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私のおすすめライブラリー 第11号 2007年5月14日
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1)SK-10 The Story Of The Three Little Pigs
2)SK-10 The Story Of The Three Little Pigs
3)SK- 9 The Story of Mimi-nashi-Hoichi
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1)「耳で聞くことが何より一番―昔話(ラボ)の本質」 京葉地区 成田 和子
Once upon a time when pigs spoke rhyme,
And monkeys chewed tobacco,~
昔々といえば、ブタが歌うように話したり、
サルがかみたばこをくちゃくちゃかんだり・・・。
「3びきのコブタ」のお話の導入がはじまると、私自身がなんだかワクワクしてくる、と同時に多くの子ども達の笑顔が、入れ替わりたちかわり現れる。多分 成田P.で育った子ども達のほとんど全員が、この「お話」を楽しんだ時間を共有している筈だ。
しかし、「あなたの印象に残っているラボCDは何?」のアンケート調査では10位にも入っていない。これは子供たちが 親しんで、楽しんだ結果、あまりにも身近なお話になっているからだと私は、勝手に解釈している。
ごっこ遊びの真っ最中、ダンボールの箱にかくれた孫(2歳半)に向かって”Little pig little pig, let’s me come in” すると間髪いれずに“No, no by the hair of my chiny chin chin ”が返ってきたときの驚き、パーティの練習中に集会所の出窓の棚に林檎の木になるのが気にいった全員がのぼってしまったときの困惑、”I’ll huff and puff and blow your house in”の言葉ををぐるぐる走り回って身体全体で表現した女の子の夢中さなど、ごっこ遊びでのパーティ定番テーマ活動。
表現も言葉も本当に遊びながらできあがってゆくのがこのSK10。
「クルリンぼうず」のまくしたて最後の”~too-o-o”、「猫の王」のあの不気味さ、そして「ジャックと豆の木」の大男 ”Fee-fi-fo-fum”
物語としての起承転結のわかりやすさ、そして(あえて)英語の語り口の面白さは何度やっても子どもたちが変わる度にとりあげるが、あきがこない。
そして、パーティ30周年の折、大学生だけでつくりあげた「三匹のこぶた」は若者達でなければ表現し得ない絶妙のものだった。事務局の故村田氏が絶賛してくださったのを記憶している。
このSK10 の原型となるJ.Jacobs: English Fairy Tales が発刊されたのが1967年、この英語だけで発刊された本の序文に瀬田貞二氏が解説とともにJacobsさんの言葉を引用されている。
“Generally speaking, it has been my ambition to write as a good old nurse will speak when she tells Fairy Tales・・・・.This book is meant to be read aloud and not merely taken is by the eye.”
昔話という語り口の音楽的な流れを大切にして再話されていること、しかも、彼のお子様たちのために選び抜かれた昔話であること―その昔話の面白さと音の流れの心地よさは、若かった私にとって、英語という言語にたいしての新たな異文化ショックだった気がしている。
2007年、今も1974年発刊のSK10は成田P.の必須CDとなっている。
2)3びきのコブタ 南総 中西 美佐子
幼稚園児の頃、持病の為自宅の千葉の最南端の田舎から東京の病院に二ヶ月余り入院した。母は仕事を持ち、妹のお世話もしなければなたなかったので週末だけ私の所を訪れた。
お土産は母の肉声で読み語られた世界の昔話の数々がカセットテープに録音されたもの、私は毎日ベット上でそれらを聞いて過ごしていた。
私が寂しい気持ちにならない様にか、お話はすべてハッピーエンド。
もちろん3匹のこぶたもみんなが仲良く暮らすのが当り前と思っていた。
昨年谷pと合同で3匹のこぶたを発表することになった。ハッピーエンドが当り前と思っていた私はラボのCDを聞いてびっくり!
