幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0425564
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 61件~70件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
とどかない丘が見える。でも駈けてゆくには遠すぎて、歩いていくには若くない。なんていわせんもんね。 2 06月01日 ()
例によってわけのわからないタイトルで恐縮である。
5月20日、主治医自らの操作で
胃の内視鏡、大腸ファイバーカメラの検査をした。
これで術後5年目の検査は全て終了である。
M医師は「おめでとう。5年間よくがんばりましたね。
あとは1年にいちど見せに来てください」と笑顔でいった。
この人のおだやかでほっとした笑顔ははじめて見た。
これまで3か月ごとに検査をしすべてクリアしてきたが
彼きいちども安心した笑顔はみせなかった。
5年目の笑顔はプロの満足があらわれていた。

武蔵学園記念室室長に就任してから2か月だった。
おもえば「公教育ではすきなことができない」と
ラボにはいったのに
今、こうして私立とはいえ学校機関にいることのふしぎを思う。
学校法人という組織は協業作業の場でもあるから
いろいろ勝手がちがう。
へんな形式民主主義や逆の不条理が存在したりもする。
とはいえ毎日が学びの場であり、それはそれでおもしろい。
qfre
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
といったが、じつは昨夜、30日の夜にはびりびりとやってしまっていた。
もう、フライングめくりがあたりまえになってきた。
以前は当月のカレンダーの絵を剥がすのがはやくなるので、
その絵の作者に後ろめたさがあった。
しかし、考えてみれば結局飾られている日数はあまりかわらないので気にしなくなった。

絵はロジャー・デュボアザンの絵本『がちょうのペチューニア』に
題材をもとめたものだ。
描いたのは、今桜子さん(小1/横浜市・武P)。
夕べ暗いなかでめくったときは、「オッ、ペチューニアか」と
かるく思った程度だったが、
今朝、午前中の自然光のなかで改めて観た瞬間、
「オッオッオッー!」となった。 
なんという力のある絵だろう。
そしてひきこまれてしまいそうな絵なのだろう。
こういうのはなかなか説明できない。
いい役者がもつ華とか、
名人と呼ばれる噺家がもつ「フラ」のようなものかもしれない。
「フラ」は芸人は重要な資質で、
ぼくも好きだった故・桂枝雀などは、
出囃子にのって高座にあがってく途中で
もう客は全員わらっていた。
存在そのものの強さとかやわらかさとか美しさなのだが、
それは天賦のものだといってしまうと若い人はやる気なくすので、
それまでの人生の道筋、努力とか汗とか涙とか愛だとか恋だとか、
そういったものの積み重ねが華やフラを醸成するんだと思うのだ。
fnmgjhm
ごたくはともあれ、ぼくは今朝20分くらい、
コーヒーがさめるのもかまわずぼーっとこの絵を観ていた。
そしてうーむとうなり、つめたくなつたコーヒーを
ぐびりと飲み干してからまた20分ながめていた。
「いつまでもみていられるわあ」という感じだ。

そんなに長く観ていたいちばんの理由は、
おそらく「そのときの気分にあったから」だと思う。
それってとてもだいじなことだ。
絵でも音楽でも、
そのときの自分の心の正直なレスポンスはそのままうけとめたほうがいい。

なにか今回はまわりくどくわかりにくいことを書いているかもしれない。
もともとこのコラムのようなものは、
「絵の解説」ではけしてなく、ぼくはこういうところが好きという、
ぼく個人の感想、いわば好き嫌いを羅列しているのだからそれでいいのだ。

とにかくだいたんだ。桜子さんは、まさに八重の桜、
新島八重もびっくりの気合いがはいったハンサム・ウーマンではないだろうか。
なまじな男子はなめてっとひどい目にあうぞ。
これだけいさぎよい線と色と画面構成は小1女子のものとは思えない。
桜子さんの身体の大きさはまったくわからないが、
タッチや画面の切り方から類推すると、
身長は小1女子の平均かそれよりやや小さいのではないかと思う。
だとするとカレンダーの規定の画用紙は彼女の肩幅より広いだろうから、
これだけコントロールするのはけっこうな力技のはずだ。
なんというか芦田愛菜ちゃんが
750ccのバイクにまたがって乗りこなしているようなものだ。
それはけしてオーバーな表現ではないと思う。

ペチューニアたちのフォルムもおもしろい。
一見ゆがんでいるようだけれど、ちゃんと特徴をとらえているし、
キャラクターまでうかびあがってくる。
「かわいい見栄っばり」「ずれてもころんでもめげない」ペチューニアへの
愛情があふれている。
それを感じとらないと桜子ちゃんにばかにされてしまうな。

色もまたたのしい。何回か書いたけど、
茶色が多いと画面が暗くなってうまくいかないことがけっこうあるのだが、
その茶色、というよりイエローオーカーに近いうすめの茶色を、
しかもべったり同じでなくてグラデっぽく塗り分けているのがおそるべき技である。
イエローオーカーはどんな色とも相性がいい。
そしてこの場合は空のきもちよく抜けたシアン系と
きれいな補色のような関係になっているのも魅力だ。

さらになにより、平坦なようでいてこの絵にはかなりの奥行きがある。
だからひきこまれてしまうのだ! 
絵でも写真でも「奥行き」はかなり重要なPointだ。いやあまいったなあ。
てなわけで、この絵は、じつにパワフルでテクニカルでハートフルなのだよ。
bgbgr
原作者のデュボアザンはジュネーブで生まれた。
パリでアメリカの織物会社の依頼をうけ、
テキスタイルデザイナーとしてニューヨークで仕事をすることになった。
パリで出会ったルイズ・ファティオと結婚してアメリカへ渡ったが、
その会社は大恐慌のあおりをうけて倒産、
彼はイラストレーターの仕事に移り、
息子のために絵本を作ったことをきっかけに、
子どもの本の仕事を始めた。

「White Snow Bright Snow」でコルデコット賞受賞。他、受賞多数。
夫人のルイーズ・ファティオも
夫の仕事を手伝ったり二人の息子にお話を聞かせたりしているうちに
童話を書きはじめた。
二人の共作「The Happy Lion」(ごきげんならいおん)はとってもファンが多い。

ペチューニアはまわりをほまきこんで自分もへこむけど、
前だけみるからちゃんとすすんでいく。
洗練された線と色がすばらしいだけでなく、
息子のために絵本を書きだしたというエピソードからもわかるように、
子どもの「心の生理」によりそっているのが
デュボアザンのほんとうの魅力かもしれない。

八重の桜といえばあのドラマにでてきた山川健次郎という
白虎隊の生きのこりの会津藩士は、
後に東京帝国大学や九州大学の総長をつとめ、
旧制武蔵高校の二代校長わされた伝説的な人物だ。
記念室にもちゃんと展示があるぞ。
rege
5月には音響エンジニアで牟岐礼先生の嵜品のときは録音を担当する
富正和さん来校! 学食でランチをともにした。
大学のバンドサークルからイベントのPAの相談を受けたそうだ。
きっと予算は激少だろうけど、
がんばる若者に弱い富さんはなんとかしてあげるのかな。

富さんとの出会いはもう12年間以上前。
『ノアの箱舟』の制作で音楽を担当された牟岐礼先生から、
指名してお願いしたい録音エンジニアがいますと紹介されたのがきっかけ。
それから『ひとつしかない地球』も牟岐先生と富さんのコンビ。
そのとき、だれか英語のポップス系のコーラス指導で
いい人いないかなというときに、
富さんが紹介してくれたのが木島タローちゃんだ。
彼とは芸大のリハ室ではじめて会ったが、
5分くらい指導の様子を見たら、
ラボっ子にもぜひお願いしたいと思った。
とりあえずラボの話をばあっとして、また連絡しますととびだした。
ひどいけど、その足で目黒にむかわねばならなかった。
宮沢和史さんの歌がこの日できたと連絡があったからだ。
2004年の浅い春の話である。

さいごに術後5年目ラボをはなれて5年目の思いをすこし。
あるバーティの周年のメッセージに書いたことの一部である。

Labo PartyのLaboは、Laboratory、
「実験室」がもとになっています。
みなさんも理科の実験室を想像してください。
ふつうの授業のように黒板をむいて先生の話を聴くのではなく
大きな机をかこんで話し合いや実験をしますね。
そう、ラボは「ことばの実験室」です。
どんどん新しいことをためしてほしいですし、
失敗を気にすることはありません。
ほんものの科学実験なら失敗するとばくはつがおきたりしてたいへんですが、
物語がばくはつしてもこわくないですよね。
もし失敗しても学んだことがつぎのやくにたちますから、
テーマ活動の実験に失敗なんてもともとないのです。
どんどん実験してまだ知らない物語やことばを見つけてください。

ぼくはいま私立の学校で仕事をしていますが、
ラボから離れるほどにラボ活動のたいせつさを実感しています。
21世紀にはいってから13年もたつのに、
世界ではおおくのいさかいや不公平がやむことがありません。
この日本でも解決しなければいけないことがたくさんあります。
そして、みなさんが日本や世界のためにはたらく日は、
じつはそんなに遠いことではありません。
どんなことにも興味をもち、どんな人とも心をかよわせることができ、
物語や歌が大好き。
そんなすてきなラボっ子たちがつくる世界が
きっとくることをぼくは本気で想像しています。

みなさんがそうした力を身につけるためには未来を信じる力、
希望がなければなりません。
すべてのラボ・ライブラリーに共通するテーマがあるとしたら、
それは「希望」にほかなりません。
ぼくや専門家の先生たちは、この希望をみなさんにとどけたい! 
と強く願いながらラボ・ライブラリーをつくってきました。


学校にいると、学校のたいせつもわかるけど、
ラボのたいせつさがますますわかる。
テューターのみなさん。とにかく前へ!
皐月の風のなかで髪に手を入れてわらった人よ! 2 04月30日 (水)
sn
タイトルの写真は武蔵大学と武蔵高等学校中学校の間を流れる
濯川(すすぎがわ)。かつては千川上水が流れ込んでいて
ぼくが中学生のころはザリガニを釣っていた。
今は循環式になり、水清く不魚住。

三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
※くだらない前置きが例によって長いので、
カレンダーの感想だけ読みたい人は三段落くらいスクロールしてください。

卯月から皐月へ。
月日は百代の過客と
芭蕉は『奥の細道』の序に書いたが
人生の終わりを見据えて旅にでた俳人の思いが
ようやく少しだけわ かるようになってきた。

こ の有名な書き出しには出展があり、
もとは唐の大詩人李白の「春夜宴桃李園序」という漢詩だ。
李白は春の宵に兄弟と飲み会をして
この詩を吟じたが、
その内容はさすが自分のことを酒仙とよぶだけある。

大意は「この世は宿屋で歳月は来ては出てゆく旅人じゃん。
人生ははかない夢でたのしい時間はあっちゅうま。
だからむかしの人はローソクをつけてオールで遊んだ。
こんなビューティホーな夜に
詩のパワーがある兄弟がつるんで飲み会。
なんていう空気のなかでいい詩がかけなくてどうするの。
兄キのおれは才能いまいちだけど、
ことばはとまらないぜ。
さあ、ハンパない詩ができなけりゃ、罰ゲームはイッキ飲みだ」。

ひどい訳でおこられそうだが意味はこんなものだ。
酒飲みにつごうのいい理窟をならべているだけのようだが、
見事な作品にしてしまうところが 天才である。

芭蕉はもちろん漢詩も勉強していて、
同じ詩人として李白を尊敬していたから、
そのオマージュとして『奥の細道』の冒頭につかったのだろう。
どうでもいいことかもしれないが、
百代は芭蕉の作品では「はくたい」と読むと古文の先生はおっしゃり、
李白の漢詩の日本語読みは「ひゃくだい」と読むと
漢文の先生はいわれる。
「読みぐせ」というそうだが、
そんなことを忙しい先生や教授をつかまえて
きいているこまった記念室 長である。
ffvf
絵は『ヘンゼルとグレーテル』に題材をもとめたもの。
だれもが子どものときにあこがれた「お菓子の家」の場面だ。
描いたのは玉井成樹くん(小3/明石市・追原P)。
根気よく、ていねいに細かく色をつかいわけてじつにおいしそうである。
お菓子の家を建設したことはないのでなんともいえぬが、
実物をつくるのは人海戦術が通用するので
絵よりも楽ではないかとさえ思う。

さても、この絵にかぎらず、また子どもにかぎらず、
絵をどこから描きはじめるか、
さいしょの一筆をどこにおろすかは、けっこう大きなテーマ だ。
とくに「自分は絵が不得意だ」と思い込んでいる人間にとっては
悩ましいことある。
初筆の位置がきまらない、いや決断ができなくて
いつまでたっても描きはじめられないというのは、
学校でもありがちな光景である。
玉井くんがこの作品をどこから描きはじめたのか知りたいものだ。
みなさんならどこに初筆をおくだろうか。

この作品をよく見ると、玉井くんはおそらくは鉛筆で輪郭をとっている。
でもそれはごく薄い線で、
主なフォルムはその輪郭をあまり気にせず、
「はみだし」も恐れずに
力強いタッチの彩色でできているので気にならない。

