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記録的早さの桜開花宣言の昨日、
日比谷公会堂で開催された「2013ラボ国際交流のつどい」に参加した。
受付で事務局OBということで来賓のリボンをつけてもらったが、
なんだか恥ずかしい。
冒頭はいきなり「参加者ひとりずつ」の「いってきますの表現」だ。
決意表明といういい方はどうも好きじゃない。
決意なんて表明するものではなく秘めるのが花というものよ。
なんてひねくれたりして。
石橋テューターがFBに書かれていたか、
第三者からみれば「希望者が参加する一か月ホームステイの準備活動のはじまり」を
なぜこんなにもりあげるのかということになる。
事実、ぼくも現役のときに、
このプログラムに違和感をもったこともある。
ただ、やはりよくよく考えてみると、
このつどいはラボ国際交流プログラムの特徴が凝縮されている。
その特徴はいまさらではあるが、
まず準備して参加する教育プログラムであること。
相互交流であること。
さらに家族や地域をいい意味でまきこみつつ広がり、
世代をこえて受け継がれていくという、
まさに「民間草の根交流」であることなどだ。
しかも、これらの特徴をすべてもっている交流教育ブログラムは
ラボ国際交流以外にはない。
そのことがスッキリ理解できるのがこの国際交流のつどいなのだと思った。
この交流を40年以上も継続してきたことも、
もはやひとつの歴史といえる。
その根底にあるのがラボ活動、
すなわち言語を人間文化、思惟の中心ととらえ、
そのすぐれた表現のかたまりである
物語を通した言語体験においていることも見逃せない。
もうひとついいかたをかえてみる。
ラボ国際交流にはざっくりいえば3つの段階がある。
第一段階は幼いときからの準備。
パーティ活動、キャンプ、そして事前活動。
そして第二段階は実際のホームステイ交流。
さらに最も美しく長い第三段階が、
その友情と絆を携えて生きていく人生そのものである。
とりあえず写真をアップする。激励テーマ活動が中心である。
もうしわけないが、主役である参加者、ご来賓のあいさつ、引率者紹介、感動的な激励表現などは割愛してしまった。
※大量の写真はFBにアルバムしてあります。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.440042249405466.1073741830.100001990857831&type=1
『ジョン万次郎物語』の発表を観るのははじめてである。
いつも書くことたが、こうした大きなステージでの発表は
テーマ活動のかたちからいえば特殊な状況である。
毎週のパーティ活動にその本質の多くはある。
なんども書くけれど教育プログラムだからだ。
しかし、支部発表会などもそうなのだが、
このような大舞台でパーティ全員で
「自分たちが取り組んできた物語への思い」を
多くの人びとにむけて表現することもまた、
ぜひ体験してもらいたい教育プログラムであるということだ。
ただ、それが「ゴールではない」だけである。
こと国際交流のつどいでの発表には
「激励テーマ活動発表」という冠がついてる。
その意味では、青池パーティの発表は物語の選択としては
きわめてわかりやすかったし、
いってらっしゃいの思いが強く伝わってきて
じつにさわやかだったと思う。
参加者もその思いわうけとめたと確信する。
だが、それよりもさらに感動したのは、
あれほどの大人数が、かなりプレッシャーがかかるステージで、
じつに自然に物語を楽しんでいたことだ。
これはとても新鮮だった。
これだけの人数での発表になると、
いろいろ難しいことがある。
とくに幼い子どもの発声が年上の子にひっぱられ、
声をそろえようとして、なにやら呪文のようなリズムになってしまったり、
物語の状況や主人公の心象風景などを身体で表現しようとするとき、
やはり幼い子どもがその意味についていけなくて
「ただいわれた通りに動く」こともないことではない。
青池パーティは、
そんなことは「物語を心から楽しめば関係ない」と
さわやかに証明してくれた。
万次郎役は年齢差があり性別のちがう2人だったが、
相当聴き込んだのだろう。
それぞれのきもちがちゃんと伝わってきた。
一部、複数で発声するとき「声をそろえたな」と
感じられるところもあったが、
それすらご愛嬌であった。
というのは、幼い子たちがじつにのびのびと、
自由に動きまわっていたのがすごかったからだ。
ちゃんと物語での役割を理解していて、
それをきっちり心から楽しんでいたのはびっくりである。
最初、あまりに自由なので驚いたが、
それは楽しんでいるからそう見えたのであった。
一見ぐだぐだに見えそうになるのだが、
それぞれの役割が認識されているので
全体として物語として成立していた。
それぞれが主体的に物語に関わっている。
そのことが、まさに教育プログラムとしての証しだった。
いわゆる「キメキメの身体表現」とか、
「よく考えた動き」などはあまりない。
でも、自然さのなかにきっちりメッセージがあった。
うーむ。ほめ過ぎか。そんなことはない。いい午後だっだ






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ようやく更新と改訂!『ざしき童子のはなし』の写真を追加。

タイトル写真は3/3刈谷市で行なわれた「2012わかものフェスティバル」より 神奈川支部『平 知盛』

三澤制作所のラボ・カレンダー3月をめくった。
いつもは「めくる」なのだが、
弥生朔日の夕方、メールの返信や整理が一段落して
夕食までさぼろうと思ったとたんに気づいた。
そうだ3月になったのだ! あせる。

絵はごぞんじ"Stop, Taro!"『たろうのおでかけ』。
描いたのは中島向日葵さん(5歳/千葉市・竹内P)。
うーむ、お名前は「ひまわり」さんでいいのだろうか。
ご存じの方はおしえてください。
題材となった絵本の原作者は写真の堀内誠一先生(1932~1987)である。
ラボ・ライブラリーの第1号であるSK1収録。
1969年1月のリリースだから、もう44年前の作品である。
しかし、ぜんぜん色あせないし、それどころかますす輝いて見える。
たしかに登場する車やお店などはレトロなのだが、
フォルムも色調も時をこえてお洒落だと思う。

賞味期限がふえていくイラストといえる。
文学や美術や音楽に古典があるように
お洒落の感覚にもオーセンティックで普遍的なものがあるのだろう。
ここで例によって話題がワープする。
ぼくは常づね思うのだが、
古典は人間精神の普遍的な真実に根づいているがゆえに、
時間も空間(国や地域)もこえて人びとの心をヴァイブレイトする。
だからベートーベンは300年後に聴いてもやはりべートーベンだし、
「源氏物語」もやはりそのままだと思う。
さらに、古典はほとんどの作品が
生まれた時代のニューウェイヴである。
ベートーベンの第五の出だしの4連譜の和音などは
当時としては掟破りの組み合わせだし、
ミケランジェロのモーセにも人びとはひっくりえった
(ミケランジェロは完成したモーセの膝に手を置いて
「さあ立って歩け」といったそうだ)。
よく古典はむつかしいから苦手とか、
古いからちょっという人がいるが、
クラシックは「今のことだ」と思って接すればじつにおもしろい。
それもこれも人間の普遍性に根ざしているからにほかならない。
シェイクスピアしかり、ギリシア悲劇しかり。
もう少しつっこむと、
たとえば『トム・ソーヤ』が特定のすごいせまい地域の特定の時代、
19世紀なかばのアメリカの地方を描きながら
世界中で愛されてきたのは、ひとえにトムやハックを通じて
「少年の普遍性」、すなわち少年というもののあやうさやもろさ、
みずみずしさや弾力、せつなさや透明感などを描いているからである。
さらにアメリカがもつ「つよさも弱さも含めてあまりかわらない部分」を
トムを通じて描いているからでもある。
トムはいまでもアメリカの正面玄関で
自由の女神の肩にすわって足をぶらぶらさせて遠くを見ている。
そしてまだそこにいる。
そんなトリビアはともかく、
5歳の体力をぜんぶ投入した作品に喝采である。
たのしんで描いているのが十分わかるので、
本人はつらくはなかったろうが、
あきらかに肩幅より大きいサイズの用紙を
うめるのは5歳にはものすごい力技。
だから描き終えたあとで熱でもだしていなかと心配になる。
でもそんな苦労を感じさせない空の透明感と
全体にあふれる開放的気分と自由さにはただ憧れるのみである。
自由でありながらバランスはとてもさわやかで
「ゆきちゃん」がうかんでいるのもまったく気にならない。
そして空の雲とか緑の草原などへの描きこみも半端ない。
場面はガールフレンドのゆきちゃんの誕生日に
アイスクリームとスミレの花をもって
ペットたちとともに疾走したたろうが、
いよいよゆきちゃんの待つ草原の家にたどりついたところだろう。
アイスクリームがとけないようにと
必死に走ったたろうはあちこちで
「あぶない」ととめられる。
でも、ついにはこの草原で開放され
最愛のゆきちゃんめがけて走っていく。
こんな男が愛されないはずはない。
この物語が交通安全指導絵本でないことはいうまでもなく、
たろうの「アイスクリームがとけちゃうんだ」という
緊急性こそが命である。
そのことを堀内先生は声高に告発するのでなく、
こんなにお洒落に描いてくださった。
そんな先生ののこした種は、確実にこどもたちに伝わっている。
絵ってすごいよね。
警鐘を鳴らさねばならないことは常に世界に満ちていたし、
今も満ちている。ともすれば眠りがちなぼくらの魂を
たろうはこの40年間、ゆりおこし続けてきた。
たろうは今日もいそいでいる。
日はすでに高い。ゆきちゃんの草原まではまだ遠いのか!
そしてひな祭りの日、
刈谷の「わかものフェスティバル」にいってきた。
発表は10編。かなりのハードプログラムだが
いろいろと元気をもらった。
まずはじめに伝えたいのは、
大学生年代という、さまざまな可能性と選択肢をもつことが可能な時期に
1年間をラボの最年長会員としての自覚をもって
活動してきた彼らに、
無条件で喝采を送り、心より尊敬し、感謝する。
最年長世代の意識とあえて書いたのは、
単に自分たちの物語への思いをぶつける、
あるいは表現するとことにのみ
自己実現の目標をさだめているのではなく、
後に続いている高校生、中学生、小学生、そして幼な子たちへの
魂のたすきの手わたしという、
ラボならではの思いがこめられているがゆえである。
自分たちの姿から感じ取ってほしい思いがあることが。
十分に伝わってくる発表だった。
さきほどの「たろう」の話ではないが、
かなりやばい時代と状況に覆われている今、
『ノアのはこぶね』のように黒雲が近づいている今、
行動する力、考える力をよびもどしてくれるのは
「未来を信じる力」にほかならない。
それが行動者の原則だ。
そしてその力を蘇らせることができるのは、
「わかものたちの息吹」なのだ。
荒削りでも、ことばが足りなくても、
その力はおっさんやおばちゃんにはないものだ。
ラボは、教育運動組織の面から見れば
ある意味でゴールのないリレー競争か駅伝のようなものだ。
物語の活動、言語体験、表現へのアプローチは無限である。
宮沢賢治のいうように「永遠の未完」にむかっての旅だ。
その美しく、誇らしいが容易ではない旅をささえるのが
「未来を信じる力」である。
後に続くものが、きっと「ことばの宇宙」のかなたまで行ってくれる
ことを確信しているということである。
だからこそ、大学生自身も
もっときびしく、もっと高く、
もっと遠くへいってほしいと思う。
で、
すばらしいからこそ、あえて強い叱咤をおくりたい。
「ことば」をもっと磨かねばならない。
プログラムに書かれていた主旨は懸命に考えたものだろう。
でも、まだまだあまい。日本語の力としては
「かけだしのゴーシュ」レベルだ。
発表が伝える力におよんでいない。
「うまく書けないけど」「うまくいえないけど」といってゆるされるのは
高校生までだ。
自分たちの看板で表現する大学生年代にはNG。
「うまく書けない」というのは、
基本的に「きちんと理解していない」ことの
あかしである。「ことば」で考え、「ことば」が表現するのだ。
なんてきついことばはこれくらいにして、
少しばかり発表順に写真を紹介する。
中部支部『ォーロラ 北極の夜』『あはうりく 北極の昼』


