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SSE(夏の集中パーティ)2日目、終了! |
08月02日 (木) |
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本日は、暑い中、皆さんの元気がお顔を見れて、本当に嬉しかったです。
(自分が体調が悪いせいで、余計に元気をいただけました。)
連続パーティでお疲れのことと思います。ありがとうございました!
野外でのグループ活動の成果か、リーダー(ミニシニア)小学生を筆頭に
グループでの動きがまとまっていて、素晴らしかったですね。
今までにない形の子ども同士の交流ができて、更に仲間意識が芽生えたのではないかと思います。
3ヶ月に一度会うか会わないかの、パーティをこえた交流ですから、
顔は知ってるけど名前までは知らない・・とか、まだ話した事がないというレベルの
ラボっ子同士が仲良くなるためには、地道だけれど、回を重ねて少しづつ共通の思い出を
増やしていくしかないのかなと思っていましたが、
縦長グループ活動によって、年齢・性別を超えた交流ができ、
キャンプ等の国内交流、はたまた国際交流の基礎となるコミュニケイションの基礎を
学んでいるなと思い、手応えを感じました。
もちろんそういった願いを込めて、仕掛け作りをしているわけですが。
保護者の方々の中には、野外活動の様子を眺めて、
「英語教室なのに、いつ英語で話すの?」とか
「せっかくテューターがついてるんだから、ちゃちゃっと介入して、子ども達をまとめて、
メリハリ付けて行動させればいいのに・・・」
「子どもに任せていないで、もっと時間を有効に使えばいいのに」
「グループになってなにするのかと思えば、お散歩?もっとプログラムらしいものをやってくれればいいのに。」などと思うような方が、いるのでは・・・???と思ったりします。
実はテューターになりたての頃の、最初の合宿で、私が思った感想でもあります。(汗)
私は、直感で「ラボは良い!」と感じて飛び込んだものの、
当時まだしっかりと「ラボの大切にしている部分」が理解できないまま、
一人の親として、単純に抱いた疑問だったのです。
テューターが敢えて先導せず、ぐっとこらえて、子どもの答えや子どもの言葉を待つ事の大切さ。
小学生達にリーダーとして意識してもらえる場を多く提供すること。
また逆に幼児さんたちにも、いつも親やテューターに言えば叶うという状態ではなく、
少し自立して“自分の言葉”で“自分の意志”を伝える環境を作ること。
子ども同士が互いに関わって、相談したり、意見を交換できる場を作る事。
これらは、遠回りのようで、最も大切な教育だと私は気付きました。
大人が上手く介入して立ち回れば、時間は短縮することができます。
しかし、我々テューターが、時間を有効に使って、何か教えたつもりになっても
果たしてそれが子どもの本当の力になっているか・・・と言えば、それは疑問です。
子ども達が自分で考え、自分で得たことの方が、大人が一方的に教え込んだことよりも
ずっと身になり、社会力・人間力となるでしょう。
こんな事に気がついたとき、本当のラボ・パーティのすごさが垣間見えました。
(回り道や寄り道、遠回りが心の教育とも言われますよね。)
ラボでは、決してテューターひとりで教えているわけではない。とよく耳にします。
パーティの友達、仲間、地区や全国のラボっ子、先輩、後輩、ラボに関わるご両親方、
パーティのテューター、地区や全国のテューターなど、大勢の方々の力で育っていく。
人間は自分ひとりで生きているわけではなく、大勢の人間に関わって、
支え合って生きている、生かされているということに気付ける場所だという点が、
他にはない点かもしれません。
「共育」
自分を磨き、他人も磨く。辛い事を乗り越える力をつける。
辛い事を一緒に乗り越える手助けをしてくれる、精神的な仲間作りの方法が得られる。
自分に向き合う、他人の意見を聞く、自分のエッジを越える、自尊心を育てる、
自信をつける、・・・・などなど書ききれないほどのたくさんの意味が含まれた造語です。
これを育てるのは、並大抵のことではありません。
数週間、数ヶ月で育てられるものでもありません。
人間関係の中で、もまれてこそ、育つものです。
多くの人に愛情を持って見守られて育つものです。