というのも、最近はわからないが、
一時期小学校の描画活動でフェルトペンで
はっきりくっきり輪郭をとって
そのなかを不透明水彩あるいはマー カーで塗らせるという
「ちょっとドン引き」する指導が行なわれていたことがあるからだ。
少なくとも20年前くらいからしばらくはあった(長男の小学校の話)。
few
アニメや漫画の影響もあるのだろうが、
輪郭がはっきりしている絵が「かっこいい。うまい」という
価値の呪縛である。
これだと「塗り絵」に なってしまい、
世界が分断されてしまいおもしろくない。

誤解のないようにいうが、
漫画やアニメを低評価しているのではない。
どちらも重要な表現作品であり、
多くの漫画家やアニメーターはすぐれた表現力、
カラーセンス、空間把握力、デッサン力、
そして物語力をもっている。
なかでも線をひく力とデッサン力は漫画家の真骨頂ともいえる。
故藤子・F・不二雄氏が尊敬してやまなかった
神様手塚治虫氏についてこんなことを書いている。

「先生のデッサン力と線の確かさには、ぼくなど足元にもおよばない。
とにかく正確でしかもはやい。
あるとき、いつものように締め切りがせまるなか、
太鼓のやぐらを中心に盆踊りをしている村人たちを
斜め上から描く大きなコマがのこった。
主人公が木のうえからそれをのぞいているという場面だ。
ぼくが描いたら、資料をながめながらアタリをとってから
こわごわ描いて1時間以上かかるだろう。
ところが手塚先生は資料も見ず、
アタリもとらずいきなり鉛筆で主線(おもせん)を描きだされたのだ」

話をもどす。玉井くんは、これは想像の域をでないのだが
「お菓子の家の屋根の左はし」あたりから
描きはじめのではないだろうか。
かすかな根拠としては、絵のふんいき(そんなものは根拠にならん!)
というか、バランスからいって
ヘンゼルたちを描くスペースを考えて
画面に入るお菓子の家の大きさを決定しようとすると、
玉井くんの目線はまず画用紙の左上にいくだろうということ。
それともうひとつはかすかな下書きのタッチからだ。
だが、これは原画をみないとわかにないかな。
さらにこれは、玉井くんが右ききであるという想定での話だが…。

とそんな邪推はともかく、
玉井くんのパランス感覚と空間把握力は
たいしたものであることはまちずいない。
だが、それよりも感服するのは冒頭でもふれたように、
粘り強くていねいに、でも力強さをなくさないで
多彩な色をつかいわけていることだ。
細かく塗るのはできても、
同時に力強さをたもつのはかんたんなことではない。
きもちのエネルギーが高い位置にないとできない。
心のポテンシャルというやつだ。
物体は落とす場所が高いほど強いエネルギーで落下していく。
玉井くんは、かなり高いきもちから一気にぬったのではないだろうか。
きいてみたい。
心配なのは描きあげた後、
くたくたになって熱をだしたのではないかということ。

さらに色数が多いのだが全体にマゼンダっぽい、
つまり赤みというかピンク系のにかたむいている。
これは印刷のせいもあるだろうがいい味をだしている。
お菓子の甘さ、誘惑の甘さがつたわってくる。
もしかするとその誘惑の色に選考委員はやられたのではないかとさえ思う。
空も大地も甘さそうで、いまにも香ってきそうである。

ご存じのようにこのライブラリーはグリム兄弟による
「こども家庭のための童話」、いわゆる「グリム童話」のなかの
作品に題材をもとめたものだ。
この物語の背景には、「子すて」「まびき」という
暗い記憶があるという研究は多い。
この物語にかぎらずグリム童話には
親族が親族をあやめる話は少なくない。
cwe
グリム童話は、ガチンコの学者である長兄ヤーコブと
詩人肌の次兄ヴィルヘルムのときには激しい討論によって陶冶され、
熟成されたのはよく知られたことだ。
兄は祖国ドイツに伝わる資料だから極力「伝承のまま」で記述すべきだとするのに対し、弟は「こどもと家庭のための物語であるから、
極端に古いいいまわしや残酷すぎる描写はある程度あらためるべきだ」
と主張した。
かくしてそうした切磋琢磨のおかげで、
グリム童話が歴史的価値とともに文学としてもかぐわしい作品になった。

ちなみに『白雪姫』は第1版ではお妃は白雪姫の実母だが
グリムはたしか第7版でお妃を継母にしている。
実母だと残酷すぎるということなのか。
でも、いまなら、継母ならあんなことをしていいのかといわれそうだし、
継母は残酷なものというのはいかにもステレオタイプである。
このへんは時代の感覚かな。
ラボの白雪姫はいうまでもなく実母。
でもよく聴くと「お妃はふしぎな力のもちぬし」とあり、
美しい子どもがほしいと願うきもちから
超自然的な力で白雪姫がうまれたようになっていて、
妊娠と出産というなまなましさをなくして
透明なものにしている。
だからこそ、こわいくらいに美しい話になっているし、
別の意味で残酷でもある。
ラストシーンなんて、おおこわ!
ymlce
さて、ここからは生活実感である。
あんまりラボに関係ない話はでてこないかもしれぬので
興味ない人はスルーね。
26日と27日の土日は学園の記念祭(いわゆる文化祭)で休日出勤 したから
29日の祝日はダラダラしたかったが
それだとダメ親父の道まっしぐらなので
アートラリーの日と決めて朝からでかけた。
まずは青山の根津美術館へ。
尾形光琳と円山応挙の屏風を見にいく。
国宝と重文である。
10時のオープンちょうどに着いたのですいている。
根津美術館は武蔵の創設者である根津嘉一郎が創設しているから
同じ根津育英会としてはあいさつが遅すぎたくらい。
静まり返った朝に出会った光琳と応挙にただ圧倒される。
とくに光琳の構図、バランス、フォルム、色彩は
完全にぶっ飛んでいる。
この時代にひとり飛び抜けたアーティスト、クリエイターだ。
mce
根津美術館を後に、美術館通りを散歩しながら六本木へむかう。
昨年、乃木坂の新日本美術館から多くの美術館を巡って六本木までいける
道が通ったのでとても楽しい。
次の目的地はテレビ朝日一階のイヴェントスペースである。
mne
ここでは永山裕子さんの水彩画展が開催されている。
11時オープンだがかなりの人出。
永山さんの飾らない人柄の魅力もあって
彼女の展覧会はいつも満員。揮毫に行列ができてた。
永山さんの水彩は水彩らしい透明感とともに
油彩のような力強さとあやしいたたずまいがある。
多くは「いわゆる具象」の作品なのだが
ぼくはそれはどうでもいいことだと思っている。
永山さんの「いわゆる抽象」の半立体の作品は
『ひとつしかない地球』『はだかのダルシン』で
そのすばらしさを感じとることができるが
彼女にとっては「描きたいもの」を
「描きたい画法」で描いているだけなのだ。
永山さんの水彩は「具象の水彩はわかりやすい大衆芸術」!なんてたわごとをぶっとばす力がある。

永山さんにはじめて『ひとつしかない地球』の絵を
担当していただいてから11年になる。
そこから永山さんは「あまりかわっていない」。
描きたいものを描く! というご自分から逃げていないからだ。
2ショットをお願いしたらこころよく応じてくださった。
もうしわけないのでドイツ菓子をさしあげて退散した。
たまには六本木もわるくない。
nef
テレ朝から目黒通り、さらに自由が丘をぬけて田園調布へ。
駅のすぐそばのドッグカフェに
茶畑和也さんの作品と茶畑さんに会いにいく。
これがアートラリーのしあげだ。

休日とあって店内は犬といっしょに食事をする人でいっばい。
ここは大型犬もこれるそうだ。
オープンのテラスで茶畑氏を発見。
なんと、今朝の午前2時過ぎに「ハート」をアップしてから
車でこられたそうだ。
明日は千秋楽なので作品を車につんで名古屋に帰られるとのこと。

茶畑さんのご親戚もたくさん見えになっていたが
あつかましくも仲間にまぜる。
おいしいサラダやサンドイッチをいただきながらとりとめのない話を。
学園の毎日もわるくはないが、それなりに疲労もする。
こんな休日があってもばちはあたるまい。
そうこうするうちに、
午前は『シバ』という映画を見にいかれていた茶畑夫人も到着。
映画の監督と絵本作家の
伊勢英子さん(『大草原の小さな家』の絵を担当)の
トークがよかったとのこと。
伊勢さんがお元気だったとききうれしい。
夫人とともにいらした女性と名刺交換をすると
「こんにゃく座」の方。
そこでまた林光先生の想い出話になる。
人はつながっている。
しかも物語でつながっていくのはありがたいことだ。
雨が近い14時過ぎカフェを辞した。
ひさしぶのに渋谷で食材を買ってかえろう。
lcc
ns[t
このアートラリーから遡ること2週間。
吉祥寺のモンテ・マーレというイタリアンの店で
懐かしい顔ぶれと会食した。
向かって左から井手和佳子、旧姓天野さん=元東京支部天野Pで現在は
私立小学校教員。
エッちゃんこと八代悦子さん。元東京支部OGで現在はボストン在住で
ナンタケットバスケットの製造、販売、製作指導に従事。
佐藤邦彦氏。元事務局員。現在は庭師兼画家。
中條拓伯くん。元関西支部槌賀Pで現在は東京農工大学准教授、工学博士。
そもそもは、3年まえ、
庭師と博士がとぼくが元関西支部つながりということで
三人が集まりやすい吉祥寺でささやかな食事会を行なったのがきっかけ。
その後メンバーが出たり入ったりしたが、ボストン在住の
エッちゃんの来日にあわせて開かれるようになった。
みんな50を過ぎたていろいろなことがあったが
まだまだ旅の途中。
ラボの話になると時をこえてしまうのよね。
mcd
桜隧道2014  思いをひきずりながら、老いに追われる少年はそれでも前にいくのだ 1 04月12日 ()
ex
sws
桜隧道から

かつて髪に手をいれながら
ふりむいたえがおはすでに
淡い花がすみのむこうの無限遠に
ゆらぎつつわずかに結像し

すがりつこうにも
さけびをとどけようにも
とどかんよ とどかんのですよ

なんであの日に
どうしてのあの時
いえなかったんでしょう

ああ
いさぎよく舞いかかる花びらが
そうやって今年も今日も
せめるようにいやすように
わすれるように
あきらめぬように
心みだしてくれるのです
だからせめて

桜隧道よ
空まで香れ 散り終わるまでは
fr3f
cwww
4月5日、散りはじめた桜をみに母校ICUへ。
正門から教会までのびるマクリーン通り、
通称「滑走路」(実際、戦中は「風立ちぬ」の中島飛行機の滑走路)の山桜は
じつにいさぎよく散ろうとしていた。
毎春、ここに来ると、どうしようもないせつなさにとらわれ
うちのめされてたちつくし
それでも最後には前へむかう力をもらう。

今回は奇特なことに北関東信越の現役、忰田、生方両Tが参加した。
もっとも忰田氏はなぜかここが好きで2年ぶりの再訪。
ewew
cewc
xwcw

4月1日から新しい仕事がはじまった。
基本的には月曜から金曜日は毎日スーツを着て
ご出勤あそばしている。
brbr
swqs
昨日、人事から名刺がとどいたが名称を見てあとずさった。
ほとんど寿限無である。
正式には
学校法人根津育英会 武蔵学園 武蔵大学 武蔵高等学校中学校
学園記念室 室長
うーむ。はずかし。
dffg
学園の場所は西武池袋線江古田駅か大江戸線新江古田駅がもよりなので
三澤制作所からは徒歩トータル10分、地下鉄6分である。
朝夕逆方向なのでらくちんだ。
事務室は正門からはいって右手奥の大講堂の一階にある。
この講堂は1928年に建てられてもので
設計者は往時の日本のトップ建築家、佐藤功一氏。
氏は1927年に日比谷公会堂、翌年にこの武蔵大講堂、
そして1929年に早稲田大隈講堂を設計された。
この講堂は当時の外観内装をそのままに2011年に耐震補強と
壁面や内装の補修をおこなった。
rcfr4c
事務室はけっこうひろく、人間は曜日によって異なるが
2名から4名なのでもうしわけないくらいゆうゆうだ。
ぼくは原則毎日でるが、あとはパートの事務する女性が週3、
契約の調査研究員が日替わりでくる。
ほかにも大学や高中の教員もかなりひんぱんに顔を見せる。

またやはり高中の卒業生で、物理の研究をしている男性が週2、
おなじく卒業生で東大大学院で日本古代史の博士課程と修士にいる
ふたりの若者が週1で資料の整理やリポート作成にくる。
室長はこうした人びとのめんどうもいちおうみることになっているが
みんなぼくの百倍くらい優秀な人びとなので
傲岸のかたまりのようなぼくも
まじめに頭をたれて彼らの話をきいている。

でも、なんで東大の古代史の院生がふたりも? ときいたら
じつは彼らの指導教官が佐藤信くんという古代史の学者であることが
彼らの口からわかった。
で、その佐藤くんはぼくと同期の45期である。
佐藤くんは長らく樫原の考古学研究所にいたのだが
近年、東大の院にもどられたということだ。
その佐藤くんとよく連絡をとっているやはり同期の人物が
学園の理事でもあるので
ぼくめ含めて人集めを画策したようだ。