北関東信越支部『項羽と劉邦』
 
関西支部『生命の女神 ドゥルガ』


千葉支部『日時計』

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中国支部『ギルガメシュ王ものがたり』『ギメガメシュ王のたたかい』

北海道エリア『ざしき童子のはなし』
 
九州支部『ライオンと魔女と大きなたんす』より
『大きなたんす』『ナルニアの森』
 
東京支部『虔十公園林』
 

四国支部『ああ、ふるきよき時代』

神奈川支部『平知盛』





例によって、ひとつひとつの発表についてはぐだぐだ書かない。
きちんと書いたら、全部で原稿用紙50枚くらいに
なっててしまうだろう。
いつも書くことだが。「発表の出来不出来」は
極論すればどうでもいい。
自分たちがなにをしたかったのかが明確であることが必要だ。
もちろん、教育プログラムとして見た場合の課題というか
今後掘り下げたいPointはいくつかある。
とくに継続的な課題については改めてふれことがあるだろう。
※ラボ・ライブラリー以外の物語に取り組む場合のことだ。
自分たちでテキストをつくり音楽も考えて水源である物語づくりから
関わりたいというレディネスが育っているのは自然だし
成長のあかしでもあるといえる。
今回も『項羽と劉邦』(司馬遼太郎原作)と『虔十公園林』(宮沢賢治)
の2編がエントリーされた。
プログラムには前者には「創作」、後者には「再話」と但し書きあったが
できれば、そこに至る背景やテキストづくりや音楽をどうしたのかの
報告がほしかった。
(※創作という表現には違和感をもつ。司馬遼太郎作品に題材をもとめた再構成・再話とすべきだろう)
発表後の客席とのシェアタイムまでのこれなかったのが残念だ。
ぼく自身も2度ほど大学生年代の活動「あずま学堂」にに関わり
当時はまだライブラリーになかった『ふしぎの国のアリス』と
『オズの魔法つかい』に関わった。
どちらもテキストの著作権はきれていたので
再話には法的障害はない作品だ。
だが音楽は全部、自分たちで作曲して演奏も録音した。
著作権フリーの楽曲も当時はあまりいいのがなかったのだ。
そういう能力のあるメンバーがいたからできたが
ぼく自身も作詞などで参加した。
ともあれ、こうした活動を彼らは表現活動とよんで
テーマ活動と微妙に線引きをしているようだが
そのあたりは第三者から見たらあいまいだ。
ただ、「ライブラリーのようなもの」と仮にいうとして、
自分たちの力で英日のテキスト、音楽などを用意し、
それを公的な場所で発表するには著作権をはじめとするさまざまな
社会的条件をクリアしなければいけないというルールがあることも
同時に学ばねばならない。
大学生の教育活動だからOKとはならないのだ。
きびしいことを書くが、『項羽と劉邦』を例にあげると
著作権を継承している
司馬家かその代理人に翻案と上演の許可を。とるのがすじである。
そうしたことがメンドイけどあるんだということも学んでほしい。
くれぐれもいっておくが、いわゆる創作(ではないけど)活動そのものに
ケチをつけるつもりはない。
今回も2編の作品は思いが伝わるものがあった。
だからこそ、その力をライブラリー作品で
見たかったなというのも本音だ。
バトンをうけとる幼い仲間が
「あっ、このお話、こんなふうにすごいんだ」と
率直に感動できることも
このフェスティバルの役割のひとつでもあろう。
なんか味噌をつけたようで後味がわるくなったが、
すばらしいがゆえのぼやきである。
あの日、彼らがくれた力はまちがいなく広がっていく。
ヘンリー・ソローはいった。
「より深く愛することでしか愛をとりもどすことはできない」
ひたすら物語。聴いて、聴いて、動いて。感じて話し合って。
ひたすら物語を愛するしか、ぼくたちは先にすすめない。
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年が明けてからなにかいまひとつである。
別に体調が悪いわけではない。
なにかゴタゴタがあるというわけでもない。
頭がよくないのは仕方がないが、もともとない切れ味がさらに落ちている。
で、そのreasonを自分なりにみつけた。
しばらくテーマ活動を生で見ていないのだ。
バッテリー切れである。
冗談ではない。けっこうマジ。
組織から足を洗った(爆!)後、
いろいろなところからエネルギーをいただいてきたが。
基本水源はやはりラボの物語であり、ラボっ子たちの心の力である。
若者の魂はいちばんの栄養だから、まるで雪女だ。
というわけで2月11日の休日、
最近再開発されて話題になっている
川崎西口の産業振興会館で開かれた
「2012年度ラボ・パーテイ神奈川支部 高校生テーマ活動交流発表会」
におしかけた。
けっこう小さな会場なのでティケットは完売だとのことだが、
こういうときにこそOBの顔パスをつかわねばと
とりあえずでかけてしまった。
案の定受け付けで事務局員のY(B)さんが
「三澤さんならしょうがないですね」と笑って通してくれた。
なにがしょうがないのか突っ込みたかったが、スルーしてなかへ。
なつかしい顔が連続して登場し、あいさつの連続。
ただて入れてもらったので写真は寄付することにした。
これから「わかものフェスティバル」「国際交流のつどい」と
春が訪れるようにテーマ活動を拝見する機会が続く。うれしい。
タイトル下の写真は・新横浜『ハメルンの笛ふき』から。
またタイトルのセリフはグンダーの首をもとめる民衆に叫ぶコンラ王のセリフ。
ひさしぶりのテーマ活動。
高校生のみの発表だから独自の課題をもって取り組んでいるはず。
パーティとは別に活動するわけだから、時間も交通費もかかる。
いやはや頭がさがる。
こういう情熱にこたえたくて仕事をしていたんだなあと改めて思った。
青春時代ということばは陳腐だけど、
あえてつかうと、やりたいことの数とやりたくないことの数と
集中することの数と無駄なことの数のせめぎあいである。
そんななか、ラボに時間と情熱、
そして経済をもつかってくれる彼らはエライ!
※以下、掲載写真は発表順
たま川『大草原の小さな家』より「二ひきの大グマ」



こうしたパーティとは別に集う場合
どうしてもかぎられた回数の活動になるから、
いきおい「発表」というゴールを意識せざるを得ない。
それがゆえ結果やかたちづくりを急ぎすぎがちである。
しかしこの日の発表はそれぞれ、
「自分たちが取り組みたいテーマ、課題」
みたいなものが見えてくるものだった。
もちろん個々の聴き込みの差や思いに差などはあるが
(そういうのが見えてしまうのも発表のこわさか)、
とにかく活動の意味が感じ取れるものだった。
何回も書くけれど、個々のグループのテーマ活動発表の
「出来不出来」は問題にならない。教育プログラムであるからね。
でも、その物語にどうアプローチしたか、なにを伝えたかったのか、
なにを学びたかったのかが、「おおむねわかること」がたいせつなんだと思う。
そんななかで、やはり「光る個性」をいくつも発見できたのはうれしい。
役名はださないが、数名ドキッとした高校生がいた。
・横浜みなみ『はだかのダルシン』より「ドゥールの子」



・湘南『ドリームタイム』より「自分のドリームタイム」



それと、もう少しほめことばを書くと、
少ない活動回数にも関わらず
「かなり言語を意識していた者」が多かったと思う。
それは英語についても日本語についてもである。
ただ、「ええっ、とにかく暗記したな」という仲間もいたことはご愛嬌。
さらに、どの地区も音楽をたいせつにしていたのが
作り手としてはとくにうれしい。
大草原の三拍子もいいし、
間宮先生のダルシンの竪琴につかわれた「ハイランドハープ」も美しかった。
坂田晃一先生のハメルンも一気に中世へと誘ってくれた。
ライブラリーにおいて、絵本は空間的でテキストは自在である。
で、自在がゆえにテキストは聴き手の観念のなかで暴走することがある。
それを時間的にコントロールするのは音楽だ。
じつは音楽こそ物語の時間の支配者なのだ。
そのことを彼らは理屈ではなく、体験で会得しているのだと思った。
今日の発表でゴロヒゲとドリームタイム以外は
自分が制作に関わった作品ばかりだ。
それぞれの想い出がよみがえって涙腺があやうかった。
やはりラボがいまだに骨の随までしみこんでいるのだなと、
毎度のことながら思い知らされた。でも、いい日だった。
・富士東『ゴロヒゲ平左衛門・ノミの仇討ち』




「ことば」のことにふれたついでに書くと
上の『ゴロヒゲ』は日本語がかなり難解なライブラリーである。
今の高校生で音だけですべての日本語の意味を意味を理解していたらすごい。
テキストを見るか、英語とセットで考えないとわかりにくい。
例をふたつあげる。
まず冒頭のゴロヒゲのモノローグ
「唐傘百とならべても旱天に慈雨なし」
つまり乾いた空に恵みの雨はふらないということだが、
カンテンニジウナシ という音だけでのこの字がすっとでる人は
おとなでもそういない。
もうひとつ
宮本ムズカシとの果たし合いにゴロヒゲがよばわる
「ここであったが盲亀の浮木」
モウキノフボクなんて四字熟語は知ってるほうが異常かも。
これは深海の底にすむ目の見えない亀が息をしに海面まで浮上してくるが
たまたま浮木、すなわち流木があり
しかもそ木に穴があいていて、
亀がすっぼりはまってしまうという
あり得ないほどの偶然のことを意味している。
(出典は「雑阿含経」)
まあそんな雑学はともかくだが、
音だけの理解のたいへんさはわかっていただけるだろう。
また英語とくっついていてわかる日本語もあるということも。
また、主人公のゴロヒゲは貧乏浪人だが
武士としての教養はたいしたものだったというキャラ設定だというこもわかる。
ここ大事かも。
・さがみ野『はだかのダルシン』より「ドゥールの子」