『1,2匹目食べられちゃった!』『オオカミまで汁にして食べちゃった!』
本当は残酷な話だったんだ、小さい子達怖がっちゃうかな…
そんな中ご父兄から頂いた文献に、3匹のこぶたの中の3匹は自分の中の3つの姿であり『身をもって知る』ことによる成長の過程。成長とは、それまでの未熟さが克服される(つまり消えてなくなる)だから1,2番目は食べられねばならない。そこには現実と向き合うこと、その中で生き抜くために知恵と勇気をもって成長すれば勝利という希望があることを子供に語っておきたいと願う古えから現代につながる人々の思いがある、とありました。
もともと文系、というより理系の私は物語を深く考えずに読んでいたので昔話や絵本の中にこんなにも深い思いがあることに気付きました。
ラボッ子達はと言うと、最初は怖いよぉ!とママの影に隠れたりしていましたが、人数の少ない我がパーティでは1番目も2番目も3番目も同じ子達がやらざるを得ない状況。
(最後に食べられるオオカミ役は毎回私でした…)
動きながら最初は弱々しくだらしなかったのが段々強くたくましく自信有り気な賢いブタに変身(^^)テーマ活動を通して見事に成長を遂げてくれました。
3匹のやぎのがらがらどんも同じですね!
新米テューターの私は物語の中に深い意味がある事を知り、だからこそ様々な物語に出会って欲しいのだというラボの理念に気付けたお話でした。
やっと私も二匹目のブタくらいになれたかなぁ…
3)ラボライブラリーへのいざない~耳なし芳一~ 千葉総局 西山
古来、人間は、目に見えないもの、得体の知れないものに、大いなる恐れと、ある種の敬意をもって暮らしてきた。そして、その最たる象徴が「闇」である。かつて日本には、多くの「闇」があった。電灯の明かりもない時代、そこかしこにあった「闇」は、人間の本能的な恐怖をくすぐり、あまたの「もののけ」が生まれた。
『耳なし芳一』は、そんな闇への畏怖から生まれた物語である。ラボライブラリー『耳なし芳一』は、雅なる日本語と、それを最大限に生かす英語の旋律で描かれている。例えば・・・
Presently the samurai halted;
とかくするうち、侍はつと足を止めた。
日本語の持つ、独特の雰囲気を生かすため、一般的なstopではなくhalt(止まる)という表現を用いているのだ。ラボライブラリーが、通り一遍の教材ではなく、一流の芸術作品である証と言えよう。
また、本物の琵琶による格調高い音楽も素晴らしい。特にトラック9における壇ノ浦合戦のくだりは、何度聞いても鳥肌が立つ。目を閉じて聞き入ると、まさに目の前で勇ましい合戦が、悲しき入水のさだめが、繰り広げられているかのごとき錯角を覚える。
私がこのお話に出会ったのは、4年ぶりにラボに復帰した中学3年生の時。ちょうど転入したパーティの25周年発表会のテーマとして取り組んだお話だった。それまでの4年間、シンガポールで暮らしていた私は、ラボテープこそ聞いていたものの、一人ではテーマ活動をすることができず、フラストレーションがたまっていたところだった。そして、4年ぶりに仲間と一緒にテーマ活動に取り組んだ時の感動。しかも、数あるラボライブラリーの中でも特に上質な(と感じていた)「耳なし芳一」のお話である。否が応にも気持ちが高ぶった。
一緒にラボに復帰したひとつ下の弟はこの時、芳一の役をやっていた。耳を引きちぎられ、駆けつけた和尚の言葉に気の緩んだ芳一が慟哭するシーンでは、さながら芳一が乗り移ったがごとく、舞台の上で泣きじゃくっていた弟の姿が、今も鮮明に焼きついている。
私はこの物語を通じて、改めてラボライブラリーの素晴らしさを知った。上質な日本語と英語、芸術性あふれる挿絵、最高級の音楽。どれも素晴らしいが、仲間とともにテーマ活動として取り組むことで、ラボライブラリーは初めてラボライブラリーたり得るのだ。現在約200種類あるお話だけでなく、この先も数々の名ライブラリーが生まれることだろう。これからも、すべてのラボっ子がより多くのお話と出会えるよう全力を尽くす決意を新たにし、筆を置きたい。 |
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