この学園記念室は単なる歴史資料展示館てろはない。
そのもっともたいせつな役割は
旧制七年生高校にはじまる日本の私学の歴史をひもとき、
そこから未来にむけた
あらたな個性をもった教育のメッセージをつむぎだそうという
けっこう大胆不適なもくろみなのだ。

武蔵は後8年、すなわち東京五輪の翌年に建学100年になる。
そこが一応ゴールなのだが
ぼくは今年からの三年間で、
空を飛ぶまでにはいかなくても
飛行機を滑走路にだしてエンジンをかける準備までをしたいと思っている。
ライブラリーづくりより長いスパンの仕事だが
ライブラリーも制作そのものは1年間であっても
準備や検討機関をいれれば15年くらいかかったりする。
事実、賢治作品や十五少年や旧約などはそうだ。
jjk
上の写真は8日に行なわれた中学の入学式の看板だが
それに先立つ2日には大学の入学式があった。
この日は総務からたのまれて8時に登校して父母の案内を手伝ったのだが
なんと講堂で神奈川の富永テューターにばったり。
きけばお孫さんが武蔵大学に入学とのこと。
いやはやこれだから世の中おもしろい。
@^@
上は学園内を流れる濯川(すすぎがわ)という小川だ。
昼食は学食か生徒集会所でたべ、食後は学内を散歩して
いまさらながら学園生活を満喫している。
ただ、朝と夕に守衛室で敬礼されるのはなんとも。

ともあれ、武蔵中学、武蔵大学に進学を検討さているかたは
ぜひ遊びにおいでください。
事前にこの広場にメールでしらせてくだされば案内します。
と宣伝するのだ。
dfr
以前にも書いたが、
これまた同期の梶取くんが、
現在高校と中学の校長をつとめられている。
彼は芸大声楽出身という校長としては異色の存在だが
彼のひとこと
「教育の真の目的は、学んだことを社会に還元してはじめて達成される。
何名どこの大学に入れたかといったことは教育のほんの一部の結果にすぎない。
それでことたりるとしたら、それは無責任な教育だ」
をきいて
今回の話をしんけんに考えはじめたのだ。

そう、社会に還元してこその教育。
ラボはそのことを強烈に示してきている。
それは多くの「元ラボっ子」が証人だ。

で、おまけ。
先日、さすが英語のマザーランドという記事が
「ジャーナル」にのっていた。
女王陛下の正しいEnglishにこだわる人びとに対し
邪魔臭いアポストロフィは道路標識にはいらなくね、
という人びとのマジな争いが各地の議会で熱をおびているといもの。
たしかにアポストロフィのおかげで
救急車が地名を認識できず
間に合わなかったとなると洒落にならん。
だからなんとかロードにつく 'Sのアポストロフをとってしまえという論争。
英語でそれはなし! と頑固な人たちいっぱいいるらしい。


でも、"Mr Gumpy's Outing"のMrの後の省略の
ピリオドはオリジナルのロンドン版ではなぜかなく、
ニューヨーク版ではついてる。
そのことを当時吹込みをした故アラン・ブース氏に
きいたら
作家性の問題といわれた。
文法は原則に過ぎないって。
サラ・アン・ニシエさんもロジャー・パルバース氏も、
本質的にはカンマやピリオドとかアポストロフィとか
クオーテイションなどの音にできない記号は
ことばじゃないから書きたくないし、
ないほうが綺麗だとおっしゃってた。
『かぶ』力をあわせて生きることって、けっこう忘れやすいことなのだ。 そして報告と御礼 2 03月30日 ()
tged
3月24日に61歳になった。その記念というわけでもないが
私的勉強会の仲間と箱根に一泊研修にいった。
箱根神社で参拝。最近はパワースポットばやりで、
春休みの好天ということもあり平日でもかなりの人。
たしかに霊気のようなものを感じるのは気のせいか。
ちなみに木の精はキジムナー。
めゆゆ
そこから大涌谷にまわり富士を眺める。
午後なのに雲ひとつない。雲量ゼロ。
大涌谷もたくさんの人。
誕生日に箱根神社と雲ひとつない富士とは縁起がよすぎといわれた。
ded
春はまだ浅い。仙石原ではすすき原の「野焼き」が行なわれたので
ごらんの「焼け野原」だ。新しい力強い命がここからそだっていく。
そんな生命力をいまの日本はもっているのか。
少なくとも伸びていこうという
若い命を激励する情熱をおとなたちがもっているのか。
飛び去る野焼きの後をながめながら思う。
地元の方が「この時期の箱根は花もないし緑もないんです。
でもよくきてくださる」としみじみおっしゃった。
たしかに浅い春はさみしい。
でも、それもまた前にすすむ動機になる。
問題はそういう前にいこうというきもちを
若い世代がもてるかだとくりかえし思う。

タイトルに報告と御礼とあるが、それは文末にあるので
興味のない方はカレンダーの絵の話だけよんだらそこでおしまいにしてね。
sxac
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
まだ4月というにはフライングもはなはだしいが、
31日も1日も忙しいので力技でめくってしまうのだ。 
1年の第1Qが終ってしまった! はやい。
そのうち月や星が動いているのが目視できるようになるかも。
弥生から卯月。卯月は「卯の花が咲く月」ということからつけられた
というのが定説のようではあるが、
「卯月に咲くから卯の花」という説もあってややこしい。
wqdwq
絵はご存じロシア民話の『かぶ』に題材をもとめたもの。
ラボ・カレンダーの絵の応募作品にとりあげられる率は
『だるまちゃんとかみなりちゃん』と双璧の人気物語だ。 
描いてくれたのは松岡羽暖さん(5歳・飯塚市/津野P)。
うーん、お名前はなんと読むのだろうか、女性ではないかと推測されるが
「はぬく」いや「はるか」か? 
どなたかご存じの方よろしくお願いするのだ。

巨大かぶと格闘するじっちゃとばっちゃとまごむすめと犬。
右から左にひきぬこうとする動きがすばらしい。
この物語を描くときはどうしても
それぞれの登場人物を画面におさめようとするきもちが先立って、
静止して凍結した感じになりがちだ。
だが羽暖さんの作品は躍動感いっぱいで、さらには力感もたっぷりだ。
全員が全体重をかけてひっぱっている。

とくに、じっちゃの足のデフォルメは、
まさに大地に根をはったロシアの農民! そのものだ。
このデフォルメは、ある程度意識していんないとこうならないだろう。
5歳以下の子ども絵には多分に
「ぐうぜんに生まれた表現としての色やかたち」があらわれることがあるが、
この場合はちがう。
あきらかに描き手もいっしょに力んでいる。
そこがこの絵のいちばんの魅力だ。とにかく力いっぱい。わたしも参加するからぬくんだよ!という姿勢がきもちいい。なかなか描き手はそこまでつっこめない。
羽暖さんが、この物語とどういう出会い方、
睦み方をしたのかに例によってとっても興味がある。
dfewf
でも、この絵の魅力はそうした動きや力感だけではない。
なに、人物のバランスもいい? うん、それもあるが、
ぼくはこの色、ぬけた感じの色がおしゃれだと思う。
そして、空も雲も大地もカブもカブの葉っぱも、
単純に彩色しせず、かなり色をかえて重ねている。
だから構図としては遠景の農家など描いていないのに、
遠近法もつかっていないのに奥行きと広大なロシアの大地を想像させる。
それはやはり一見しては単純だが、
じつは複雑な同系色の組み合わせと、
描き手のこの物語へのつっこみ方の深さによるものだと思う。

話はそれるが、線遠近法、
すなわちパースペクティヴはルネサンス以降の技術で、
それ以前の宗教画などはみんなペタっとした平面の構図である。
遠近法は空間表現をひろげたが、
さらに時代が進むとキュービズム、近代的な抽象画へと
人間はより広く深い空間表現を美術、そして建築、彫刻などで開発してきた。

しかしそうしたひろがりは、芸術だけでなく数学や科学、
経済ともリンクしてきたといえる。
とくにラバチェフスキー、リーマンなどの
非ユークリッド幾何学をはじめとする高等数学の誕生と進展は、
人間の空間表現のひろがりとシンクロナイズしてきたといえる。
ギリシアの英知がもっていた法則は
三角形の内角の和はかならず180度であったが、
ラバチェフスキーのようにそれを否定する幾何学の登場は
宇宙をときあかす大きな一歩になった。

また、宇宙や自然界の現象や動きは、正円や正方形
あるいは整数のよう美しい構造から成り立っていてほしいという希望も
次第に「そんな単純ではない」ということもわかっていった。
ガリレオやコペルニクスがとなえた地動説と太陽系の惑星の構造は
たしかに革命的だったが、
彼らは惑星の軌道は正円であると考えていた。
いや美しい正円であってほしいという呪縛からは脱出できなかった。
それをうちやぶったのがケプラーである。
だから「コペルニクス的転回」ということばがあるが、
それがふさわしいのはむしろケプラーだろう。

その意味ではニュートンの力学も
ユークリッド幾何学の範疇からはでることができなかった。
しかし、それではどうしても宇宙のことを説明しきることができない。
それをアインシュタインは宇宙の力学に高等数学を用いたらと発想したのだ。

アインシュタインが特殊相対性理論を書き上げたのが1906年、
ピカソがキュービズムのはじまりといわれる『アビニヨンの娘たち』を
ごく一部の友人に見せたのが1907年。
そしてシェーンベルグが後の「月に憑かれたピエロ」に通じる
無調性の音楽を書きはじめたのもこのころである。
20世紀初頭、アーティスト、科学者、ミュージシャンは新しい空間、
領域をきりひらくという同時代精神をもち、人間の魂の解放と表現、
そしてその根源ともいえる宇宙のなりたちを追求しようとしていた。
そして競いながら知と自由の高見に飛翔しようとたたかっていたのだ。

アーティストも科学者も、一面では
早すぎるランナーとしての孤立とむきあわねばならない。
それにゆえに政治や社会情況によっては反社会として指弾されことがある。
本来、芸術も科学も人類の幸せに寄与するものであるが、
新しいものを求めるものは常にそうした二律背反をせおう覚悟がいる。
時代をになうい時代を貫くアートとアカデミズムを担うものとしての
責任を自覚することが、
アーティスト、クリエイター、そして学者の基本的な倫理なのだと思う。

話をもどす。
ロシア民話『かぶ』はウラジーミル・プロップの分類にれば
「累積昔話」にあたる。
文末で脚韻を踏みながら、「ジャックのたてた家」のように
くりかえしながら人物や動物がふえていくものだ。
『わらじをひろったきつね』もこの累積昔話である。
韻によることばのリズムのおもしろさ、
そしてくりかえしがもつ「ことばの魔力」は
この物語を今日まで語り続けさせた要因であろう。
「ジャックのたてた家」はかつて「三回息をとめていうとしゃっくりどめのおまじない」だったとオーピー夫妻は”Oxford Dictionary ogh Nursely Rhymes”でいっているが、この『かぶ』にもなにかそんな「呪文」としての意味があったと思われる。

だから、ラボ・ライブラリーの日本語もロシア語のような韻はできないが、
この物語がもつことばのリズムをとてもたいせにしている。
日本語を担当された斎藤君子先生は、
その点を十分に勘案し、たいへんご苦労なさって
すばらしいリズムの日本語を描いてくださった。
「じっちゃ、ばっちゃ」などの表現はこのリズムをだすためである。
おじいさん、おばあさんでは、どうしても間合いがかわってくる。
英語もサラ・アン・ニシエさんが
これまた苦しみ抜いてリズムのよい文にしてくださった。
この物語を「はじめての素語り」にとりあげるラボっ子は多いが、
それはあきらかに上記のようなくふうがされていて心にはいりやすいからだ。
短いだけじゃないんだぜ。

前にも書いたが、この物語は、
なんといっても彫刻家佐藤忠良先生(お嬢さんは女優の佐藤オリエさん)の
『おおきなかぶ』が人口に膾炙(かいしゃ)している。
だれもが知ってるとっても人気のある絵本である。
では、なぜラボはこの絵本を録音許可をとって使用しなかったのか。

ひとつには累積ばなしのもつ
リズムほをほうふつとさせる新しいことばでつくりたかったこと。
また『おおきなかぶ』は最初からこたえがてているが、
原題はただ『かぶ』であること。
まあこれはなにかいちゃもんのようでもあるけどけっこうだいじだ。

しかし、それよりも大きなのは絵である。
もちろん、絵本は歴史民族の学習資料ではない。
だが、このライブラリーは「ロシアの物語と文化」が
大きなテーマのパッケージである。
そうしたエスニックなテーマをあつかうときのライブラリーは、
その物語を生んだ地域と人びとへのリスペクトとして、
とくに具象的に表現するときは衣服や建物、事物について
極力、時代考証をしっかりとするべきであるというスタンスをとっている。