・新横浜『ハメルンの笛ふき』





『ハメルンの笛ふき』のラストに詩がてでくる。
その一節に「ねずみはらった笛吹きたちの」というくだりがある。
英語でもPipersである。
物語に登場する笛吹きはひとつ りなのに複数だ。
中世の歴史のひだの奥には、だんだら服の男のように
特殊技能をもつた 演技者、呪術者などの非定住民が
相当数存在していた。
彼らはその力や技能のために畏怖されたが
けして団らんには近づくことをゆるされなかった。
日本でも瞽女、虚無僧、そして芳一のような琵琶法師など
オカルティックな役割をもつパフォーマーは存在した。
そのなかで芳一の悲劇は、本来非定住であり
それがため平家の亡霊たちの慰撫という役割を担う琵琶法師が
亡霊をバシッシングする寺にかこわれたことで
彼らの怒りを買ってしまったとだ。
音楽や物語をするものは、尊敬と差別のはざまにさすらうのが常だ。
しかしラボの高校生しょくんは、
新しい夜明けを告げるふえを高らかにふきならす
Pipersだと信じている。
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さてもラボ・ンレンダー2月が登場。
今日から如月である。
もとになった作品はロシアの絵本の巨人、
エウゲーニー・ミハイロヴィチ・ラチョフ
(Евгений Михайлович Рачёв;Evgenii Mikhailovich Rachev、
1906年- 1997)の傑作『てぶくろ』である。
ウクライナ民話に題材を求めた名作絵本だ。
まあ、テューターのみなさま方には説明は不要だろう。
この絵を描いたのは木山慶司朗くん(小2/大府市・蔵本P)である。
はじめに思うのは、「ラボっ子の絵はいつもやさしいなあ」ということ。
もちろん、ラボつ子の作品にもラフなタッチのものもあるのだが、
その背景、向こう側には必ずやさしさがある。
ということは、先日も書いたが、どこかに強さがあるということだ。
その強さの根っこはどこにあるのだろうと考えると、
やはり物語という栄養というか水源に根ざしているだろう。
さらにいえば「ことばの力」から得た想像力なんだと思う。
原作者のラチョフは、これはもう動物を描かせたらたぶん史上最強
というくらいの絵本作家だ。
おじいさんが落とした手袋に、ねずみがうれしそうに入り込み、
この場面のようにカエルがやってきて、さらにはうさぎやキツネ、
しまいにはイノシシやクマまでやってくる。
人間のてぶくろにクマがはいめのか! とつっこんではいけない。
動物の特徴を正確にとらえつつ見事に擬人化するラチョフの
フオルム、タッチ、そして色に
子どもたちはあっというまにひきこまれ、
物の大きさなどといった物理的無理はまったく問わない。
木下くんの描くねずみとカエルは、
さすがにデッサン力ではラチョフにかなわないし(あたりまえだ!)、
てぶくろのパースもなんとなくへんだ。
しかし、そんなことはまったくぶっとんでしまうほど、
透明感のある色合いがたまらなくすばらしい。
これなら、寒いこの月もあたたかく過ごせそうである。
原作の色合いはご存じの方も多いと思うが、
ウクライナの厳寒の冬の森が舞台であるため、
ぐっと抑制した色調だ。
だが木山くんは独自の感性でそれとはちがう「スコっとぬけた色」
をだしている。
とくにバックの空と大地なんかは、
ぼくは大好きである。冬の森はもっと暗いとか、そんな野暮はナンセンス。
そして忘れちゃならないのは
てぶくろの内側のピンクが大地のグレイと
じつにきもちのいい関係になり、
全体をとってもオシャレにしている。
「かっこよくてやさしいてぶくろ」になっているなあ。
それから配置のバランスもすてきだ。
また、さらにさらに見ると、けっこう細部を描き込んでいて、単
調な塗り絵になっていないから賞味期限が長い作品になった。
すらっと描いたように最初はみえたがとんでもない。
かなり力が入った作品だ。彼がこの物語を選んだ
動機をきいてみたいものである。
ぜひ関係者はコメントをよせていただきたい。
それにしても現代の子どもの色彩感覚はすごい。
伝統と革新の両方をもっている子が多いよね。
ウクライナも含めて、広大なロシアの昔話はとってもおもしろい。
もちろん、世界の昔話はどれも個性がありおもしろいのだが、
ロシア昔話の未利欲はまた格別だ。
その背景にききびしい冬、ツァーリ、すなわち肯定の圧政という
たいへんな生活があった。
しかし、そういう極限的な状況のときほど人間の想像力はふくらむ。
いい方をかえれば、想像力は冬将軍も皇帝もうばうことはできないのだ。
そして、もうひとつものがせないことがある。
それは、比較的文字の発達、伝播が遅かったということがある。
人びとの多くは貧農であり、識字率なかなかあがらなかった。
記録する文字がないとき、人は記憶と想像力を育てる。
文字をもたない民族におもしろい物語はやまほどある。
※アイヌの物語、雲南省のイ族の物語など毎寄与にいとまがない。
そして、さらにそのことばは詩的、リリシズムにあふれている。
一方、都市に生きるわれわれのことばはいかにも散文的である。
※ライブラリーのことばが詩的感動を重視するのは、
まさにこの想像力を育てる鍵である。
それともうひとつ。
ロシアの人びと激しくかつ美しい自然との対話のなかから
さまざまな精霊、自然霊を生み出した。
バーバ・ヤガーもそうだし、麦畑の精ルサルカや
水死した子どものヴォジャノイなどたくさんいる。
麦畑のルサルカなどは麦は茸で踊りまくるため
いわゆる麦踏みをしてくれるので
ルサルかが遊んだ麦畑は法則になるといわれた。
ただし、その姿を人間に見られると激怒し
くすぐり殺してしまうというおそろしい面もある。
こうした自然崇拝、自然のすべてに魂をみとめるのは
日本でもそうだったように、民族のわかき時代の特長だ。
自然に感謝しつつ、自然をいただいて生きていく。
ものをつくりださない時代には当然のことである。
人は、西風とも、つぐみとも
クマとも対話することができたのだ。
現座いの先住民問題の多くが自然環境問題なのは
先住民は今もそうした自然との対話によって生きているからだ。
さてロシアに話をもどすが、
10世紀にキエフ公国の皇帝ウラジーミル一世は
キリスト教を国教とし、正教に集団改宗する大技をはなった。
彼が聖ウラジーミルとよばれるのはそのためだ。
きびしい自然、貧しいくらしのうえに
信仰への侵略もまた人間にとっては極限である。
こあした歴史もまたロシアの「ことばの文化」
バレーや音楽、サーカスなどの芸術に深く関わっていると
ぼくは思う。
最後にシアやウクライナでつかわれるキリル文字
(Евгенийみたいなやつ)について、おもしろい話をひとつ。
神が世界にアルファベットを文字としてつかえるよう、
何人かの使者に託して世界に公平なるよう同時期に配った。
ところが、ロシアの近くにきつたとき、
その使者は雪と氷ですってんころりん、
もっていたアルファベットをばらまいてしまった。
これはたいへんと、使者はすぐひろって配ったが
あまりあわてていたため、アルファベットが逆立ちしたり、
音がかわってしまったそうな。

夕べ、近所でトスカーナ料理を食べて帰ったら
hitさんことイラストレーターの高尾さんからカレンダーと便せんがとどいていた。
はげしくうれしい。
最近の彼のこの辰値がおきにいりだったのだ。
この絵で絵本をつくろうかと彼にいったら大乗り気だ。
仕事にする気はないが
ぼくらの世代からのメッセージにしたいと
物語のプロットを考えはじめている。
夜明けの前がいちばん暗いといったのは
たしかナポレオンだろうか。
でもね寒てとき、くらいときほど、
ことばと想像力ほを育む絶好のときだ。
いま、ライブラリーを聴かないでいつ聴くのか!
なんてえらそうだけど、ほんとだよ。
ロシア昔話の想像力に学ぼう。
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※1枚絵を追加しました。
この冬はとんでもない寒さである。
季節に文句をいってもしかたないが寒いのはつらい。
気温のみならず心胆を凍えさせるようなできごとが
世界でも日本でも年明けから連続しておこっており
前回に書いた日記がすでにむなしい。
しかし、しつこく書くが、なげいているだけではあかん。
ともかくも前へだ。
上の写真2点は最近のFacebookのページのカバー写真。
意味深そうでたいして意味のないことばと組み合わせて月ごとにかえている。
三澤制作所という事務所の名前もちゃっかり入れて
「なんじゃこれ」と興味をもった人が、
だまされて仕事を発注してくれないかなという、さみしい下心も用意した。
上は一昨年5月のICUの教会付近。下は一昨年春の兼六園の梅。
さて、そろそろ2013年のラボ・カレンダー2月の
絵のことを書こうと準備をはじめたが、
その前にはたと表紙の作品についてふれたいと思った。
カレンダーの表紙には毎年18枚の作品が紹介されるが
これらはいずれも佳作として入賞したものである。
佳作といっても約3000枚の応募作品のなかから
1次選考を通過できるのは150枚くらい。
そのなかから激戦をへて、
各月の絵となる入選作12点と表紙の18点の総計30点が入賞となる。
だから、この30点に入るのは100分の1の確率なのだ。
各月に入選する絵はダントツ、文句なしにぶっとんで他を圧倒!
というとびぬけた作品の場合ももちろんあるが
けっこう僅差で佳作にまわってしまうこともある。
テーマが同じでどちらか一点(新刊のみは2点まで
同一テーマありというのが内規である。たぶん今も)
といった場合などは典型で、かつて姉妹で同じ作品で応募されて、
そのどちらも個性がすばらしく
選考委員一同頭をかかえて悶絶したことがある。
作品は新刊ではなかったので、どちらか一点しか入選できない。
その2作をめぐって2時間以上も白熱した討論があり
苦渋の選択で姉を入選、妹を佳作にした。
そんなこともあるから、佳作と入選はけっこう紙一重だったりもするのだ。
また、作品としてはすんばらしいけれどカレンダーで1か月
会員家庭の壁を飾るという点でみたらどうだろうということもある。
迫力がありすぎて子どもが泣いてしまうなんていう絵こそ
入選させたいところだが、
やはり公共施設にも寄贈されるので「うーむ」ということもあるのだ。
でも、作品そのものがほんとにすばらしければ結局入選するけどね。
そんなわけで、1月になったらびりっとやぶられてしまう
表紙の絵についてもほめたたえようと思った。
少しずつ紹介していくつもりだ。

"The Kindergarten Elephant"
作者は栗原智也くん(小2/松山市・標葉P)。
ごぞんじ、ひとりぼっちのきたないぞうのぐるんぱが
最後は自らが幼稚園になることで
多くの子どもたちがあそびにやってくるという大団円である。
見ているだけでしあわせになるゾウ。
この物語は1969年のリリース以来、圧倒的に子どもたちに支持されてきた。
だから、カレンダーの絵にも毎年たくさんのぐるんぱがやってくる。
ぼくも25年以上このカレンダーをつくったが、
おそらく2000点はぐるんばを見ているだろう。
しかし、そのなかでもこのぐるんぱは、
かなり個性的であり「いいセンス」で描かれている。
「ああ、こういうのもありなんだ」といまさらのように思う。
たぶん、入選ぎりぎりまでのこった作品ではないだろうか。
ぐるんぱは身体がグレイ、
それも故堀内誠一先生による「じつにスカっとぬけた美しいグレイ」と
ほっぺたのピンクにみんなやられてしまう
ぐるんぱは大きいからグレイの面積がどうしても大きくなるので
けっこうむずかしい。
ただ、グレイはどんな色とでも相性がいいから、
かなり冒険してもだいじょうぶということがある。
色の組み合わせに迷うと「こまったときのグレイだのみ」
というのは編集者、デザイナーの裏技である。
それはともかく、栗原くんの作品の新鮮さは、
空のさわやかさである。
バックに大きくつかわれている透明感のある水色が
とにかくすてきなのだが、
上空に描き込んでいるマリンっぽい青と白い雲が
作品をさらに豊かにしている。
そのすがすがしさに加え、ぐるんぱ自身も
遊んでいる子どもたちもじつに躍動感があるので、
さらに幸せ気分がアップするのだ。
子ども1人ひとりの描きかたはアバウトに見えるが、
じつはそれぞれに個性をもたしている。これもすごい。
そしてよくみると、鼻によじのぼっている元気者たちには
ちゃんとパースがかかっていて、ぐるんぱの大きさが感じられるのだ。
これらの技法は、おとなは計算して行なうが、
たぶん栗原くんは純粋にこの物語の本質に
ほれこんでいるために自然にできたのだろう。
ぐるんぱは、「大きい」ことでなかなか社会に適応できない。
大きいということはすばらしい個性であるのだが、
そのことに彼自身が気づくにはいくつかの失敗と旅があった。
コンプレックスを個性とうけとめ、
その個性をいかす道を見いだしたぐるんばを
子どもたちは無条件に応援する。
そしていっしょにあそびたいと思う。大きいことは個性なのだ。
キャンプ開営式で大統領が「ぐるんぱ城」を紹介するとき、
「大きいからぐるんぱ城」と、ざっくりやるのがならいだが、
子どもたちは納得してしまうのだからね。
そして子どもは「友人」に敏感である。
キャンブの感想文でいちばん多いのは、毎回必ず、
「友だちがたくさんできてよかった」である。
だから、友だちに無視されたり、攻撃されたりするのは
子どもにとって堪え難い痛みなのだ。
この物語の原作者、堀内誠一先生は
とってもオシャレな感覚のデザイナーだった。
先生がデザインした「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」
「オリーブ」は、いまだに先生がつくったロゴを使用している。
先生は1987年に54歳の若さで亡くなった。
そのころぼくは「ことば宇宙」の編集長をしながら、
ライブラリーづくりに首をつっこみはじめていたときだった。
先生の訃報をきいた夜、ぼくは深夜のラボセン(医大前にあったとき)で、
号泣しながら「さよならぐるんぱ」という追悼記事を描いた。

