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今から30年前、子育ての真っ最中に出会ったこの本「にほんご」は、わたしの中の「あそび心」をいっきに開花させ、友人たち親子とともに、この本を題材に「ことば」であそぶ日々が続いた。意味や音韻を丸ごととらえたこどもたちは、時にナンセンスな文体にお腹を抱えて笑いころげた。ことばはからだからわいてくること、そして「にほんご」の豊かさを教えてくれたこの本は、大切な一冊となった。
「あとがき」に「文部省指導要領にとらわれない、言語を知識としてというよりも、自分と他人との関係をつくる行動のひとつとしてまずとらえていること、ことばには心だけでなく、それと切り離せぬものとしての体、つまり文体とよばれるものがあるということを示している・・。」「母語である日本語を通して、こどもたちにことばと、ことばを通しての人間のありかたにめざめていってほしい・・・。」など、書かれていることは、ラボテューターとなって30年近い体験を経た今、いっそう心に響いてくる。著者は、谷川俊太郎、大岡信、安野光雅、松井直。
この本「にほんご」をテキストとした教師たちによる授業の実践記録をもとにした研究内容の分析が、「『にほんご』の授業」(国土社)として谷川俊太郎、佐藤学、竹内敏晴、稲垣忠彦 によってまとめられている。「にほんご」が、「話す」「聞く」という行動を基礎としたことばのとらえ方をしていることや、生まれた時からの言語経験を持っているこどもたちが自身の言葉に秩序を与えていくという発想からの言語教育の考え方が、子どもを中心とした生き生きとした授業の実践に様々なヒントを与えるのではないかというものであった。「・・・まず、教師自身のからだを開放し言葉をひらくことから、教室での子どもの交流を活性化する道が探求されはじめたのである。」とあった。
わたしたちテューターは、こどもとの関わりの中で、「ことばとからだ」「生き生きとしたことば」「イメージをもつ」など、とても抽象的と思える表現で、パーティやこどもたちの様子をみてきた。これらのことばが、この実践記録と分析の中に、専門家のことばで、秩序をもった表現となって表されている。 |
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