『かぶ』の絵は小野かおる先生が担当された。
「おおきなかぶ」があまりに有名なために、
どなたに依頼するかがなやましかったが、小野先生が快諾してくださった。
いまはどうか知らないが、そのころは「ことば宇宙」は
いろいろな専門家に毎月(月刊だった!)送っていたのだが、
ラボのスタッフが小野先生のご自宅に相談にいったとき
小野先生のほうから「今度ラボはロシアをやるんでしょ」とおっしゃられたという。
ぼくはそのころ「ことばの宇宙」がメインの仕事で、
この物語の途中からだんだんとライブラリー制作にひきずれこまれていくのだが、
ロシアをやることがきまってからは、
「ことばの宇宙」ではやばやと「ロシア特集」ばっかりやっていったのだ。
小野かおる先生の父上は著名なロシア文学翻訳家の故中山省三郎先生である。
だから先生もロシアについての知識、資料は豊富におもちだった。
『かぶ』のはなしは、ちゃんと「ロシアの話」として絵本にしなくては
と先生はおっしゃっり、この絵本ができたというわけだ。

登場するカブは本来は赤かぶに近いものである。
今回のカレンダーのカブはかなり白いのがすこし気になるが、それはよしとしよう。
ぬりわすれたのかもしれないし、白がきもちよかったのかもしれない。
きめつけはできない。

そして、小野先生はじっちゃやばっちゃや孫娘の衣装も精密だ。
ロシアの伝統のデザインで描かいている。
じっちゃのはいている「わらじ」もラーポチとよばれるわらぐつであり、
これには大きくモスクワ型とペロルシア型があるが、
この絵本ではモスクワ型である。羽暖さんもちゃんとこのラーポチを描いているぞ。

さらに、ばっちゃはココシーニクとよばれるスカーフで髪をかくしているが、
これは既婚者であることをしめしている。
さらにスカーフをとるとばっちゃは
髪を後ろでふたつにわけてしばっている。
それにたいして孫娘は未婚なので髪かくさず1本でしばっている。
彼女が嫁にいくときは髪をふたつにわけてかぶりものをする。

だから厳密にいうと『ゆきむすめ』のゆきむすめが
スカーフで髪をかくしているのはロシアの人から見れば違和感がある。
もちろん、さきほどももいうように、絵本は歴史資料ではないし
「ゆきむすめ」の話の本質、語とものない老夫婦と季節の奇跡とでもいうべき
「ゆきむすめ」とのまさにあわい日々が影響をうけるわけではない。
ただ「ロシア」というくくりで活動の素材を故どもたちにあたえようとするときは
「かぶ」にせよ、「わらじ」にせよ。かなり綿密な考証が行なわれたということだ。

日本にとってロシアはその地理的、歴史的関係から、北のこわい国というイメージが強く、「オロシヤ国などとよばれたりもした。
だが、ロシア民話のみならず民謡、サーカス、バレエ、料理など
ロシアの文化は日本人にしたしまれている。

いまクリミアの問題でロシアもたいへんだが、北では白い風かうたい、南の草原では灰色のオオカミが疾駆する広大な大地にはいまも精霊がいきづいてると思う。
「いつかちゃんとしたロシアの話として…」とおっしゃった小野かおる先生の思いはちゃんとうけつがれ、こうしてカレンダーになって帰ってくる。

swqs
2009年の14時間の大手術から丸5年、
まさに多くの方にパワーをいただきながら今日まで生きてきた。
手術では死を覚悟し、その後も社会復帰をできるとは思っていなかった。
そして父や母、義父の他界があり、休職の後、34年間情熱を傾けた仕事を退職した。

それでも前へ進まなくてはならないが、
退院後は文を書くのもふうふういうほどだった。
そんなとき手にしたのNikonのD5000という一眼レフだった。
重量1キロ。それでも重く感じたが、
退院後1か月のとき、青森の三内丸山遺跡と五能線の写真を撮りにいった。
それから、ごぶさたしていた大学のフットボールティームの試合を
誰にも頼まれないのに撮りはじめた。撮影は仕事というよりリハビリだった。

そして2010年の暮れ、三澤制作所なる一人ブラック事務所をたちあげ、
頼まれた仕事を中心にボツボツと動きだした。
思えば湯布院、松江、道後、金沢、沖縄、宮古島、男鹿半島、京都など
自分でも呆れるくらい飛び回った。
挙句は、空中撮影までするようになった。
病気の前なら断わっていただろう。
一度死を覚悟すると怖いものがあまりなくなるのかもしれない。
そしてこの春、縁あって新しい仕事が加わる。

名称はティームバティスタの白鳥も真っ青の長さで、
「学校法人根津育英会 武蔵大学・武蔵高等学校中学校・学園記念室室長」。
3年間の仕事であるが私学の歴史の奥底から何か新しいものを掘り起こせれば幸甚だ。

最後にあらためて以下の方がたに心よりの感謝を!
主治医執刀医 丸山祥司医師 安藤昌之医師
三澤制作所安藤マネージャーおよびスタッフ
ラボ教育センターと皆様 ラボ.テューターの皆様
ラボOBOGの皆様
ライブラリー制作でお世話になったプロフェッショナルの皆様

これからもよろしくお願いします。
ああいつになったら、物語は人生をこえるのだろう 2 02月28日 (金)
大雪が二度もふったが春がきそうだ。
けっこうつらいことも続いたけれど前をむくのだ。
少し私事を書く。
先日関西で「わかものフェスティバル」があった。
卒ラボ以来、ずっとみてきたが
今年はどうしてもスケジュールのつごうがつかなかった。
というのも自分でも年明けのころには
まったく予想もしていなかったことだが、
4月から新しいステージ、
新しい仕事に挑戦することがほぼきまった。
1月末オファーがあり、今月結論がでたのだ。
詳細は「おとなの事情」というわけでもないが
3月なかばにはお知らせしようと思っている。
でもきくと、なあんだというかも。
ともあれ、還暦を過ぎてもチャレンジというか、
責任のある仕事に参加するのは緊張する。
ergerg
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくった。いよいよ弥生である。
弥生といえば『鏡の精』。などと書いていくとどんどん話がそれる。
例によってフライングだか、絵があらわれた瞬間、
どんよりした事務所がぱっと春めいた。
絵の力とはこういうことでもある。
作品はC. S, ルイスのファンタジー『ナルニア国物語』「ライオンと魔女と大きなタンス」に題材をもとめたものだ。
描いたのは小林咲絢さん(小1/郡山市・白岩P)。
お名前は「さくや」あるいは「さきや」だろうか。どなたかご存じ?
コノハサクヤと関係あるのかなあ。
bdth
とにかく、すかっとぬけて明るい色がきもちいい。
でも明るいだけでなく、色自体が力強い。
ぐっとせまってくるというか、ぐいぐい入ってくる色だ。
「色が強い」と感じるのはなかなかない。
たぶんそれは、色の選択だけでなく絵全体に力があるからで、
その力が色に集約されてでてきているのだろう。

背景の広大な緑のグラデっぽい処理、
ややうすくした空の青が奥行きをつくりだし、
まさに「異世界」としてのファンタジーにふさわしい。
ライオンを中心にバランスもすごくいい。
 
とにかく、これだけすきまなく描き込むのはたいへんな労力だ。
前述のバランスとあわせて彼女の年齢と体力からするとすごいことである。

『十五少年漂流記』や『魔法の馬シフカ・ブールカ』などの絵を担当された
かみや・しん先生は、「絵を描くのは心の練習みたいなもの」
とおっしゃられたが、
このような作品は描き手の心が
「描いていくうちらどんどん強くなった」のが手にとるように分かる。
のみならず、ぼくたち鑑賞する側の心も強くしてくれる。
そんな力をこの絵はもっているのだと思う。
少し斜めになったかんじもおもしろいぞ。
gererg
ライオンの咆哮もちゃんととどいてくる。
なにか叱咤されているようでもある。
さまざまなつらい事、
閉塞した社会情況にひざまずかされている
なさけない自分をふるいたたせてくれる。
 
フィクションやファンタジーを書くのは困難な時代だといわれる。
9.11や東日本大震災などのように現実におこることが、
人間の空想をこえてしまっていて、
それをのりこえる物語を「ことばでささえる」ことはけだしたいへんなのだ。
だが、現実をこえ、時代をうちぬく強力な想像力をもった若者は
きっと育っている。それを疑ってはいけないとこの絵は教えてくれる。

「嘘だ! と叫びたいこと」だらけの現在。
だが「本当だと信じたくなる」物語をあきらめてはいけない。
上質のフィクション、ファンタジーは人間に生きる力をあたえるのだから。

先週、ひさしぶりにラボの本部にたちよった。
ラボ・カレンダーをほしいという知人がいたので
一部売ってもらおうと思ったのだ。
「カレンダー1本売って」と総務部にいったら「買うなんてまあ水臭い」と
H氏がいうのでありがたくいただいた。
もう最後の1本だそうで、今年も好評とのことでよろこばしい。

その後、財団とかまわったが
たまたま時本会長がいらっしゃったのでしばらく雑談した。
時本さんが昨年秋、代表権なしの会長になられたとはきいていたが、
その思いをたずねると
「トップのひきぎわはトップがきめないと下がめいわくする」
とあざやかなこたえ。
時本さんらしいと思った。

その後、問わず語りに「若き日に、学生運動や労働運動に力をいれ、
権力や経営陣とたたかった。しかし自分が経営の責任者になるとき、
そのころの自分とどうおりあいをつけるのか悩み続けた。
転向したというのはかんたんだが、そんなことではすまない」
「若いときにもっていた変革への志は
すべて若気のいたりだったのかと全否定することは困難だ。
だが、一方で経営者である以上、その責任も大きい。
それはずっと葛藤として心にあったし、たぶんまだ総括しきれていない」
これも時本さんらしい。
基本的に誠実な人だとあらためて思った。
時本さんが社長になったときにはぼくはすでに病いにあり、
その後リタイアしたので、
彼が社長時代に仕事ができなかったのはややさみしい。

まさかそんな重たい話になるとはびっくりだが、
春から新しいことを始めることを伝えると「それはいいことだ」と激励された。
そして話題は現在の社会情況、政治情況にうつり、
いまの閉塞感、安倍総理の暴走についてはほぼ意見が一致した。

戦争や国際的な諍い、国民への圧迫、極端にいえばファシズムも、
加速度的にしかもひそかにやってくる。
そうした人間に内在する危険を常に認識できない人間は政治をすべきでない。
そのなかで二極化する貧富の構造、非正規雇用の割合が異常に高いといった
若い人の「出口なし」の環境は、
歴史にてらしてみてもとってもそうした危機の加速度をあげる。
都知事選で田母神氏が若い人の票をかなりあつめたことも
ひとつのあらわれかもしれない。
それから戦後リジューム、東京裁判などにも話がおよんだが、
最後はやっぱりラボの話になった。

「物語とことばによる育てあいの教育という
ラボが一貫してもってきた志を、
どのように新しい世代の事務局員やテューターにバトンタッチしていくかが
ますますたいせつだ。ただの『会社、企業』になったら
ラボはさらなる発展を期待するのむずかしくなる」

会長といっても週3日の閑職だよと照れ隠しに
自重気味にいう時本さんだったが、
やはりこの組織のことを深いところに
しっかり抱いているんだと感じてうれしくなった。

そう、ラボはゴールのないリレーをやっているのだと、
この数年観客席で旗をふっていたぼくは思う。
だが、この春からは観客席からはおりて、
別のフィールドで自分の試合をしようと思う。
でもかつてのフィールドのラボで学んだことが
その源泉であることは不変であり、旗を降り続けることはまちがいない。

「ラボでも学校でも、いろいろと学んだことを自らのなかにとりこみ、
自分なりに発展させ、なんらかのかたちで社会にフィードバックする。
そうなってはじめて教育は完結する。教育の真の目標はそこにあると思います」
とえらそうにいったら、時本氏は、うんとうなずいてくれた。

そう、ラボは結果が見えないというやつがいるが、
真の教育の成果をしめしている0Bたちがなんとおおいことか。
 
夜明けの前がいちばん暗く 春の前がいちばん寒い 生命が息づく冬の森 2 01月31日 (金)
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
 明日からは如月、立春までわずかである。
 如月の語源は寒さゆえに「着更着」と有力だが、
それ以外にも草木出る月ということから「生更木」や
「草木張り月」が転じたという資料もある。
としそしと 
その如月を飾る絵はロシアを代表する絵本作家、
エウゲニー・ラチョフの代表作ともいえる『てぶくろ』に題材をもとめたものだ
描いてくれたのは柴崎凛くん(6歳/河内長野市・鈴木P)。
このカレンダーの年齢表記は制作時のものだから、
6歳ということ幼稚園「年長」だと思う。この春ピカピカの1年生だ。

さっき図書館からもどり、手を洗い、うがいをして深呼吸をしてからめくったのだが
しばらくその手をとめたまま見てしまった。
そして1月の絵に御礼をいって片付けると、
イスにすわって中距離からじっと眺めた。
そしてさらにカレンダーを壁からはずし、手にとって近くからじっくり眺めた。
それから台所にいってコーヒーをいれ、
またカレンダーを壁にもどしてじっくりと眺めた。
めんどくさいおやじだと自分でも思う。
egrf 
1月のももたろうのようにがーんとせまってきる作品ではない。
でも、ふしぎなあたたかさがじんわり伝わってくる。
物語は北の国ウライナの昔話。しかも厳冬期の森のはなし。
あくまでも暗い背景に雪がふりしきっている。
動物たちにつかわれている色も全体に抑制されていている。
だけどあたたかい。
そして複雑で不透明な色らもかかわらずさわやかな透明感もある。