MOMOTARO
作者は寺澤修哉くん(5歳/花巻市・吉水P)。
うーん、大胆だぜ。たぶん、この色とバランスで佳作に入ったんだろう。
5歳だからこそ、できる桃だドーン。
でも、笑ってはいけない。
ぐうぜんによる部分もあるのだが、
バックの黄色の濃淡と桃の
なんともいえないみすみずしい色は、
日本画のような静けさと慎ましさと透明感にあふれている。
そしてまんなかにおかれたバランスのよさと、
葉っぱの非対称(葉の色もすてき!)が泣かせる。
たぶん小学生になったら、もうこうは描けない気がする。
なんのてらいも、下心もなく、おいしそうだろう!
と、どゔどうと描かれた桃、なにやら禅画のふんいきさえただよう。
次にこういうふうに彼が描けるのは60年後かもしれない。
見ていると心がどんどんおだやかになる。
さすがは花巻のラボっ子。
賢次の「みずみずしい果実」はここにちゃんとあったんだ!

"It's a Funny Funny Day"
描いたのは渡辺紗也子さん(小1/新潟市・榎本P)。
まさに説明不要、かこさとし先生の名作だが、
この物語もまた『ぐるんば』同様に長い間、
子どもたちから圧倒的な支持をうけ
ラボ・ライブラリーの看板をしょってきた。
そして、2013年のいまも、政権交代にもまったく関係なく
どうどうとラボの正面玄関にどしんとすわっている。
だから当然にもたくさんのだるまちゃんが
毎年のカレンダーの絵として応募されてくる。
佳作の絵はどれもそうなのだか、この作品こそ実物、
紗也子さんの原画を見てみたい。
どうしても表紙の作品だと小さいので、
素材感・マチエール、タッチの強弱、
実際の色味などがつかみづらいのだ。
それでもじっとしばらくながめていると、見えてくることがある。
だるまちゃんのフォルムはもしかするとやや幼い描き方にも見える。
でも、かぎりなくやさしい心が伝わってくる。
紗也子さんは、きっととってもやさしい子なんだと思う。
ということは、じつは強い子なんだということだ。
その強さはバックの筆ではねたような複雑な色をつかった書き込みで感じる。
この作品で、こんな処理を見たのはたぶんはじめてだ。
逆にいえば、このハネがなければ
ただの「だるまちゃんとかみなりちゃんはなかよし」で終っていただろう。
これは推測だが、おそらくだるまちゃんをはじめに描き、
次にかみなりちゃん、そして地面、
最後にバックのハネといったのだろう。
だから、ハネの色が濁っておもしろくなったと思う。
しかし、そんな推測はあんまり意味がないし野暮だと自戒。
だるまちゃんの無条件の「おれにまかせな、心配ない」という顔つきと、
かみなりちゃんのそれへの無条件の信頼感で
じゅうぶんできあがっている作品だ。
「おれは男だ強いんだ」というのは、
ある意味もっともシンプルな自己紹介であり、
故らくだ・こぶに氏がemotionの単元と語ったことがある。
そう思うと、ライブラリーに自己紹介はいっぱいある。
それをさがすのもおもしろい。
だるまちゃんが、かみなりちゃんに対して、
空からおちてきた理由をぐたぐた問わないのが、
とにかくいさぎよい。子どもはそんなだるまちゃんが好きなのだ。
この後も少しずつ紹介していく予定。
さてここからはちょっと重い話。
体罰が話題になっている。
ぼくは、体罰ということば自体が教育になじまないと思っている。
もっとも大阪の悲劇は「事案」ではなく
単に暴力事件としか思えない。
物理的な痛みはもちろん、
自死においこむような「体罰」はもはや事件だ。
ドストエフスキーではないが、罰とは罪に付随するものである。
スポーツに限定して話をすすめるが
仮に選手(主将うんぬんは、なんの説明や弁解にならない)が
練習を本人の無自覚でさぼって、
それが敗戦に結びついたとしてもいったいなんの罪なのか。
すくなくともコーチだろうが監督だろうが
それに対して肉体的、あるいは精神的な暴力で
「罪として裁く権利」は持ち得ない。
法治国家においては、犯罪に対してやむなく裁判という制度で裁きを行なうが、
基本的に人間が人間を裁くことはきわめて困難だというのがぼくの持論だ。
その意味で「体罰」という
「罪」とセットになった言語にたいしては拒否感をもつのだ。
『わんぱく大将トム・ソーヤ』にも
「笞をおしむと子どもをだめにするというポリーおばさんのことばがあるが
それは19世紀の話である。
子どもは、おとなのミニチュアのような児童観の時代のことだ。
一方、日本の世阿弥は「風姿花伝」で
「幼きうちはけして細かい指導をしてはならぬ。模倣させよ」と書いている。
じつは模倣にはじまる学びこそ教育のひとつの本質であるのだ。
ダメだしはだれでもできる。手本ということばが日本にはあるのだ。
ラボはその点すごいよな。
昔、カンザス州立大学のフツトボールのヘッドコーチと話したとき、
彼は「選手が練習や試合でミスをしたり、
できるはずのプレーができないとき、激しく怒るコーチがいるが、
わたしはそれをしない。
なぜなら、選手にとっての報酬がネガティヴなものになるからだ。
失敗して叱られ、うまくいって当たり前では。成功につながる報酬にはならない。失敗したときこそ激励し、うまくできたら大きくほめる。
それはぼく自身の指導や作戦がうまくいったというほこりでもあるからね」。
また、音楽家の間宮先生は
「たとえば、ぼくのところに楽器を習いにくる
いわゆる天才少年少女はやまほどいる。
基本ぼくはほめないし、しかりもしない。
淡々と技術と曲のポイントを伝える。
なぜなら、指導者の顔色をうかがう演奏家になってほしくないからだ」。
うーん、これも一理。
支部総会もほぼ終わり、テューターのみなさんの熱気が伝わってくる。
季節も社会も気温は低いかもしれない
しかも強風である。
でね、ほほえんで荒野にむかうのがお約束。
ふぁいと!
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あけましておめでとうございます。
大きな手術から3年半あまり、
みなさまからいただいた力で
無事にあたらしい年を迎えることができました。
東京はおだやかな元旦です。
しかしながら、日本国内、世界をみわたせば
残念なことに、昨年の1月の日記に書いた「凪の世界」への願いは
かなえられるどころか、
ますますきびしくなってきているようです。
ですが、ただなげいているわけにもいきません。
ぼくは今年の3月、恥ずかしながら還暦となります。
そこで、人生ののこり時間を勘案して
改めて、
あらゆる暴力、飢餓、貧困、差別、武力紛争、束縛、
病苦、自然破壊、独裁、搾取、言論弾圧、あらゆる不公平を
断固として否定することを宣言します!
そして、遠くとも、微力でも
一歩ずつでも意識をもって努力していきたいと思います。
※すごい恥ずかしいこといってると自分でも思いますが、
案外まじめです。
昨年は、内閣府や文科省のシンポジウムの取材や裏方、
また食文化の取材などを通して
ラボとは異なる世界の方がたと多くの仕事や活動を体験する機会を
自分でもおどろくほどに多くもつとができました。
そのなかで感じたのは、
やはり「ことばの力」「物語」の力のたいせつさでした。
この点は、ぼくの「ゆずることのできない部分」のひとつでしょう。
さらに「ことば、こころ、からだ」はときに一人歩きするけれど
きりはなすことができない三位一体だということも
再認識することができました。
ラボの世界のなかで、またライブラリー制作という仕事を通じて
それなりに広い世界と接してきたつもりではありましたが、
まだまだ啓かれねばならぬ蒙は膨大であると自省せざるを得ません。
「人は学びつづける生き物」なのです。
総選挙で自民党が大勝(というか民主党が大敗)して、
ご祝儀のように株価は上昇し、為替レートも円安傾向です。
今、首相もメデイアも経済問題に視点を集中させています。
たしかに、Working Poor、生活保護世帯の急増などへの対処としては
雇用創出、景気高揚は重要であるといえます。
しかし、昨年も書きましたが、経済に社会の目が多くむかうとき、
そのひずみの影響をうけやすく、さらにいえば課題をおきざりにされやすいのが
子どもたち、高齢者、そして障がいをもつ人びとです。
なかでも、わたしたちが深く関わる子どもについては
思考も行動も停止することばできません。
1日でも考えるのをやめれば問題はさらに大きくなるからです。
そして、その間に子どもはぐんぐん成長していきます。
子どもは身体の傷はすぐになおりますが
心の傷はそのままに身体が育っていきます。
子どもにとって、「その日、その場」がたいせつなのことは
テューターのみなさまは、よくご承知のことと拝察いたします。
また、経済に目がいきすぎると
どうしても社会は強いもの勝ちの暴力的な傾向になっていきます。
中国かいまそうなのかもしれません。
そして、経済的競争によるストレスは虐待に象徴されるように
子どもたちにむかいがちです。
また、さらに悲しいのは子どもどうしの傷つけあいです。
おとなによる児童虐待は許すことができませんが
子どもどうしの「いじめ」はどちらも傷つきます。
加害者と被害者という対立の構造でとらえるだけでは
だれも救われないことは明確です。
こうした子どもたちがすでにかかえている問題を
一挙的に解決する劇薬はありません。
ただ、確実にいえることは社会的存在としての子どもたちを
「慈しみをもって見つめるおとなの目」が
もっともっとたくさんもとめられているということです。
おさなごはいうまでもなく、ティーンエイジャーでも
きちんとむきあってくれ大人をもとめています。
こうして考えていくと、ラボ教育プログラムの公的使命は
また強くなっているということがおわかりと思います。
子どもたちを社会的存在として認め、個性を評価して
むきあうおとなとしてラボ・テューターの使命は
いやましているといっても過言ではないでしょう。
さらに! 子どもたちがかかえているさまざまな問題の根底には
痩せたことば、乾いたコミニュケイションがあります。
「ことばがこどもの未来をつくる」は
極めてすぐれたキャッチコピーです。
「ことば」はまさに思考、行動、存在の根っこにあります。
ここが痩せていればすべての「生きる力」が衰弱していきます。
その原因は多様ですが、少なくとも日本のリーダーとよばれる人びとの
ことばが「空疎」であることもそのひとつでしょう。
もうひとつ、ほくが恐怖に感じているのは20世紀末以降の
ヒット商品をふりかえると、その多くが胎内商品であることです。
「ウォークマン」「たまごっち」「TVゲーム」「携帯メール」
「携帯ゲーム機」などなど。
これらは、もちろん人間の生活に利便性をあたえましたが
すべて胎内商品、すなわち外界との
音声や実体による生の接触を不要とするものです。
かくいうぼく自身もiPadおiPhoneを手放すことばできませんが、
その文、面談や手紙や読書などのリアルな刺激をたいせつにしています。
なにかとりとめもなくなってきましたが、
この「ことばの力」の高揚という大仕事は
景気対策よりたいへんです。
だからこそ、そこに
ラボ教育活動最もたいせつな公共性があることは
もはや疑う余地はありません。
テューターのみなさまにおかれましては、
今年も、慈しみのまなざしをもって
子どもたちと向き合い、
ラボのもつ社会的役割の自由用さに責任と自覚とほこりをもって
毎週のパーティ、そして地区や支部の活動に邁進されることを
願ってやみません。
ぼくもみなさまに負けないよう
自分のフィールドでたたかいながら、
ときにはラボのサイドラインで旗わふるつもりです。
ラボがめざすものは、近くにはないかもしれません。
でも、それは「閉ざさされたり、膝まづかされたりしやすい夢」
ではけしてなく、
一歩ずつでも、遠回りでも進めていく歩みそのものが
現実であると確信しています。


