幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 2005年 活動報告
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私のおすすめライブラリ 第2号               2006年3月13日

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1)JCSK-18 中国語版 西遊記   
2)GT-11 TOM SAWYWR, Prince of Mischief わんぱく大将トム・ソーヤ    
3)SK-29 Noah’s Ark ノアのはこぶね 他
4)SK-27 THE RESTAURANT OF MANY ORDERS 注文の多い料理店
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1)中国語で西遊記                      南総 木野 康江

 ここ何年か老子の道教に、惹かれている。西遊記の一話に登場する太上老君は老子らしい。玉帝も道教の神々の仲では高位の神だから、天上界にいらしてよいのだが、なぜか釈迦如来も観音菩薩も一緒に天上界におられ、斉天大聖の称号をさずけられた化けもの猿、悟空も一時は天上界の住人になる。なんとも、なんでもありの世界ではないか。日本の八百万の神にも負けない。中国の人々もみんなまとめて神様として敬っているらしいのだ。私は、西遊記のそんなところが好きだ。それから、私は、ここ何年か中国の楽器、二胡にはまっている。そうなると、今度、西遊記をやるのなら、中国語だし、中国語なら中国の方に観てもらわなければならないし、せっかくだから中国の楽器、二胡の音色も生で楽しんでほしい、ということで、年末に、<中国語の西遊記と二胡の夕べ>という催しをすることになったのは、自然な成り行きだった。せっかくの中国語なのだから、いつも3つのグループに分かれて活動しているけれど、やっぱり全員で取り組むことになる。二胡奏者の王さんもお呼びできることになり、中国語そのものと西遊記の表現が、王さんにも伝わるテーマ活動を創ることが目標になった。

 こども達は西遊記が大好きで3話と4話はこれまでに何度もテーマ活動をしてきたので、2話がよいのではないかと私は思っていたが、子供たちは1話を選んだ。大好きな老子が登場するのだから、私も異論はない。「金丹って何?」という子供たちに、不老長寿の薬、金丹の作り方など説明して、6人の中国の皇帝が金丹を飲んで死んでしまった話などで、盛り上がったりした。それから、李庚さんの絵をみると、天上界の人々(神々でしょうか?)は、みな雲に乗っている。ラボっ子たちは雲の表現でたっぷりと遊んだ。觔斗雲にこだわった男の子たちは毎回、まるで天上界が目の前に広がっているかのように觔斗雲を飛ばし続けた。いろいろ、面白いことはおきたけれど、だれも知らない中国語を耳だけをたよりに(漢字の中国語読みに気づいた子もいたけれど)テーマ活動を創っていくことは、ラボの原点のように思えたし、できるんだろうか?できないんだろうか?というハラハラドキドキ感がたまらなかった。王さんには、「中国語はよく分かりました。子供たちの真剣さに感動しました。」という感想をいただいた。単純な私は、老子のおかげかな、なんて思っているのです。


2) トム・ソーヤ                    京葉地区 関 智恵子
 
 私は、幼少の頃に、いわゆる「良い絵本」を両親から与えられていない。それはひとえに私の両親が戦時中の子供で、おまけに両親とも兄弟の中で年長だったから、彼らの生活は妹や弟の面倒を見ながらご飯を作り、家業も手伝うという、いわば生きていくだけで精一杯の生活で、教育自体きちんと受けられなかったことが(貧しかったこともあると思うが)大きな理由であろうと思う。

 しかし、そんな両親の子供時代の話は、いつも私の心を捕らえてやまなかった。彼らの当時の生活は「生きていくだけで精一杯」のようでいて、実はたくさんの子供だけの世界と社会と、そして「いたずら」があった。当然大将も存在していたわけである。いつの時代の子供も、子供の世界に入り込んでいる時は、世間でどんなことがあろうと関係なしに「今、このときを、友達たちとどう過ごすか」ということに焦点が置かれているものであると、私は思っている。そして私の両親の子供時代には、子供社会において、それぞれの子供なりのその時点での生活感があふれたいたずらが数多くあったように思う。