動物のフォルムはいわゆる「絵のうまい子」
(うまい絵なんてないのだけどね)のそれではない。
通常の絵画展だったらあまりとりあげられないかもしれない。
でもそうしたぱっと見の形や色はとうでもいい話である。

じっくり見たまえ。
てぶくろは斜めになってるが、これはたぶん俯瞰のふんいきなんだろう。
実際の表現技術はともかく、
そうした空間認識をもっていることがすてきだと思う。
で、動物たちはずいぶんとざっくり描かれているように見えるが、
じつはこの物語のこの場面の要素をあまさず描こうとしているのがわかる。
これはなかなかの根気とパワーがいる。
さらにさっき手にとって見てほかったのだが、
てぶくろ内部の色も動物たちもたちも、
てぶくろにあがる階段いたるまで、かなりしつこく描き込んでいる。

そして絶妙な色になった背景(この色だけで入選といってもいいかも。
この色はどうやってつくったのか、
ある程度の偶然ともともとのセンスとのコラボか)も、
ただ塗り絵したのではなく、かなり思いをこめてていねいに塗られている
これは柴崎くんの年齢ではなかなかできない。
面積が広いからさあーっとやってしまいがちなのだ。

もう少しいうと、手袋の色の変化もたのしいし、
少しだけつかっているマゼンダとビリジアンがとってもあざやかで、
厳寒のなかにも春の予感がふやっとただよっている。これも美しい。

ここまで書くと、柴崎くんがこの物語をえらんだ経過、
彼の活動がどうだったのか。ぜひしりたいものである。
どなたか鈴木テュターほび存知の方よろしく。

ふしきだが冬の絵はこころがあたたかくなる。
雪が寒そうであるほどに、てぶくのわずかなぬくもりがいやますのだ。
いやはや柴崎くんまいった。

原作者のラチョフ自身もシベリア生まれである。
彼は1978年に、別のタッチで「てぶくろ」を描いた。
それを見るとまったき別人のようだ。
だか、どちらも彼らしい動きのある動物たちが愛情たっぷりに描かれている
cas
ラチョフというと協力な観察眼にもとづく正確な動物のデッサンと
その見事な擬人化のテクニックが評価されるが、
なにより彼の魅力は作品によせられる生命への惜しみない愛情にあると思う。
その点においては柴崎くんもまけてはいない!
今年も子どもたちの作品ではじめるのだ 新年に諍いの岸はるかなれ 2 01月01日 (水)
さとちそ
2014年。
新しい年をむかえ、昨年もこの日記を訪問してくださった方に
あらためて感謝いたしたいと思います。

おかげさまでラボを退いてからも、
ラボはますます近く感じるようになってきています。
それは他の社会で仕事をしたり人と出会ったりするなかで
いっそう強くなっていると思います。
今年も微力ではありますが
ラボのサイドラインで
日々活動に取組むテューターの皆さんへの
激励ができればと考えています。
よろしくご教示ください。

また私事でいえば
この日記やFacebookの仲間
さらにはご縁がぁって実際にお会いしたテューター、ラボっ子、
OBOGの方がたに見えないパワーをたくさんいただき、
無事に1年を過ごすことができ、
今春で術後後5年目をむかえることができます。
重ねてありがとうこざいます。
ちそち
残念ながら、本年もまた以下のような宣言して旅を続けねばなりません。

あらゆる紛争、差別、虐待、饑餓、搾取、暴力、弾圧、難病、貧困など、
人間の生命と自由と尊厳への脅威と
向き合い思考する想像力を
一歩でも進む行動力をもとめていきます

山が山としてそびえ
海が海として輝き
風が風として薫るこの島で。
そち
「ラボ・カレンダー2014」をめくる。
今年も元気と愛にあふれた子どもたちの作品とともに旅するのだ。
なににもとらわれず、なににもおびやかされることなく、
だれにも強制されることなく、
自由にのびやかに子どもたちが
絵を描いていられることの幸せを守らねばならない。
また子どもたちもその幸せに感謝して、
そしてたいせつにして明日をつくってほしい。

社会が政治・経済などで閉塞や歪みが進行するとき、
その不条理と暗い力は、まっさきに子どもたちや高齢者にむかう。
その意味では子どもと高齢者の孤独は真反対ではなくじつはつながっている。
そうした影響がヴィヴィットに現出するのは子どたちもの表現である。

それは描画であり、文であり音声言語てある。
活力をなくし、多様性がなくなり、個性がきえていく。
現実に子どもたちの言語はすでに「やせてきて」いるとぼくは感じている。
だからこそ、ことばに関わる仕事はより責任が大きいと思う。

絵画もまた社会の影響をうける。
太平洋戦争のときの子どもたちの絵画は、
すべて戦意高揚の表現に誘導されていたし、
子どもたちは嬉々としてそうした絵画を描いた。
そのときは多くのプロもまた戦争支持の表現をした。
でも、その時代にあっても
ふつうに風景画を描いた画家もいたということを司修先生からうかがった。
大震災や先ごろの日本の社会閉塞などの
創作にとってはつらい状況のなかで
アーティストとしてできることはあるはずだと先生はおっしゃった。

だからカレンダーの絵についても、
ぼくは25年間、毎年よろこびとともに危機感も常にいだきながらみつめてきた。
幸いなるかな、ラボの子どもたちの絵は今年も元気いっぱいだ。
sdfs
年頭をかざる作品は”MOMOTARO”に題材をもとめたものだ。
描いたのは上田愛莉さん(小5/郡山市・山崎P)。

見ているだけで力がわいてくる作品であることはいうまでもない。
原作の絵を担当され本多豊國先生も選考委員にはいっているので、
きっとうれしいとともに照れくさかったと思う。
いやいや、「マイッタ」とおっしゃったと思う。

ほめる点が多すぎて整理がつかないが、
とにかくモモタローのネイチャーボーイぶりが直につたわってくる。
そのエネルギーは完全に画面からとびだし、
サル、イヌ、キジの家来たちもそのいきおいでとびだしてくる。
さらにはぽこぽこにされてしまったオニたちも、なかばやけくそで、
「けっ、わけわかんねえけど強すぎてわらえるぜ」とかいいつつ躍動してしまっている。
とにかくノーブレーキに近い暴走作品である。
 
だが、その一方できっちり抑えるべきところは抑えられていて
作品としての品格とバランスを保っているのがすごい。
メインのモモタローは、完全なセンターではなくやや左に配置し、
その比率はたまさか「黄金比」Golden Ratioに近い。
要するに1対(1+√5)/2になっている。
ざっくりとした近似値は1:1/6181で、さらにいうなら5対8だ。

で、モモタローが左によった分、右側の描き込みを重たくしてバランスせとっている。
これもすごい。サルが小さいがいい味をだしているし、
とぽけたようなキジもいい。
また、ディテールの描き込みも当然のようにしつこいほどで飽きさせないぞ。
でも、でも、色使いのすばらしさも忘れてはいけない。
この抜けた色味は、新年の絵としてさわやかであるだけでなく、
色そのものにらも希望を感じさせてくれる力がある。
おそれいりました。

上田さんが所属する山崎智子パーティは、
ラボ・カレンダーの絵の初期のころから、
すばらしい作品をおくってきてくださるパーテイだ。
だから、この絵をみたとき
すぐに「おっ、でたな山崎流伝承者」とさけんでしまった。

山崎テューターがこの文を読むとご不満だろうが、
毎年「今年の山崎パーティはどんな作品かな」と期待していたことはたしかだ。
山崎さんご自身がアートの素養とがたっぷりある方なので、
子どもたちにも適格に助言をすることができる。

でも「それは本質的なことではありません。
山崎パーテイの子どもたちは物語と
テーマ活動にきちんとむきあうなかで絵を描いています。
物語とテーマ活動ありきなのです」と
山崎さんはおっしゃるだろう。ぼくもそうだと信じている。

いわゆる「児童絵画教室」はいっぱいある。
でも、そういう描画の技術の問題ではない。
『十五少年』の絵を描かれた「かみや・しん」先生は
「絵を描くのは心のトレーニングみたいにもの」といわれた。

また、『かにむかし』の宮本忠生先生は
「子どもから見たらぼくらの絵はうまいなあということなのだろう。
だけどぼくは子どもたちの絵をすごいなあと思う。
ぼくはラボのカレンダーをアトリエの天井に貼っていて、
スランプになると寝転がって絵を見て
『チクショー、こいつらにできているのに、
なんでおれは自由にできないんだ』と自分を叱咤しています」といわれた。

今年はわれわれにとっても、子どもたちにとっても
とくに「息苦しさ」が増していく予感がしてならない。
愛国心やら道徳を特別な教科にとぃったとんでもない風がふこうとしている。

しかし、うつむいていもはじまらない。とにかくも前へいくんだよ! 
と年明けからモモタローにどやされた。
さあ、笑いながらいこうぜ鬼どもの島へ!

ラボの社会的役割りはまた一段と大きくなっていることはまちがいない。
どうか、自身と愛をもって子どもたちむきあってください。
HAPPY HOLIDAYS! May the Peace of the World Stay with us Through out coming Year 12月24日 (火)
gug
東京中野はおだやかな午後である。
ラボランドからは白いたよりがとどいている。
2013年もあと1週間になってしまった。
日本はどこにいこうというのか、ますます不明確になる年の瀬だ。
まるで舵をうしない海図も磁石もなく霧の海をさまよう船だ。
さらにその船の指揮をとる人物はきわめておそろしい嵐にむかおうとしている。
あたらしい海をみつけるべき若い水夫たちがものがいえなくなるかもしれない。
おなじSENCHOの名をもつ身としては恥ずかしいかぎりだ。

さらに南スーダンでは、おびただしい血が流される危機が報じられている。
祈ることしてかできない自分の無力をうらめしく思う。
この夏に司修先生にお会いしたとき
東日本大震災の後しばらくは、
先生ご自身が「なにかを学ぼう」「なにかを得よう」
「絵画を見に行こう」といった欲望が
ほとんどなくなってしまったとおっしゃった。
でも、そうしたせつなさと煩悶なかで、
アーティストとしてできることを模索し
「銀河鉄道の夜」の挿絵を制作することで
震災以降の日本とこれからの日本をとらえようとされている。
ぼくには司先生のような力はとてもない。
だができることはあるはずだと自分をなんとか叱咤して
前だけを見ようと思う。
大きな手術から来年で5年。
いわゆる5年生存率のハードルが近づいている・
「生かされている身」としてできることはあると思う。

そうするとやることはいくつか見えてくる。
こうしてへぼな日記を書いたり
ラボの発表会をみたり
これまでの自分の仕事をとらえかえしたりすることもそのひとつだ。

これまで何回も書いたが
組織を離れて時間がたつほどにラボは近づいてくる。
おそるべしラボ。
そして、ラボ教育活動の社会的意味はますます大きいことが
外の世界にいることでより明確になる。

この日記をおとずれたすべてのラボの仲間のみなさんは
ぜひ自信とほこりと愛をもって
来る年も輝いて活動していただきたい。
lbjuk
なんて、がらにもないことを書いたので
ここからはまたよしなしごとを書く。
bjk]
12月12日朝、快晴。気温は低いが幸い風がない。
ひさしぶりに中野駅にでて10時27分発の特別快速高尾行きにのった。
次の停車駅は三鷹。わずか7分の旅である。
三鷹駅の改札口ではすでに足利の「あんこ姫」こと
石川厚子テューターがおまちになっていた。
6月に足利をたずねて足利美術館でのブラティスラバ
ビエンナーレ絵本原画展や
国宝に指定された鑁阿寺(ばんなじ)を案内していただいて以来の再会である。

そのおかえしといってはなんだが、
石川さんが三鷹駅ほど近くのかわいいギャラリーで開催される
吉岡ゆうこさんの個展を観に行かれるというので、
それならごいっしょしましょうということになった。
さらに、ご長女がわが母校のICUに興味がおありということで、
ついでに大学にもお連れしましようということになったのだ。
ご長女はまだ中3で来年高校受験だが、3年間などあっという間である。

大学と同窓会にはいろいろとお世話になっているつごう上、
とにかく受験生を増やし、さらに知名度(首都圏以外の認知度は低いらしい)
をあげたいので、ことある機会に告知、紹介につとめているのだ。けなげだね。

しかし、待っていたのは石川さんおひとりである。
きけば「どうしてもはずせない補習がある」そうで、
ちょっとがっくし。
でも、じゃあ写真をしっかりとって伝えてくださいというと、
ちゃんとカメラをもってこられていたので「おお、やるきじゅうぶん」
と関心する。
大学にいくのは20日ぶりぐらいだが、
予想外に紅葉がまだ残っていてなにかうれしい。
ゆっくり散歩しつつご説明をしてキャフェテリアで昼食をとる。
k;lk
食事の後は学内の庭園、泰山荘をのぞいてから寮などをまわった。
するとちょうど吉岡ゆうこさんからメールが入り、
「14時過ぎにはうかがえそうです」とのこと。
時刻は13時近く。それじゃあ三鷹にむかいましょうということになった。
 じつは12日にうかがいますということはつたえていたのだが、
「仕事がかなりたてこんでいて、はやい時間に在廊するのはきびしい」
という連絡をいただいていて
「アーティストに無理をするなというのは無理ですが、
身体と弁当自分もちだからお大事に」という困惑させるような返信をし、
さらに「奇跡がおきたらお目にかかります」とダメをおしておいた。
それなのに無理をして時間をつくってくださったようだ。もうしわけない。
nljn
13時30分にはくだんのギャラリーに到着し、
しばらく作品を拝見してから隣接するカフェで
お茶でも飲もうということになった。
ちょうどティータイムで店内はほぼ満席。大人気である。
アールグレイをいただきぼそぼそと話していると、
ついに吉岡さんが登場した。長身! 
ギャラリーに移動してお話をうかがう。