さて、三澤制作所のラボ・カレンダーをめくった。
今年も僭越ではあるが、「この絵のここが好き!」を書いていく。
作者は斎藤奈那さん(5歳・世田谷区・岡村P)。
絵はエリック・カールの『はらべこあおむし』
THE VERY HUNGRY CATERPILLARに題材をもとめた
文句なく年明けにふさわしい元気いっぱいの作品だ。
この物語への子どもたちの支持率は発刊以来ずっと高いので、
カレンダーの絵としてもかなりの点数が応募されている。
だから、『はらべこ』で入選するのは至難の技だ。
その難関を突破して(ちなみにカレンダーに入選し、
さらに1月の絵になる確率は3000分の1である。ほんとだよ)
1月の絵として選出されたのは、
なんといってもこの絵のもつパワーだろう。
なんのてらいも計算も、うまく描こうとかいう野心もなく、
ストレートにおひさまとあおむしを描いた。
そのオープンな心根がすがすがしい。
心の底までぜんぶひらいて
さあ、ぼくの世界へとゔぞと招き入れられる。
それは茶の湯の精神にも通じるホスピタリティだ。
そのきもちは元気な太陽にいちばんあらわれていると思う。
子どもはよく地面を茶色で描く。
で、その茶色の面積が大きいと
絵としてはうまくいかないことが多い。
自分でも途中でつまらなくなってしまいがちだ。
この絵の地面の面積もけっこう大きいのだが、
ただの茶色ではなく、イエローオーカーや黒をかぶせたり、
かなりの力でぬりこんでいるために、
それが力になっている。
この地面はクレパスと不透明水彩でぬられていると思うが、
5歳の女子としては相当のエネルギーをつかっているはずだ。
その力は地面だけでなく、全体につかわれているから、
やっぱりすごいエネルギーだ。まさに心の筋トレ。
スコーンとぬけた水色の空もきもちがいい。
またさきほどいったように地面にはイエローオーカー(黄土色)
が入っているので、巧まずして空と大地が補色の関係になっている。
また、花などの描き込みもじつはていねいで、
大胆な部分と繊細さが同居しているのも絵を楽しくしている要素だ。
この絵は、いわゆる本歌取りといっていい。
元の作品のよいところを生かし、その精神をくみとり、
さらに自分なりの意匠をくわえて新しいものをつくる。
陶芸の世界などではよくあることだ。
ただ、単にマネでおわるのか自分の世界がてでくるかが問題で、
そのためには幾度もの失敗、挑戦が必要である。
ともあれ、まず模倣から始まるのはすべての表現芸術、
さらにいえば表現活動の基本中の基本ということだ。
だからそれはテーマ活動についてもいえることだ。
もちろん、テーマ活動は表現芸術ではないし、
表現するだけの活動でもない。
「聴く」こともその活動の一部だし、
テーマ活動を「観る」ことも一部だし、
他者の物語についての考えを「知る」こともたいせつな活動だからだ。
また、ラボ・ライブラリーは「芸術作品」ではない
(かといって教材というには抵抗がある)。
しかししかし、ライブラリーのことばも絵も音楽も、
かぎりなく芸術性がもとめられているし、
物語のアプローチ、言語体験の積み重ねの道筋は
かぎりなく表現芸術、表現活動的である。
模倣から始まる基本がテーマ活動にも通用するのも
そうした関係というか構造からだろう。
さらに極論すれば、模倣が教育の基本でもあるといえる。
「手習い」ということばがあるようにね。
しかしかしテーマ活動は「教育プログラム」である。
だから表現としての完成度を論じることに大きな意味はない。
その道筋、アプローチの方法が問われるのだ。
劇的完成度をめざしたら英日表現なんてまどろっこしい。
しかし、そのまどろっこそのなかに、
劇台本ではないややこしさのなかに
多くのたいせつなものがあることを関係者はほこりに思うべきだ。
そこには模倣のしあいがあり、学び合いがる。
育ち合いがあり、出会いがあり、ことばがある。
「食べ過ぎておなかがいたい」という経験は
幼い子どもには切実なテーマだ。
だからこの物語が圧倒的に支持されてきたのだ。
2013年はどんな年か。
なにをもってるかじゃなく、なにをほしがるかが問われている。
その意味では「はらべこでいこうぜ!」が巳年にはふさわしい。