 こんな思いをかかえつつ、大人になってラボのテューターになった現在の私が出会ったいたずら物語に「トム・ソーヤ」がある。そして私は、後期TSで発表する話に、トム・ソーヤ(帰ってきた海賊)を選んだ。  

 私が「トム・ソーヤ」に惹かれたのは、やはり、両親の子供時代のいたずら話を聞いていたからだろうと思う。両親がやってきたようないたずらが、トム・ソーヤにある。そして、私がしてみたいと思う生活もそこにはある。お話の世界で思いっきりいたずらを楽しみ、その時の生活を満喫したいと思ったのである。しかし、現実的には(娘のお迎えの関係で、思うように練習に参加できないため)発表会では、ナレーションと背景造りしかできないのだが。

 後期TSの一環として、ランス・アッテンブロー氏の「トム・ソーヤ」を題材にしたWSがあった。(私達が発表テーマを決める前に、である。)ランスがWSとして選んだのは「へいぬり遊び」のトラックナンバー1のナレーションの部分。これだけで、なんと2時間も費やしたのだ。そこには、3つの英文があるだけである。ランス氏はこの3文から、さまざまな文化的、歴史的な事柄を私達に示してくれた。英文だけを読んで感じたことを突き詰めることの意味を知った。ちょうどその頃、ランス氏が話してくれたのと同じように、ミシシッピ川と人種差別について書かれているサイトを見つけた。現在でもアメリカには根強く人種差別が存在しているらしい。人種差別ということを、私はアメリカの歴史的事実としてしか把握できない。自分自身の生活に体験がないからだ。日本に生まれ育ってきた自分の環境に感謝すると共に、国際人育成者の一員として子供たちと活動している今の自分の立場の意味の大きさを感じた。でも、トム・ソーヤのお話の世界に入っている時の私は、やっぱり子供でしかないのだが。


3) ふたつの『ノアのはこぶね』・『バベルの塔』      京葉地区研 森田美紀

 小さい頃から本が好きだった私ですが、絵本を読んだ記憶はほとんどありません。両親に聞いても、「そういえば絵本は買わなかった」。なんてもったいないことでしょう! おかげで絵本やファンタジーをほとんど読まず、探偵小説や冒険小説ばかり読む子ども時代でした。絵本をたくさん読んでいたら、今とっても役に立つだろうなと思ったりもしますが、逆に新鮮な気持ちでライブラリーの物語を聴くことができる…のかもしれません。

 そんななかSK29が発刊され、『ノアのはこぶね』と『バベルの塔』を聴いたとき、記憶によみがえってきたことがあります。昔家にあった、聖書のエピソードを子供向けにした本で読んだこと、表紙の色や本の大きさまでまざまざと思い出されました。そして、子ども心に“悪いことをしていると神さまに怒られて、ばちがあたるんだ”と強烈にうえつけられたこと。聖書のおはなしはとてもおもしろく、何度も読んだと思います。
でも、ラボの『ノア』と『バベル』には、記憶のなかのおはなしとなんだか違うところがあるのでした。そう、神さまです。神さまの在・不在によって、このおはなしは、‘神さまの力を示す’ものから、‘本当の道徳を示す’ものに、別のおはなしといっていいほど大きく変わっているように私は感じました。それに、動物たちの大討論! 手塚治虫の作品にも、動物たちが人間の運命を決めるというおはなし(こちらでは人間は地球上から消えてしまうのですが)があったなあ、普遍的になり得るおはなしなんだ。やっぱりラボってすごいんだと思ったものです。

 今の私は、ラボの『ノア』と『バベル』に出会える、テーマ活動で表現できる子どもたちをうらやましく思います。まだ本当に小さい私のパーティではテーマ活動で取りあげられるおはなしではないので、少しでもおはなしのエッセンスをつかんでほしい、動物たちの大討論を楽しく感じてほしいと思いながら子どもたちに読んでいます。そして、私が神さまのいない『ノア』にラボで出会ったように、子どもたちにはいつか神さまのいるふたつ目の『ノア』に出会って、その違いを深く考える機会が訪れるようにと願っています。