吉岡ゆうこさんは、フリーランスのアーティストであり、
基本的にはイラストレーターである。
まあ、生業をジャンルでくくるのはあまり意味がないとぼくは思っているが、
ご本人はそう自己紹介している。
ご自分のスタンスを明確にしている覚悟でもあるのだろう。

いまさらだからぶっちゃけるが、
吉岡ゆうこさんとは間接的に縁がある。
彼女はこの8年くらい東急百貨店のボスターをはじめとする
宣材のイラストを担当されていて、
もう百貨店のひとつの顔になっている。
ただ本の表紙絵などとは違い、
宣材の場合はイラストレーターの名前がクレジットされることは少ない。
いわゆる知名度の高いアーティストの作品を使用して
ブランドイメージのさらなるアップをねらうという戦略もあるが
まあまれである。

ぼくは渋谷の東急本店にこの数年はとてもよく行くので、
吉岡さんの洗練されたフォルムと色のおしゃれな作品はいつも目にしていた。
でも、ただのスタイルのよい女性が描かれただけの、
ことばはわるいが「使い捨てのイラスト」に終わらないなにか力強さ、
作者の魂みたいなものを感じていた。

もちろん宣材のイラストだから、
かなりクライアントにこまかい指定や注文をされているのだろうが、
描かされているのではない、
強さと覚悟と思いがあるような気がしてしてならなかった。
ただ、不覚にも作者はだれなのだろうと調べようとはしていなかった
(現役で制作をやっているときだったらきっと追求してただろう)。
しばらくして、
その作者が吉岡ゆうこという人だというお名前だけは知ったが…。

それが2年ほど前、たまたまラボの後輩の北倉くんが札幌に出張したときに
FBにアップされた写真に札幌東急のポスターがのっており、
コメントに「義妹の作品を発見」とあったのを見つけた。
えっと思っで検索するとFBのアカウントがあり、
たどっていくとぼくの想像があたっていた。

すなわち、もうおわかりだろゔが、
吉岡ゆうこさんの実姉である吉岡美詠子さんは、
ラボの事務局員であり、部署はいっしょになったことはないが、
さまざまな仕事や会議でお世話になったきわめて優秀な仕事人である。
とくに、ぼくが退職してからも何回か彼女のセクションからの依頼で
スポット的な手伝いをしている関係である。
ただ、吉岡美詠子さんはきわめておくゆかしい方なので、
「妹はかなり売れてるイラストレーターです」なんてことは
ぺらぺらっしゃらないから、
ぼくもむすびつけることはしなかったのだ。
で、吉岡美詠子さんは北倉夫人である。

彼らが名古屋勤務時代に結婚することを発表したらパニックになったときいたが…(笑)。
とにかく、Facebookで友人にしてもらいたいとは思ったが、
自分からリクエストをだして「あなたのお姉さんの先輩です」
というのもいやらしい。
そこで、旧知のアーティストで「ことばの宇宙」でおせわになった
佐藤豊彦さんに仲介をお願いするというまわりくどい作戦にでた。
すると、ものの2,3分で吉岡さんご本人からリクエストとメッセージがきた。
おそれおおいことである。
hftyd
今回の個展は下の写真にあるように
2014年のカレンダーを中心としたものである。
細長いプロポーションに12枚の月ごとのイラストが展開する。
ご自身で「仕事の多くは商業イラストだから、
クライアントの頭のなかの思いをどれだけかたちにできるか」と
さわやかにいいきられるところが、とってもいさぎよい。
だから、今回のカレンダーのように「リミットをはずした」作品は
ぎゃくになかなか終わりがなくて、楽しいけどたいへんなような気がする。

吉岡さんは笑いながら、
「うけおった仕事でも、結局描きたいものしか描かないんだと思います」
「基本的には自分の妄想」とすずしげにおっしゃる。
でもその一方で「『つるのおんがえし』ではないけれど、
自分の身体をすこずつむしっているような感じ」と、
「ものをつくる人間」の宿命的な重さと孤独も語られた。

ブロとしてのスタンスをきっちりとりながら、
一方でアーティストとしての矜持を「見せびらかさずに」
たもっているのはなかなかできない。
ものづくりのはじっこにいた人間としては、
そのことだけでもリスペクトとしなければならないと感じた。

「平和へのメッセージをこめた作品」とか
「だれかの癒しになれば」という「~のために」的な制作は、
あるときはただしいのかも知れないが、
ぼくは基本的には信じていない。
表現作品はすべからく「自分のため」なのだと思う。
かつて相米慎二監督が
「多くの人の心に一生のこるような作品をつくろうという強い意志がなければ、
映画を撮る意味などない。
でも、人の心にはいっていこうなどというのは
とても傲慢で恐ろしいことだ。
だが、だがしかし、そのくらいに思ってむかわざるを得ない、
せつないまでの泣きたいほどの作品へのきもち、
それを共有できるかどうかが映画人だ」といわれた。
 
そう、どこかにだれかに伝えたいなにかを心の奥にだきしめて、
「自分のために」自分の妄想を色やフォルムや文や
ことばや音にしていくのがクリエイターであり、
それはとんでもない道なのだ。
そんな重たいことをかってに感じている横で、
吉岡さんはイラストのようにかろやかだった。
次の予定があるので15時前にギヤラリーをでたが、
吉岡さんはわざわざ外まで見送ってくださった。
すると、一瞬の師走の三鷹の通りが
まるでシャンゼリゼのようになった。
dflo;jk
つきば自慢話。
『なよたけのがくやひめ』『チピヤクカムイ』『鮫どんとキジムナー』
『かさじぞう』『ももたろう』などのラボ・ライブラリーの絵の作者であり、
勇壮かつ緻密、愛とエネルギーに満ちた版画や水墨で世界的に活躍する
本多豊國画伯による手づくりのiPhone5用ケースが届いた。

ほとんど「和」の素材でつくられたケースは、
龍やまねき猫などの数点で、どれも世界にひとつだけの一点もの。
それらを本多先生は製作の途中からFBを通じて
Yahooのオークションに出品すると告知されていた。
で、ねらっていたのだが、
ありがたいことに本来なら数万円でもおかしくないのに、
とてもリーズナブルな設定価格で出品していいだいた。
ぼくは、ひとめでこの「富士山とUFO」が気に入り、
スタートと同時に初期価格の約1.5倍まで自動入札した。
そして、どきどきまつこと一週間。昨夜、なんと設定の価格で落札できた。
即座に決済して連絡したら、もう翌日とどいてしまった。
さっそくうれしがって装着。本多先生ありがとうです!
k;lk
j;j;;
12月21日、22日と岐阜と名古屋にいく仕事があり、
ひさしぶりに小さな旅にでた。
で、21日は岐阜どまりだったのだが多少時間があったので
先月、刈谷の支部発表会で『はだかのダルシン』を発表された
近藤智子パーティのクリスマス会にちょっとだけ飛び入りした。
ずうずうしくも、お母様方のおいしいポットラックをいただき
昼食代をうかしてしまった。
少しだけ、子どもたちやご父母とテーマ活動の話やライブラリーの話をした。
刈谷での会場では立ち話だけだったので楽しかった。
短い時間だったが、けっこうするどい質問がきたりしてあせった。
なんだかんだで、ラボの子どもたちからエネルギーをもらった。
子どもから学ぶことはほんとうに大きい・
その点だけとってもテューターという活動はすばらしいと思う。
ランチとパワーをもらってなにもおみやげなしという
迷惑な闖入者であいる。
bkb
で、ラボには無縁なようだが、体罰のことを書く。

土曜日は全国高校駅伝があった。
ある強豪校のコーチが体罰をくりかえしていたことが事前にわかり
大きくとりあげられた。
コーチは処分されるかたちになったが、
選手に責任はないということでその学校は参加を認められた。
一方、ある強豪校のコーチである教師も過去に体罰をくりかえしたことで、
生徒と両親が学校に対処をもとめ、
結果として学校も教師も体罰の事実を認め教師は辞職した。
しかし、その教師は私塾をひらき自費で選手たちの指導を今年も行なっている。
というニュース特集がCXで流れた。
宮根氏が司会みたいなこと(キャスターとかMCとか呼びたくない!)
をしている番組である。

観た方も多いと思うのではしょって書くが、
その学校の陸上部の選手の約三分の二が
この元教師が運営する私塾に入り寮生活をしながら練習し、
その寮から学校に通っている。
もちろん元教師は生活の指導もしているし、
夫人が食事をすべてつくっている。それはすごい努力である。
さすがにもう体罰はしていないが、
とうぜんにも指導はきびしい。
だが、かつて就任後わずかな期間で全国制覇をなしとげるまでの
駅伝強豪校に育て上げた実績を慕って
生徒たちはこの私塾に参加している。
教師を辞職したとき、コーチとしての復活をもとめる署名が
なんと3万名分もあつまったという。

一方で12名の選手はこの私塾にははいっていない。
また、体罰をうけて身体も心も傷ついた生徒とその関係者は釈然としていない。
おどろいたのは、
教育委員会は「私塾としてやっているクラブということだから、
そこへの参加に問題はない」と説明し、
学校も「私塾に生徒が陸上を習いにいくことを、
いいとかわるいという立場ににない」と、なんとなく他人事であったことだ。

まあ突っ込みどころだらけではあるが、
まず気になったのは「私塾派とそうじゃない派」という分裂した部にあって、
代表の選手をだれがどうやってきめているのだろうかということだ。
単純に記録で選んでいるのだろうか。
ものすごい違和感である。部としてのあり方としてへんてこりんである。
 
番組では宮本亜門氏と
もうひとりのどうでもいい若手評論家がコメントしていた。
宮本氏は「演出家が、できない役者に感情をむきだしてしまえば、
いい舞台にはならない。ぼくもキレそうになることは人間だからあるけど、
ぐっとのみこんでからことばをだす」といったのが印象的だった。
それはインタビューをうけていた元教師(よくうけたと思うが)が途中で、
私塾をすることへの批判があることに対してどう思うかという質問に、
感情的になったことをさしていたのだが…。

その後の宮根のまとめももうなげやりで、
とても消化不良になった。
とくに羽生選手の超人的な演技のあとだったのでがっくしである。

で、ここではっきりさせたいが、
ぼくは教育の現場における「体罰」という言語そのものを否定する。
罰、すなわちPunishmentは、罪に対して発生する懲戒行為だからだ。

そして授業でも部活動でも、教育という現場において生徒、
児童の行為を教育者が「罪」として裁くことはありえない。
授業中さわごうが、部活動をさぼろうが、
それは教育プログラムのなかでおこったことであり、罪ではけしてない。

仮に傷害事件のように
「保護」の範囲をこえた社会的刑事的な罪をおかしたとしても、
教育にたずさわるものはそれを「罪」として裁くことはできない。
子どもたちを裁いた瞬間に自らが裁かれていることを
教育に関わるものは覚悟しなければならない。

罪でない以上、罰はありえない。だから「体罰」ということばは、
暴力をいいかえたにすぎない。
ただ、スキンシップと暴力の境目がむずかしいこともある。
ほんとうにかるく平手で頭をポンとさわったのをなんとよぶのか。
しかし、そのあたりまでナーバスになる時代であることもたしかだ。

ともあれ抑制されていない感情で指導をすることはあかん。
そして指導ということばもぼくはだいきらいだ。

教育、educationの語源は 
ラテン語のeducatio = e-(=out)+doctus = 子供の資質を引き出す行為であり、
癒しでもあるのだ


さきほど吉岡ゆうこさんのところで
ものをつくる人の孤独と誇りについてふれたが
その意味ではテューターは仲間がいてもじつは孤独な作業だ。
だからこそ激励が必要だと思う。
テューターはだれもが
「ひとりのひととりのラボっ子の人生に幸あれ」という
愛と慈しみの心でパーティと
そしてラボっ子にむきあっていると思う。
でも、子どもの人生に関わるというのは、
さきほども書いたように
じつは「かなり傲慢でおそろしいと」だともいえる。
ぼくも、「ひとりでも多くのラボっ子の心にとどく作品を」という思いで
制作に携わってきたが
それもまた「子どもの心に入っていこうなどという、
傲慢でおそろしいこと」だ。

でも、そういう強い思い、
泣きたいほどのせつないまでのラボっ子たちへの思い
ぼくの立場でいえば作品への思いにうそをつくことはできない。

ぼくがテューターの孤独さ。
それは誇りでもありきびしさでもあるわけだが
ほんの一部だけど理解できる気がしているのはこうした点だ。

まもなくウィンターキャンプだ。
それはしめくくりの活動でもあり、
新しい年の活動のはじまりでもある。
ひとつの物語のおわりが
あたらしい物語のはじまりだあるように。