このカレンダーはぼくの事務所(冷暖房なし!)で
ぼくのデスクの真後ろにはってある。
だから、イスをくるりと回転させないと観ることができない。
でも、これはわざとそうやっている。
仕事とくに雑文や詩のようなものを書いているとき、
どうしても「ことばをさがす」ことがある。
リズムが悪かったり、単語自体が月並みで魅力がなかったりで、
「もっといいことばがあるだろう」と追求したくなることがある。
そして、自分の言語能力の低劣さ、語彙の少なさに嫌悪したりのろつたりする。
とても人様にお見せできるすがではない。
そんなとき、どうしても煮詰まると、
イスを回転させてカレンダーの絵をながめる。
すると、その絵がぼくを挑発するように語りかけてくるのだ。
「へへん、そんなもんかいおまえは。やめちゃえよ。
おいらなんか、こんなに自由でぶっとんでるぜ」。
そんで「くそーつ、うるせえ、おまえらガキにまけねえよ」
とやる気がてでくるのだ。
じつは、これは『かにむかし』『瓜コ姫コとアマンジャク』の
絵を描かれている宮本忠夫先生に教わった方法だ。
宮本先生はラボ・カレンダーの絵をその月が終ると
アトリエの天井に貼るという。
そして、画業が滞るとヘッドにねころがって絵を観る。
そして挑発されてやる気をだすというのだ。
たしかに子どもの絵は、それだけでふしぎなバワーがある。
絵は心の筋トレみたいなものとは『十五少年』の絵を担当された
かみや・しん先生のことばだが、
まさに子どもの心の力と物語の力が合体するとおそろしいことになるのだね。
だが、通常はぼくは書き出すととっても速い。
ゾーンといったらおおげさだけど、
文やことばが「おりてくる」瞬間があきらかにあり、
そうなると一気である。
ただ、それはほとんどいきおいだけで書いているので、
後で冷静になってから推敲する。
たいていはシェイプアップする作業で、
ぼくは「ことばを刈り込む」と呼んでいる。
華麗なことばの羅列も楽しいが、
シェイプアップされて、それでいて乾いた詩情、
リリシズムがあふれている文が好きだ。
しかし、どうしてもウェットな表現になりがちなのが
弱点だとは自分でもわかっている。
じつは絵も推敲というか「できた」と子どもがいっても、
3日か1週間ぐらいあたためておいてから
「見直して描きたしてごらん」とかえしてみると
なかなかおもしろくなったりする。
テーマ活動でもそうだが、
子どもが自分のなかで「完成した」と思い込んでしまうと
なにごともそれ以上には進まない。
でも、少しあいだをおくと、
「やっぱり、まだやれるんじゃね」と思い出す
あきらめの悪いやつが必ずいるものだ。
で、ぼくも現役のときからそうだったが、
大事な原稿ほど早めにあげておいて、
少しあたためてから推敲することにしている。
小泉八雲は最低10回見直したそうで、
1回見返すごとに原稿をしまうひきだしを一段ずつ下げていき、
10段目まできた原稿を編集者に送っていた。プロかくあるべし。
今年もラボ・カレンダーは2本いただいた。
1本は、11月の終わりころ、そろそろできているはずだと
ラボ・センターに行き、アルファベットがニックネームになっている
女性編集者から強奪した。
そしてもう一本は、本部からOBへのごあいさつという感じで
送ってきたものだ。
だから、そちらのほうは表紙をつけたままとっておく保存版である。
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あと10日で2012年も終る。
総選挙の日はおだやかな日曜だった。
三澤制作所の前の道は投票所である小学校へのコースなので
朝から多くの人が行き交っていた。
相談役(母)も早めの昼食を食べてから
美容院、花屋、投票というハットトリックを達成した。
さすがに疲れたようで帰宅してからは昼寝をしていたが
夕食をペロリとたいらげて復活した。
「校庭のクスノキがとっても大きくなっていた。
あれはまり子(ぼくの実妹)が小学校卒業の時の植樹。
当時の校長がどうしてもクスノキがいいというので
植木にくわしいじいちゃん(三年前に亡くなった父のこと)が
PTAの人たちをつれて車で安行
(あんぎょう・埼玉県にある盆栽屋、植木屋が多い)
にいってきめてきたの。
その木を運ぶのも結局は三澤製作所
(製の字は父がやっていた工場、
ぼくは衣をつけるような立派なものはつくってないので制作にしてる)
のトラックでやったのよ。
で、校庭に植えるときも
ほとんどじいちゃんとその友だちがやったのね。
先生たちはなにもしないで見てたわ」と相談役。
最近はだいぶ物忘れがひどくなったとなげいているが
そういう記憶は心にきざまれているようだ。おそろしい。
とくに父との記憶はいまも鮮明。
そしてこの日も仏壇にむかって
「投票にいってきます」と報告していた。
相談役は昭和5年生まれ。
「終戦の年、わたしは15歳の夏を迎えていたのよ。
わたしは忘れない。だから身体が動くかぎり投票にはいきます」。
やはり相談役にはかてない。
そんな日曜日だったが開票の結果はご存じの通りだ。
あまり政治的なことはこの日記にはなじまない。
ただ子どもたちの問題、特に福島の子どもたち
そして多くの課題や難題をかかえる子どもたちをめぐる状況が
ほとんど争点になっていなかったのが悲しいしつらい。
まっさきに「取り戻す」ことが必要なのは
円安でもインフレでもなく、
福島の子どもの笑顔であり、失われたふるさとであり
未来をになう子どもや若者たちが希望をもてる道すじだろう。
自民の圧勝についてどうこういうつもりはない。
国民が選んだ結果だからだ。
ただまじめな話、小選挙区制の矛盾が大きくでたことは確かだ。
そしていやなのは
虚脱感と閉塞感と諦観が漂っていることだ。
暗い予感をもちつつ年がゆく。
しかし、いちばんこわいのは絶望であり、そこから発生する無関心だ。
ふしぎなことに自民党も比例区では
惨敗した前回より0.93%多くとっただけだ。
まさに死票がふえる小選挙区制のこわさが今回も如実にでた。
おそらく日本は霧の海を羅針盤も海図もなく航海することになる。
新しい海、凪の海にむかうには「未来を信じる力」で見つめ続けるしかない。
その最大の敵は諦観だろう。
膝をかかえてすわりこむには早い。立ち上がり。とにかく前へ。
22日は仙台で「被災県の女性のための癒しと自立」という
シンポジウムのお手伝いにいく。21日の昼に仙台に入る。
「横田や」さんにいくのが楽しみだ。
この間、文科省や内閣府のシンポジウムの裏方をしている。
といっても音響や撮影記録、映像配信といった技術的なサポートだ。
だが、おわると感想をもとめられるので
けっこういいたいことをいわせてもらっている。
仕事の細かい内容は、それこそおとなの事情と守秘義務があるので
書けないが、ラボにとっても興味深いテーマもあるので
おいおい紹介していく。
※実際、暴力根絶のシンポジウムなどはDV被害者の方が匿名で
リポートしたりするのでなまなましい。
個人が特定できないように記録を録るのはじつにたいへんだ。
何回も書いたことだが、
シリアでもアフガニスタンでも南スーダンでも
そしてコネティカットでも
幼い命が犠牲になっている。
戦争、紛争、犯罪は人間の最大最悪の不条理だが。
なかでも幼い魂が傷つくことはさらに最悪である。
人間は人間を滅ぼすものをつくりだすことができる。
地雷、原子力(原発とはいわぬ)、銃、いや、あらゆる武器もそうだ。
そのことを自覚せねばならない。
今日は阿部新総理の経済施策を期待してか株価があがった。
社会の目が経済に集中するとき
そのしわ寄せと矛盾の被害がおよぶのは子どもと高齢者だ。
絶望しているひまはない。
ラボ教育活動に課せられた社会的、いや歴史的使命は
ますます大きくなってきている。
つづく。
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とりあえず更新中
三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。
とうとう師走になった。
毎月、好き勝手なコメントを書いてきて汗顔のいたりだ。
でも、もともとこのカレンダーの活動は、
ラボっ子の描画、絵を書くという表現行動を激励しようぜ!
ということではじまった。
だから「ぼくはなんでこの絵が好きか」を書くことで、
ちょっとでもラボっ子への励ましになったり、
子どもの絵にあまりなにも感じない人に
「へぇーっ」といって少しでもあたたかい関心
をもってもらえたらと思って、
あえてへんなコメントを「読みたい人だけ読めや」
というえらそうな態度で綴ることにしたのだ。
前置きが長くなったが、12月は「やっぱり」
と思ったが予想とおりThe March of Jizo『かさじぞう』である。
作者は栗原百花さん(小6・松山市/標葉P)。
とってもとっても有名なむかしばなしだが、
それゆえにバリアント(物語の変化形)がいっぱいある。
地蔵の数も六地蔵(六道衆生の救済)が多いが、五体や七体のもある。
さらに御礼に来る地蔵もふつうは全員で豪華にやってくるが、
代表一体だけというのもあるし、
食べ物やお宝のかわりにおじいさんとおばあさんを
極楽に連れていってしまうという
ちがうだろう! というエンディングもある。
さても絵の話。
まずは夜の青がすてきだ! 原作の本多豊國先生の青もすばらしいが、
百花さんにも独特の透明感がある。
青は日本人にとってはとってもたいせつな色だ。
昔からその種類も多いしね。青、藍、群青、浅葱、浅縹(あさはなだ)、
瓶覗き(かめのぞき・手ぬぐいにつかわれる。
「瓶覗きの手ぬぐいそれっときって」などと
樋口一葉の「われから」にある)など、
これらはほんの一部だが、
日本人は青の微細なちがいにそれぞれ名称をあたえて
ちゃんと生活のなかで区別していたのだ。すごいなあ。
もちろん、地蔵のフォルムや全体の色味などは
原作絵本を参考にはしているが
模写ではなく百花さんの作品になっている。
六体の地蔵の御礼まいりはじつにいいかんじだが、
全体パランスと奥行き感がすんばらしい。
これは単に「真似して描いた」のではできることではない。
とにかく、いい意味でのつっこみどころが
満載の作品で楽しくてしかたない。
以下に続けてみる。
たくまずして背景の青と地面の面積の比率が
1対ルート2に近いのもすごい。
黄金比というやつである。
地蔵の配置と大きさもよく、
舞台でいえば「隙間の無い演出」といったところだ。
かつての劇団スコット(旧早稲田小劇場)の
鈴木忠志氏の演出のようだといったら
OBの山本俊介びっくりかな。
地蔵それぞれのキャラが想像できるのもうれしいし。
最後尾の地蔵がけっこう強い印象をつくっている。
もちろん「もっこふんどし」の地蔵も
さすがのセンターを張るだけのことはある。
そしてなにより、この絵が雪の夜を描いているのにあたたかい。
それは百花さんの心の温度そのままなのだろう。
シェアする精神、わかちあう心が
きっとたっぷりあるお子さんなのだと断定する。
そしてぜひ尋ねたいのは「雪」の体験だ。
松山といえば愛媛の大都市。
温暖な土地だ。
ぼくも昨年、道後温泉を堪能し、
その際には標葉テューターにとてもお世話になった。
百花さんは雪の体験があるのだろうか。
とにかくふしぎな雪のリアリティも感じるのだ。
ぐうぜんとは思えない。
想像だけでこの質感がでているのならそれまたすごいことだ。
地蔵は本来は末法の世(まさに今)、
56億7000万年後にあらわれる弥勒が登場するまでの間、
前に人びとを救う菩薩である。
この物語に悪人が登場しないことも含めて仏教的な要素はある。
だが、この物語の地蔵は、前述の地蔵菩薩の進行譚というより
「なまはげ」などのように
年の暮れなどに遠くから幸をとどける
折口信夫がいうところの「まれびと」(客人・稀人)なのだと思う。
世界も日本も、残念ながら血と涙を忘れることはできなかった。
その年もまもなく終る。
地蔵様、来年こそおだやかな凪を世界に。
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なんかつけたし更新ではずかしいが
今日27日はは賢治の妹トシの命日である。
結核のために24歳で早生したトシは、
日本女子大に学んだ才媛であり、
賢治のもっともよき理解者だった。
この日、朝からみぞれがふっていた。
トシは賢治に頼んでとってきてもらったみぞれを食べ、
さっぱりしたと喜ぶ。
その夜、父、母、弟、妹が見守り
賢治が耳元で南無妙法蓮華教を叫ぶなかトシは逝った。
賢治は押し入れに頭をつっこみ号泣した。
朝、食事の前に「永訣の朝」を聴く。
青年座の速水奨さんの語りが胸にひびく。
賢治の詩のなかでは、やはりこの作品はとびぬけている。
社会、政治経済の状況が悪くなると、
そのしわ寄せは弱い者にまず襲いかかる。
子ども高齢者、そして病や障がいをもつ人びとだ。
そのあぶない時代に賢次の存在はいやましている。
それはときおりめぐりくる尾をひく彗星のようだ。
http://golgi-labo-support-i.blogzine.jp/about.html
カレンダーがかわるころにしか更新しないのもなんなので、
ひさびさに日記を書くことにした。
今日は11月25日。
憂国忌である。三島の『天人五衰』をめくる。
1970年のこの日、高校3年だったぼくはかなり迷走していた。
時は70年安保であり、ベトナム戦争の真っ最中であり、
アメリカがその戦争で無駄遣いしてくれるおかげで
日本はどんどん稼いでいた。
沖縄からは爆撃機がゲリラを殲滅するために、
ベトナムの密林をナパームでもやし、
さらには枯れ葉剤という
とんでもない毒薬をバラまきに飛び立っていた。
早い話がアメリカのいう自由と正義の名のもとに行なわれる
殺戮の手伝いをして日本は繁栄しようとしていたのだった。
ぼくは、そうした状況に小さな頭で悩みながら、
なにやら「ことば、コミュニケイション」を
自分のテーマにしようと思いはじめ、
詩のようなものを書いたり読んだり、唄ったりしていた。
三島が自決したのは、そんな秋だった。
しかも、その日は母の父の葬儀であった。
斎場から小平市の祖父の家に帰った後、
父と母をのこしてぼくは妹を連れて
一足先に中野に帰宅することにした。
そして荻窪で地下鉄に乗り換える前に
夕食をすまそうと入った定食屋で
三島自決のニュース特番を見たのだ。
ふたつの対照的な死を同日に体験したぼくは、
しばらく混乱し不眠に悩まされた。
三島の文章はほんとうに華麗だ。
なんとか身につけたいと思ったこともある。
華麗すぎて好き嫌いはあるかもしれない。
ただ古典のもつ香りを見事に作品のなかに
写し込む感覚はほんとうに圧倒される。
今も存命なら、おそらくノーベル賞をとっていたろう。
先日、術後三年半の検査が終わり、
採血、腫瘍マーカー、CTによる画像診断の結果がでで
無事にクリアした。
おだやかに年をこせそうであ。
三澤制作所の看板をあげて2年がたった。
まったくだらだらと好きなことだけしようと思ったが、
なかなか思うようにはいかず、
うれしいことではあるが、いろいろとオファーがくるようになった。
生来の貧乏性というか、頼まれるといやといえない。
結局ひきうけてふうふういっている。
でも、そうしたモティベイションのおかげで
再発や転移もなく過ぎているのだと思う。
多くの方がたからパワーをいただいているが
離れたとはいえラボの関係者がくださる力は尋常ではない。
この場を借りて御礼を申しあげる。
冒頭の写真は11月4日、国際基督教大学の上空にあらわれた
獅子のような雲。ぼくはSKY LIONと名付けた。
学生時代、なにを血迷ったか
アメリカンフットボールと心理学だけをまじめにやっていた。
それが大学2年の終わりに
ラボという組織(笑)とかかわるようになってから
大きく人生が狂い、現在にいたっている。
で、例の大病をきっかけにラボという高速道路から横に出て
新しい景色を眺めるようになってから、
OBとして
ICUのフットボールティーム、Apostlesとかかわるようになった。
ICUは学生数も少なく、男子も多くはない。
したがってハードなsportsをするやつはあまりいない。
カリキュラムもきびしいので全員練習は週3日しかできない。
現在関東学生の3部Cブロック(キャンプじゃないよ)に属していて
4年前に2部に一度あがったが、すぐに降格。
この二、三年は2位、3位が指定席だ。
ちなみにsportのもともと意味は
「気晴らし」「楽しみ」「余興」といったものだ。
現在は、いわゆる運動、あるいは運動競技のことをいう場合が多いが
かの有名なナンセンス・ライム
"Hey diddle diddle"にそのおもかげがのこっている。
Hey diddle diddle,
The Cat and the fiddle,
The Cow jumped over the moon,
The little Dog laughed to see such sport,
And the Dish ran away with the Spoon
この犬が大笑いしたsportは、まさに「楽しみ」「気晴らし」ということだ。
ラボでは百々先生が「見逃せぬみものだわい」と訳出されている。
だから、め牛が月をとびこえるのも、ましてや猫がバイオリンを弾くのも
運動でも競技でもない、本来のsport、おもしろいみものということなのだ。
さても、空のライオンの写真は強敵筑波大学との一戦の
後半に出現したものた。
筑波大学は昨年まで2部のティームであり、
今年こそ3部で優勝して2部との入れかえ試合に出たい
ICUにとってはどうしても勝たねばならぬ相手である。
しかし下馬評では筑波は優勝候補、
ここまで3戦無敗の勝ち点9をもっている。
ICUは新潟大大学、亜細亜大学には勝ったが、
東京農工大学に完敗して勝ち点6。
今のところ自力優勝の目がない。
この試合をなんとか勝って、
最終戦の結果待ちということになる。
しかし、人数からいっても地力からいっても
ICUの不利はあきらかで
勝てる要素は少ないというのが冷静な事前分析。
フットボールは机上の戦略がきわめて重要である。
若手コーチ陣の研究と努力で
対筑波戦用の特別なプレーばかりを
試合までの2週間練習を重ねた。
その結果、なんと41対23で圧勝してしまった。
この雲がでたのは終了12分前、
ぼくは勝利を確信した。