ですから、パッと見で理解しにくい、一見、遠回りな教育方法に見えても、
ラボは大切な基礎作りに力を注いでいるのです。
今回のSSEの野外活動は、そんなラボの諸先輩方の活動に習って、たくさん練りました。
リーダー意識をもたせるきっかけとして、ラボハットの着用を義務づける。
またグループのメンバーの名前をテューターが事前に記入して渡すのではなく、
リーダー自ら、メンバーに名前を尋ねて書いてもらう。
そんな些細な事もたくさんの話し合いの中から出てきた我々からの仕掛けです。
リーダーにビニール袋一枚、持たすか持たさないかで、
そのグループ間での共有の場面の数が変わってくるのではないか、
そんな話し合いもしました。
全員に一枚持たせれば話は早いけれど、そうではなく、リーダーだけが持っていることで
幼児さんたちはリーダーへの報告義務が生じるし、リーダーも持ち帰らなければという意識から
メンバーの言葉や発見を拾いやすいのではないか、という意見からの”配慮”でした。
また、子どもだけでの行動は危険なので、各グループに付かず離れずの距離で
大人の方に一組づつ付いていただくことで、安全面も考慮しました。
大人がぞろぞろついて歩くと、子どもはリーダーではなく、大人に発見を見せたがるでしょうから、その点では敢えて子どもだけのグループにすることで、コミュニケーションが深まり、
密度の濃い時間が過ごせるだろうとも考えました。
単なる自然散策が目的ではなく、今回のテーマ「ポアンホワンけのくもたち」に沿って、
親とはぐれたお兄さんお姉さんとチビたちのように、自分達で色々な発見をしながら
冒険と経験の旅となるように、そして最後にはお兄さんとお姉さんと再会し、
親とも再会して喜び合い、(うれし涙をこぼすほどではないですが)
これまでの体験を話して聞かせる。という流れになることを暗に含んでの活動でした。
「グループ活動の意味は?」と問われれば、こういう答えとなるでしょうか。
それを体験した子達が、どんな様子を見せてくれるかが、本当に楽しみでした。
本日のT/Aの際にも、ライブラリーを持っていなくて「ポアンホワンけのくもたち」の内容を
全く知らない子もいたと思います。
丁寧に読み聞かせはしましたが、長さもあり、プレイルーム世代のお子さんには、一度で理解するには
難しかったかもしれません。
しかし、私が連続の集中パーティで叶えたかった、パーティ間を越えた交流は充分叶っていましたし、
またお兄さん、お姉さんの雲にチビたちが必死で付いていく点では、お話ともリンクしていたように感じました。
お母様方には色に焦点を当てて、雲を流す風、風景作りにご協力いただく形で
T/Aに参加していただきましたが、お話をご存知ない方には動きにくかったかもしれませんね。
また体を使っての参加ではなかったので、慣れた方には違和感もあったかもしれませんが、
私には、子ども達は色の変化を楽しんでいるように見えましたし、
しばし見つめて「なんで色画用紙が変わるんだろう?」と不思議そうに佇んでいる子もいたりして、
(置いてきぼりになり、お姉さん雲に「こっちだよ」と促され、ハッとして慌てて付いて行く場面もあり)
とても面白かったです。
蛇のように1列に連なって、ぐるぐる走り回る様子を見て、思わず台風みたい!と思ったりしました。
大人では思いつかない行動ですよね。
(雲といったら、両手を横に広げて、ふわふわ~ という表現しか思いつかない貧相な私)
全ての意図や仕掛けが伝わって、何かを感じてもらえるわけでは当然ないけれど、
これがライブラリーとの出会いとなって、聞いてみよう~と思うきっかけになれば本望です。
また、最後のお菓子は、無しの所を、私の(ちょっと幼い)希望によって、
お話に沿ったプレゼントになればと、急きょ用意しました。
蒙古風に吹かれた黄砂でできたクッキー、流氷で作った飴、雲で作ったマシュマロ。
子どもたちから、「砂でできたクッキー美味しい。もう一個ちょうだい。」という声があがったそうで、
笑いました。
少しでも興味が出てくれたら、嬉しいし、またどこかで「ポアンホワンけのくもたち」に
出会った時に、懐かしく思い出してくれたらもっと嬉しいです。
でも、別に思い出さなくても、いいんですけれど。(笑)
そうです。私がおやつもらえたら嬉しいタイプなんです。自己満足です。ハイ。
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