よき新年を!
「でも、生きたではないか」と無力なぼくを救う地蔵 / アーティストにできること 11月30日 ()
vdsj.
息苦しさの増大に比例して月日は加速度的に進行し、まさに過客。
とうとう明日からは師走である。
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
もうめくることはできない。あとはむなしく壁があるだけだ。
と、ふと気づいたら来年のラボ・カレンダーをまだいただいていない。
関係者の方、おくってください。できれば2部。ちゃんとお金ははらいます(笑)。

年の最後をかざるのは、「やっぱり」と予想した通り、
『かさじぞう』"The March of Jizo”に題材をもとめた作品だ。
描いたのは 杉浦太亮くん(6歳・廿日市市/後藤P)。

題材は予想通りだったが、タッチや色やフォルムは予想をこえていた。
だから子どもの絵はたのしいしおもしろい。
なにより最初に感動したのは、
昨今の急速に日本全体を覆い尽くそうとしている「いやな」閉塞感や、
さらには21世紀にはいって12年もたっているのに
未だに紛争や差別や貧困や不公平や飢餓などの
「血と汗がめぐる岸辺」からはなれることのできない人類のせつなさといったことに、
どうすることもなかなかできない「自分自身の無力感」を、
地蔵たちが「だいじょうぶ。おまえは生きたではないか」
と語りかけてくれたからだ。
dcvfd
ふりしきる雪のなかで、六体の地蔵菩薩たちは凛として、
そしてやわらかく、無限の慈悲で世界をつつもうとしているように思えた。
いささかおおげさかもしれないが、
急に寒くなった気温と前述したようなせつなさにとらわれている精神状態には、
そんな救済を感じさせてくれる作品であることはまちがいない。

雪は音を吸収するから、吹雪でもないかぎり静かである。
子どものころ、妙に静かで明るい朝に目覚め、
窓をあけると銀世界に声をあげるという経験は
東京生まれのぼくにもある。
その後、縁あって新潟県の松之山という有数の豪雪地帯で研究をすることになったが、
二週間雪がふりやまぬ村の無音のたたずまいは今も記憶にある。

そうした「静けさ」を音にするのがむずかしい。
同様に静寂感が伝わってくる描画もなかなかたいへんである。
でも杉浦くんの絵からは「静けさ」がたしかに響いてくる。
かつてアナログの時代は誰も居ないスタジオで
10インチのテープを38mmでまわし、
「無音の音」を録音して、セリフのつなぎ目などにつかった。
バイアスといったりルームトーンといったりしたが、
ようするに静寂の音である。
マイクを完全にしぼった無音は「スカッ」と欠落した感じになり不自然にきこえる。
だからマイクは生きているけど誰も話していない音が必要だったのだ。

話を絵にもどそう。使われている色はけして多くはない。
だが、背景の空やふりしきる雪には微妙な変化がある。
これらは偶然の要素もあるだろうが、
たくまずして静けさをあらわす要素になっている。

でもなにより、色そのものが魅力的だ。
地蔵本体の中間色はもうおしゃれな現代色であるし、
笠の色もマスタードがかったイエローオーカー(いわゆる黄土色)でかっこいい。
ちょうど笠の後ろのあわいブルーの空と見事な補色になっているのもすばらしい。
補色は美術でならったりするが、
杉浦くんのような少年はもう感覚的に分かっているのだと思う。

Songbirds μを編曲された故・廣瀬量平先生は
「おさないときから、なせがこの音とこの音の組み合わせが美しいというのがわかった」と、早稲田でパスタを食べながらおっしゃられたが、
杉浦くんの色の感覚はとてもおもしろい。
この場面では原画もたしかにそんなにたくさんの色を使用していないが、
全体に抑制をきかせて静けさをだしているあたりはもう脱帽である。
また蛇足ではあるが、立ち木や大地の面積を小さくしたのも透明度をあげる結果となった。

雪や地蔵は輪郭がどられているが、
はみだしをまったく気にせずに自由に彩色しているので
世界が分断された塗り絵になっていないのもすがすがしい。
むしろ地蔵の縦の輪郭などは力感がでていて
地蔵パワーを増幅させているとともに、
全体単調になるのをふせいでいると思う。

「かさじぞう」は日本じゅうにバリアントがあり、
地蔵の数も六道救済の意味から六体が多いが、
一体から十二体まであるし、おじいさんがかぶせるのも笠とはかぎらず、
縮で知られる小千谷などでは反物になっている。
また、たりない笠のかわり「てぬぐい」を巻くというのが一般的だが
ラボのライブラリィのように「褌」であるのもめずらしいケースではない。
さらにおどろいたことに、
地蔵は老夫婦のへの御礼のかわりに
ふたりを極楽浄土につれていくといバリアントまである。
fthtyj
地蔵菩薩は弥勒菩薩がいる兜率天にあって、
弥勒が下生するまでのあいだ衆生を救う。
釈迦の死後、仏なき時代がつづくが、
弥勒が地上にあらわれるのは56億7000万年後である。
なんと地蔵はそんなにも長い年月がんばらねばならない。
この56億7000万年というほとんど無限に近い年月を
弥勒が待機するのも謎なのだが、
これにも諸説あり多くの宗教家や仏教哲学者が研究をしている。

おもしろいのは、弥勒の天人としての寿命がおわったときに
地上にあらわれることから計算した説だ。
すなわち天での弥勒の寿命は4000年であり、
天の1日は地上の400年にあたるので、
4000年×400×12×30= 5670000000年ということだ。
また、この数字自体は「とてつもなく遠い」という意味にすぎないという人もいる。

ともあれ、仏教がたぶんに世界観、宇宙観をときあかそうとした思想であることが
この話からも感じられるその宇宙にあまねく偏在する人智をこえた力として
仏をとらえようとしたのだろうか。

「かさじぞう」などにみられる民間信仰(賽の河原で子どもをすくうというのは
日本の間親交)としての地蔵は、
もちろん仏教的要素ももつが、
年越しに遠方からあらわれる正月の神、
ナマハゲのようなマレビトと根っこではつながっているといわれる。
老人が地蔵と出会うの村と町の境界であることが多く、
ここから道祖神ともむすびつき、結界のディフェンダーとしての役割も地蔵にあった。

いろいろな役目を60億年もがんばる地蔵菩薩だが、
あまたの菩薩、如来のなかでもっとも人間に近く親しみやすい存在であることもたしかだ。
2014年がどういう年になるかはきわめて不安だ。
さまざまな神仏はもはや人類の救済については匙をなげてしまうかもしれぬ。
せめて地蔵菩薩だけは見捨てないでほしい。
地蔵の名の由来は大地のように無権の慈悲による受け入れであるからだ。
原作の絵本多豊國先生、日本語は中村智子さん、英語はスズキ小百合さん。
写真はこの春に彼女が翻訳した芝居をみたあと、
渋谷のスパニッシュ・バルでさわぐ同級生たち。
そは
scsa
写真は『寿限無』の絵を描いてくださった茶畑和也さんご夫妻だ。
もう説明するまでもないだろう
ぼくと茶畑さんとの出会いは10年前にさかのぼる。
名古屋のラボ会員の父親で楽しいけどあたたかく深い絵を描く人がいるというのを
ある人からきいていた。
そのときに茶畑という名前がインプットされた。
そして2003年の春に青山のスペース・ユイで個展をされるというので拝見しにいき、
はじめてごあいさつしたのだ。
その日は雨で.作品の青がやけにうきたって見えたのをはっきり覚えている。
在廊していた茶畑さんは、長身に人なつっこい笑顔をのせて登場した。
おだやかなものごしだが、瞳の奥に少年のきらきらと強い意志としずけさ
というふしぎな力を感じた。これはアーティストに共通するパワーである。
これを強く感じたのは順不同で書くと、司修先生。林光先生、間宮芳生先生、
廣瀬量平先生、靉嘔先生、宮沢和史氏…、などなど。

その少し後、2004年にリリースされる「笑いを」テーマにした
ライブラリィのプロデュースをはじめたが、
収録作品がコールデコットの絵本やパオラの絵本などときまっていくなか、
最後に日本がほこる話芸である落語作品のなかから『寿限無』を
とりあげるとことが決定した。
あの名前を英語にするという離れ業は鈴木小百合氏、
音楽は谷川賢作氏、語りの中心は当時一平だった現在の林家三平氏と
パックンことパトリック・ハーラン氏。
そうしスタッフやキャストが確定していくなか、
オリジナルの絵をだれが描くかが最後のテーマだった。
そのときにうかんだのが、あの雨の青山で観た茶畑さんの絵だったのだ。

ぼくは彼の家までおしかけていき
過去作品までひっばりだして見せてもらうという暴挙にでた。
そして子どもたちにむけて全力の絵を描いてください、とオファーした。

『寿限無』は落語のネタとしてはいわゆる前座噺である。
だが、あのばかばかしい長い名前には
はじめての子どもを授かった父親の大きな愛情がつまっている。
やり過ぎがおかしさにつながるが、愛しすぎてなにがわるい! 
といういさぎのよい父性がすがきもちよい。
そして茶畑氏はすばらしい父親でもありナイスダディである。

それ以来のおつきあいで、
名古屋方面にいくときはできるかぎり時間をとってごあいさつするようにしている。
で、じつは中部のテーマ活動発表会を観た夜も、
名駅の近くでおいしい焼き鳥メインのちょっとフレンチという店で
たのしい時間を過ごした。
その御礼というわけではないが、茶畑さんの最近の作品を紹介する。

ひとつは朝日新聞でも大きくとりあげられた「ハートの時間」を絵本にした
『ひとやすみ』発行 ゆいぽおと 
発売 KTC中央出版http://www.amazon.co.jp/ひとやすみ-ハートの時間-茶畑-和也/dp/4877584455

もうひとつはこの三年間だされているハートのカレンダーである。
これは1000円で販売し、売り上げの一部を東日本大震災、
福島原発事故関連の支援におくられる。
このカレンダーの買い方はまもなく
茶畑さんのHPにアップされるとのこと。限定1500部! 茶畑和也で検索!

絵本の帯やあとがきには夫人のひろみさんが、
ハートのいきさつを書かれている。
「東日本大震災、福島第一原発の事故のあった2011年3月のある日、
夫、茶畑和也は『今日から毎日ハートの絵を描く。
ぼくは絵描きだから絵でできることをしてみる』といいました。
そうして毎日ひとつずつハートの絵を描き続け
2013年9月にハートは900個になりました』

ひろみさんは娘さんが震災後に進学のために上京することになったとき、
放射線の東京への影響を調べはじめたことがきっかけで
情報の隠蔽をはじめとするさまざまな日本の危機的な状態に驚愕し、
母親の目線からラディカルな発信をされている。

このEveryday Heartがはじまったころ、
ぼく自身は「なんでハート」だった。
愛を表現するのに愛とさけんでいるようで、
あまりにストレートで通俗だと小さな頭で思ったのだ。
だが、Facebookで毎朝かなり早い時間に1日もやすまず公開されていき、
そこには本人の説明や講釈はなく
ひとことのタイトルのようなものがつけられているだけだった。

それに次第に多くの人が感想やコメントを正直に描き込むようになった。
すると、作品もまたそのコメントをまともにうけとめたかのように変化したり、
または逆の方向にいったりといきいきと成長しはじめた。
ハートも複数になったり、空をとんだり季節をうたったりと、
おそらく作者もおどろくように変化していった。
SNSを通しての発表は観る人の環境によってはとても小さな画面での閲覧だし、
色味も微妙な差異がでる。
でも。それに反応したコメントがあったから
今日も続いているのではないだろうかと憶測するのだ。

やがてこれらの作品はついには各地で、
もちろん福島でも展示されてライブで出会うことができるようになった。
じつは、ぼくも仕事場においておきたくて購入させてもらった。
また、何人かの知人プレゼントもした。
それは、新しい人生をはじめる人であったり、
日々なやみつつも、明るく子どもたちとむきあっている女性であったり、
シヴィアな病気と前向きにたたかっている若い人であったりだが、
全員が「力をいだたいた」といってくれている。ハートのパワーおそるべし。

ここまで、書くと、中身の絵を見たい? そしたら買うの! いい、買うんだよ!
bvdfb
qrfwrg
だれがなんといおうと、やっぱり物語だぜ! 4 11月19日 (火)
fwef
タイトルを見て、ひさしぶりにカレンダー以外の内容かと期待した方にはもうしわけない。
むくつけき汗臭い写真で恐縮だが
物語の噺をする前にちょっとだけおつきあいいただきたい。
先週の土日はあまりもギャツプのある週末だった。
16日の土曜日には調布市のアミノバイタルフィールドで
関東大学アメリカンフットボール連盟3部Dブロックの
公式戦最終節が行なわれた。

ICU Apostles対筑波大学Excaliburs。使徒と無敵の剣のたたかいである。
どちらも4戦無敗どうし、
勝ったほうが優勝で12月の2部昇格への入替戦にいける。
敗北すればシーズン終了である。
昨年も両校の対決があり、
ICUが勝利して勝ち点の差で優勝することができた。
しかし、帝京大学との入替戦では敗れ今年こそは2部へというのが悲願である。
gree
ICUは女子と男子の比率が6対4、学年によっては7対3なので、
こんなはげしいスボーツをする物好きはたいへん少ない。
対して筑波はさすがに国立大学で人数も多い。
苦戦は予想されたが、やはりおしきられてしまった。
reer
上のものすごい形相の青年が今年の主将をつとめた朝日田くんだ。
彼は小柄だが俊足ですぐれたパスキャッチャーであり
守備でも要である。
朝日田くんの実家は大船渡市である。
この寡黙なキャプテンは、ふるさとのこと、家族のことそして自分の未来など
いろいろなものをせおって最終学年をたたかった。
彼はやぶれても最後までどうどうと全員をはげまし、
胸をはって写真をとった。
でも、その二日後に全員に静かな悔しさをにじましたメールをおくり
みんなが泣いた。