 ところで、なんらかの委員をなさったことのあるテュ-ターのなかには、私のことを「どこかで見たことのある人だな」と思っておられる方がいらっしゃるかもしれません。実は私、SK29が発刊された2003年に、ラボセンター9階で教務・制作局のお手伝いをしていました。その時に、あの愉快な堀越先生の原画をこの目で見ています。スペインの土を使った、ざらざらとした力強いタッチの作品でした。なんだかでこぼこしていました。今思うと、ライブラリー委員の方しかできない貴重な体験をしたのですね。そんな意味でも『ノアのはこぶね』と『バベルの塔』は、私には特別なおはなしなのです。


4)「注文の多い料理店」~ラボ初めて物語~    事務局 武井 亮

 昨年の9月~11月の二ヵ月半、神奈川のパーティ、小学生13人のグループを毎週訪問。
地区発表会にむけ取り組んでいた物語が「注文の多い料理店」で、私も子どもたちに交じって、初めてのテーマ活動に取り組みだした。

 余談ではあるが、この「注文の多い料理店」とは、中学校一年の英語の教科書でも出合っていて、disappearという単語をそのときに覚えたということが、強く私の記憶に残っている。ライブラリーでは、vanishが使われて居り、ちょっと残念であった。。。

 紳士を誘導するハンターになり、
山の中を進む紳士たち
  ⇒奥に進んでいくうちに、だんだん連れがすくなっていき
  ⇒寒く、おなかもすいて不安が募る
  ⇒ふと気づくと山猫軒がある。・・・というイメージを考えているうちに、ふと小学生の遠足がフラッシュバックしてきた。

 地域的にも、遠足で山に行くことが多く、よく友だちと頂上まで競争などしたこと、近道だと言いながら、道なき道を進んだこと、頂上にでたときに広がる視界と、ひかりのまぶしさ、また自宅近くの自然公園で、自然の中でかくれんぼもよくしていた。
 今の子どもたちはどのくらいそんな経験をしているのだろう?子どもたちも物語のイメージがなかなかわきにくかったようで、別のグループでは、みんなで近所の森の中入っていき、イメージを膨らませ、その後から、だんだんまとまりが出てきたりもしたようであった。が、私の方のグループは、ダラダラと一向に物語が進んでいかなかった・・・

 みんな紳士の役はむずかしくて嫌だといって、敬遠していた。山の中、山猫軒の中でどう動いていいのか、迷路の中をさまようようにぐちゃぐちゃになりだしてきたのだが、
 回りの木や草、風、ドアが紳士をどんどん山猫軒の中に案内していき、紳士はされるがままに楽しんでればいい。テューターのそんな投げかけをもとに、チームを作って、ドア作りをすることに。最初の訪問から2ヶ月、始めたころと比べてみると、みんなの気持ち、動きがまとまってきたようであった。(心の中で、山猫戦隊ドアレンジャーと勝手に命名)
 その頃から、発表会にはでない私は、一緒にはうごかず、距離をおいて見ているだけとなった。ものすごく体がうずうずした・・・

 ちょっと外からみると色々なことがみえてくる。
 一番物語りに集中していたのは、小1の女の子だった。テーマ活動に心が入っているときは、体の軸がしっかりし、つま先から手の指先まで「ビシッ」となる。という話を聞きたことが有るが、まさにそんな光景を見た。だらだらしていた小4の男の子を怒っていた。
いつも無愛想(私に対してだけかな!?)小6の女の子が、動き回る年下の子に苦戦しながらも、すてきな笑顔で、ドア作りをしていた。
 一見、だれているだけのように見えた小3の男の子が、実は、いろんなアイデアが思い通りに表現できないことを、恥じていた。

 地区発表会当日は、台詞もなかなか出てこず、反省だけが残る発表となった。私の訪問はそれで終わった。1ヶ月後、クリスマス発表会で再び見た発表は見違えるほど、みんなの気持ちが入っていた。地区発表で終わりにせず、この1ヶ月間もう一度みんなで真剣に取り組んだのだろう。地区発表会は失敗を感じた発表、その壁をこえた子どもたちが大きくみえた。次に会えるのは、キャンプになるだろう。その日が待ち遠しい。
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