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ライブラリータイムは、母子共通の心のご飯タイムでした。 |
11月14日 (日) |
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昨日の近況ついでに、実はここ最近、自分の中の変化に気が付きました。
ラボのCDを聞く事が”とてつもなく忙しい中”の癒しになっていたという事です。
ラボファミリーの皆さんからすれば、手前味噌に聞こえるこのセリフですが、
これは私にとっては驚きの出来事なのです。
私にとっても産まれてすぐからTutorではないので、やはり初めてラボに携わる時の高揚感に加え、背中合わせの不安もあるわけです。
ラボを勧める立場の私が、ラボを本気で良いと思っていなければ、私自身の善意に反する!と色々な角度からラボに対して質問攻めにした時期もあります。
”ラボはフルコースで食べろ”
本当にその通りだと思います。Tutorにとっての研修や会議もそのひとつ。
そして様々な講演会。もちろん様々な「ひろば」。
一見まだまだ先の先、国際交流(ホームステイ)関連の説明会や事後報告等であっても、絶対に参加すべきだなと思います。
なぜ今自分が子供にラボで英語を学ばせているか?なぜ私は他の英語教室でなくラボを選んだのだろう?という親自身の疑問に対する答えがそこに隠されていたりするからです。
全く大人の自分とは関係なさそうな”交流会”や”発表会”にも、アンテナさえ張っていれば答えがストンと心に落ちて来たりする瞬間があります。
ライブラリーの良さもそうです。
そう、そんな事は、言われなくても判っているのです。
でも・・・Tutorでありながら、なかなか自分の望むようにライブラリーの聞き込みができないもどかしさが、これまではあったのです。
買ったライブラリーがどんどん棚に並び、まずはパーティで次に何を選ぶか決める為に簡単な(というと語弊がありますが)お話から順にCDを聞き、次のパーティの為に1週間じっくりと聞き込み、研修の為にそのテーマ作品を聞き込み、交流会の為に聞き込み・・・と、そうしていると、変な言い方ですが、他人本意な選び方しか許されてない感じがしていた訳です。結果的には「聞かなくてはいけない」という責任感と義務感が好奇心よりも強くなってしまうという状態でした。
しかし、最近息子が少し成長してくれたお陰で、CDデッキをいじられたり(途中で止められたり)愚図られたり、「Stop Taroがいい~。これヤダ~。」と阻止されたりする事が非常に少なくなり、「これ聞いてみよっか?」と誘うと「うん。」と素直に頷いて一緒に聞いてくれるようになりました。
(一時期は息子が寝てから、研修の為のCDを夜中に独りで聞くという事もありましたが、息子がきっかけで子供の為にぜひと思って初めたのに・・・これでいいのか?というラボママとしてのジレンマを感じながらの聞き込みでした。)
そんなわけで、最近、忙しい忙しいと言いながらも、就寝時に必ず子供と一緒に作品を選び、絵本を広げて一緒に聞く時間が、本当に私を”癒し”てくれている事に気が付きました。
子供にはちょっと長過ぎるのでは?とか早いのでは?と思われる作品も、うちの子には心配御無用でした。(途中で寝てしまうので。ハハハ。)
(もちろんたまには親の期待?に応えるかのように、”ヘンゼルとグレーテル”のヘンゼルの事を「はんぞう」と呼び、半蔵?と聞き違える私に、「ちがう、ハンゾー、おかしの家怖かったじゃない。」なんて素晴らしい発音&コメントをくれちゃったりする時も、あります。)
私が、安寿と厨子王を聞いては号泣し、子供に「泣かないで~」と慰められては、また泣く。
というような”お幸せ”なCDタイムを過ごさせていただいております。
そうやって、子供とのゆったりした時間を、ほんの一時でも過ごして、
昼間の「ほら、早く!なにやってんの!」と急かした分の帳尻でも合わすかの様に、怖いねぇ等と意見を言い合ったりして愛情を伝えつつ、母も癒され、子供はついでに英語のフレーズまで覚えてしまう~
という一挙両得?棚からぼた餅?のお手軽言語習得タイム。
そして私自身の、嬉しい心のご飯タイムなのでした。
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