そんなはげしい土曜日だった。
ぼくも大手術をした年から4年の間、
0Bとして彼らのすべての試合の写真を撮影してきた。
今週からは新しいティームだ。
やることははっきりしている。とにかくまた前にいくしかない。
物語といっしょで、EndingはStartingなのだ。
fsdfs
日曜日朝、品川からN700「のぞみ」に乗って名古屋へ。
名古屋から東海道線新快速でで刈谷までもどる。
中部支部のテーマ活動大会発表を観るのだ。
中部方面に行くのは春の「わかものフェスティバル」以来。
このときは翌日に大阪の岸和田で人工芝工場の視察があったので
それにひっかけてでかけたのだが、
今回もじつは以前からたのまれていた千種区の覚王山というところで
ちょっとした所用というか仕事のようなものがあり、
先方にわがままをいって日取りをかえてもらい、
ちゃっかり前日入りしてテーマ活動を観ようという魂胆である。

かつて「らくだ・こぶに」氏が
「名古屋は東京と大阪に両手をかけて
ぶらさがっているオランウータンである」といったが、
それは若き日に酒席できいたために妙に頭にすりこまれており、
へんな先入観になってぼくの頭を支配している。
それは彼らしいレトリックであるが、
画像で想像すると失礼である。

ただ個人貯蓄高の多さとか味噌とか
モーニングなどの食文化や独特なファッションとか道の広さとか、
なんとなく飄々としたところとか、
ぼくとしてはみんな好きである。
そして、ぼくが知る名古屋の知人は基本的に気さくでありまじめである。
上と下の写真は『雪渡り その二』名古屋市・横地由起子パーティ
htrrth
会場は刈谷市総合文化センターの大ホール。
「わかもの」でもつかわれたなかなかいい施設だ。
音響もわるくない。
発表されたのは『雪渡り その二』名古屋市・横地由起子パーティ、
『エメリヤンと太鼓』稲沢市・森部照代パーティ、
ここで休憩があり、小学生90名による英詩とナーサーリー・ライム3編、
そしてトリが『はだかのダルシン ケルトイの掟』
羽島市・近藤智子パーティである。

下の2枚は『エメリヤンと太鼓』稲沢市・森部照代パーティ、
dqwd
qwdwq
今回、中部に行こうと思ったのは
前述のように「ほかの用事にひっかけないとなかなかいけない」という
不純な動機もあるが発表テーマにひかれたことも事実。
『雪渡り』は、自分でプロデュースした作品のなかでも
いろいろな意味で印象が深い。
もちろん携わったすべてのライブラリィに
それぞれ思い入れがあってそこに差はないのだが、
季節とか社会状況とか時代性とか自分の心情のたたずまいなどから、
「あっ、いまこの物語にふれたい」みたいなものは確かにあるし、
あって当然だし、あったほうがいいと思っている。

『雪渡り』は、この秋にひさしぶりに原画を神奈川近代文学館で拝見し、
そのときに行なわれた絵の描き手である司修先生の講演会で
先生と10年ぶりにお会いしこととか
(先生は幽霊を見たようなお顔で両手を揚げておどろかれた)、
秋は賢治が亡くなった季節であり、
11月は賢次の最愛の妹トシが世を去った月でもあるとか、
そんなこんなが重なっていてどうしても観たかった。

さらに昨年1月に80歳で亡くなられた作曲の林光先生が音楽を担当されているが、
平和をおびやかすものを拒否し続けた先生がいらっしゃったら、
今の日本をどうご覧になるのかとか、
もういろいなものがかけめぐっていた。

忘れもしない、早稲田のアバコスタジオでこの音楽を録音したとき、
すでに司先生のすべて青でごく一部に虹がある絵を
いただいていてものすごい衝撃をうけていたのだが、
林先生と司先生はそのための打ち合わせを
おふたりでされたわけではないのに、
絵からとびたしたようなメロディが、
また旋律からあの絵がうかびあがるような、
そんな鳥肌がたつインバクトがアタマの数小節で感じられたのだ。

横地パテーティの発表を観ていると。
それらがすべて一気に蘇ってきて息苦しくなった。
とくに幻灯会で子ギツネたちが歌い踊る場面などは
戸越のスタジオでいきいきと録音し、
紺三郎と語りを担当された戸田恵子さんと
どうどうとわたりあったラボっ子たちの顔がうかんだ。

そんな特殊な心情でテーマ活動をみるのもどうかと思うがしかたがない。
でも、そうした昔の想い出だけでなく、
どの発表にも学ぶことがたくさんあったことも事本当だ。
子どもたちは「常に時代の先端を生きている」
それはうたがいのないこと。
とくに幼ければ幼いほど、最新の情報や状況をまともにあびる。
だから社会のひずみや閉塞や不公平は、
未来をになう子どもたちを直撃する。
そのことをおとなたちがいかに危機感と慈しみをもって
認識して行動していくのかが、今強力にもとめられているのだ。
※この『エメリヤン』についての部分はFacebookに書いた報告を加筆したものだ。
そして発表Pの「るるさん」こと森部テューターに引用していただいているので、
そこをすでに読んだ方はスキップしてください。

『エメリヤンと太鼓』は、ぼくが組織担当から本部の制作に異動した直後の作品。
ぼくはまず『ことばの宇宙』の編集をしろといわれて、
徹底的に『ロシア特集』を続けた。
だからこのライブラリーで制作に加わったのは
校正などのチェックがほとんどで、
後はスタジオや専門家の研究室で取材ばかりしていた。
この物語のテーマはかなり重たいものだ。
内容は明るくはないし、なにやら暗示的だし、
語彙は平明だけどふしぎなことばが多い。
最初から「大好きなお話」とはなりにくい物語かもしれない。
絵本も「かみや・しん」先生のぶっとんでかっこいい半立体抽象だ。

この物語はもう百年以上前の19世紀の終わりにトルストイが書いたものだが、
昔話の香りはしても古くさい感じはしない。
それは「ここにもない、どこにもない」、
でもどこかにきっとある「人間の真実」のような、
現代にも通じる人間の本質的なことをあつかっているからだろう。
トルストイは晩年、自らの大作『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などを否定し、
昔話という人間、民衆の心がつまったスタイルをかりて
自分の思想を表現したのはご存知の通りだ。
このヘヴィな物語にむきあう子どもたちが物語と睦みあい、
ときにすれちがったりわからなくなったりしながら物語に近づいていった
日々がとてもあざやかに感じられた。

いつもいっているが、
テーマ活動そのものは教育プログラムだから、
「うまい」とか「いい」とか「よくいえている」
などということは極論すればどうでいいと思っている。
第一、こんな大きな舞台での発表は本来の活動からは異質なものだ。
でも、物語にパーティ全員で「日常とはちょっとちがうかたちで」、
いろいろな思いとそれぞれの人生
(高校生は高校生なりに幼い子は幼い子なりに)を総動員して
けんめいに取り組むことは、
たいへんだけれど最高のぜいたくであり、
それだけですばらしい教育プログラムだと思う。
支部発表会は、たしかにラボをアピールするよい機会ではあるが
ぼくは「ライブラリィを可能なかぎり聴きこむ」という条件を満たしていれば、
まずあるがままのこどもたちの姿を
愛情をもってうけとめることがいちばんだと思う。

さらにいえば、あるパーティが表現する物語が
どういう「仕上がり」かというよりも、
その物語に取り組んできたパーティが
どのような「物語と睦み合い方」をしてきたかのほうが
圧倒的に関心が強い。
同様に皇帝に取り組む仮にAくんが表現する皇帝がどうかというより、
皇帝に取組んだAくんがどうであったのかに思いがいく。
なぜなら教育プログラムだから。  

発表会は発表するパーティがなにをつたえるかより、
観ているラボの仲間ひとりひとりが「なにを汲み取るか」が重要であり、
それこそが支部発表の意味だとぼくは勝手に思っている

で、ここまで書いて矛盾するようなことをいうが、
「エメリヤンをみちびくおばあさん」役の女子の表現にインパクトがあった。
個人をほめるのはどうなんだといわれるが、
感じたことなので書く。
このおばあさんがエメリヤンに助言する場面は
半沢直樹もびっくりの長ゼリフ。
これを彼女は自然なリズムで、ことばひとつひとつを意識して
ていねいに語った。

森繁久彌さんの名言に「セリフは歌え、歌は語れと」というのがあるが、
まさにそれを地でいっていた。
ぼくはセンターの10列目くらいにいたが、
彼女がとても大きく見えた。
高校1年生くらいかなと思ったが、
英語も日本語もとても自然で幼い子のようである。
高校生くらいになるとどうして「発音の個性」がかたまってくる傾向があるが、
彼女は紙粘土のように自在である。

後で本人にきいたら中1だというのでびっくりした。
しかも小柄な女性である。
さらにきくと、取り組みはじめのころは「とにかくいおう」という意識が強く、
三枝成章先生の音楽が1分以上あまってしまったそうだ。
それが音楽のリズムやメロの変化にびったりのって見事な尺だった。
ただ聴き込みの多さと、物語へ接近していく角度と深度の結果だと思う。
それらのパラメーターが彼女自身を大きく見せていたのだ。

※下の2枚は『はだかのダルシン ケルトイの掟』羽島市・近藤智子パーティ
ewfew
vffew

『はだかのダルシン』はニコル作品の再話だが、
この物語だけでなくライブラリィ全体が「ニコルの世界」の一巻だ。
2006年にニコル氏とともにウェールズ、カナダと飛び回り
英語のセリフや音楽の録音をする貴重な体験ができた作品でもある。
ニコルさん自身のラボへの思い(『タヌキ』が実質上の彼のプロ・デビュー作品)、
がつまっている。

彼は作家としての孤独性をたいせつにしている一方で
自然保護や森林再生、そしてラボ・ライブラリーづくりのような、
未来と子どもたちにむけて、おとなたちが「仲良く喧嘩しながら、
ともに作っていく」ことの感動もだいじにされている。
バンクーバーでの『サケ、はるかな旅の詩』の音楽録音の後、
作曲家のダンカン氏、絵を担当したカナダ先住民出身のスーザン・ポイント氏、
そしてバンクーバー在住のニコル氏の長女Miwakoさんなどを招いて
ささやかな食事会があった。

ニコル氏は乾杯のまえにめずらしくたちあがってあいさつするといった。
いつもなら「酒を前にしてあいさつする奴はぶっとばす」と笑う氏が、
ちょっと緊張してみんなにいった。
「ラボはただの英会話の会社じゃない。
物語とアートと音楽で子どもたちのことばと表現をそだてる会社。
その中心になるのがラボ・ライブラリー。
みんなのおかげて、またすばらしいライブラリーができる。
ほんものが子どもたちにとどく・ありがとう」
すばらしい夜だった。
4月のはじめ、北国は雨だったがそれはあたたかい春の雨だった。

そして、近藤パーティのダルシンもまた、
たくさんのことを教えてくれた。
自分でいうのもおかしいが、
「あれっ、この物語、こんなにおもしろかったか」と新鮮なきもちになった。
この物語はケルトの世界を下敷きにしながら
ニコルさん自身が展開するファンタジーであり、
少年ダルシンの成長譚だ。

ケルトの祝祭や通過儀礼が登場するが、
あくまでもフィクションでありケルトの昔話そのものではないし、
ケルト文化研究資料でもない。
ただ、ヘブライイズム、ヘレニズム、キリスト教やギリシア文化がかたちづくってきた
ヨーロッパの価値観や文化では説明できないものを
とらえているもうひとつの大きな潮流としての
ケルトが底流にあって人間の成長にたいせつな本質を語っているのだ思う。

そのことをなにか資料や講義などの頭で考えるのではなく、
言語体験のくりかえしのなかで近づいていこうとしたのが近藤パーティだったように思う。
とにかく、全体が個々がライブラリィをよく聴いて
いるのが耳だけでなく全身で感じられた。
結果として「よく聴き込まれた発表」はなにかが伝わってくる。
それを汲み取るのがたいせつだ。

で、さいごにまたほめる。
悪役であるグンダー総督のセリフが冒頭にあるが、
この男子の声がすばらしい声だった。
もうこれはもって生まれたものなのだが、一気にひきずりこまれてしまった。
こういう声はやはり天からのさずかりものなのだろうか。
それまで特別な訓練とか発声指導はうけていないという。
それがよかったのかもしれない。
発表会は15時過ぎには終った。

もう1編くらいは観たいなという感じだ。
でも、食事といっしょで八分目がいいのかもしれぬ。
「いい発表」も「わるい発表」もない。
でも、個人的に「すてきな発表だった」というのはアリだと思っている。

そして、むだれがなんといおうとやっぱり物語だぜ!
<< 前の10件 | 次の10件 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.