しかも、同日に行なわれた東京農工大学と亜細亜大学の試合が
よもやの引き分けに終ったのだ。
これで、11月16日の最終戦で高千穂大学に勝利し
次に行なわれる筑波と農工大の試合で
筑波が勝つかひきわけるかでICUの優勝となる。
これはけして低くはない可能性だ。

上の写真はその高千穂大学との試合。
相手には申し訳ないが、高千穂大学はこれまで全敗のティームである。
結果としてはICUが33対Oで完封した。
もっと点はとれたが、終盤からは主力を温存して新人を出す余裕である。
問題は筑波と農工大戦。
フットボールの神はとんでもないドラマを用意していた。
試合は序盤は筑波大学が風上の利を活かしてリード。
前半を17:6で終えた。
しかし、パス・ランともに破壊力とキレをもつ
農工大学が猛反撃に出る。
ノーハドルオフェンスを展開して筑波大学陣に迫った。
それをなんとかしのいだ筑波大はフィールドゴールを加えて20:6。
これで筑波大が逃げ切るかとよろこんだのも束の間、
最終クゥオーター、ついに農工大学がタッチダウン!
さらに2ポイントコンバージョンを追加して20:14。
もちろん筑波が得点を入れ返せばふたたび得点差は広がる…。
しかし、その筑波大のパスを農工大学がインターセプト!
そして勢いのままにタッチダウンを奪い、
トライフォーポイントも決めて、ついに21:20と逆転!
残り時間は3分。再逆転可能な時間だが、
モメンタムは農工大学。だが筑波大学が必死のパスを続ける。
そして農工大学陣15ヤードまで攻め込んだときに、
残り時間は30秒。第3ダウン。
普通なら1プレーはタッチダウンを狙い、
だめならわずかに時間をのこして
キックで3点でサヨナラ勝ち、というところだ。
しかし筑波大は勝負に出た。
キックに自信があるのだろう。
ゆっくりハドルをして残り4秒で最後のタイムアウトをとった。
キック一発に賭けたのだ。
緊張につつまれるフィールド。筑波大がセットした途端、
農工大学がタイムアウト。
なんとかキッカーのペースをくるわそうという作戦。
再びセット。しかし、ここで農工大学が最後のタイムアウト。
結果、ボールはゴールバーのまんなかの夜空を通過、
23:21で筑波大学が勝利した。
優勝は国際基督教大学。自力優勝ではない。
だが、あきらめないものに、準備し続けてきたものにチャンスは訪れる。
2部昇格への入れ替え戦は3週間後。相手は帝京大学である。

なにかラボとは関係ない話をだらだらと書いたが、
彼らからもらうパワーもまた、
ぼくを生かしてくれるていると信じている。
「未来を信じる能力こそ
行動するものにもとめられる力」だと思う。
それはこうしたスポーツのみならず
ラボのような息の長さと本質をもとめられる活動においても
十分いえることだろう。
未来が明日が、明後日が1年後が10年後が、
よりbetterであることを信じなければ
ラボのような活動はできない。
ライブラリーをつくるなんてこともできなかったと思う。
未来を疑いたくなるようなできごと、状況が
世界でも、そして日本でも絶えることがない。
われわれにできることは少ないようでいて多い。
とくに子どもに関わっていること
その一点だけでも、絶望する権利などないことを自覚せねばならない。
いつかオリーブの葉をもった鳩は帰る。
いつか夕映えのに水平線にチェアマン島はきえる。
いつかは天竺にたどりつく。
いつかはゆきちゃんの草原は見えてくる。
そう信じなければ、ライブラリーなんてつくれんぜ。
未来を信じるから今日のパーティがあるのだよね。


先週の土曜日、母校の武蔵高校で「気象の会」が開催された。
気象の会とは、現在も続く気象部というマニアックな文化部の
OB会である。
じつに30年ぶりの開催である。
で、ぼくがぶらぶらしてるのを嗅ぎつけられた
恩師のひとり、物理学者で元校長の小林奎二先生によびだされ
幹事、発起人の一端を担うことになった。
努力のかいあって、当日は48名という盛会になったが。
最高齢はなんと90歳の大先輩も参加された。
驚くのはその年代の方でもメールやPCを
つかいこなされているということ。
それはともかく、初対面、
30年ぶりとさまざまな出会いがあったが、
気象という身近であり、かつ奥の深い世界と
青春時代に関わってきた者どうしの
ふしぎな絆を感じたのはぼくだけではないだろう。
この会が開催されたのは、前にも書いたが、
練馬アメダス観測所として
東京の気温をはじめとする気象情報を伝えてきた校内の施設が、
周囲の建物の影響で石神井公園北側に移転することになったためだ。
現在はアメダスによる自動観測だが、
それまでは気象部員が毎日、日曜日も夏休みも
午前9時10分~20分に露場と屋上で観測を行ない、
それを気象庁に報告していたのだ。
呼称も以前は東京管区象台中新井観測所であり、
国が認めた高校生が運営する観測所だったのである。
したがって、この観測所が移転してまうのは、
われわれにとっては、とっても大きなことなのだ。
てなわけだから、まあほんとにすごい先輩ばかりで、
ぼくなどはチンピラである。
ただ想い出話と飲み食いするだけでなく、
世界的地震学者の荒牧重雄先生の特別講話なともあり非常に刺激的だった。
荒牧先生は82歳におなりだが、
知的で示唆とウィットに富んだ
お洒落なお話にはただ感服するのみである。
パワーポイントで作られた資料を自ら操作されながら、
時間ぴったりにお話されたのはもう感動である。
先生が帰りまぎわ、
「XPでPPT2007を動かすのは無理があるなOSを変えよう」
とおっしゃられた声が若々しいのにさらに驚かされた。
観天望気ということばがある。
「夕焼けの翌日は晴れ」みたいなやつだが、
この観天望気こそが気象観測、気象という学問の基本である。
コンピューターもいい、確率予想もいいが、空を見て風を見て、
肌と目と耳で感じる気象を忘れてはいけない。
大先輩の坂本雄吉氏も元顧問の小林奎二先生も、
そのことを強調された。地球環境問題をはじめとして、
気象という分野はこれからより重要になるが、
そのなかで人間としての観天望気の心がたいせつになるのだと確信した。
ラボでもそうだろう。資料もいいが
耳と心で感じることがまずたいせつだ。
もうひとつの写真は4年先輩の横田重俊さんと40年ぶりの再会だ。
横田さんは仙台青葉区で「横田や」という
絵本と木のおもちゃの店を長年経営されている。
お互いに自然科学の部にいながら、
おなじようなベクトルの未来をいつしか見はじめ、
やがてその同心円にいったことを知らなかった。
たしかに同心円の円周はまじわることはない。
横田さんは、けして経営が楽ではない絵本業界で長年がんばっている。
東日本大震災のときにも無償で絵本を被災地にとどけたと、
後日ほかの方からきいた。
そのことをFacebookに書いたら、ラボの関係者、
とくに東北の方から大きな反響があった。
すごい人だったんだとびっくり。
ラボの話をすると「よく知ってるよ。きみがつくって、
ぼくが売ってんだね」とくったくなく笑われた。
12月に仙台に仕事でいくが、必ずたずねるつもりだ。
さて、タイトルにも書いたが
11月23日は樋口一葉の命日である。
一葉は24歳6か月という若さで世を去った。
さらに驚くべきは、
彼女の代表的な作品のほとんどが
亡くなる前の1年半という短い期間に一気に書かれていることだ。
流れるような文体のなかに、
明治の市井の人びと、とくに女性の哀感をあざやかにしっとりと描いた一葉。
ぼくは強いて一編あげるなら『たけくらべ』がいちばん好きだ。
いずれは郭に入る少女美登利と信如のほのかな恋ともいえぬ思い。
僧侶と遊女という交差しえない人生。
最後、美登利が家の窓に水仙がさしこまれているのを見つける。
その日、信如が僧侶の学校に入る。いやあ泣ける。 霜月もまたさみしい月だ。27日は賢治の妹、トシの命日である。
http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/
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写真は一昨年10月末の福島県五色沼。
信じがたいことではあるが、11月から来年1月末までの土日、
ほとんどスケジュールが入ってしまった。
もちろん、土曜日だけ日曜日だけの単体では空いている日もあるが
土日のどちらかに2か月先まで予定があるなんて
許しがたいことである。
マネージャーやスタッフは、
「それでもユルユルの業務量ですね」
と恐ろしいことをいっている。
相談役(母親)までが、
「多忙を言い訳にする男にまともな仕事ができたためしはありません」
ときついダメだしをしてくる。
今のところは健康だが、
既往症からいえば再発の危険性はゼロではない。
だから、人をまきこむ仕事はそんなに先までうけたくないのがホンネ。
オファーがくることはありがたいが、
ついついサービス精神でうけてしまう自分がなさけない。
おもしろい仕事もつまらん仕事も、
プロならやらなきゃねとはおもうが。
でも、おかげさまで新しい出会いがあったり、
古い仲間とまた仕事ができるのは幸せだ。
おとなの事情で詳しいことは書けないが
最近は内閣府とか日本学術会議のシンポジウム、
はたまた大学や高校の仕事といった
ラボで身につけた野党根性にはそぐわないものがけっこうあるのだが、
それにひょうひょうと対応している自分が
「調子いいやつ」だということを思い知らされている。
そうそう、ラボの仕事もちょっとだけやっている。
まあ、それはともかく、この秋は遠出する時間が
あまりないのが残念だ。

なぜか突然、スカイツリーである。
この電波塔が開業して163日目。
すでに2500万人が訪れたという。
人ごみがいやだから基本的にはパス!
と思っていたら武蔵高校の同窓会から
見学会をするという案内が9月にきた。
じつはスカイツリーの塔そのものは100%民間がつくったものだ
(ソラマチなどの周辺商業施設には行政も関係している)。
そのもとじめが東武鉄道であり、
東武鉄道といえば根津育英会というわけで、
634メートルという高さは武蔵の国ではなく
武蔵高校の634だと、わしら同窓生は思い込んでいる。
今日は、大先輩である37期
竹田全悟東武鉄道専務取締役のお話もきけ、
さらに特別団体あつかいで待たずに
エレベーターにのれるということで、
いやしい性分のぼくは、それならいきますかと申し込んだ。

こころがけがいい人ばかりが集まったのか、
とっても天気がいい。10時集合のところ、
9時30分に着いてしまったが、
なんとすでに大勢の客でごったがえし、
お土産ショップもおおにぎわいなのでびっくりである。
スカイツリーは足下が一辺70 mk三角形で上にいくと円筒になっていく。
重量は32000トンだそうな。
計画は2003年からあり、着工は2008年、
竣工は2019年の2月29日。
平日でもエレベーターは2時間まちということだが、
特別のはからいで団体エレベータに優先的に載せてもらい
(団体利用金1800円はちゃんとはらった)、
350mの天望デッキへ。
そこからまた1000円で451.2mの最高点がある天望回廊にあがれる。

みおろすと関八州が眼下にひろがる。
緑地の少なさ、都市計画がぜんぜんできてないことにおどろく。
そして「歴史の赴き」がほとんど感じられないのがさみしい。
でも、それが東京という街なのだよなあ。
なお、塔のてっぺんの643mはちょうど日光東照宮(東武でいこう)
の陽明門の高さだということで、
積雪のデータはあるという。
また、落雷対策もかなり厳重にしてあり、
地中深く電気を逃がして
建物のなかに電位差がおきないようにして
計器類を守っているという。
すでに12回も落雷があったそうだが、
衝撃も音もわからないのでデータでだけわかるんだって!
ソラマチのレストラン街は激混みです。
外で食べましょう。

