏自身も『フレデリック』の絵本に記されているが「絵を損ねないように,また,文字の配列を原作にちかくするために、訳にあたっては,一部で省略をおこなった」というこどてある。対訳で読む人はほとんどいないから,翻訳絵本としては十分なのだが,どっこいラボ・ライブラリーは英日という文ごとの対応構造という
紙(神の誤植ではない!)をも恐れぬ所行におよぶので,これはこまったということになる。英語に対応する日本語がないというのは,とってもこまるのだ。しかしレオニの絵本は俊太郎氏のみごとな日本語訳で定着している。それを変更してくれというのは,とってもとっても失礼なこと……。でも,正直にいおうと賢作さんに相談すると,「ラボ・ライブラリーの構造はぼくもわかります。おっしゃるとおりだから,まず,ぼくから父に相談してみますよ。音楽の長さにもかかわますからね。理由がちゃんとしているので,父はあまり細かいことはいわないと思います」。賢作さんのそのひとこにほっとしたが,はたしてどうにるかしらんとドギドキしてまっていると,1週間ほどたった夕方,大判の封筒が賢作さんからとどいた。あけてみると,『フレデリック』の新しい訳だった。日本語版の好学社でている絵本では省略した部分がすべて追加で訳されていた。すごい! 
 かくして9月のはじめ,谷川賢作さんの『ひとあし ひとあし』『フレデリック』の録音が行なわれた。『ひとあし ひとあし』は谷川さんのビアノソロ。後半のナイチンゲールが登場するとフルートがアンサンブルしてくる。とっても透明感がのある音だ。透明感といえば『ざしきぼっこ』のピアノの連弾もじつに透きとおっているが,あいうピンとはりつめた漢字ではなく,あたたかさが感じられる音だ。ピアノってやっぱり良い楽器だなあ。
 この日のピアノはヤマハ製のクラシックタイプのグランドピアノ。えっ,ヤマハ? などといってはいかんよ。 ピアノの御三家といえば,スタンウェイ,ベーゼンドルファー,ベヒシュタインだがヤマハの楽器は世界でも評価が高い。Steimway &のようなゴージャスな音より,このピアノの透明度のあるおやや硬質な音質がよかった。雰囲気的にはジョージ・ウィンストンをもっとジャズっぽくしたかんじか。なお10/18のコンサートはベーゼンドルファーで弾かれる。一方『フレデリック』はシクステット,もちろん谷川氏のピアノは登場するが,聴きどころはスティールパンという中華鍋(失礼!)のような打楽器。メイキングのDVDにも登場するので見てくださいな。




 
新刊なのだ その1 センダック、レオニ、スタイグ 1 10月02日 (火)
 新刊ラボ・ライブラリーSK31の制作はいよいよ仕上げにはいった。今回もまた,多くのすばらしい出会いがあり,いろいろな物語が生まれた。物語をつくるたびに生みだされる物語。ふしぎなイメージだが,きっと麗しい。もう夏の話だが,334名の子どもたちが『フレデリック』の吹込みに応募してくれたのは,ほんとうにうれしいし,身がひきしまる。
 あの猛暑のなか,テープに吹き込んで送るというのもかにりメンドイことなのに,さらにみんなびっしり応募の動機を書いていた。ほんとにラボ・ライブラリーは幸せものじゃ。
 その動機は大きくわけて以下の3つ。
・ラボ・ライブラリーが大好きで,その制作に参加したいから。
・レオ・レオニさん(敬称つき!)の作品が大好きなので,参加したいです。
・将来は俳優や声優など表現する仕事をしたいので,いい機会だと思いました。
 スゲエ,これみんな小学生だぜ。自分が同年代のころをふりかえれば,とんでもない。毎日ぼーっと生きていた……と思う。

 すでにご承知のように,今回のラボ・ライブラリーは20世紀後半を代表するアメリカの絵本作家3名の絵本作品に題材をもとめている。アメリカの絵本といえば,ラボでもマーシャ・ブラウン,バージニア・リー・バートン,マリー・ホール・エツツなどの作品がある。アメリカの文化芸術を日本人は,よくも悪くも大衆的なイメージでとらえ(ポピュラリティという意味での大衆性は芸術性とは直接関係ないと思うが)がちで,まあ確かにハリウッド映画やディズラニーランドなどをその象徴と見ると,どうも精神性が低いのではないかと思ってしまうことがままある。どうもアメリカは精神より物質の国だというステレオタイプな見方が明治以降の日本人の心性の底流にあるやも知れぬ。
 しかし,文学者にしろ絵画にしろ現代アートにせよ,そうそうたる顔ぶれが,綺羅星のごとく(キラ,星のごとく と読むのが正しい キラボシではないのよ)ことは,いちいち名をあげて証明する必要もない。そして絵本作家もまたじつにゴージャスなメンバーが多い。
アメリカは絵本王国であり,何回かにわかれるが絵本の黄金時代があった。今回とりあける作家は,センダックはいうまでもなく,そうした絵本作家のなかでももとりわけすんばらしい人びとであることはまちがいない。
 その絵本作品に題材をもとめたラボ・ライブラリーづくりに参加してくださったのは,これまた豪華な顔ぶれとなった。おなじみの方,初登場の方。この人びとのひとことや,エピソードを少しずつ紹介していくよ。
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