三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
題材になっている物語はレオ・レオニの絵本"Frederick"。
描いたのは阿部冬季くん(中1・新潟市/榎本P)。
「くん」と書いたが、読みは「ふゆき」か「とうり」かわからない。
また、ジェンダーも推測でしかない。
絵でも文でも音楽でも
作品から作り手の性別をあてることは極めてむずかしい。
ジェンダーが色濃くでる場合もあるし、透明な場合もあるし、
ときには真逆のようなこともある。
それは一人の個人のなかに
男性も女性も、陽気さも、陰気さも、
責極性も受け身の部分も
時には相反するものが
いろいろと同居していることの証しでもあろう。
しかしかし、中学生の入選はめずらしい。
それ以前に中学生がエントリーするだけでも貴重である。
応募動機、この物語を選んだ理由をぜひうかがってみたいものだ。
描かれている場面は原作絵本にはない構図である。
おそらくエンディングまぎわ、主人公のフレデリックが、
あつめた「ことば」を語りかけているところだろう。
彼のことばを、阿部くんは自分のイメージで
ひとつの画面にまとめてみせた。
Very Strongな想像力といわざる得ない。
このくらいの年齢で、
これだけ自由に描画で遊べること自体がとんでもないことだ。
中学生はけっこういそがしいし、
やりたいこともいっぱいあるだろう。
一方でやっちゃだめもいっぱいある。
ぼくも中学2年生のころは毎日いらいらしていた。
ちっちゃな自我とかいうやつに苦しんでいたのだ。
そんななかで、この絵を描いた阿部くんの思いを
ぜひ知りたいと思う。
色は原作絵本よりも鮮やかだ。
フレデリックの「ことば」自体が色彩豊かだから、
それは当然だろう。
とくに空のあざやかな青はとっても気になる。
しかし、気になるところはほかにもいっぱいあって、
フレデリックの顔のきり方、
まんなかに横に走る雲のような白い空間。
そんなのもとっても気になる気になる。
世界をスパッと切断する大胆なやり方は、
ふつうは失敗するのだが、
この作品ではふしぎな世界をつくりだしているのだろう。
それと独特のバランス感覚がある。
その背景にある阿部くんの
尋常ならざるこの物語への思いを知りたい。

レオニの絵本はだれにでも楽しめるが、
その一方で人間の尊厳とか存在に関わる重要なテーマを、
やわらかに提出してもいる。
「あるがままを愛する」「自分の心に自由に生きる」。
それらのことは口でいうのは簡単だが、
じつはなかなか社会はゆるさない。
とくに日本じゃね。
前回にも書いたが
孤独、孤立もまた表現者のたいせつな資質である。
阿部くんは、理解されようと思ってこの絵を描いていないと思う。
彼もまた、フレデリックのようにすぐれた表現者といえる。
で、書きながら思うのだが、
フレデリックは決局は社会に参加できた。
その一方で少年のもつ「苛立ち」を思う。
あるときは「まだ中学生だろう」といわれ
またあるときは「もう中学生なのに」といわれる。
そして、ある日、突然、今日からおとなといわれる。
それまでは社会の力学に手をふれさせてはもらえないのに。
かつては地域社会に年寄りにも、青年にも少年にも
役割があった。
しかし、たとえば中学生を見ても
学校・部活・塾・家庭以外に居場所はあまりない。
居場所とは単なるスペースではなく、
期待される役割があり、
周囲も自己もそれを認識できるということだ。
だから、ラボパーティにおいては
その居場所はとても重要だと思う。
ラボが日常のパーティにおいて、
またキャンプなどの交流において
一人ひとりの居場所にこだわり続けてきたのは伊達じゃない。
パーティでの役割、さらに進めばシニアメイト活動は
まさに責任と感動とともに力学にふれて成長する装置である。
そして
子どもは、フェルディナンドのときにも書いたが
あるがままで個性と役割をもっていることを疑ってはいけない。
それは子どもに関わるおとなに求められる資質だと思う。
レオニはオランダで生まれ、イタリアに住んだが
ファシスト政権から逃れてアメリカに亡命する。
そのおだやかな画風からは想像ができないきびしい人生をあゆんだ人だ。
この物語はぼくが最後に担当した
ラボ・ライブラリーのなかの一編であるがゆえに
思い入れも強い。
著作権を管理しているレオニお嬢さんと
忘れがたいやりとりをしたのも
なつかしい思い出としてのこっている。
このカレンダーは、もうしばらくじっくりにながめてみよう。
冬の手前、まったくこの時期にふさわしい絵だ。
この作品の日本語音声吹き込みはラボっ子から募集した。
選考会を行なったのである。
しかもこのときは、
指定した文をテープやCDなどに吹き込んだものを送り
さらにファックスかメールで志望動機を書いて送るという
しちめんどくさいものだった。
それが一次選考である。
ラボっ子の吹き込み者選考会は毎回緊張する。
しかし、彼らの熱意に身が引き締まる。
いかに多くの子どもたちにライブラリーが支持され
愛されているかが感じられるからだ。
で、このときもそうだった。
とくに、送られてきた志望動機におどろいた。
それは以下の大きく三種類にわけられたからだ。
1.将来、声優や俳優などの表現するプロになりたいので、
あらゆる機会に挑戦したい。
2.ライブラリーがだいすきなので、その制作に参加してみたい。
3.レオ・レオニ先生(先生がつく!)の作品がだいすきで
全部もっています。ラボでとりあげるときき、うれしくて応募しました。
すごいだべ!
これじゃ、命かけて身体けずってつくらなけりゃって思うよね。

今日は11月1日。万聖節である。
ぼくはカソリックではないのでお祝いはしない。
ただ、今日から冬になっていくという
ヨーロッパの季節の節目であることは思う。
あと4週間でThankgiving、そしてすぐにChristmasだ。
昨日、渋谷を歩いていたら、
ハロウィンの仮装をした若者たちがうれしそうに歩いていた。
街のあちこちにもジャック・オ・ラタンの飾りがある。
ハロウィンを楽しむ人びとをどうこういうつもりはないが、
違和感はずっともっている。
いま都市で行なわれているハロウィンは
商業とも結びついた非宗教的習俗であることはまちがいない。
その発性にはケルトのドルイドの祭り、
ハロウイン翌日の万聖節祝祭といった歴史的背景はあるが、
基本的におさえておかねばならないのは、
昨日、木島タローちゃん(なれなれしくてスマン)が書いていたように、
教会関係者はハロウィンを祝わないことが多いということ。
ドアに"Sorry, No, Canfy!"と紙をはっている人もいたそうだ。
ケルトの祝祭において10月末は
死者や精霊が地上にもどってくる日とされていたが、
それは収穫祭の意味もあり、季節の確認でもあった。
そして基本的に多神、狩猟だった
ケルトの荒々しくも透明な祈りが底流にある。
それがケルト系カソリックに変化していくなかで、
習俗だけがのこっていたことは考えられる。
しかし、本来、悪魔や魔女が徘徊するハロウィンと
キリスト教は本来相容れないものだ。
実際には否定する教会も多いし、
娯楽として楽しむなら「いいんじゃないの」というところもある。
けっこうバラバラだ。
ぼくがおどろくのは、古くは中国、
近代では欧米のマネをしてきた日本人だけど、
生理的にあわないもの肌にフィットしないものは
定着させてこなかった歴史があるのに
ハロウィンがけっこう定着しつつあることだ。
漢字や都の碁盤目のつくり方はマネしたけど
纏足や宦官はさすがに気持ちわるかったからマネしなかったし、
たとえばキャベツ畑人形なんかはオオコケだった。
ハロウィンが習俗として定着しつつあるのは、
やはり商業戦略のせいなのか
変身願望と自己IDのはざまの問題か、うーん、よくわからない。
ハロウィンをたのしんだみなさん、ごめんなさい。

上の写真は福島の中津川渓谷。やはり一昨年の10月末。
ハロウィンついでに書くけど、
We Are Songbirds μを制作するとき、
東京東久留米にあるCAJ(Christian Academy in Japan)の
Denise Owen先生にたいへんお世話になった。
先生はサラ・ニシエさんの紹介である。
先生は桜美林大学の名前のもととなった
J.F.Oberlin Universityで学ばれた音楽の先生である。
μに入っているHiは先生の作曲だし、
Parade of ColorsやHey Betty Nertinなどの
たのしい歌をたくさん紹介してくださり、
遊び方も指導してくださった。
さらにいえば、We Are Songbirdsのテーマ曲の
英語の歌詞も先生の作詞だ。
また録音のときも合唱を教えている
生徒さんたちをつれてきてくださった。
『ひとつしかない地球』(英語化しも担当)
のときもまた協力してくださっている。
デニース先生には、とにかくいろいろな注文やお願いをして、
「あいさつの歌」「動物の歌」「手あそび」などと
好き勝手に頼んで、
最後に「季節の歌」をお願いした。
そのなかで感謝祭のOver the Riverや
バレンタインのLove SomebodyやSkinnamarink
などを紹介していただいた。
で、当時(も)、浅学だったぼくは
調子こいて「ハロウィンの歌はどうですか」とたずねたら
敬虔なクリスチャンである先生は、
きびしいけとやさしい目で、こんこんと
ぼくの蒙を拓いてくださった。
ああ、クリスマスや感謝祭とは位置づけがちがうんだなあと。
そのときはぼんやりと思ったが、
その後、いろいろと勉強すると
前述したようなところにいきついた。
そんなわけでGT7μにハロウィンの歌はない。
ラボの行事でハロウィンをするパーティは多いと思うが、
ぼくが在職している間は「ことばの宇宙」で
ハロウィンネタをとりあげることはしなかった。
変身、しかも日常なら忌避されるような
魔女や悪魔に仮装するのは
刺激的だしおしゃれなのかもしれない。
そのこと自体を批判するほど野暮じゃないが
世界の文化を考えることも
ラボ活動の基本のひとつであるなら
それなりの態度と目的がが押さえられているべきだと思う。
さらにいえば「クリスマス会」も表現や内容には慎重であるべきだと思う。
宗教は組織であるが、信仰は個人の心の深いところにあるものだ。
そこに土足では踏み込めない。
アメリカでもMERRY CHRISTMASとはいわず公的には
Happy Holidaysと表記することが、近年ではほとんどだ。
ハロウィンは前述したように現時点では非宗教的行事である。
だとするとその意味はなにかと考えると
わからなくなってしまうのは本音だ。
ハロウインについては人それぞれのところがある。
機会があったら近くの外国の方、また受け入れをしたときになど
せび直接たずねてみてほしい。

写真は2枚とも一昨年の湯布院。

デニース先生は、現在もCAJであの透明な歌声で子どもたちに
音楽の楽しさを教えていらっしゃる。
ずっと独身を貫かれているが
ベトナムの少女をアドプトとして育ていらっしゃる。
先日はFacebookでハリケーン、サンディのことを
とても心配していらした。
ラボっ子の音声吹き込み者選考会は在任中、
なんどか行なったが、ほくはそのたびにこうあいさつした。
「スタジオにいけるのは、このなかの数名です。
でも、テキストの吹き込み者のところに
ラボ・パーティの子どもたち、とのるのは
スタジオメンバーのことだけではありません。
手間のかかる1次選考から、こうしてここに集まるという
行動をおこした、ライブラリーを愛するみなさん全員のことです。
ですから、今日の結果に関わらず
『ライブラリーの制作に参加しました』と胸をはっていってください!」
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